おせっかい宣言

第6回 あなたの望んだ世界

2015.01.02更新

 卒業論文提出の時期である。女子大の教員なので、師走は女子学生たちの卒業論文ととことんまでつきあう時期なのだった。わたしの担当学生は2年生からゼミ生になるので、3年間のつきあいになるから、卒業する頃にはゼミ生同士もわたしも、お互い、裏も表もわかるような感じになる。卒論はテーマ探しが9割、と常に言っているので、毎年、よくこういうテーマを考えだしたな、というようなテーマが出てきて、飽きない。いまの若い女性たちがなにを考えているのかわかる機会があることは、いい年のわたしには、ごほうびのようなよきことである。

 今年「なぜ若い世代は結婚できないのか」をテーマに選んだ学生がいた。非婚化とか、晩婚化とか、言われて久しい。わたしの勤め先、津田塾大学は1900年からずっと、黙々と「社会で活躍することができるオールラウンドウーマン」の育成にあたってきた。学生さんにもそれはよく理解されていて、津田塾で勉強していると、みんな「仕事がしたい」というようになり、「女子大だから卒業して結婚でもしよう」と思っている人はいないのである。いや、もっとも、いまどきの学生さん、津田塾でなくてもどこでも同じかもしれないけれど。いわゆる"キャリア志向"の学生さんが多いから、結婚はしなくてもいい、と考えているのかもしれない(津田塾の卒業生の三分の一は結婚しないで仕事に邁進、とか、いや、そうではあるまい、そういう人は、四分の一だ、とか、まことしやかに学内でささやかれたりしている)と思うと、そうでもない。いまどきの若い学生さんたちはけっこう「結婚したい」といっている。仕事もしたいし結婚もしたい、という人が、まあ、多い。

 このテーマを選んだ学生もご自身、ぜひ結婚してみたいそうで、ご自身の周囲もけっこう結婚したい女子が多いという。いまは別に結婚したくてもしたくなくても、実際にしてもしなくても、本当にどちらでもいい、というぐらいには寛やかな世の中になっているから、そういう意味ではよい時代になった。彼女たちは無理矢理見合いをさせられたり、なにがなんでも故郷に戻って結婚せよ、などとはいわれていない。いわれてはいないけれども、本人たちは、けっこう、結婚したいらしい。お見合いも、故郷に帰るのも悪くない、と思っているふしもある。
 そしてまた、ご存知のように公的機関も少子化対策やら婚活やらに乗り出す時代だから、周囲も若い人には結婚してほしい、と思っている。自分たちも、周囲もみな結婚したいのだという。しかし、今の状況を見ていると、なんだかできそうにない。いったいなぜなんだ。本人たちも結婚したいし、まわりもさせたいのに、なぜできないんだ、というのが、卒業論文執筆のために彼女がたてた彼女の疑問だった。

 この国が「皆婚社会」とよばれていたのはそんなに昔のことじゃなかったじゃないか、と彼女は思う。2014年現在、60代、70代の多くは結婚している。その年齢以上で、言い方は悪いが「誰でも結婚できた」ころの人の話をきけば、何か参考になるかもしれない。きいてみると、「誰でも結婚できた」ころ、もちろん、結婚した人たちは、「すごく結婚したくて」していたわけではなかった。結婚したくないけど、親がもういい年をして、というし、25過ぎたら「もらって」くれる人もないぞ、などと周囲に言われて、しぶしぶ結婚したりしていた。恋愛なんか別にしていなかったし、恋愛と結婚は当然別のことだった。「結婚してから恋愛が始まったわね」なんて楽しそうに言う人もいたが、おおむね、この「皆婚社会」に肯定的な話はあんまりでてこなかったらしい。

 いわく。結婚は、もっと自由で、本人の意思だけで決まるようにすべきだと思う、女も結婚のことは気にしないで、やりたい仕事をどんどんしたらいいと思う。勉強もやりたいだけやればいい。男も女も平等なんだから、男にもっと家事をさせたらいいと思う。家事と子育てだけが女性の人生じゃない。子どもも産んでもいいけど、産まなくてもいいと思う。やりたいことをもっと思いっきりできたらいいと思う。
 「皆婚時代」の女性方のお話をきいていて、学生は、気づく。この世代、つまりはいま60代とか70代とかそのあたりの女性たちが望んだことがこういうこと、つまりは結婚も自由に、仕事も平等に、子育ても家事も女の仕事って言うだけじゃないようになってほしい。それって、いま、けっこう実現してるんじゃないのか。

 いまどき、結婚しろ、などという親も周囲もほんとうにいなくなって、若い人に結婚のプレッシャーはない。結婚しなくてもしなくてもいいし、無理矢理の見合い、とかないし、職場で結婚のことなど口にされたら、セクハラなので、堂々と異議をとなえてよくなった。結婚、という手続きをふまなくても、一緒に住むことだって別に珍しいことではない。結婚式に行っても「仲人」という人が出てくること自体がまれになった。結婚はやりたいようにやってもよくなったのだ。やりたいようにやれ、といわれると、何やったらいいかわからなくて、結局やらない人が増えてくるのもしかたのないことなのだが。

 仕事の上での平等はまだまだ進んでいないので「女性が輝く社会」はまだまだ推進されねばならないそうだが、いまどき「仕事をしたい」という女性に「女は家にいろ」という男性は結婚できないのみならず、周囲からものすごい批判の目にさらされる。実際に管理職は少ないし、まだまだ女性の職場環境が整っていないところもあるし、保育所だって足りないようだが、経済界の要請ともぴったりあっているから、今後も「女性に仕事を」と皆が望むことはふえるであろう。子育てだって家事だって、いまどき女性だけに任せておいてよい、とは、政府レベルから個人の生活レベルまで、誰も思っていない。家事も子育ても夫婦と家族とみんなでやるものなのだ。

 これって、すべて、前の世代が望んだことではないのだろうか。60代、70代の「皆婚社会」にあった女性たちが望んでいたこと。完璧ではないとはいえ、ほぼ実現の方向にむかっているのではないのか。学生さんは、「わたしたちは、したくても、なかなか結婚できない、と何となく悩んでいるけれど、これは全部、前の世代が望んだことだったんですね」と、深く納得した顔をしていた。

 わたしたちは否応無しに前の世代の遺産である現在を生きている。そこには今の世代の不満も、不平も、文句も、いろいろあるわけではあるが、先の世代を背負ってわたしたちが在る、ことはいつの時代も変わらないのだ。いま、なにを、どのように望むのか。そのビジョンと、大勢の思い、というのは、いろいろなチャンネルを通じて、次の世代につたわっていく。もちろん政治や経済といった大状況にも影響するが、たとえば、お母さんが子どもを育てる、とか、ご飯を食べながらどういう話題を取り上げるか、とか、そういうレベルでも、確実に次の世代に影響していく。当たり前と言えば当たり前のことなのだが、そういうことである。

 だとすれば「わたしたちが望んでいるようなことは、次の世代できっと実現するんですよね」と学生がいうようなことになるのだ。
 さて、わたしたちは、この豊かでありながら、貧しく、貧しいとは言いながら、あふれかえるものに囲まれているこの時代、何を望むのか。ひとりひとりの心のうちなる希望やビジョンが、結果として次の世代のすむ世の中をつくる。自分勝手になるのはやめておこう、とひっそり思うのである。

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三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。
1981年、京都薬科大学卒業。
1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。
著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女を生きる覚悟』など多数。最新刊は『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)。

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