なめらかな会社が好き。

第8回 それでも、シリコンバレーに僕は行く。

2013.12.13更新

 2006年に移り住んだシリコンバレーには、結局1年半と少し滞在しました。

 できるだけ日本人がいない場所で頑張ってみよう、ということで、現地でIT系の仕事をしている会社の空きスペースを間借りして入居させてもらい、そこで毎日仕事をしていました。1年半ほど経って、このまま続けているよりは、そろそろ日本に帰ったほうがいいな、という状況になり、帰ってきました。

 もしも今、自分がシリコンバレーに行く前の2006年頃に戻れたとして、もう一度やり直せるとしたらどうするか。シリコンバレーに行くか、それ以外の道を選ぶか。どちらだろうと考えると、自分はもう一度やり直せるとしても、やっぱりシリコンバレーに行くだろうな、と思います。

 あのまま東京でやり続けていたとしても、それはそれでうまく行っていなかったと思います。恐らく、もっと早くに、会社の経営がうまくいかないということが露呈していたでしょう。急成長を期待して加入してくれたメンバーや、関係する外部の皆さんからの期待と実態の乖離が起こり、しかしどうしていいかわからない、という状況に陥っていたのではないかと感じます。今から思えば、自分自身、経営といういうものがまったくピンと来ていませんでした。

 シリコンバレーに行ったら行ったで、そちらもいろいろ課題は出ました。そもそもベンチャー企業で、社長がメインのオフィスにいない、という時点で常識的に考えて難しかったです。そういう常識的な考えも、自分たちならなんとかなる、と本気で思っていました。

 いざ行ってみると、やっぱり日本とアメリカで一緒に仕事をしていくのは難しかったし、会社をマネジメントしていくのも難しかったし、アメリカで人を採用して英語で仕事をするのも難しかった。

 でも多分、やっぱり行くと思います。
 常識的な見方をすると、無謀な挑戦だった、ということでしょう。
 それで帰ってきたことに対して、だけど「それ見たことか」というような振り返りにはしたくないんです。

 いや、別に自分がそういうふうに言われた、ということではありません。
 それから自分がいろんな人に苦労をかけたのに、自分の責任を放棄するつもりもありません。

 ただ、これだ、と思って自分でやってみて、学びながら少しずつ賢くなっていく、ということでいいんじゃないか、と思うんです。
 無責任かもしれません。

 なんだかすごい思い込みをして、絶対うまく行くという根拠のない自信を持って突き進んでみては、壁にあたって、「あれ、こうじゃなかったのか」と愕然として、自分は間違っていたんだなと学び、一旦落ち込む。
 それからまた、「じゃあ次はこういう感じで行ってみよう」と次の目的地を決めて、また元気を出して走って行く。

 そういうプロセスが貴重だと思うんです。そういう物語を作りたいんです。
「こうやったらうまく行くよ」と他人に言われて、その通りに実行して、それなりにうまくいきました、という仕事がしたいなら、大きな会社に入った方がいいと思うんです。

 それなりに安定してうまくいくかもしれないけど、なんだかつまらない。
 作業みたいなことに自分の人生を使いたくないから、もっと自分らしく、自分だからこうなったんだ、という軌跡を残したいと思ったから、既成の仕組みに依らずに自分の会社を作る道を選んだんだと思います。
 やり方を知っている人から見ると、とても格好悪いかもしれません。
 無駄な回り道をしているように見えるかもしれません。

 そもそも旅の種類が違うのでしょうか。
 自転車旅行と電車旅行のような。
 自転車旅行をしているところに、「電車に乗ったら早く目的地に着きますよ」と言われて、いやいやいやー、という。
 でも自転車は、レールがないところにもたどり着けるんです、っていう、そういう旅をしているんじゃないかと思うんです。

 だから自分にとって、会社にとって、シリコンバレーはそういう旅の過程だったし、かけがえのない経験です。
 もう一度同じ状況になっても、やっぱり行くと思います。

 そういう中でも、一番楽しかったのは何かと言えば、日本から入れ替わり立ち代りいろんな人がやってきて、一緒にいろいろなものを見たり、作ったことでした。
 ベッドルームが3つもある一軒家を借りて、そこにいつもいろんな人を泊めていました。
 はてなのメンバーも同時に3人泊まっていたりとかして、2週間とか1カ月滞在して、その間にいろんなことをしました。

 そもそも現地の人を雇って、英語で仕事をする会社を作るんじゃなかったのか、というツッコミは当然あるのですが、英語は難しかったです、本当に。
 外国人に声をかけて、一緒に仕事をしようと思ったら、たとえば学生のときに留学しておくとか、一旦外国の会社に入って英語で仕事をするとか、そういう環境で話せるようになっておく必要があると思いました。
 リーダーがリーダーのポジションのままで、必要な英語を身につけるのは難しいな、と感じました。

 ということで、日本から人がやってきては、カリフォルニアの空気を吸って、いろんな新しいものを作りました。
 そこで生まれたもので、今でもたくさんの人に使われている仕組みがはてなスターです。
 Facebookのいいねのようなものですが、それより前にはてなにくっつけました。
 そういう仕組みを考えて作るのが得意技です。

 あとははてなハイクとか、はてなワールドとか。
 いくつかサービスを作って、主に日本向けにリリースしたあたりで、日本に戻ることに決めました。
 本当は3年くらいは最低でもいて、英語が話せるようになって、何かしら海外でも成果を出してから帰ろう、と思っていたのですが、端的に言えば、このままやっていても筋がないな、と思いました。
 こういうことをやるなら、日本でやった方がいいだろう、と思いました。
 日本人スタッフと、日本人に向けてサービスを作るなら、日本でやるのがいいだろう、という、当たり前といえば当たり前の結論に達して帰ってきました。

 日本のどこに帰ろうか、というのが次の課題でした。
 すんなりいけば東京なのですが、そういえばはてなが京都から東京に出て行ったときに、すごく残念がってくれた人がいました。
 東京の方だったのですが、「なんだあ、東京に出てきちゃったんだ。はてなは京都にあるからよかったのに、普通になっちゃうね」と。
 今から思うとわりと無責任に個人的な願望を言われただけなのかも、とも思いますが、とにかくそう言ってくれた人がいました。
 でもシリコンバレーにいて、少しその気持もわかるところがあって、東京にあるはてなと、京都にあるはてなと、どっちがいいか考えて、京都にあるはてなもいいな、と思いました。
 なかなか合理的な説明が難しくて、「なぜ京都なんですか」と言われて説明しても納得が難しく、会社のメンバーに苦労をかけました。

 が、結果的に京都に帰ってきました。
 東京でもビジネスが回っていましたので、サービス開発は京都で、ビジネス系は東京で、という基本的な分け方にして、日本で2拠点でやっていこう、ということにしました。

 それで2008年の春に、京都に戻ってきました。
 そこからまた、はてなは新しいフェーズに入りました。
 そして新たな壁がまた、たくさん待っていました。

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近藤淳也(こんどう・じゅんや)

1975年三重県生まれ。京都大学理学部卒。2000年同大学院中退後、2001年7月に「人力検索はてな」を開始し、有限会社はてなを京都で設立。2003年「はてなダイアリー」サービス開始、2004年2月に株式会社はてなに改組。現在、京都に本社、東京に本店がある。著書に『「へんな会社」のつくり方』(翔泳社)。

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