おせっかい宣言

第45回 頭上運搬

2018.02.06更新

 沖縄県糸満市に住んでおられるキミエさん(仮称)は、「落としたことなど一度もない、落とした人も見たことがない、転んだ人も見たことはない。そんなことは、ないですよ、絶対」とおっしゃった。落とすもの、ではない、のだ。
 キミエさんは80代、漁港、糸満の女たちが、重さ30キロにもなろうとするたくさんの魚が入ったバーキ(かご)や、たらいを頭に乗せて、那覇まで売りに行っていた頃のことをよく覚えている。今はもちろんやっていない。車があるから、必要がないのだ。ご自身は魚を売りに行ったことはないのだが、頭の上に乗せて物を運ぶ、ということは日常的にやっていた。

 4歳か5歳の頃から、やっていましたね。薪を乗せた船が時々港に着くんです。どの家族も、ちょっとでもたくさんの薪が欲しくて、それを家に運びたいから、家中総出で、薪を取りに港に行きます。幼い私も取りに行くと、頭の上に薪をのせてもらう。それで頭の上にのせて、家まで持って帰るんですね。男の人は肩にのせるので、頭にはのせません。別に、こうやれ、とか、教えてもらったことはないです。自然にできるようになった。誰でもできます。誰でもやっていましたし。

 今もなさいますか、と聞くと、ああ、そうね、布団とかね、二階に持って上がるときとか、のせますね・・・。布団・・・。80代の女性が、布団を頭に乗せて、階段を上がる。それだけで十分、すごいことじゃないか、と思うが。キミエさんは私の前で、目の前の本を数冊、頭に乗せて、そうね、こうして顎を引いてね、姿勢を良くすることが大事よね、とおっしゃる。

 糸満から那覇までは12キロくらいある。12キロの道のりを、午後2時ごろ、魚を運ぶ。朝揚がった魚を運ぶから、どうしてもその頃の時間になってしまう。鮮度がどんどん落ちるから、急いで運ばなければならない。30キロの重さの荷物は、自分ではあげられないし、下ろせない。手伝ってもらって頭に乗せ、那覇の市場についたら手伝ってもらって、下ろす。だから途中でおろしたりなんかもできない。体側の手を小さく振りながら、小走りのようにして、12キロ先の那覇へと急ぐ。糸満手振り(イチマンティーブィ)と呼ばれる歩き方、というか、小走りするような走り方だったという。

 それで、私が冒頭のように、聞いたのだ。「落とす人とか、いなかったんですか?」。キミエさんは「落としませんよ、損するじゃあ、ありませんか、売りものなのに」。おっしゃる通りである。落としている場合ではない。でも、私たちのこの現代の日常では、そういうことやろうとすると、落とす人がいっぱいいるだろう、と、つい、思うのである。

 この頭の上に乗せて物を運ぶ「頭上運搬」については、ずっと気になっていたが、一昨年、コンゴ民主共和国に行き、現地の方が、男も女も、軽々と頭上運搬をしているのを見て、これは一体どういうことなのだろう、とあらためて関心を蘇らせた。キンシャサの、車と人で溢れかえる雑踏の中、たまごパックを10段くらい重ねて運んでいたり、ペットボトルが20本くらいビニールで包まれたものを乗せていたり、地方では、研究チームの食料の大きな金属の箱をひょい、と車から頭に乗せたりしているのを見て、いや、これは一体どうやったらできるんだろう、そして、どうやってできなくなるんだろう、と思ったのだ。

 そういうことに興味を持つのは、もちろん私だけではない。「頭上運搬」は、アフリカなどでフィールドワークをする人類学者の興味を引いてきた。世界中のどういう地方で行われているか、行われていたか、という調査もあるようだし、額に紐をかけて運搬する前額運搬との比較など、いろいろな論文もある。アフリカの人は骨盤の形とか、姿勢に特徴があって、頭上運搬がやりやすい、などと書いてもあるのだが、それは、「結果」ではあるけれど、だから、頭上運搬ができる、ということではないように思う。

 高岡英夫師は著書『意識のかたち』 で、1970年代なかば頃、千葉県御宿で民宿をやっている、身長160センチくらいの小柄できゃしゃで瘦せぎすの50代のおじさんが山から材木を出すのについてったときのことを書いておられる。「柱や梁に使う太い杉や松の丸材を2本一度に肩に担ぎ、山の道なき裾野や曲がりくねった幅30センチにも満たない細いあぜ道を、ヒョイヒョイ、スタスタ、サーっと吹きかうそよ風のごとく」往くのだという。おじさんは、「自分の"力"で担ぐのではなく、材木と道の呼吸に合わせるんだよ」と、今聴いても恐ろしくなるほどの極意を教えてくれた、と、書いてある。

 頭上運搬もこれと同じであろう。"頭の上に乗せているものと道の呼吸に合わせられる"からだの使い方が、一瞬でできている、ということである。乗せているものと道の間に何も邪魔することのないゆるんだ体にダイナミックなセンターが通り、そのセンターが動いている。からだはただ、そのセンターについて動いているのだ。頭の上に乗っているものは、そうやっていれば、まるで道の上に直接乗っているようなものであり、そうであれば、「落ちることなどありえない」というキミエさんの言葉もわかるような気がする。

 そういうことが、もちろん、上手下手はあったのだろうけれど、基本的に誰でもできて、誰でも続けられて、いったん体得すると、自転車に乗れたり、フラフープを回せたりするのと同じように、二度と忘れることがない、ということであった。そして、それは「習ったり」、「学んだり」するものではない。周りがやっているから、自分もできる、と思う。誰が教えるわけでもない。習うわけでもない。見ているからできると思う。できると思うからやってみるとできる。そのようなものだ、と思う。

 沖縄伊是名島出身の版画家、名嘉睦稔さんは、映画「ガイアシンフォニー第4番」 で、故郷伊是名島に戻り、幼い頃からウミンチュー(漁師)の手伝いをして海に潜っていた頃のことを話している。どうやって潜るか、とか、魚を取るか、とか、教えてもらったこともない。何も教えてもらわなかった、鼻から水を抜くことさえも教えてもらっていない。でもできるようになる、ということを話しておられるが、つまりは、そういうことである。周りがやっている。なぜできないことがあるだろう。できないほうがおかしいだろう。自分もできるに決まっているし、必ずできる。そういう意識があるから、できるようになる。からだづかいはそのように習得され、伝承されてきたものだった。

 頭上運搬は身体の形状や能力と言うより、まずは、"意識"の問題である。今まで言われていたような骨盤の形、とか、姿勢、とかと、全く次元の違う問題であると思う。「できる」とおもってやる、ということ、そして、できた時に体得した身体意識を失うことなく持ち続けられるということ。自分の体とは異なるものを体と同じように感じ、その呼吸に合わせられるということ。もう少し明確に語れるようになるまで、しばらくこの課題を追いたい、と思っている。

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三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。
1981年、京都薬科大学卒業。
1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。
著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女を生きる覚悟』など多数。最新刊は『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)。

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