おせっかい宣言

第28回 エルサルバドル、そして再びキューバのこと

2016.09.05更新

 1990年代なかば以降、5年間、ブラジルで「出産のヒューマニゼーション」という仕事に関わっていた。狭い分娩台の上で身動きができないような形での仰向けでのお産を強いられたり、陣痛中も飲まず食わずで、じっとしていなければならなかったり、優しい言葉の一つもかけてもらえなかったり、施設での出産が増えるとともに、出産が非人間的な出来事となって、女性の産む力、赤ちゃんの生まれる力が生かせないお産になってきたことへの、アンチテーゼであった。日本の、主に開業助産婦さんたちの力を借りながら、生理的なプロセスを大切にした「人間的なお産」を広めていくような仕事であった。結果として、当時の国際協力事業団、現在の国際協力機構(JICA:Japan International Cooperation Agency)の医療協力プロジェクトとしては、よい評価を受ける仕事となり、その後、「出産のヒューマニゼーション」は名前を変えながら、アルメニア、カンボジア、マダガスカル、セネガル、など多くの国で、日本の国際協力のもとにプロジェクトが進められてきている。あまり知られていないかもしれないが、日本の助産の良さをいかした、特色のある技術協力の仕事の一つとなっているのだ。

 「出産のヒューマニゼーション」を中米のエルサルバドルでも始めよう、としておられる若い研究者の方があり、このたび、2016年8月にエルサルバドルの首都、サンサルバドルの国立女性病院に出かけてきた。国内で最も中心となる産婦人科医療の施設である。真面目で、勤勉、「中米の日本」と言われるエルサルバドルの方々との仕事は楽しかった。本当に、必要なら残業もしてくれて、土曜日も働きに来てくださる、というエルサルの方の仕事へのメンタリティは日本人と似ているのだ。

 「出産のヒューマニゼーション」は、結果として、新しいいのちが、この世に生まれてくるとき、できるだけやさしく受け止められるように、という仕事でもある。思えば、アルメニア、とかカンボジアなど虐殺の経験が生々しい国や、エルサルバドルのように、厳しい内戦の記憶を残すような国で、こういうプロジェクトが立ち上がっていくことを偶然とは思えない。厳しい歴史を経てきたからこそ、これから新しく生まれるいのちは、できるだけやさしく受け止められて欲しい、という願いが込められているようにも感じる。託されているものがある、と思うような仕事をさせてもらえることは、とてもありがたいことだ。

 エルサルバドル国立女性病院のスタッフ達との仕事の途上で、「キューバに7年いた」という医師、エドグアルドに出会った。この連載の24、25回で二回にわたってキューバの医療を取り上げたが、エドグアルドの話は、また驚くべきキューバの現実を伝えていた。彼の話通りに書くので、現実とは違うところがあるかもしれないし、数字や年限に関して、「ウラ」をとっていないので、正確ではないところがあるかもしれないが、彼の話は生き生きとしていて、キューバで若い頃の7年を過ごした喜びに満ちている。

 だいたい1999年から2010年の間に、キューバ政府は約27000人の医師をラテンアメリカ全域から招待して、6年とか7年の期間をキューバで暮らして研修するようにしてたんだよ。贅沢な暮らしはできないけどね、暮らしと研修のお金はキューバ政府持ちだった。キューバ独特のコミュニティに住み込む家庭医、ファミリードクターの制度を学ぶ。みんな、20代から30代の若い医師ばかりで、そうだなあ、コスタリカとかブラジルとかホンデュラスとかグアテマラとか・・・とにかくたくさんの国からドクター達が来ていた。ニカラグアからは特に人数が多かったね。エルサルバドルはその頃正式な政府同士の付き合いはできなかったみたいだから、僕たちは大学を通して派遣されていた。僕も7年間キューバで研修して帰ってきた。キューバのプライマリーケアは本当に素晴らしいからいい経験だったし、何より、ラテンアメリカ中の人たちとの出会いはかけがえのないものだった・・・。

 私はエドグアルドの言っていることが、ちょっとよく理解できないくらい、びっくりした。キューバはソ連から多くの援助を得ていた国だったから、ソ連崩壊後の90年台前半は、キューバにとって実に厳しい時代であったことは、連載25回にも書いた。その直後に、キューバは、ラテンアメリカの20代、30代の医師たちに何年にもわたって研修の機会を提供していたというのか。ハバナにはラテンアメリカ医科大学、という無料でアフリカやラテンアメリカ、アジアの学生たちが医師になる機会を得る大学があることは知っていたが、この「ラテンアメリカ医師研修」は、また、別の話である。経済的に厳しい時代に、キューバはラテンアメリカ中の2万人を越える若い医師たちをキューバに招いていたのである。それも一人につき、6年も、7年も。逆に言えば、ラテンアメリカ中から、それほどたくさんの20代、30代の医師が、2000年前後に、「キューバに行きたい」と思った、ということをも、示している。

 ラテンアメリカ全域に広がる、キューバという国への敬意は、ことあるごとに感じていた。キューバ音楽や、文化への敬意はもとより、やはり、アメリカから泳いで渡れるような距離にありながら、アメリカに真っ向から対立したカストロやゲバラへの敬意はラテンアメリカ中で共有されている。キューバ革命は、マルクス・レーニン主義、というよりむしろ、ホセ・マルティンの汎アメリカ主義に裏付けられており、ホセ・マルティンやシモン・ボリバルの思想は、キューバやボリビアのみならず、ラテンアメリカ全域をカバーするような発想であることも、長年感じていたことだ。現在どのような政権を持とうとも、ラテンアメリカの多くの人たちに、キューバは敬意の眼差しを向けられているのである。おそらくだからこそ、これだけの人数の若いラテンアメリカの医師たちがキューバ研修の機会を受け入れたのであろう。

 ことはそれほど単純ではなく、プライマリーケアと家庭医療中心のキューバ医療は、アメリカ式の専門医療(日本ももちろんそうである)中心の他のラテンアメリカの医療制度とは相いれず、キューバの医師や、キューバで研修した医師たちが、ブラジルやエルサルバドルの専門医から、冷ややかな目で見られていることも知っている。プライマリーケアと、専門医療の共存は、それほど簡単ではないのである。 

 しかし、ラテンアメリカ全域に、現在30代後半から40代になる中堅の医師たちでキューバで長期間の研修を受け、キューバの家庭医療を学び、キューバのやり方に敬意を払い、キューバの人たちに親和性を高めている人たちが2万人以上いる、という現実はただごとではない。この人たちはほどなく、各国の保健医療の中枢を担う人材となり始める。静かに、しかし、確実に、ラテンアメリカの医療は変わっていくに違いない。このようなことは、キューバに関して、ほとんどアメリカ経由の情報しか入らないこの国なので、記しておくことが必要かと思った。私たちには知らない世界、というのがまだまだたくさんあるのだ。アメリカと国交を回復したのだから、キューバもアメリカによって根こそぎにされて、変わってしまうだろう、という予測が、簡単には当たらないだろうと思われることは、グローバリゼーションの荒々しい渦の中で生きている私たちの、小さな希望でもある。

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三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。
1981年、京都薬科大学卒業。
1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。
著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女を生きる覚悟』など多数。最新刊は『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)。

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