おせっかい宣言

第26回 キューバ再訪(1)

2016.08.08更新

 3年前、2013年に初めてキューバを訪ね、驚いたのは、経済的に厳しい状況の国なのに、何もかもよく機能していることだった。ホテルに泊まっても、何も問題がない。高めのホテルなのだから問題がないのは当たり前だろう、といわれるかもしれないが、そうでもないわけで、開発途上国だったり、社会主義の国だったりすると、かなりの値段のホテルでもお風呂はあっても栓がなくてバスタブにお湯がいれられなかったり、微妙に掃除がゆきとどいていなかったり、何かのランプがきれていたり、何かしら機能してないことがよくあるのに、ここはすべて機能している。機能しているだけではない、そこには、機嫌の良さと、機嫌の良さに由来する「ちょっとプラスα」のサービスもくっついている。ベッドメイキングしてくれるお姉さんは、いつもベッドカバーを折り紙のようにして、ツルや扇やリボンの形に綺麗に飾り付けてくれていたりする。お掃除のお姉さんに「午後はゆっくりしたいので午前中にお掃除してね」と頼むと、とびきりの笑顔で、「わかったわ、必ずやるから心配ないわよ」と、ウインク。そしてちゃんと午前中に掃除ができている。別の日、ホテルに荷物をとりにもどると部屋は掃除中だった。お姉さんはほがらかに、にっこりして、トイレットペーパーでつくっているペーパーフラワーをみせながら、「I am very sorry、いまそうじしていてほんとにごめんなさい、これあなたのためにつくっていたのよ」と実に屈託なく明るく笑う。そこに微塵の屈折も卑屈さも感じられない。この階層の人たちがこのようである、ということがすごいと思う。

 何度も言うけど、日本では当たり前かもしれないけれど、開発途上国だったり社会主義の国だったりすると、いくら良いホテルでもこのように機能してはいないことも少なくないのだ。さらに、とりわけ開発途上国では働いている人たちを「搾取している感じ」がつきまとうことも少なからずあって、とりわけラテンアメリカの他の国ではそういう感じもあって、いい気分がしないけど、キューバは違う。働いている人たちは、お掃除の人からウェイターまで、イミグレのお姉さんから運転手のおじさんまで、みんな総じて機嫌がよく、誇りの感じられる人たちなのである。イミグレのお姉さんたちはぴったりしたカーキ色のジャケットにミニスカートの制服を着て、黒の網タイツを履いて、色っぽくてかっこいい。街を走る数多のビスタクシー(自転車の人力車風タクシーがビスタクシー、三輪自動車のタクシーがココナツのような形をしているからココタクシー)運転手のたくましいお兄さんは「いやあ、今日は君たちのような素敵なお客さんを乗せたから、いい日だね」なんて、リップサービスだとわかっていてもその笑顔で言われると、私たちにも良い日になるのだった。

 どこにいってもバンドが生演奏をしている。それが実にレベルも高いし、みんな楽しそうなのだ。音楽が暮らしのなかに息づいている。バンドをやっている人にも公務員は少なからずいたらしいんだけど、音楽が好きで好きでたまらない、という感じがその演奏から感じられて、いやあ、キューバはすごいところだ、と思ってしまう。ラテンアメリカは楽しいところだけれど、貧富の格差は尋常ではなく、おおよその都市の治安は悪くて、夜一人で出歩くなどとんでもない。しかし、キューバでは街中を夜一人で歩いても何の問題もないくらい、治安が良い。惨めな子どもたちが物乞いをしていたり、歩いているだけで、これはまずい、と感じられるようなぴりぴりした感じがない。

 うすうすは、キューバはそういうところでないかと思っていたのだ。80年代にアフリカで働いていたキューバのドクターや、90年代にブラジルに働きにきていたキューバのドクターたちに出会ってきたけれど、彼らがあまりにもすばらしい人たちだったから。腕が良い医者たちなのに、世界のどこにでも見られる医者の権威的態度とは一切縁がなく、どんな貧しい人たちにも優しく丁寧に接するキューバ人ドクターたち。フィデル・カストロは国民一人に、ドクター一人を養成すると言ったらしい、というまことしやかな噂が流れるほど革命後に多くの医学部を作り医師を養成したキューバ。それによって、キューバはその厳しい経済状況とは裏腹に、先進国並みの健康指標を達成してきた。それは、まず、専門医ではなくプライマリーレベルで活躍できる「家庭医」として訓練されているキューバ医師の非権威的でフレンドリーな態度に負っている、ということをしみじみと知った、2013年の最初のキューバ訪問だったのだ。国中に広がる家庭医医療ネットワークに支えられたレベルの高い医療は無料。老いても病を得ても「いざという時」の心配がない。これまた無料の教育のレベルも高く、基本的な食糧はびっくりするくらい安価で手に入る。そういうところでは、治安は良くなるのだ。

 それから三年。アメリカと国交を回復したキューバを再訪した。さしあたりは、良くも悪くも、キューバは何も変わっていなかった。「広告」というものの存在しないことの清々しさも、キューバ人の機嫌の良さも、クラシックカーと自転車タクシーと三輪車タクシーと普通の車の混在する道路も、家庭医たちの働きも。

 1960年生まれのスザナさんにとってキューバ革命後の歴史は自らの人生と完全に重なっている。ロシア語と日本語の堪能なスザナさんは言う。キューバ人はね、そこにあるものでなんとかする、ということが大事だと思っているの。いろいろ大変なことがあってもね、身の回りにある何かと、周りの人たちとで、何とかできる、と思っているの。何とかしてきたしね。90 年から94年が本当に大変だった。ソ連時代には石油は蛇口からひねれば出てくるくらいたくさんあったんだけど、それがなくなった。車も街を走らなくなり、道路は野球ができるくらい空いていた。だから、みんな自転車で働きに行くようになった。私も子どもを自転車に乗せて学校まで送ったのよ。子どもたちは大喜びだったけどね。ソ連から送られてきていた殺虫剤や農薬が全く手に入らなくなったから、結果として自分たちの近所にある土地を耕して都市の有機農業を始めることになったの。だって、農薬、殺虫剤、ないんだもん。育つように育てるしかないわよね。キューバ人は「ありあわせもので出来るように」考える、っていうのはそういうことなのよ。なくても育つようにマリーゴールドを植えたり、色んな種類の野菜を一緒に植えたり、いろいろな工夫をして、野菜を作った。でも食べるものは足りなくてね、みんな痩せていた。今89キロあるんだけど、その頃は54キロしかなかった。手に入った食べ物は子供達に食べさせていたから、痩せちゃったの。

 フィデル(カストロ元首相のことをキューバの人はそう呼ぶ。現カストロ首相はラウル、と呼ばれている)はよく勉強するし、いろんなことが客観的に見えている人。彼のすごいところはね、例えば次のような話をするとわかるかな。80年代に彼がおこなった演説がある。記録に残ってるからみることもできるので、ウソじゃないわよ。彼は「キューバがアメリカと国交を回復するには、アメリカに黒人大統領が誕生して、ラテンアメリカ出身者がローマ法王にならないと、できないことだ」って言っているのよ。1980年代には、黒人がアメリカ大統領になることは想像することすらできなかった。カトリック人口が多いからといって、ラテンアメリカ人がローマ法王になることも、まさに想像の枠を超えていた。そういう時代。冷戦の只中。きいた人はみんな、「ふーん、そうか、キューバとアメリカが国交回復する日は来ないな」と思ったものです。でもね、見て。アメリカと国交回復したキューバにやってきたのは黒人大統領だったし、大きな役割を果たしたと言われるローマ法王はアルゼンチンの人。時代が変わったのね。アメリカが入ってきてキューバにはマクドナルドがいっぱいできるんじゃないかとかいう人もいるけど、できないと思いますね。キューバは社会主義の国ですから。何を取り入れて何を取り入れないかは、国が決める。キューバは一番底辺の人たちがどうすれば暮らしていけるのか、を大切にしている国。それは変わらない。

 人間は、自由を求めるものである。もっと自由を。それは押しとどめることはできない。それは人間の欲望とほぼ同義である。資本主義は人間の欲望を満たすためには最適なシステムであった。だから無敵である。アメリカと国交を回復してこの国がどうなるのか、キューバを訪れる外国人は、他人事ではなく、心配する。それはもちろん、欲望に流されてきた自分たちの失ってきたものをキューバに見ているからに他ならない。スザナさんの言葉にキューバ人の底力を感じつつ、キューバの未来の安寧を祈らずにはいられないのだった。

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三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。
1981年、京都薬科大学卒業。
1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。
著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女を生きる覚悟』など多数。最新刊は『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)。

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