おせっかい宣言

第5回 完璧な意志

2014.12.11更新

 母子保健の仕事をしているから、出産のことは馴染みがある。仲良しの助産婦さんなどもいるのでよく話を聞く。
 赤ちゃんってお母さんのおなかにいるときから、いろんなことがよくわかっているんだなあ、と思うことがほんとうに多い。お父さんがどうしてもお産に立ち会いたい、といっていて、お母さんのほうもぜったいお父さんに立ち会ってもらいたいと思っていると、ちゃんと赤ちゃんはお父さんの出張からの帰りにあわせて産まれてくる。
 この日は、いろんな意味で都合がよくて、手伝ってくれる人もいるから、と思っているとその日、そのあたりの時間に産まれてくる。そんな話はいくらでもあるらしく、出産業界の方には、こんなことは、めずらしいことでもなんでもないらしい。

 ひとごとではなく、うちの息子もそうだった。もう四半世紀も前のことになるが、わたしはブラジルは北東部のいなかの大学病院でお産をすることになっていた。お産のシステムは日本と違う。当時のブラジルに助産婦の制度はなく、ブラジルの"中産階級"女性には、だいたい「かかりつけ産婦人科医」という人がいて、その人にお産も婦人科系のトラブルもみてもらう。
 そういう先生はふだんは外来のプライベートのクリニックにいるから、いざお産、とか手術、ということになると、設備のある大学病院や公立の大きな病院を借りて、お金を出してその先生にきてもらって、担当してもらう、ということになる。今で言うオープンシステムである。

 わたしのおなかの赤ちゃんは逆子で、臨月になっても頭が下にはならない。それでなくても帝王切開大国のブラジルなので、当然、逆子であるだけで帝王切開適応となる。かかりつけの産科医、マルビオ先生は「帝王切開になるけど、陣痛が起こるまでは待ってからにしようね。最後に頭が下になることもあるし。まあ、おそらく帝王切開だろうから、メスを研いで待ってるよ。でも、水曜日だといいなあ。水曜日だとぼくは大学病院に、もともと当直にいっている日だから、きみは余計なお金を出さなくてもよくなるんだよね」と言った。

 つまり、わざわざお金を出してマルビオ先生を呼ばなくても、先生は病院にいるから、余分なお金をはらわなくてもで帝王切開を執刀してあげられるよ、といってくれているのである。まあ、ブラジルの医療システムは複雑なのでここで長くは説明しないが、要するに「水曜日に産まれてくれれば、出産に関わる費用がものすごく安くてすむ」という状況だったのだ。
 わたしの長男は、この会話をはっきりと聞いていたかのように、ぴったり、水曜日に産まれることとなった。ちゃんとマルビオ先生の言葉、聞いてたんだ、なんと親孝行な息子だ、と思ったものである。
 
 義理の母が死んだ。20年以上認知症をわずらっていてもう10年近く発語もなく、ほとんど寝たきりだったというのに、何もかも完璧で、何もかも彼女のコントロール下にあるような、あまりに見事な逝き方をした、義理の母、93歳、死因、「老衰」。愛する息子のそばで、頬をなでられながら、息を引き取った。そばにいたけれど、すべての息子の母はこのようにして看取られたいのではないか、と思うような最期だった。

 義理の母の愛する息子は長患いしていて、調子がよくなかった。6カ月間、自分だけで電車にのることができなくて、息子はひとりではちょっと遠い施設ですごしている母に会いに行けなかった。ときおり車でわたしと一緒に行っていたのだ。ところが、ある火曜日、息子は母のところに一人でいけるくらいに元気になって、半年ぶりに一人で電車に乗っておかあさんに会いにいき、「おかあさん、もう、がんばらなくていいよ」と言ってきたのだという。そこで、おかあさんはもう、がんばらないことにしたみたいだ。今なら息子もけっこう動けそうだし、葬式もしてもらえることであろう。数カ月前ならちょっと難しかったけど、いまなら、自分の葬式をちゃんとしきってくれるだろう。だから、今、しかない。

 長患いしているため、夫の髪はわたしが切っている。数カ月サボっていて夫の髪はだいぶ伸びていた。伸びているのに、わたしが一日ぼんやり家にいるときでないと、髪を切ってもらえないなどという。
 おかあさんのところに一人で行ってきて「がんばらなくていい」を言った火曜日の翌々日、つまりは木曜の朝、職場にいかなくてもよい日なので、わたしは彼の髪を切った。続いてわたし自身も近所の美容院に出かけ、ふたりとも周囲から見れば大差ないものの、自分たちとしては「ちょっと外見がマシ」な老夫婦となった。
 身だしなみもそれなりに整った、と思っていたら、それを待っていたかのように、ちょうど昼時の12時、義母のいる施設から電話が入り、脈がうまくとれず、血圧をほとんどはかれない状態だという。急いで車で義母のいる施設にむかった。

 家から施設まで道が空いていても1時間半はかかる。間に合わないだろうな、と思った。血圧がほとんど測定できないというのだ。死に目には会えないか、と覚悟しながらむかったのだが、到着してみると、義母は長くお世話になった特別養護老人ホームの個室に移され、静かに息をしていた。容態が急変するようなことがあっても、もう救急車を呼んだり、医療的な対応はしなくてもよい、という「約束」を施設としていたから、部屋は医療スタッフも福祉スタッフもだれもいなくて、わたしたち夫婦と義母だけが残された。
 静かに過ごすこと、約一時間ちょっと、夫にみまもられて、文字どおりだんだん息が浅くなり、あれ、もう、息をしていないね、という感じになって、文字どおり、息をひきとった。とくに大きな息をする、ということもなく、ほんとうに、愛する息子の見守るなか静かな静かな最期。「もうがんばらなくてもいいよ」といわれて、がんばらないことにして、彼の到着を待って、ちゃんと看取らせる。ここまでで、たいしたものだと思っていたが、それからも感心することは続く。 

 亡くなったのが午後3時すぎだったから、オフィスアワー内に、死亡診断書を書く医師もきて、施設の担当者にもみんな挨拶できて、葬儀屋との連絡や遺体搬送もスムーズで、夜8時にはすべての段取りを終えて、帰宅、「長患いしている息子に無理はさせまいぞ」という母の意思が感じられる。
 現在の高齢者の多い東京では、「焼き場」はいつも混んでいてなかなかとれなくて、亡くなってから葬儀まで時間がかかることもめずらしくない。しかしながら、今回、木曜日の午後に亡くなって、土曜日の葬儀が可能なように、焼き場も葬儀場もお清めの料亭も、魔法のように決まっていき、年寄りばかり集まる葬儀の当日、土曜日は、あたたかくて、すごしやすい天候、亡くなって48時間後の午後には、すべては終了していた。
 わたし自身には、日曜日に九州で講演の予定があったのだが、土曜日にすべて終了したため、日曜日は仕事をキャンセルせずに日帰り出張できたのである。

 こうやって書いてみると、なんでもないことのようだが、「すべては完璧」なタイミングで進んでいったのである。こうやって義母を送ってみると、夫の傍らにいるわたし自身の存在さえが、義母の意志のように思われてくる。「わたしの愛する息子を頼んだぞ」というはっきりした意志が。
 生と死はわたしたちが思うようにはできない。もちろんその通りだ。しかしながら生と死に立ち会えば立ち会うほど、感じざるを得ない、静かな意図のようなもの。わたしの理性的な部分は、いまだにたじろがされている。それは、生と死を、おもいわずらうな、という明確なメッセージにすら聞こえる。

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三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。
1981年、京都薬科大学卒業。
1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。
著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女を生きる覚悟』など多数。最新刊は『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)。

女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言

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