おせっかい宣言

第24回 引く力

2016.06.10更新


 「引く力」が働いてるね、何だろうね、と、助産師たちは、言っていたのだという。

 「引く力」という言い方を聞くのは、初めてではない。満ち潮のときに、お産になることが多い。満月の夜もお産が多い。満ち潮のときに人が産まれ、引き潮のときに人が亡くなることが多いことは、現場の人はよく知っている。昔からそうで、今も、そうなのである。助産所には、月の満ち欠けのカレンダーが置いてある。満月の日はお産が多いし、また、台風が来たりして気圧が変わると、お産が多かったりする。具体的に気圧が変わったりするわけであるから、「引く力」も働くのだ。思えば当然のことだ。私たちのからだのなかにある液体はすべて、おそらくは、そういった自然の中の「引く力」によって圧力が微妙に変わることだろう。メタファーでもなく、スピリチュアル系の話でもなく、私たちは、皆、自然のありように否応無しに影響される、ひと続きの存在でしかありえない。

 「引く力」が働いてるね、と助産師たちは言っていた。年間400件程度のお産を扱う産院なので、一年を通じて、赤ちゃんが途切れることはない。毎日お産があるわけではないにしても、お母さんと赤ちゃんは産後一週間くらい産院にいる。だから、いつも産院には赤ちゃんがいる。年に何回かは、一日に4、5件のお産が重なることもある。だから水曜日の晩から木曜日の朝にかけて、4件お産が続いたこと自体は、そんなに珍しいことでもなかった。もう、次から次から続いてですね・・・、と、夜勤の助産師さんは言っていたらしい。次から次にお産が続く夜で、本当に疲れ切っていたけれど、赤ちゃんが生まれることは、ピカピカのエネルギーが届けられることでもあるから、疲れてはいても、夜勤の助産師さんはとてもいい表情だったのだという。

 しかしその日は、お産が続いただけでは終わらなかった。夜が明けて、木曜日になったが、妊婦さんが途切れない。木曜日の午後は普段、外来診療は休診で、普通の健診に来る産婦さんは来ない。それなのに、その木曜日は、妊婦さんが次から次にやってくる。お腹がすごく張ってるんですけど大丈夫ですか、とか、ちょっと出血があるんですけど、とか、休診なのにもかかわらず、次から次に、「いつもと違うから」と言って、電話してくる妊婦さん、来院する妊婦さんが絶えない。緊急で入院してもらわないといけないような人は、結果としていなかったけれど、なんでこんなに今日は妊婦さんが来るのかな、なんか、「引いてるね」、「引く力」が働いているよね、なんだろうね、と助産師同士で話し合っていた。なんか、あるよね、なんだろうね、と、言っていたのだという。

 なんだか大変な一日だったなあ、と思って、仕事が終わってから、自分の好きな食べ物をたくさん買って、ご褒美の飲み物も買って、家に帰って、美味しく食べてですね、ゆっくりしていたら、夜9時半頃、ぐらっときたんですよ。すごい地震だった。でも、ですね、その時、すぐ思いましたよ。ああ、これだった、って。赤ちゃんは、なんか、わかっていたんだ、って。

 2016年4月14日夜、結果として"前震"となった、熊本の地震であった。熊本県内の産院に勤めている、友人の助産師の話である。

 これだけですね、科学が発達した、とか言ってでもですね、この地震を誰も予測できませんでしたよね。でもですね、赤ちゃんはわかってたと思うんですよ、お母さんは「引く力」で、からだが変わっていたんですよ。人間はこういう力を持っているんですよ。動物なんですね・・・。

 彼女たちは、一週間に一度、お産の時に使われる用具を消毒して、必要なキットを作る。消毒して、すぐに使えるようになっているキットを、何セットか作るのである。何セットか作っておいて、お産が多いと、ほとんど使ってしまう時もあるけれど、週によって、お産が少なくて、使わないまま何セットか残ってしまうものもある。でも、一週間経ってしまったら、使わなかったキットもまた、消毒し直して、新しい消毒済みキットを何セットか、作っておく。すごくお産が多かったりすると一週間の途中で消毒し直さなければならないこともある。もちろん、消毒するにはオートクレーブなどを使うので、電気が必要である。地震の後、停電してしまって、ああ、消毒できなくなっちゃって、困るなあ、お産がすごくたくさんあったら、追加の消毒ができないしなあ、と思っていたという。しかし、この前震から、約一週間後、消毒キットの棚を見たら、ほとんどのキットがそのまま残っている。あ、そうだ、この期間、ほとんどお産がなかった、だからキットが残っているんだ、追加で消毒する必要もなかった、と気付いた。14日の"前震"の前にお産がたくさんあって、その後16日の本震も挟んで、しばらくはお産がなかったことに気がついたのだという。

 赤ちゃんって、本当によくわかってますね。人間ってすごいな。本当に若い二十歳やそこらのお母さんもですね、地震でぐらっときたら、もう、すぐに赤ちゃんの上に覆い被さって、赤ちゃんをまもろうとするんですよ。みんな、すごい。赤ちゃんはこうやって、わかっているからですね、だからこそやっぱり、自然なお産を大事にしたい、って思いますよね。赤ちゃんは、いつ出て行こうか、よくわかっているんですよ。それを私たちが勝手に邪魔したりしたらいけないですね。

 赤ちゃんの力も、お母さんも持つ力も、もっともっと信頼できるように。友人はあらためて助産師という職業が大好きになり、地震の次の日から、家が大変でも職場に行かなければならないけれど、こんな日にも仕事に行かねばならない、私には役割がある、と思える仕事についていることが幸せだ、と思ったのだという。一生、この仕事を、誇りを持って続けていこう、と確信したのだという。

 産婆。人類最古の職業。この人たちが、力ある占い師のごとく、生を迎え、死を看取ってきた。世界中の産婆は、お産だけではなく、死にゆく人を看取る人でもあったことが多く、生と死、という魂の行き交う場に立ち会ってきた、という。助産師たちは、この産婆の末裔である。赤ちゃんも、お母さんもすごいが、私はやっぱりこの助産師という人たちの、冷徹な観察の力と、全てを感じ取る感性にいつも感動してしまう。予知能力とは、明晰な、今、この時に集中した現状分析能力のことだと思う。生と死の現場に立ち会い続ければ、現状分析能力は、いや増していくに違いない。

 現代の助産師は、日本では看護の勉強を経てから助産を学び、厳しい国家試験に合格してきた近代医療職種である。近代医療の一職種であると同時に、彼女達は、近代医療というものが出現する、ずっとずっと前から、人間の生と死にに寄り添ってきた、人類最古の職業の末裔でもあるのだ。痛みと苦しみ、そして死を避けるために精緻な体系を作り上げてきた近代医療の体系の一職種であることと、呪術や祈りの人としての末裔であることは、矛盾だらけのはずであり、彼女たちの日々のお産の現場での悩みは深い。しかし、矛盾があるところでこそ、人間は成長する。人類最古の職業の末裔たちの豊穣なる姿に、私はただ、頭を垂れるばかりなのだ。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。
1981年、京都薬科大学卒業。
1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。
著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女を生きる覚悟』など多数。最新刊は『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)。

女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言

バックナンバー