飲み食い世界一の大阪。

第19回 (チョコクロの)上海と(上海食亭の)大阪

2012.08.20更新

 「奈良県上空から大阪湾に入るんや」「あ、下に流れてるの紀ノ川と違う?」などと、同行者の窓側の席に身を乗り出しながら喋っていると、すぐさま中国東方航空のエアバスA321機は関空へ着陸する。
 他の街、とくに外国から大阪に帰ってくるとなぜかすぐに、食べたくなるもの、行きたくなる店がある。

 それは近所のうどんであったりお好み焼きといったいわば自分の街の食べ物であったり、阪神梅田の串カツ[七福神]や千日前の洋食[重亭]や鶴橋の焼肉[空]、神戸なら三宮の鮨屋[源平]や焼鳥[八栄亭]といった店だ。北新地のバー[堂島サンボア]にも行きたくなるな。
 イタリアから帰ってくると妙にミナミのイタリアンを食べたくなるし、上海からの場合は神戸元町の広東料理が恋しくなる。
 実際に行く行かないは別にして、多分そういった感覚が、何ものでもない地元・大阪(や神戸や京都)の味覚というものだろう。

 ビカビカで派手なデザインの高層ビルが林立する上海の中心部で、近代建築の並ぶ外灘や南京路のショップがルイ・ヴィトンやプラダやユニクロ、地下鉄駅から地上に出るとスターバックスやサンマルクカフェやファミリーマートばかりなのに気づくと、「西梅田とどこがちゃうねん」という気分になってくる。
 ここ20年の日本ばりの「グローバル・スタンダード」による、面白くも何ともない「テナント」ばっかりで、パッチもんの[UBC上島珈琲]ぐらいが「さすが、上海やなあ」である。返還前の香港の湾仔や旺角で日本人と見るや声がかかった、「コピ・ロレ(ックス)」連呼や「カバン! サイフ! ルイ・ビトン! グッチ!」の怪しげで楽しい客引きにもあわない。

 というような旅行からちょっとがっかりして大阪に帰ってくると、オフィスがある堂島界隈に並ぶスタバのキャラメルマキアートやサンマルクのチョコクロとかがとても陳腐なアイテムだと思うし、ますますルイ・ヴィトンやユニクロから遠ざかりたくもなる。

 中国や韓国の大都会(それと日本の地方都市)に共通して充満する、それらのせこいタイムラグ商売の、のっぺりとしたウルトラ・ワンパターンな「いなかもの相手臭さ」は何なんだろう。
 あらかじめ確立させた「ショップ・ブランド」をもとに、同一のノウハウ、同じメニュー、規格化された食材、同じ内装、同じサービス・・・という、マニュアルチェーン店システムにのっとったカフェは、経済合理性とグローバリゼーションに基づいて世界中どこにでも展開していく。
 大都市の人口は戦略的なマーケティングの対象となり、その街で生活したり他所から集まったりする人は「消費者」としてターゲット化される。
 そういった「○×ホールディング」的企業の金勘定むき出しのベクトルが、固有の気配や匂いのない店をつくり、街を均一にしてきた。
 そしてそれらの店舗では、注文や勘定時以外、客と店側のコミュニケーションはない。それは「人と人とが顔を合わさなくても回る」システムであり、店で実際に人と人とが出会っても、そこで知り合いになったりはしない。

 「上海の路地裏」をお洒落ショップにコンバージョンさせた「田子坊」は、イタリアン・バルやフレンチ・カフェや雑貨屋が並び、今風の中国人客、外人観光客で賑わっているが、最寄りの新しいメトロ駅の入口にあたる「日月光広場」の一等地には、サンマルクカフェがあり、日本で見慣れたチョコクロの看板が出ている。
 「へぇー」と思いグーグルを検索すると、現地在住の日本人「○×マダムの上海日記」みたいなホームページにひっかかり、「チョコクロが日本と同じ味でうんまかったです♡」みたいな書き込みがあって、「これは、つきおてられんなあ」という気持ちになる。

 もちろんそういう街には、スターバックスも多い。
 スタバのコンセプトは、それが家庭でも仕事場でもなんでもない「サードプレイス」なのだそうだ。その「第3の場所」というのは、大阪的に言うと多分街場の行きつけの喫茶店や酒場、飲食店であるはずだ。

 わたしが前に書いた新書のタイトルは『「街的」ということ』であり、副題に「お好み焼き屋は街の学校だ」というのをつけていたが、まさしくサードプレイスは、大阪や京都、神戸の下町といった旧い街ではお好み焼き屋ではないかということだった。
 そこでは街の景色が変わるごとにお好み焼きが変わる。具やソースや瓶に入った飲み物も変わるし、その店固有の風景やコミュニケーションがある。

 その「サードプレイス」は、完全マニュアルの環境であり、世界のどこの店でも「自分のカスタマイズ」可能なコーヒーが飲める。
 そこではカウンターに並び「ダブルショットで」とか「エキストラホイップ」と注文し、いろんな砂糖やミルクやシナモンとかが入った瓶が置いてあるカウンター(コンディメントバーというらしい)で、好きなだけそれらを加えることができる。
 それはそれでいい。それでいいけれど、なにがおもろいのだと思ってしまう。そんなのは、自分の家でやればいいのだとも思う。

 街のお好み焼き屋では、メニューにないものを頼んでいる客もいるし、青海苔やカツオは勝手にかけるしソースの濃淡は好みで変えられるが、グローバル・スタンダードのカスタマイズといったものと意味が違う。
 その都市や街にとっての「かけがえのない場所」。それは、会社・家庭の間にあるサードプレイスというようなものではない。それに街には、その人にとって第1も第2も曖昧で、それこそ第10まで持っている幸せな人がいる。

 街の「コミュニケーションの拠点」としての店は、ある属性を有する人々が高い都市機能性を求めて集まる場所ではない。その街の多様な生活者、そこを行き交う人々、また旅行者の「そこだけの、自分だけの、スペシャルな居場所」として機能するからこそ店なのだ。そこには必ず固有で親密なコミュニケーションがあり、外来者にとっては情報交換、情報収集の場でもある。
 確かにそういう場所が、今的に言う「カフェ」に近いのだと思うのだけれど、 それはカスタマイズやスマイル0円のことではない。その街特有の匂いや色や温度がないと、その手の店は街場での真にパブリックな店ではない、などと思う。

 そういえば、テレビのコメンテーターとして出ていた頃(これは少し恥ずかしい)、西成の新今宮あたりの簡易ホテルに外国人のバックパッカーが集まりだしたニュースがあって、生放送の番組内でキャスターのヤマヒロさんにその理由をきかれた。
 わたしは「そりゃ大阪に来て、わざわざマクドナルドやスターバックスに入りたくないでしょ。やっぱり串カツ、どて焼きの方が楽しい。第一安いですし」とコメントした。放送終了後、プロデューサーかディレクターかだったか、「マクドナルドさんはスポンサーですから」と叱られたのを記憶している。

 株や為替といった金融資本主義の世界と同じように、街の商売も店もそんなグローバリゼーションにまみれてしまっていて、そういう街で「グローバルに賢い消費者」でいるほどつまらんものはない。
 などと書いていると、編集スタッフがドトールコーヒーの紙袋を手に昼メシから帰ってきて、わたしの目蓋を閉じさせてくれる(まあ、放っといたれや、とも思う)。
 
 けれども隣の街と隣の街、そしてその斜め向かいの街の手触りがまったく違う大阪は、まだまだローカルな面白さに富んでいる。
 
 梅田の真ん中、JR大阪駅から環状線でひと駅、外回りなら天満駅、内回りなら福島駅。
 歩こうと思えば十分歩ける微妙な距離である。しかし「そこへ行く」ことは、梅田から淀屋橋、心斎橋から難波や本町へ御堂筋を歩いて行くのとはまったく違った感覚がする。
 
 天満駅は「日本一長い商店街」、天神橋筋商店街のちょうど真ん中あたりを跨ぐようにある駅だ。ホームから地上の改札口へ降り立つと、いきなり下町のど真ん中に放り出される感じである。

 天満も梅田と同じ北区である。
 大阪のキタといえば、このほど大改築が終わったJR大阪駅や阪急、阪神、地下鉄3駅が集まる大ターミナルの梅田周辺、堂島や中之島界隈といった、ビジネスマンが闊歩するオフィス街とデパート、大規模商業施設。北新地や阪急東通りなどの歓楽街。リッツ・カールトンやヒルトン、リーガロイヤルといった高級シティ・ホテル。
 あるいは北ヤードの「うめきた」はどうなるとか、そういうビジネスつまり経済と消費軸からの観点があり、こちらが一般的に前景化している。
 それらの状況はとても上海的であり、その規模とスピードでは「負けている」というのがグローバル的には周知の通りである。

 それらに共通する、ガラス・金属の高層ビルのインテリジェント・オフィス+ターミナル商業施設の空間とはまったく様相が違うのが、駅ひとつ隔てただけの天満駅界隈だ。
 天神橋筋商店街は、服屋、靴屋、下着屋、瀬戸物屋、薬屋・・・、それにうどん屋や食堂や喫茶店、和菓子屋、煙草屋、昆布屋・・・といった、過去からの時間が連続している大阪の商店街である。
 
 もちろんマクドやサンマルクやそれら系のカフェもあるに決まっているが、駅から30秒のドトールの喫煙可の2階からは、窓を開けると高架の天満駅に停車する電車が目の前に見え、ブレーキの音も鉄の匂いもライヴである。
 
 天満駅から北、天満市場から天六にかけての天神橋筋商店街の西から一筋、二筋違いにかけてのエリアには、自転車がやっと通れて人が何人も横並びで歩けない「路地」にある店がどんどん新しくできている。
 旧い市場内の店舗や町家や長屋をうまくリメイクした流行りの店、ワインも出す立ち呑みバルや刺し身がうまかったりする居酒屋、例えばイタリアンであれば黒板に「今日のオススメ」とチョークで手書きしてあるような店、あるいは焼鳥やお好み焼き屋をTシャツを着てバンダナを頭に巻いた若者がやっているような新感覚チープな店が、この時代を反映するかのように増え、結構な人気を博している。

 市場の蒲鉾屋が夜になると店の前に椅子を置いて、客の前で魚の練りものを揚げて出した [八尾蒲鉾店]は、とくにこの天満らしい店だ。
 あまり好評ゆえ数年前に別店舗を構えたが、注文する客の前でその都度キスやアナゴ、タコなどの魚介類、ゴボウや紅ショウガといったネタを手早く練り物にし、割烹料理のように揚げたてを出す「練り物天ぷら専門居酒屋」である。あつあつの天ぷらに「元割り」の焼酎が、そらたまらん。

 そんな天満を賑わわせている店のひとつが、何と「上海がらみ」なのである。
 その名は[上海食亭]。
 この店がオープンしてもう10年になると思うが、開店当初は市場の物販店舗が終わった後、その前に「勝手に椅子を並べて店をやってます」みたいに、上海流の小籠包やニラ饅頭や粥を出していた。四ッ脚パイプの背もたれなしのビニール製スツールは、吉本新喜劇に出てくる食堂の椅子みたいだった。
 その後いつの間にか、向かいの空き店舗も巻き込んで、堂々たる「上海の屋台」の店になっていた。この本店はそのまんまだが、今やミナミの難波千日前にもう一店舗(これも路地裏の店だ)、難波の髙島屋にも出店している。

 そして[上海食亭]で働いていた中国人たちが独立して、すぐ近くに作った店が[上海食苑]だ。
 一見紛らわしい名前で、[上海食亭]よりちょっと高級なのを、それもすぐ近くの場所で、というのがとてもたくましくかつ興味深いところだが、この店も成功している。店舗は天満市場の本店を始め、この界隈に集中して4〜5店あって、なかには中国調理師最高位の「国家高級技師」が直接腕を振るっている本格的な料理店もあるとのことだ。
 大阪・天満に10年かけて根づいた、これこそが上海のグローバル・スタンダードだと思いたい。

 天満界隈のいいところは、以前からそこで何年もやっていると思しき赤提灯や暖簾の居酒屋、鮨屋などが軒を構えている間を新しい店がうまく埋めているかのように、街に絶妙な新旧のデコボコ感を創出しているところだ。
 梅田や難波の大ターミナルにしろ、チョコクロの上海中心部にしろ、新都市開発や大規模再開発が繰り返される街は、そういう「すき間」がかなり窮屈になっている。だからチェーン店系の飲食店ばかりのっぺりと画一的な街になってしまうのだ。そこでは「何かをやってやろう」という、インディペンデントな個店は入りにくい。

 天満界隈的な街の新旧デコボコ感は、夕方以降、仕事帰りに一杯飲みに行ったりする若いサラリーマンやOLにとって、実にフィットする。
 小さな路地に迷い込むように誘われるように入っていって、「お、ちょっと良さそうな店やな」と店の扉を開けるのは、まち歩きの大きな楽しみのひとつである。

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江 弘毅(こう・ひろき)

1958年、大阪・岸和田生まれの岸和田育ち。
『ミーツ・リージョナル』(京阪神エルマガジン社)の創刊に携わり12年間編集長を務める。現在、編集集団「140B」取締役編集責任者、神戸女学院大学非常勤講師。2011年4月より『大阪人』編集を担当。
著書に『「街的」ということ』(講談社現代新書)、『岸和田だんじり祭り だんじり若頭日記』(晶文社)、『ミーツへの道』(本の雑誌社)、『街場の大阪論』(新潮文庫)、『「うまいもん屋」からの大阪論』(NHK出版新書)など。

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