なめらかな会社が好き。

第6回 海外生活のはじまり

2013.10.11更新

 シリコンバレーと聞いて、みなさんどんな場所を思い浮かべますか。

 世界的なハイテク産業の中心地。かつて、ヒューレットさんとパッカードさんというスタンフォードの同級生だった二人が、大学近くの家のガレージで音響の電子計測機器を開発し、そこからHP=ヒューレット・パッカード社が生まれました。1939年のことです。大学院の教授も二人の起業を助け、世界的な企業に成長します。

 HP社に続いて、世界中のパソコンに搭載されているCPUの開発を手がけるインテルなどの半導体企業や、Appleのようなコンピュータメーカーが生まれ、世界のコンピュータ産業を率いてきました。
 半導体にはシリコンが使われるために、サンフランシスコからサンノゼにかけて、半導体やIT系の企業が集積するエリア一帯が「シリコンバレー」と呼ばれるようになりました。

 そして、インターネットの時代が到来すると、ハードウェアメーカーだけでなく、Yahoo、Google、Facebookといったソフトウエア中心のネット企業が誕生し、インターネットの分野でも世界の中心的な場所になっていきます。

 世界のハイテク産業の中心地、IT系企業の集積地、と聞くと、たくさんのビルが密集したずいぶんと先端的な都会を思い浮かべられるかもしれません。実際に僕もそうでした。
 ところが、いざ行ってみますと、町の雰囲気的にはとてものどかな場所です。たとえばスタンフォード大学のフーバータワーのような少し高いところから景色を眺めてみると、街の雰囲気は北海道の帯広くらいの感じです。札幌でもなく、帯広です。それくらい、建物と建物の間は離れていて、木がたくさん生えているような場所です。言ってみれば「田舎」です。

 いわゆるシリコンバレーと言われるエリアは、さきほどのサンフランシスコからサンノゼまで全長で80kmほどあります。バレーと言っても、急峻な渓谷があるわけではなく、太平洋からゴールデンゲートブリッジをくぐって内陸につながるサンフランシスコ湾がながーい入江になっていて、この大きな入江を囲む地形を「バレー」と呼んでいるのです。海の入江ですので、このあたりを「ベイエリア」とも呼びます。地形的には大変平らな場所です。

 80kmも続くエリアですので、集積している、と言っても、YahooからGoogleまでちょっと歩けば着く、というような距離感ではありません。
 中心に「101」(ワンオーワンとみんなが呼びます)という無料の高速道路が走っていて、この高速道路のインター1つごとに、有名な企業が点在している、という感じです。ですので、車がないとほぼ生活出来ません。

 例外的に、サンフランシスコや、サンノゼには都会的な高層ビルが建っていますが、それ以外のエリアでは、そもそも高層ビルというものがありません。
 最近ではネット企業が都会のサンフランシスコに集まってきていますので、少し様相が変わってきていますが、もともと「シリコンバレー」と呼ばれていたエリアはほとんどが帯広のような田舎の街が連なっているのどかな場所だとご想像いただくとよいです。

 しかしなぜそんな場所が逆に、世界のIT産業の中心地になったのか、ということです。
 それにはまず大学の存在と、土地のゆとりが重要だったのだと思います。
 スタンフォード大学や、UCバークレー校(カリフォルニア大学バークレー校)といった名門大学があり、優秀な学生が集まってきている。大学も先端的で枠にとらわれない教育を行っている。学生がなにか新しいアイデアを思いついたら、「とりあえずリスクがあることはせずに安定した大企業に就職しておきなさい」と諭すようなことはせず、「助けてあげるから起業してみたらどうだ」と促す。

 それに加えて、ゆとりのある土地。HP社も、Appleも、自宅のガレージから生まれています。自宅のガレージって、都会ではなかなか存在しません。そんなゆとりのある環境で、「ちょっと試しにうちのガレージで作ってみよう」という環境があったからこそ、世界を変えるようなものづくりがスタートできたのです。

 空気はとにかく乾いていて、光が明るい。太陽の光なんて、地球の上では緯度が同じなら基本的には同じ強さのはずなんですが、シリコンバレーを思い返すといつも「明るい場所だった」という印象が浮かびます。
 もちろん曇ったり雨が降る日もあるのですが、シリコンバレーっぽいカラッとした陽気な日が多くて、独特の乾いた空気と、光にあふれた陽気な気候は、「シリコンバレー」の印象とは切っても切り離せないものだと思います。そしてその気候がまた、現地の人たちの陽気さにつながっているように思います。

 そんな明るくて、のどかで、沢山の人が世界を変えるような挑戦をし続けてきた歴史のある場所で、僕もなにか、その歴史に少しは引っかき傷くらいを残していけるのだろうか、と思いながら、初めての海外生活、アメリカ、シリコンバレーでの生活が始まりました。

 海外に暮らすのは初めてのことでしたので、右も左もわかりませんでした。
 アメリカに長期滞在するにはビザが必要で、経営者ビザを取得するためにはまず、アメリカ法人を現地で設立して、その後申請手続きをする必要があります。ビザの取得は、誰に頼むかで随分結果に差が出る、ということで、ちゃんとした経験のある弁護士さんにお願いをして手続きを進めてもらいました。
 シリコンバレー経験の長い当時はてなの取締役だった梅田望夫さんには、弁護士さんの紹介や法人登記、ビザの申請などあらゆる面でバックアップしていただきました。また、少し前からシリコンバレーに移住していた、当時インフォテリアの江島健太郎さんにも、ずいぶんとお世話になりました。本当にありがとうございました。

 シリコンバレーにいる日本人には、それぞれ個人で活動されているような独立心のある方がたくさんいらっしゃいます。まあ、日本を自分の力で飛び出して、向こうで生計を立てていくだけの力がある方ばかりですので、当然といえば当然なのですが。
 そういう個として独立した方々の中に、しかし「日本人」という共同意識があって、JTPAという現地の日本人ネットワークなどでつながっています。そして、いざというときにはお互いに助けあってやっていく、という緩い連帯感があって、なんとなく大人な感じの心地よいコミュニティができています。

 サンフランシスコ空港に降り立ったらまず、携帯電話を手に入れましょう、ということで、江島さんが携帯電話ショップに連れて行ってくれて、契約を手伝ってくれました。
「これでとりあえず電話が手に入ったし、なにか困ったらいつでもこの番号に電話してください」
 と言ってくれて、"Good Luck!" と笑顔で去って行きました。江島さんはいつも格好良いスポーティーな車に乗っていて、明るくブーンと走っていきます。
 それから梅田さんには、当面の生活の立ち上げに必要な物を買い揃えられるお店を順番に案内していただいて、El Camino Real という生活上何かと一番行き来することになる通り沿いの雑貨屋さんに行って、「ここでお風呂周りのタオルや水回りグッズが買えるよ」とか、まだ当時日本には上陸していなかったコストコに連れて行ってもらって、でかい店内に圧倒されながら「ここで鶏肉やワインを買うと安いよ」など、順番に教えていただきました。

 そんなことまでしていただいてよいのだろうか、と思うと同時に、しかし、これは一人でやっていたら途方に暮れていたな、と思う自分がいて、お二方の優しさが心にしみました。お二人ともとにかく明るくて、"Welcome to Silicon Valley!" といってハグしてくれるような、そんなノリで迎えていただきました。

 そんなふうに明るいお迎えをしていただいたところからシリコンバレー生活がスタートしたもんですから、結局自然と僕も、いろんな方が遊びに来られたときは、"Welcome to Silicon Valley!" というノリでお迎えして、いろんな場所にご案内する雰囲気になりました。

 シリコンバレーに行ったら、はてなの子会社を立ち上げて、自分ももう一度新サービスの開発に没頭したい。できれば現地のエンジニアやデザイナの方を雇って、日本人と外国人が混ざったチームを作り、世界に向けてサービスをリリースする。世界中の人に使ってもらって会社を成長させていきたい。
 シリコンバレーでやろうとしていたことはそういうことでした。

 早く自分の時間を取って、開発に没頭したい、と思いながらも、まずは生活の立ち上げで大忙しでした。
 IKEAに行ってひととおりの家具を買って、家に持ち帰っては組み立てたりとか、勉強して車の免許の試験を受けるも、実技試験で落とされてしまって、何度も試験場に足を運んだり、とか。
 大忙し、と言いながら、これがなかなか楽しくて、まるでロールプレイングゲームでいろんな装備を順番に揃えていっているような感覚で、新しい生活を組み立てていきました。そうこうしながら、徐々に仕事に関係したことを始めていきました。

近くの山の上から、シリコンバレーを見下ろすと

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近藤淳也(こんどう・じゅんや)

1975年三重県生まれ。京都大学理学部卒。2000年同大学院中退後、2001年7月に「人力検索はてな」を開始し、有限会社はてなを京都で設立。2003年「はてなダイアリー」サービス開始、2004年2月に株式会社はてなに改組。現在、京都に本社、東京に本店がある。著書に『「へんな会社」のつくり方』(翔泳社)。

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