おせっかい宣言

第27回 キューバ再訪(2)

2016.08.09更新

2016年8月1日 ハバナ

 8月をハバナで迎える。ハバナ市街から30分ほど車で出かけた、マナグアのポリクリニコ(地域の病院)とファミリーヘルスクリニックと呼ばれる家庭医の診療所を訪ねる。マナグアは言わずと知れたニカラグアの首都と同じ名前。何か関係があるの、どういう意味なの、と尋ねるがとりわけ意味もないらしい。インディヘナ経由の言葉であるという。

 ハバナ市街を出るとすぐに広がる広大な緑の風景。そこにエリート校、レーニン学校が忽然と現れたり、巨大な貯水池が現れたりするのを横目で見ながら半時間、二つのちょっと平たいおっぱいみたいな二つの並んだ山が見えてきて、その麓がマナグアである。地元でもその二つの山は「マナグアおっぱい山」みたいに呼ばれているそうだ。ハバナからそんなに遠くはないけれど、いわゆるsemi-rural areaの条件をいくつにも備えているところでもあり、経済条件が芳しくない家族がたくさん住んでいる地区でもあるという。約18000人の人口が暮らし、15のファミリードクターのクリニックがある。だいたい1000人から1500人を一人のファミリードクターがカバーしている。それらのファミリードクターのクリニックとこの、ポリクリニコと呼ばれる病院で18000人をみているのだ。ポリクリニコには392人の従業員、そのうち53人が医者、そしてその医者のうち13人がブラジル、4人がベネズエラに働きに行っている。大卒看護師は53人、一人が海外に出ている。リハビリスタッフは22人、うち3人は外国に出ている。病院で1日100人くらいの患者を見ていて、ファミリードクターのクリニックでは1日だいたい20−25人をみている。

 海外に行く人はどうやって決めるの? 人が出て行ったらそのあとどうするの? 足りなくならないの? と聞いたら、それはみんなから見て優秀と思われる人が自分も希望したら海外に行くのだという。そして「たくさんスタッフがいるから」お互いにカバーするので別に海外に行っても大丈夫なのだという。

 確かに患者は殺到しているふうもなく、スタッフはたくさんいる。本当に充実した人員配置であることは、素人目にもわかる。誰もバタバタしていなくて、落ち着いている。病院の雰囲気にとげとげしいところが微塵もなく、スタッフも患者もなんだか朗らかなのだ。歯科の診療室に入るといくつも診察台があって、患者の治療が行われていた。私たちが入っていくと、マスクをかけて治療をしていた若い男性のドクターが、やあ、という感じで手を振ってくれる。そうしたら、患者の女性が、笑いながら、ドクターの顎を持って自分の方に向けるのだ。「よそ見してんじゃないわよ。私の治療中でしょ」という感じ。お互い笑っているし、冗談半分なのだ。こんな気楽な歯科医と患者の風景は、日本ではまずありえない。リハビリの部屋に入っても、スタッフが十分であることがうかがわれ、まるで知り合いの子供にマッサージするみたいに、スタッフが母親と一緒にいる幼い子供のリハビリをしている。家族が連れてきた患者の体を一緒に動かしている。ここでは家族は排除されていなくて、一緒にリハビリに自然に参加している。なんといってもスタッフの態度が友人に接するように穏やかで親密な感じなのだ。

 病院は確かにものすごく古びた機械ばかりしかない。機械らしい機械がない部屋も多い。リハビリも見るからに古いか基本的な器具しかないし、レントゲンの機械も一昔どころかふた昔は前のものしかないようだ。しかし、どの部屋も実に気持ち良く綺麗にそうじが行き届いていて、機械もよく使い込まれている。スタッフの身なりもこざっぱりときれいで、患者たちも途上国の病院によくいる、惨めで放って置かれている棄民、という感じは微塵も感じられない。スタッフも患者も、人間として穏やかに病院という場を共有して、リラックスしているのは驚くべきことだ。

 日本人が見学に来るのだから、良いところばかり見せようとしているのだ、とか一番良いように見せようとしているのだ、とは言ってもらうまい。私は長く国際保健の仕事をしてきており、そこでいろいろなヘルスファシリティーの調査やそこで働く人たちの技能に関する評価や調査にも関わってきた。誰か調査観察者がいるとき、わざわざ自分の悪いところを見せようとする人はいない。誰か見に来る人がいれば、しかもそれが何らかの"評価"につながるものであるとすれば、「自分の一番良いパフォーマンス、施設の一番良いところ」を見せようとするのは当然だ、と我々も見る。そして、「これがベストパフォーマンスで、ベストな施設の有りようだとしたら、普段は推して知るべし」、というように報告書を書くのである。ベストパフォーマンスのはずなのに、患者に対してただ、権威的だったり、優しい物腰など微塵も見られなかったり、患者が多いから、とか場所がないから、といって、患者が不適切なところで無用に長く待たされたりしている。汚い床が放置されていたり、片付けるべきものが片付けてなかったりする。ベストパフォーマンスでこれなら、調査に来ていない普段は、おそらく想像に余りある。

 ところがキューバはどうだろう。病院はどこも綺麗にこざっぱりとして、患者たちは実にリラックスして、スタッフの動きにもとげとげしいところがない。患者は優しく接されていて、誰も放置されたりしていない。これがベストパフォーマンスで普段はもっと「ひどい」、ということになるとしても、一体どこがどうなれば「ひどい」状態になりうるのか想像できないくらい全てが良く機能しているのである。

 どこに行っても清々しく、楽しそうなのだ。どのファミリードクターに聞いても、きっちりと自分が見ている患者の数を把握しているし、みんな、そのクリニックの上の会に住んでいて、必要があればいつでも対応しているのだ。午後は往診らしいが、往診は車で行くの?と聞いたら、あら、歩いて行くのよ、ははは、と明るく笑う。自分に優しいよく話を聞いてくれるよく知ったドクターがいつも自分のそばにいてくれるのだとしたら、何を心配することがあるのか。専門の医師が必要なら、ポリクリニコ(地域の病院)に行けばみてもらえる。「ただ」で「いつでも」医者がいるとなれば、患者はそこに通い詰めて必要ないことでも聴きに行くようになるのではないか、と思われるかもしれないが、それは逆だと私は思う。お金も必要もなくていつでも医者がいてくれる、という安心感があれば、患者は安心できて、そんなに病院に行かなくなる。不足感があるから、通いつめることになるのだ。それは教師と学生の関係でも同じだと思う。いつでもなんでも聴きに来なさい、いつでも何時でも電話しなさい、私がどこにいてもメールしてきなさい、と言っておくと、学生からの連絡と対応で忙しくて大変なのではないか、と思われるが、実際には私がいつでも対応する、ということがわかっていると、逆に、連絡してくる学生はあまりいなくなるのである。だから、連絡してくる学生には十分に対応できる時間がいつもある。もちろんそれは適正な数の学生を見ているということが前提であり、キューバのファミリークリニックの場合も、適正な人員配置がされている、ということに担保されているわけだが。

 それにしても、この医療機関の清々しさと明るさよ。フィデル・カストロ、あなたの偉大さを私はただ、感じずにはいられない。あなた一人の発想とビジョンと実行力がこの国を至極短い間に変えてしまい、それは半世紀たって、数多の苦難を経てもまだ継続している。それらは文字通りキューバ国民に支援されているシステムなのである。そんな天国みたいなシステムはない、そうはいってもこんな悪いところもあんな悪いところもあり、文句を言っている人もこんなにある、と、言いたい人には言わせておこう。どのようなシステムにも欠点はある。しかし「一番底辺のために政府がある」というこの国に、人間としての誇りと誠実を感じるのは私だけではないのだ。

 

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。
1981年、京都薬科大学卒業。
1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。
著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女を生きる覚悟』など多数。最新刊は『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)。

女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言

バックナンバー