おせっかい宣言

第11回 FGM

2015.06.08更新

 友人がスーダンから帰ってきた。わたしは長く「国際保健」の仕事をしてきたので、こういう国から帰ってくる知り合いが多いのである。アフリカとはいえ、「アラブの一国」としてのアイデンティティがあるというスーダン。写真に写る背の高い男と女が白い服に身を包んでいる姿は実に美しい。友人は平和構築プロジェクトの中の、母性保健分野を4年間担当して、日本に帰ってきた。


 女性性器切除、という風習がある。もともと女子割礼、といわれていたが、女子割礼、ということばにふくまれる「儀礼性」ではなく、その健康被害と女子への虐待という意味合いを込めて、90年代から、FGM(Female Genital Mutilation):女性性器切除,と言われるようになったのである。幼い女の子の女性性器を切除する。クリトリスだけとってしまうところから、クリトリスから小陰唇、大陰唇をぜんぶ取ってしまい、あとは縫い合わせて、おしっこと経血のみが出るような穴をあけるようなものまでいろいろある。何と野蛮な、女性の人権無視である、女性の健康の大きな健康被害である、こんなことを許しておいてよいはずがない、と国際保健コミュニティーはもちろん鋭く反応していて、だから、「女性割礼」といわず「女性性器切除」という言い方になっているのだ。

 健康被害,という意味において、FGMによいところなどなにもないことは言うまでもない。年端も行かない幼い少女にこんな危ないことをして、精神的なショックのみならず、衛生的ではない環境で行われることにより、感染症で命をおとしてしまうことだってある。縫い合わせて小さな穴だけあいていることによる日々の生活の上での不快さも、トラブルも、想像にあまりある。結婚するときには、結婚相手がその「穴」を性行為可能な程度に切る、という「儀礼」があり、その「儀礼」が彼を男にするのだ、とかなんだとか。もちろんそこでの感染症の危険も精神的ショックも、いかほどのものか。
 そして、出産。小さな穴から出産できるはずもないので、出産のたびにメスをいれ「入口」をひらき、そして出産後にまた、縫い合わせる。再び出産するときには、また、切り、出産が終わったら、縫う。再度、感染症の危険。精神的な打撃、そして、出血。世界の妊産婦死亡の多くは予防可能である死亡であることが多いのだが、このような出産が行われていては、妊産婦死亡率をいくら国連が「ミレニアム開発目標」をたてて15年で3分の2に減らそうとしても、それは不可能な相談である。「自然な出産」など、あり得ないのだ。切らなければ産めないのだから。

 スーダンは、このFGMをした女性が最も多い、と言われている国である。しかも先述した「全部切り取ってしまって、小さな穴だけをあける」、最も激しい形のFGMが行われている。公式発表では8割弱の女性たちがFGMを施されているということらしいが、先述のスーダン帰りの友人によると「ほぼ100%といっていい」といえるほど行われているらしい。彼女は国際保健ワーカーで、出産の安全性を高める仕事もしていたから、FGMを施された女性が安全に出産出来るようにするための医療関係者向けのマニュアルなどつくっていた。だから、現場の状況はよくわかっているのだ。もちろん彼女はFGMに大反対ではあるのだが、「それでもまったくなくなりそうにない」。

 若い母親たちの中には、幼い娘にFGMなどさせたくない、と思っている人もいるらしいが、彼女たちが娘にさせたくなくても、おばあちゃんとか親戚のおばちゃんとかが、こっそり母親のいないときに、娘にFGMをさせてしまったりするというのだ。FGMをしていない女性は結婚することができないから。FGMをしないで成人したりすると、結婚するときになって、あらためてやらなければならないこともあったりするから、と。
 国中で一応、FGM廃止のキャンペーンは行われているが、スーダンでは、都市部以外は、テレビもラジオもなくそういった情報からは隔絶されているところに生きている人たちがほとんどだからFGM廃止のための情報などは届くはずもなく、「いままでずっとやっていてあたりまえだったから今やらない、ということはあり得ない」という発想で続いているらしい。

 新婚旅行のメッカであるようなホテルでは、夜中にものすごい女性の叫び声が聞こえることが、在スーダン日本人社会では時折話題になるらしいし、出産のたびに切ったり縫ったりすることの弊害は枚挙にいとまがない。

 「それでも・・・」と、スーダンから帰ってきた彼女は言うのだ。

 男と女はすごく仲がいいんです。スーダンにあるきれいな形の山のふもとのリゾート地は新婚旅行で人気があるところなんですけど、夜にはそんなに叫ぶようなこと(要するにナイフで切る?)をしているというのに、朝は新婚夫婦二人でものすごく幸せそうに手を取り合ってリゾート地を歩いているのです。いったいどうなっているのか、わたしにもわかりませんけど。男の人はとても女の人を大事にしているし、女たちも男たちが大好き。助産婦さんとか女たちが何人か集まると結構猥談になったりして、屈託がない。
 それにね、切ったり縫ったりしなければならないのに、なんであんなにどんどん子どもを産むのか。無理矢理産まされているとも思えません。うれしそうにしているし。それにね、彼女たち、すぐ妊娠するんですよ。結婚すると10カ月後には子どもが産まれていることが多いし、ご主人が仕事でいなくて、年に一回くらいしか帰ってこない人でも、帰ってきたあとには妊娠している。

 伝統的助産婦のトレーニングを行い、何人もの女性が参加するような場では、無事トレーニングが終了すると、彼女たちは、歓喜の叫び声をあげて喜びをあらわして、みんなで唄い踊るんです。いったいなんであんなにエネルギーがあるのか。女の底力を見せられる気がする。


 FGMを施されていて、性と生殖に関する生活に、信じられないくらいの不都合があるだろうに、このたくましさと明るさと男を愛する力はどうだ。彼女はスーダンでの四年を終えて日本に帰ってきて、何となく片づかない思いでいるという。

 自然な出産はおろか、自然な妊娠もなかなかできなくなっていて、不妊治療ばかりが盛況な日本。どう考えても女たちは妊娠しにくくなっているようである。だいたい男と女があんまり仲良くない。結婚する人もどんどん減っているし、それでは結婚しないけれども性活動が盛んかと言えば、それもあやしく、パートナーのいる人にもいない人にも蔓延する、おそろしいばかりのセックスレス状況。スーダンの四年を終えて帰ってきた彼女には、日本には、男と女の文字どおり砂漠のような風景が広がって見えるらしい。

 日本にいると、FGMなどの悪しき風習への反応はすごく鋭い。もちろんやめたほうがいいし、やめることへのキャンペーンもされるべきだ。
 しかし、わたしたちはほんとうは、よその国のことを心配している場合ではないのではないか。男と女の間の豊かさ、性と生殖に関わる喜びの生活、について何にもわかっていないのはわたしたちのほうではないのか。一体わたしたちは何を得て何を失ったのだったか。もう今となってはひとつひとつ検証することは不可能のようにみえるけれども、女たちがよろこびに叫び声をあげ,唄い踊るようなアメノウズメたちの国であった記憶も、わたしたちの遺伝子にはのこっているはずではないか、と考えはするのであるが。

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三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。
1981年、京都薬科大学卒業。
1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。
著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女を生きる覚悟』など多数。最新刊は『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)。

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