おせっかい宣言

第7回 洗濯

2015.02.04更新

 どうでもよい人にはどうでもよい話だが、わたしには気になっていた。洗濯機に入れる洗濯用洗剤のことである。
 だいたい、洗濯機、という家電製品こそが、この50年ほどで普及した「家事を助ける製品」のなかで、なんといってもぬきんでてすばらしいものであった、とやっぱり思う。もちろん、ぱちっとスイッチをおしたら火がつくガスレンジは、かまどの火をおこすのが、おおごとだったころの女性にとってたいへんな憧れであっただろうし、たべものを保存できる冷蔵庫だって、じつにすばらしいものだったわけだが、電気洗濯機のなし得たこととくらべたら、小さなことにみえてしまうくらいだ。

 手が切られるような冷たい水で、洗濯板でせっせと洗っていた頃の労働量と比べたら、約40分ですべてを終えてくれる洗濯機がどれほどりっぱなものであることか。
 洗濯はすべて洗濯機がやってくれて、蛇口をひねれば水は出て、スイッチをひねれば料理ができ、家中は夜でも明るく、「重労働」と呼ばれた家事は、いずれも結構楽なものになってゆき、それではその時間が浮いたから、多くの場合「家事」を担当してきた女性のくらしはそれはそれは楽になり、たくさんの余分な時間がもたらされて、ゆったり暮らすようになったか、といわれると、ちっともそんなことはなくて、女性はいまも信じられないくらい多忙であり、スイッチをいれるだけの家事すら、蛇蝎のごとく忌み嫌っているのはなぜなのか。そのあたりについても考えてみたいことはいろいろあれど、それはまた次の機会に。  

 洗濯用洗剤の話である。何となく気持ち悪くてキライだったのだ。ものすごく立派な泡が立つのはけっこうなことだが、なかなか泡が切れない。すすいでもすすいでも洗剤がとれない気がする。合成洗剤じゃなくて、いわゆる液体の石けんに変えてみても同じだった。どうも気に入らない。
 だからサンヨー電機が「洗剤がいらない洗濯機」を開発した、と聞いたとき、これはなんとすごいものができたんだ、と感動して、すぐ買った。2000年代のはじめのことだったと思う。サンヨーの技術陣が、環境に優しい洗濯機をめざして開発した洗濯機で、超音波洗浄で衣類から汚れをはがし、活性酸素が汚れを分解して除菌、消臭する、といううたい文句になっていた。ものすごく汚れた衣類はむりかもしれないけど、だいたいわたしたちはみんな、一度洗った服は洗濯機にほおりこんであらっている。それくらいの汚れはりっぱにおちます、というふれこみだった。

 だいたい、おしめとか下着は別として、洗濯というのはそんなに上から下までせっせとあらうものではなかったようだ。ひとむかし前の女性たちには、「洗濯帰り」という習慣があって、天候のよい頃のある一日、家族中の上着や大きな衣類をかかえて実家に帰り、みんなで川にあつまって談笑しながらせっせと洗ったらしく、それは楽しい経験だった、という話が森崎和江さんのエッセイに出てくる。下着はともかく、上に着ているものの多くは、季節に一度、盛大に洗う、程度で回していたのだと思う。
 きものが衣類の中心だった頃は、腰巻きや襦袢の上に着る長着(ようするにきもののこと)もしょっちゅう洗うものではなくて、季節に一度、ぜんぶほどいて、洗い、板にはって洗い張りするものだった。そうやって洗い張りしては、一家の主婦はそれをまた季節ごとに縫い直していたのだからたいしたものである。
 わたしなどきものは毎日着ていても、この洗い張り、縫い直し、などまったくできず、専門家に頼っていて、情けない限りだ。洗い張りの風景は、現在50代半ばのわたしの脳裏にはないが、母の世代には祖母がやっていたこととして明確に思い出されることであるらしい。板と竹ひごをつかって、素材によってちがう干し方をしていた、ということは現在70代後半くらいの方ならわりと明確に説明できる。

 家族生活をしていれば毎日何かを洗濯機で洗う、という生活をしている人が多いであろういま、サンヨー開発の洗剤のいらない洗濯機は、洗剤を買わなくてすむし、環境にもぜったいそのほうがよさそうだし、わたしはすぐに購入して使い始めたし、爆発的人気がでて広まるだろう、と思われた。
 しかし、これはどうもたいしてひろまらなかったようなのだ。洗浄力自体には何の不満もなかった。なかなかよいものだと思うのに、周囲ではこの洗濯機のことを知っている人がほとんどいない。そのうち、実は洗濯機メーカーと相互に協力関係、つまりはもちつもたれるの関係にあるのであろう洗剤メーカーからクレームがついたとかつかないとかいう話が、真偽のほどは定かではないが、耳にはいるようになり、サンヨーはこの洗濯機を前面に押し出して売らなくなった。
 それでも2007年くらいに我が家が引っ越しとともに洗濯機を買い替えたときには、まだサンヨーさんで、この種類の洗濯機が買えた。その後、サンヨーはパナソニックの子会社になったり、中国のメーカー、ハイアールに技術者がうつったりして家電部門がなくなった。いまは、このサンヨー技術者の開発した、すばらしい洗剤のいらない洗濯機は、ハイアールで買えるという。我が家の次の洗濯機は、とうとう中国製、となりそうな勢い。こうやって技術者が心血を注いで開発し、すばらしいものであるにもかかわらず、時代と取引先との関係と景気によって、目の前からみえなくなってしまったものは実はたくさんあるのだろう。

 しかし、今回ここに書きたかったのは洗濯機のことではなくて、洗剤のことなのだ。
 クリスマスに帰省してきたロンドン在住の友人から「ソープナッツ」なるものをもらった。もちろん、わたしが、紙おむつがいらない、生理用ナプキンがいらない、台所洗剤もきらい、とかいっている変わり者であることをよくご存じなので、これもいいんじゃないか、とお持ちくださったのである。
 ソープナッツ、とは、ムクロジの実のことである。ムクロジとは、日本のお寺などでよくみられるごく普通の木らしく、羽根つきのときの羽根の根っこについている黒くて丸い実がムクロジであるらしい。この実が、殻も中身も洗浄作用があるらしく、インドなどでは伝統的につかわれてきていて、いまもヨーロッパでは多くの人がこのムクロジの殻をかわかしたものをいくつか、割って、洗剤代わりに小さな洗濯ネットに入れバラバラにならないようにして、洗濯機で使っているのだという。 

 くだんの友人は、小さなお子さんもいらっしゃる方なのだが、汚れもよく落ちるし、肌にもやさしいからとても気に入っていて毎日使っているそうだ。ソープナッツを煮て、台所洗剤とか、洗顔とかにもつかえるらしいけど、まずは、洗濯につかってみて、と、からからにかわいたソープナッツをいくつかいただいた。
 使い方は簡単で、4つか5つくらいのソープナッツを大きめに割って(手で割れます)、目の細かい小さな洗濯ネットにいれて洗濯機で服と一緒に回すだけである。5、6回は同じソープナッツが使える。すすぎのときに、もちろん、ソープナッツをネットごととりだせば、ソープナッツの洗浄力もおちなくて、何度も使えるらしいが、面倒くさければ取り出さなくてもべつにかまわないらしい。わたしは取り出していない。

 もともと洗濯洗剤のいらない洗濯機だったが、このソープナッツを知って、こちらと「電解水洗い」を併用することになっていよいよ洗濯洗剤がいらなくなって、大変ハッピーな毎日である。おむつはいらないとか、生理用ナプキンがいらない、とか申し上げてきて、ここにきて洗濯洗剤もいらない、などと書いて、よほどトイレタリーメーカーと敵対しているかのようにみえるかもしれないが、こうやって、「使わない生活」をしてみてはじめて、メーカーさんの出しておられる製品のありがたみがわかったりするのである。「いざというときのすばらしいトイレタリー製品」ということで・・・。
 でも「いざというとき」だけ使っても売り上げに貢献できないから、やっぱり敵対しているのかもしれず、そちらの技術者の皆様のご努力には、申し訳ない気がしたりしている。

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三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。
1981年、京都薬科大学卒業。
1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。
著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女を生きる覚悟』など多数。最新刊は『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)。

女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言

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