おせっかい宣言

第29回 エメランス

2016.10.17更新

 エメランスは、はにかんだ笑顔がとても素敵な19歳の女の子。コンゴ民主共和国(のち、コンゴDRCと略す。)のギラギラした巨大な首都キンシャサから、コンゴ川を船でさかのぼればだいたい二日くらい、セスナ機で飛べば、キンシャサからほんの1時間くらいで、テケと呼ばれる人たちが住む地域に着く。野生動物の保護をしているNGOが運営しているファームに、フランスやベルギーや日本やイギリスや、あちこちから来た研究者とか、ボランティアとかが泊まり込んでいる。電気も水道もガスもないが、自家発電をしているから夜も電気があるし、水はきれいな水を水源から汲んできてもらい、飲み水もシャワーもトイレも不自由がない。各自、曲がりなりにも自分の部屋があって、プライバシーのある生活もできる。実に立派な、研究やボランティアワークの拠点となっているのだ。

 エメランスは、親戚がこのファームで働いていて、夏には研究者たちがもっとやってきて、人が増えるから、と誘われて、働きに来ている。泊まり込んでいる外国人たちの洗濯を担当したり、掃除をしたり、フーフー(キャッサバの粉)をついて作ったり、いつもきびきびと働いていた。カラフルなTシャツにぴちっとかっこよく腰巻きの布を巻き(ビランバ、と言っていたが、ビランバは衣服一般を指す言葉でもあるらしい)、スタイルもいいし、表情も豊かで、かわいい。ファームにはエメランスの他に、料理をする男性や、ドライバーや、森の案内をするトラッカーや、お掃除をする男性など、たくさんの人がいて、家族も住んでいたから、子どもたちもいた。テケの人たちだから、自分たちの言葉はテケ語なのだが、コンゴDRCの"Street Language"つまりは、コンゴの共通語としてのリンガラ語も、みんな自分の言葉のように繰ることができる。

 私は北東ブラジルに結構長い間住んでいた。世界の名だたる工業国の一つでありながら貧富の格差の激しいブラジルの中、北東部は、一番貧しい地域で、そういう地域ではこういう「お掃除をしてくれる人」「洗濯をしてくれる人」などいわゆるワーカークラスの現地の人たちの教育レベルは、お世辞にも高いとは言えなかった。そういう人たちはせいぜい小学校にちょっとだけ行っているかいないか、という程度なので、文盲ではないが、文字を書くのも読むのも、苦手だった。我が家で掃除や洗濯や料理をしてくれる人たちには、できるだけ文字のメモではなくて、口で説明するようにしていた。彼女たちから文字で書いたメッセージをもらうこともなかった。読み書きは彼女たちにとってはとても難しいことだったのだ。

 アフリカの真ん中の大国、コンゴDRCは最近までザイールと呼ばれていた、旧ベルギー領の国である。いわゆる「フランス語圏アフリカ」にある。なんとなく、私はこの国で、こういう「お掃除」「お洗濯」「料理」をしてくれる人たちの教育レベルも、北東ブラジル程度ではないか、という、先入観としか言いようのない根拠のない漠然とした感覚を持っていたのだが、そういう予想は軽く裏切られた。男女を問わず、彼らはしっかりと文字を書き、読み、書き言葉を繰る人たちで、きちんとした文章でメッセージを託すこともできるし、わからないことがあれば、彼らに書いて説明してもらうこともできる。エメランスは、近くの村にあるセカンダリースクールの6年生、つまりは日本の高校三年生である、という。セカンダリースクールを出れば、教員として小学校で働くことができるらしく、結構レベルの高い教育がされているようで、どの科目が好き?とエメランスに聞くと、そうね、教育学ね、という返事が返ってきた。電気も水道もなく、野生動物のいる森林を裏手に控え、広大な大地に夕焼けの沈む、まさにmiddle of nowhere(何もないところの真ん中)、というか、大変な田舎、そういうところでこうやってお掃除お洗濯をしてくれるお姉さんが、きちんと高校の最高学年に通い、教育学など、勉強しているのである。ファームにいる人たちもそれぞれ教育を受けており、リンガラ語は書けるし、読めるし、フランス語もそこそこできる。小学校では低学年からフランス語をやっているらしい。コンゴDRC、テケの人たちの教育レベルは高い。

 エメランスが生まれた時につけられた名前はチャミ、という。エメランスは、そう、フランスふう、っていうかな、ちょっと西洋人ぽいニックネームね。みんな生まれた時の名前とは違う、西洋っぽいっていうか、ワシントン、とか、ジャムズとか、エディーとかね、あとからつけられた名前ね、小学校に行くと最初からフランス語を習うから、ほら、そこでだんだんそういう名前を使うようになるのよ。だから、私はエメランス。 Emerance、と彼女は自分の名前を書いてくれる。仕事の合間には木陰でせっせと友人に出す長い手紙を書いている。筆跡は美しくて、しっかりしている。試験もあるからね、勉強しなきゃいけないのよ。
 ところで、と、ファームにいる外国人の一人を指して、エメランスは言う。ねえ、彼、素敵だわ。あの人いくつかしら。知ってる?32歳?そうなの。で、あの人、奥さんは、いるのかしら・・・。

 私のリンガラ語は、学び始めて数日、幼児以下のレベルなので、「彼に奥さんは、いるのかしら」、という、エメランスの聞きたい文章を、私に理解させるために、エメランスはずいぶんな苦労をしなければならなかった。私の数日分のリンガラ語も、一週間の付け焼刃フランス語も、同じくらいひどいのだが、一週間のほうが数日よりマシなので、私はおぼつかないフランス語も使ってエメランスと会話らしきものを必死でやろうとしているのだ。エメランスは、私に、「あなた、結婚してるの?ご主人いるの?」というから、主人は去年死んだのよ、というと、じゃあね、それはNa zali na mobali te.というのよ。Naが自分のことね、zali naが持ってるってことで、mobaliが男。「私には男がいる」が、Na zali na mobali、つまりは「主人がいる」っていうことで、リンガラ語は、否定形は最後にteってつけたらいいのよ。だから、あなた、ご主人死んじゃって、「私には主人はいない」は、Na zali na mobali te. いい?わかった?言ってごらん。そうそう、なかなか上手じゃない、いい発音ね。リンガラ語、わかった?だから、あの、素敵な人に奥さんいないわよね、は、A zali na mwasi te. なの。Aが、「彼」、mwasiが「女」わかった?やれやれ。そんで、だから、私はね、あの彼に、奥さんいるの?あなた、知ってる?って、聞いてるわけよ。

 還暦前の私は、10代のエメランスの女子トークのお相手になりながら、リンガラ語レッスンを受けているのだ。エメランスの説明は理路整然としている。なるほど、Teが、ノー、なわけか。では、返事は、Te、です。あの男性、独身です、奥さん、いません、と私が答えると、エメランスは本当に嬉しそうな顔で笑った。その夜、エメランスは、気に入った彼の部屋のカーテンをそっと開けて、ベッドに座って、にっこり笑って彼が部屋に戻るのを待っていたそうだが、彼は部屋に入ってきてはくれず、驚いた彼は、エメランスとにこやかにおしゃべりするどころか、ベッドに座っているエメランスを見て、なんと部屋から逃げ出してきてしまったのだという。文化の違いをなんとかしなければならない、と思ったらしい聡明なエメランスは、翌日は、このお気に入りの男性の「上司」にあたる研究チームの「隊長」(ヘビースモーカー)に、タバコを2本渡して、「私、あの人とお話がしたいの。そういう機会を作ってくれないかしら」と直訴していた。上司から攻める、というエメランスの戦略はなかなかのもので、私は彼女の恋が成就するように祈っていたのだが・・・。さて。

 その数日後、彼女は彼女自身に何の非もない理不尽な理由で、突然ファームを解雇されることになり、小さな荷物をまとめて、言葉すくなにファームをさっさと出て行ってしまった。お別れの言葉も言えなかった。

 アフリカの女性の地位向上、とか、教育レベルを上げなければ、とか、男女の平等、とか、いろいろなプラスチックワードが行き交う国際援助の現場。そういう言葉を使って「アフリカの女性たち」を語りたくない。理不尽なことは山ほどあると思うのだが、勉強をしながら、働いて、恋もして、大好きな男の人をゲットしようとしているエメランスの瞳の輝きをこそ、胸に携えて、私も働いたり、勉強したり、恋をしたりしたい。彼女は「Na zali na mobali te.(私は主人を亡くして一人ものです)」な、私に、希望をくれたのである。

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三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。
1981年、京都薬科大学卒業。
1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。
著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女を生きる覚悟』など多数。最新刊は『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)。

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