なめらかな会社が好き。

第5回 シリコンバレーに、支社をつくった。

2013.09.16更新

 さて、2006年、僕はシリコンバレーに渡りました。
 2004年に東京に移り、そこから会社を拡大。京都では4人だったスタッフは20人近くになり、世の中からも注目され、雑誌やテレビにもよく取り上げていただきました。
はてなで夢を実現しようと、たくさんの優秀な方がはてなに入りたいと言ってくれて、実際にそのうちの何人かがスタッフになりました。

 そうやって急速に人数が増えた組織を、しかしどうやってまとめていけば良いのか、自分にはまだよくわかりませんでした。よくわからないながらも、フラットさを保ちながら、立って会議をしたり、オフィスのレイアウトをしょっちゅう変えながら毎日好きな場所に座れるようにしたり、と、遊び心を持ちながら楽しく仕事ができるように工夫をしてやっていました。

 毎日突発的にいろんなアイデアが出てきて、じゃあやってみよう、ということでもともと計画していたことを変更して面白そうなことにすぐに取り掛かることもよくありました。よく言えばスピード感がありますし、悪く言えば計画性がない、と言えるでしょう。
会社の方針をなるべくオープンにしてユーザーさんを巻き込んだほうが面白いだろう、ということで、社内の会議を録音してポッドキャストでネット配信する、という試みもやりました。このポッドキャストは、結構多くの方が聞いてくれていたようです。社内会議が聞けるって、確かに今考えても面白いですね(笑)。

 組織のようなものは明確にはなく、色々なサービスの開発作業を、それぞれのメンバーが興味を持った領域を中心になんとなく担当して、毎日立って朝会をしながら今日はこれをやってみよう、と決めて仕事が進んでいました。
 人数が増えてくると、それぞれのメンバーが何をやっているのか、だんだんと把握するのが難しくなってきました。

 京都で4人でやっていたときには、受託開発をこなしながら自社サービスも開発し、はてなダイアリーのようなヒットサービスを生み出すこともできた。スタッフが20人にもなり、受託開発から自社サービス開発に集中することができれば、その何倍ものスピードで自社サービスを成長させることができるだろう。
 そう思って東京に来たものの、社員数が増えて、毎日開発をしているのに、数字の面ではそれほど飛躍的な変化を作ることはできませんでした。もちろん全体的にはユーザー数も増え、売上も増えてはいました。しかし、人数が増えたらもっとスピードアップできるだろう、と思っていた当初の想定とは乖離がありました。

 最初は新しいスタッフを迎えるごとに、賑やかにパーティーをして、明るい未来しか想像できなかった時期がありました。しかし、東京に行って1年ほど経つと、だんだんと焦りが出始めました。
 雑誌などでは注目を集めていて、今後の成長への期待を感じる毎日でしたが、実情の数字はそこまで伸びていません。そして、目の前に集まった人たちをどうやってまとめていけばよいのかが、自分にはわからなかったのです。

 集まってもらったスタッフも、ネットでも名前を知っていたような力を持ったメンバーばかりでしたが、若いメンバーが中心で、会社での組織経験という面ではまだまだ日が浅いメンバーも多い状態でした。
 そんな中で、もともと自分でプログラムを書いて、ウェブサービスを作ることに没頭してきた僕でしたが、この状況を改善するためには何かしら経営者的な仕事をしなければいけないのではないだろうか、と考え始めました。しかし、経営の仕事と言っても、何をすればよいのか、皆目見当がつきません。

 ただ、これまで得意だった、サービスを作る作業だけをやっていても、組織が成長しないということはわかる。でも何から手を付けたらよいのかわからない。わからないので経営の勉強をするしかなかろう、ということで、経営書を手当たり次第に買って読むようになりました。

 よい経営書を読むと、何かすごく賢くなった気持ちになります。会社の戦略とか、マーケティングの考え方とか、大事な知識をたしかに得た、という感覚があるのですが、しかししかし、そのときに僕に必要だったのは、そんな抽象的でハイレベルな概念ではなく、「チームはどう作ればいいのか」といったことだったと思います。

 言ってみれば、初めて上司になる課長さんが部下をどうまとめればよいか、というレベルの話もイメージが湧かない。大きな組織でまずは現場で仕事をして、それから課長になったのであれば、まだ自分の経験として上司はどういう役割を果たすものか、という経験があります。ところが、大きな会社への就職経験もなくはてなを起業して今に至る僕にはそれすらない。そしてそんな当たり前のこと、つまり、会社に入れば最初の1年くらいで誰でも知ることができるようなことは、どこの本にも実は書かれていない。だから、どれだけ本を読んでも、組織ってどういうものか、ということは実はさっぱりつかむことができませんでした。

 もういっそそういうことなら、どこかの組織に行って、会社とはどういうものなのか実地で学ばせてもらおう、という気持ちになり、知り合いの会社に訪問させてもらったり、1日交換オフィスをしましょう、と企画を立てて、仲の良い会社さんと1日だけ数人のスタッフが入れ替わって仕事をする、というようなこともしました。これはすごく印象深い出来事になりましたが、しかし、それでも組織の作り方のようなことはよく分かりませんでした。本当は一度社員としてどこかで働かせてもらえるとよいのですが、社長という立場では、なかなかそんなことは現実的にできません。
 そもそも、自分が組織の作り方がわからずに苦労している、ということ自体がはっきりとはわかりませんでした。何がわかっていないのかがわからなかったのだと思います。

 そんなことをしながら、どうにもマネジメントや経営というものがわからず、次に何をやれば今より良くなるのかもわからない。そうやってモヤモヤしながら、自分はまだ30歳くらい。自分が経営ってなんだろう、と悩んでいる横で、みんなが楽しそうにサービスを作っている。自分の方がもっと面白いものを作れそうな気もする。まだまだ自分でもサービスを作りたい。プログラムも書きたい。第一線でサービス開発者としても活躍してみたい。

 そういう気持ちがもうなんだかごちゃごちゃになっていたように思います。

 シリコンバレーに行くことにしました、と発表をすると、ITMediaの岡田有花さんが取材に来てくれて、格好良い記事を書いてくれました。若い日本人が海外で挑戦します、という夢のある記事でした。

 なぜシリコンバレーに行くことにしたのですか、と質問されて、咄嗟に僕は「スター・ウォーズエピソード3を見ていたら、東京でぬくぬくしている場合じゃないと思ったんです」と、その理由を語り、それがそのまま記事なりました。

 可愛かったアナキン・スカイウォーカーがダースベイダーに変身し、かつての恩師と命がけの決闘をする。全宇宙の運命をかけて生きている登場人物たち。そういう過酷な生き方をしている様子を見て、こんなところでぬくぬくしていてはいけないと思いました、と語りました。

 会社の経営者が本社を離れていきなり海外に行く理由としてはむちゃくちゃです。でも本当の理由なんて、今でもうまく言葉にはできません。ただ、そうやって、どうしたらよいのかわからないと悩んでいたときに、映画を見ていて、そうだ、シリコンバレーに行こう、と思い立ちました。

 シリコンバレーに行けば何かヒントが得られるかもしれない。シリコンバレーはインターネットの世界の聖地のような場所です。一度でよいから行ってみたいという憧れがある。自分の力が世界で通用するのか試してみたい。もう一度小さいチームでサービス開発に没頭したい。ちょうど取締役をやって頂いていた梅田さんもシリコンバレーにいる。きっと向こうに行けば色々とアドバイスもいただけるだろう。

 一度アイデアを思いつくと、どんどんとそういう気持ちが大きくなり、もう抑えることができなくなりました。シリコンバレーに渡る前年の2005年の12月のある日の早朝、僕は「株式会社はてな、米国シリコンバレーに支社設立」という7カ月後に発表されるプレスリリースの文章をパソコンに向かって書きました。会社の5回目の創立記念日に、シリコンバレーに行く発表をします、という内容を、さもすでに起こった出来事であるかのように書くことで、未来の具体的なイメージを形にしたかったのです。そして、それが現実になるよう、準備に入りました。

 7カ月後、半年以上前に書いた文章そのままで会社からプレスリリースが発表され、岡田さんの記事が出ました。
 そうして僕の、初めての海外生活が始まりました。

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近藤淳也(こんどう・じゅんや)

1975年三重県生まれ。京都大学理学部卒。2000年同大学院中退後、2001年7月に「人力検索はてな」を開始し、有限会社はてなを京都で設立。2003年「はてなダイアリー」サービス開始、2004年2月に株式会社はてなに改組。現在、京都に本社、東京に本店がある。著書に『「へんな会社」のつくり方』(翔泳社)。

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