おせっかい宣言

第30回 取り越し苦労

2016.11.22更新

 勤務先が女子大なので、若い女性から相談を受けたり、おしゃべりしたりする機会がたくさんある。彼女たちはよく、「今、一人でもこんなに大変なのに、誰かと結婚したり家族が増えたり子どもが生まれたりしたらどうしたらいいのかわかりません。私は一人でいたほうがいいのではないかと思います」などということをおっしゃる。取り越し苦労なさっているのである。気持ちはよくわかる。周りが、結婚するのが大変だ、妊娠出産と仕事を両立するのは大変だ、子どもを育てるのはもっと大変だ、と言い募っているので、若い女性としてはおもわず不安になるのだと思う。まったく気の毒なことである。

 あなたは今二十歳前後で、若くて、まだまだ人生経験としてはたりないところもあって、心配なのかもしれない。お金もまともに稼いだこともないし、料理も簡単なものくらいしか作ったことないし、人の世話とか、まともにやったこともない。家の掃除もどの程度ちゃんとできるのか心もとない。しかし、あなたはあなたのまま、ではないのである。あなたは、これからフェーズが移れば、違う自分になっていく。そして、それはいつも、よきことである。フェーズが移り、自分が変わっていくことは、あなたの中の違うあなたの発見であり、あなたの知らなかったあなたの力が見出されることだ。フェーズと環境が変われば、あなたは今のあなたとは違う人間になっている。

 つまりは、二十歳くらいの学生のままで、母親になったり、家族を持ったりするのではないのだ。いや、二十歳で学生のまま、母親におなりになってもよろしいのだが、母親になってしまったら、そこであなたは変わるので、二十歳の学生のままのあなたではなくなります、ということを申し上げているのである。今のままの能力で、会社で課長になったり部長になったりするのではないことと同じである。今、自分の時間を丁寧に数えて、一日何をしているか時間を配分してみて、「ああ、自分のための時間だけでいっぱいだ。ここに人が入ってくる可能性はない」と考えるかもしれないが、人が入ってきたら、それなりになんとかなっちゃうのである。算数のように足し算引き算で時間とやることが決まっていくわけではない。

 例えば、今、いくら寝ても眠たいのに、隣に赤ん坊が寝ていたりしたらどうしたら良いのか。赤ちゃんは夜何度も起きるというし、そんなことはとてもできない、と思うかもしれないが、実際に赤ん坊が生まれてみると、授乳している期間は、隣に寝ている赤ん坊が「ゴニョゴニョ」と何かいうと、母親の目はばしっと覚めるようにできている。なぜか実に赤ん坊の動きに対して覚醒するようにできている。何というか、ハイな状態になっていて、あまり苦もなく起きられたりするのである。赤ん坊がおっぱいを離れてきて、物を食べ始める1歳くらいになると、次の生理が来たりして、急に夜に起きるのが辛くなったりするが、それはそれでまたフェーズが移った、ということである。

 夫や子どもたちのために弁当などつくる時間などあるはずがない、と、家族がいないときは思うかもしれないが、いざ、家族を持ってみると、以前3時間かかってもできなかった書類が30分で出来上がるようになっていたりして、結果として弁当を作る時間ができていたりするのだ。要するに、人を世話するフェーズになると、他の仕事を片付ける能力が上がってしまったりするのである。

 だから、結果として、このようなことに取り越し苦労をするのは無駄なことであるのがわかる。自分の周囲の環境が変われば、とりわけ家族構成というものが変われば、そのように適応すべく、とりわけ女というのは、能力が上がっていくものだと思う。だから、先々のことは心配せず、今やっていることを楽しくやって、次のフェーズが来たら、その時に考えれば良いのだ。......というようなことは、還暦も近い女になってくると、明確な事実であることがわかる。取り越し苦労とか、「あなた、今はいいけど将来は大変よ」などというような呪いの言葉などは、本当に無駄なものであったことがよくわかるのだ。

 女の生殖期というのはなんともエネルギッシュな時期である。当たり前といえば当たり前であろう。人間がもう一人人間を作るために体を準備している時期なのだから。次世代を育てるための仕組みがいろいろと作られていて、というか、長い年月を経て、人類というものが生き延びるために、いろいろ工夫しては次世代に伝えられてきたわけで、今のわれわれの形態は、不十分なところもまだあるのかもしれないが、ある意味かなり完成されたものであるにちがいない。おそらく、生殖、ということにエネルギーを使っている時、生殖期の女には自分の知らない、文字通り潜在能力が次々と発揮されていくようになっているのであろう。だから、基本的に、性と生殖に関わることについては、「大丈夫ですよ、どうにかなりますから」、という楽観的な姿勢は、上の世代として正しい。「案ずるより産むが易し」とは、本当によく言ったものなのである。

 性と生殖に関することに関して、自分がどんな力を持っているか、自分は知らない。だからこそ、性と生殖に関わることは楽しい。不安になるよりも楽しいもののはずであった。それこそが生体の方向性なのだから。その方向性に余計な力がかかって、バランスが崩れることを「ストレス」というのであって、性と生殖に向かおうとしている体のエネルギーに沿ったことをするのが別に「ストレス」じゃないのである。何度も言っている気がするが、どこまでいっても、この国では、「妊娠」「出産」「子育て」「介護」「家事」こそが女性にとってのストレス、と言われ続けていて、若い人の取り越し苦労の原因となっているので、こちらも何度も言わねばならない。こういうことが楽しく行われるようにならない力が加わっていると、それこそが「ストレス」の原因となり得るのだ。

 子どもを産める女性が生まなくても、全くかまわないし、ご本人の自由、ということになっているし、産まないことで周囲が責めたりしてはいけない、ということについては、私たちは前世紀の後半あたりから、よく学んできた。もちろんそんなことはしてはいけないし、女性は自由に生きることが良い。しかし、「産める人」が「産まない」ということ、は、「仕事が大変だから子どもは産まないことにする」よりも、実はその人の体にとっては負担がかかることなのかもしれない、という事実は、忘れられるべきではあるまい。そのために作られてきている女の体の諸器官は、使わないより、使ったほうが、潜在能力開発として楽しいし、体も楽になるはずである。

 そういうことをできるだけ多くの、経験可能な女性に経験させるための仕組みをおそらくどの人類社会でも作ってきたように見えるし、一昔前の皆婚時代の日本は、そのように機能していた。もはやそのようには機能しない今、若い人たちの取り越し苦労は、何度考えても、先の世代である私たちの次世代への愛情不足と、しくみづくりの失敗であった、と思われてならない。せめて次世代に呪いの言葉は吐かず、「なんとかなるから大丈夫よ」くらいは言い続けねばなるまい。

 若い人の取り越し苦労の原因は私たち先の世代がつくっている。


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三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。
1981年、京都薬科大学卒業。
1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。
著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女を生きる覚悟』など多数。最新刊は『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)。

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