似合わない服 ミルコの六本木日記リターンズ

第5回 まっくろう

2017.08.08更新

 私が六本木に住んでいた頃、<まっくろう>というレストランが六本木にあった。
 私のような若輩が気軽に行ける店ではなく、私の場合は元いた会社の社長や作家の先生に、当時の<まっくろう>へ連れて行ってもらえたことは幸運だった。ほんとうに美味しくて、<まっくろう>でシェフやスタッフとやりとりするときの社長は、ものすごく大人に見えた。まあ私より大人なのは当然だが、なんというか、そのやりとりに歴史を感じた。お店に通うということは、お店でお金を使い続けることであり、健康を保って飲み食いし続けることでも、ある。ようはずっとあるシーンで元気で活躍していなければならない。
 私は六本木に住み着いた当初、<まっくろう>のとなりだっていうだけで、なんか興奮したが、閉店してしまった。

 しばらく経って<まっくろう>のシェフとスタッフの方が、<サロン・ド・グー>というお店をたちあげた。私が会社をやめる少し前(2008年ごろ?)だったように記憶しているが、そこへ社長ナシで、友だちと行ったことがある。
 「すごく美味しいねー!」
 「でも、高いね~!」
 そう、自力で行くと目玉が飛び出るってことが判明したのだ。
 こんど来たいときは、誰か立派なおじさんに連れてきてもらおう、という話でまとまった。

 その後私が退社したのは、すでに書いたとおりである。
退職して一年ほどで、あちこちのお店からの案内や関係各社からの連絡は、ほぼ途絶えた。みんな、お金を使わない人にもう用はないのである。
 私でも在職中には、あらゆるお店に行ったものだ。顔なじみとして行ける、知る人ぞ知る隠れ家レストランみたいな場所や、美味しいお酒を丁寧に出してくれるバーもあった。しかし、会社をやめるだけで関係は切れる、ましてや大病をして入退院を繰り返しているなどと耳に入れば、「もう仕事をしない人」として忘れ去られていくのだということを、私は受け入れなければならなかった。
 そもそも、出されたものをちゃんと食べることがもうできない。
 お酒も、治療からだいぶ経ったいまでこそほんの少しいただくが、退社から数年のあいだはとんと遠ざかっていた。
 そうして私は会社時代の人間関係から離れ、六本木からも去った。
もう誰からも、案内は来ない。
 ところが・・・、唯一、私にお便りをし続けてくださったレストランがある。
さて、どこでしょう?
 それがよりによって、自力では行けない店<サロン・ド・グー>なのである。

 <まっくろう>から<サロン・ド・グー>に移ったスタッフ、ヨシダさんだけは、なぜか私に連絡しつづけてくださっている。
 毎年、必ず、「私たちはおかげさまで、〇周年を迎えました」というそばに、手描きのメッセージを添えて。ほとんど仕事をしていない私が、たまたまどこかに書いた拙文をご覧くださったのか、「お元気でご活躍ですね」などと書かれてある。
 それを受け取って、ぜんぜんお元気でご活躍ではないのだが、ヨシダさん本当にありがとう、こんな私を忘れずにいてくれて・・・と何度も思った。
 もう二度と、社長のお伴としても行けない、作家さんや女優さんをお店に連れても行くこともない、おそらく出版の仕事に復帰することはないであろう、そんないまの私なのに。それをおそらくわかっていながら、それでも私にカードを書くヨシダさんという人物、じつはそんなよく知りもしないのだけど。
 いつか元気でよく働けるようになったら、ぜったい<サロン・ド・グー>でごはんを食べるぞ~!――そう思いながら、何年たっても行けてなくて、ほんとうにごめんなさい。


2015年9月~2016年2月までミシマガで連載されていた、「5年後、」に大幅に加筆・修正した書籍『似合わない服』が、今年8月後半に発刊になります!!本連載は、その発刊を記念した、期間限定連載です。

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山口ミルコ(やまぐち・みるこ)

1965年東京都生まれ。出版社で20年にわたり、さまざまな本をつくる。数々のベストセラーを世に送り出した末、2009年3月に退社。闘病を経て作家活動に入る。著書に『毛のない生活』(ミシマ社)、『毛の力 ロシア・ファーロードをゆく』(小学館)がある。

毛のない生活

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