おせっかい宣言

第18回 一ヘクタール

2016.01.07更新

 出産のことに心をひかれて40年近く、研究者にまでなってしまったので、それなりに人より長く妊娠、出産について考えてきた。「自然な出産」とはいったい何なのか、という議論は、いやほどされてきたのだが"科学的には"答えは出ていない。科学で出産を語ろうとすると、それは医療の言葉で出産を語ることになる。出産の安全性とか、母親の精神的安定の出産への影響とか、医療介入の是非とか・・・。いくら議論をかさねてもよくわからない。

 それは、私ども人類がその生命の連鎖のなかでどんなふうに子どもを産んできたのか、ということを語るためには、まだまだ科学的な研究のほうの歴史が浅くて本質にたどりつけずにいるからだし、ある意味科学的な研究を重ねるほど本質からはずれてしまったりもしているからである。近代医学の歴史より、ひとが子どもを近代医学なしに生んできた歴史のほうがはるかに長く、近代医学なしでも人間は滅びなかったことだけは、ゆめゆめ忘れてはなるまい。だからこそ、妊娠、出産、などという生殖とリプロダクションに関わる部分についてわたしたちが持つべき態度は、「わたしたちはまだ何も知らないことばかりなのだ、言葉にできていないことばかりなのだ」と、せめて、謙虚であるべきだと思っている。人間があまり手を加えたり、手を出しすぎたりすることは、謙虚であることからはずれていく。では、どこまでが謙虚でどこからが謙虚でないのか。それが「自然な出産」に関する議論であったから、それはいつもとてもたいへんなことになってしまうのだった。

 なんだか難しい話になってしまったが、ようするに「人間が人間を産む」ということについてわたしたちは実はまだまだわからないことのほうが多い、ということだ。できるだけ女性たちが喜びに満ちた出産経験ができるように、子どもたちがそのような至福のうちに穏やかに産まれることができるように、多くの研究活動、啓蒙活動を行われてきたが、世界に名の知られた自然な出産のイデオローグたちがこのところ次々と他界している。2014年には元WHO(World Health Organization:世界保健機構)ヨーロッパ事務局母子保健部長だったマースデン・ワグナーが、2015年には、バース・エデュケーターの創始者で、人類学者のシーラ・キッチンガーが亡くなった。ワグナーは科学者で医者らしく、現在入手可能な科学的根拠をもってしても、女性が自分の力をつかって産み、赤ちゃんが自分の力で生まれてくることが重要かを十分に語ることができることを示した。出産の場には無用な介入が多すぎることを指摘して、いかにそれらが現実には女性と赤ちゃんの持つ力を邪魔するようなシステムにつながっているのか、を、舌鋒鋭く語れる、自然な出産の議論の最先端を走る人だった。キッチンガーは女性人類学者らしく、「どのように産むか、はどのように生きるかにつながる」といい、女性のセクシャリティーについて多くの示唆を与える発言をし、そして、「子どもをつくったベッドで子どもを産む」ことがどんなに大切かを語り、自宅出産の重要性を説いていた。

 現代日本の文脈で、自宅出産の重要性を説く、などということは、あまりに現在日本の現実とはかけはなれていることだから、あえて口にしない。だからといって重要な問題ではない、とは、いえない。日本は出産に関しては自由診療の体制だから、女性は自宅出産から大学病院でのお産まで、自分で選ぶことができるし、それぞれのレベルでお産を介助してくれるプロフェッショナルを探すことが可能である。実際に個人的な友人として、自宅出産を取り扱っている助産師たちのすばらしい活躍も知っているから、日本では「自宅出産は望めば十分に可能」である、とは申し上げておこう。しかし、「子どもをつくったところで子どもを産む」ことが大切だから、自宅出産を奨励しましょう、といえるほどに日本の周産期医療がオープンであるはずもないのである。「子どもをつくったところで子どもを産む」ことが重要であると示す科学的根拠を出せ、といわれても、今のところ、まったく、ない。しかしわたしは、シーラ・キッチンガーという、稀代の直感の人が言ったことを忘れはしない。今の科学の言葉で示せなくても、直感の人が重要だ、と言ったことは、実はほんとうに重要なことだった、とわかるときがいつか来ない、とどうしていえよう。時代から遅れているのは、実はわたしたちのほうかもしれないのに。

 キッチンガーがこの「子どもをつくったところで子どもを産む」ことの重要性について語っていたのは1970年代だったか、80年代だったか。それからとにかくもう40年近い年月が経っていることは確かだ。先日、ほんとうに久しぶりに、この、「子どもをつくったところで子どもを産む」ことの重要性を語っている本に出会った。「子どもが受胎した同じ場所で出産も行われなればならない」。きっぱりと書いてある。『アナスタシア ――ロシアの響きわたる杉シリーズ』という25カ国で翻訳され1000万部以上を売ったと言われているシリ
ーズの4冊目「共同の創造」、にでてくる言葉である。アナスタシアと呼ばれるシベリア、タイガの森の奥深くに住む女性と出会ったウラジーミル・メグレというロシアの起業家がこれら10冊のシリーズの作者であり、日本では今までに5冊が翻訳されている。

 スピリチュアル系の本の一種だろう、と拒否反応を示す人も、懐疑的に笑う人もありそうだが、メグレがアナスタシアの言葉、として伝えるさまざまなストーリーからは、はっとするほどに独創的、かつ、本質的で、現代社会への具体的な処方箋となりうる示唆を得ることができる。アナスタシアは具体的に「一ヘクタールの土地」を自分のものとして持つことを提案する。一ヘクタールとは3000坪であり、広大な土地である。土地は樹々という生きた塀によって囲まれ、土地の四分の三は森に仕立てられ、畑をつくりニワトリやヤギを飼い、家を建てる。そこは家族の場となり、人はそこで産まれ、そこで死ぬ。先祖たちはいつもそこに生きる祖先たちを見守り、そこから都会に出た人も、自らを癒す必要があるときはいつもそこに戻ってくる。「存在するすべての法律の中から、最大限都合のよいものを活用して」そのような場をつくることが必要なのだという。その一連の提案の中に「受胎した場で産まれる」ことの重要性も述べられているのである。

 なんという現実味のない夢物語か、と思われるだろう。30坪に満たない土地の住宅ローン返済に生涯をかけるわたしたちに、3000坪の土地とはいったいなにごとか、と。しかしわたしたちの誰もがほんとうはそういう暮らしを文字どおり夢見るし、そのようなところで生きるべく人間はつくられているのではないか、と実は直感では知っているのではないか。

 2015年春、ロシアのプーチン大統領は、極東の一ヘクタールの土地をロシア国民に無償提供する、というアイデアを指示した、と伝えられた。その土地は最初は無償の使用が許可され、その後、利用目的が禁じられていない活動であれば、私有財産として認められる、5年間放置されている場合は、没収される、といわれているという。ロシア国民はどうやらアナスタシアの提案を実行するきっかけを得てゆくらしい、とわたしには聞こえた。ナイーブと言われようと。タス通信で配信されたというオリジナルのニュースはみていないし、北方領土を含む地域であるから、北方領土支配の固定化ではないか、ともいわれているのだが、この「一ヘクタールの土地の分与」の話題は、「受胎したところで産む」と重なって、どきどきさせるビジョンとなってわたしに迫るのである。

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

日本語で読めるのは以下の五冊である。著者はすべてウラジーミル・メグレ

『響きわたるシベリア杉シリーズ1 ―アナスタシア』2012年,ナチュラルスピリット、『響きわたるシベリア杉シリーズ2 ―響きわたるシベリア杉』2013年,ナチュラルスピリット、『響きわたるシベリア杉シリーズ3 ―愛の空間』2014年、ナチュラルスピリット、『アナスタシア ロシアの響きわたる杉シリーズ4 ―共同の創造』2014年、評論社、『アナスタシア ロシアの響きわたる杉シリーズ5 ―私たちは何者なのか』2015年、直日。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。
1981年、京都薬科大学卒業。
1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。
著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女を生きる覚悟』など多数。最新刊は『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)。

女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言

バックナンバー