おせっかい宣言

第40回 一人で寝る

2017.09.27更新

 「一人で寝ることは、年をとると、危ないことだよね」とブータンで言われた、という話を前回の連載で書いた。「ブータンでは、配偶者をなくした人は1年くらいで大体再婚するよ。年齢がいけばいくほど、そうしたほうがいいよね。だって、一人で寝ていると夜中に何があるかわからないし、危ないからね」というような話だった。たった一人のブータンのガイドさんに言われたことだから本当にどのくらいみんなそう思っているのかわからないが、含蓄のある言葉だよなあ、と思って聞いていたのである。

 一人で寝る、ということは今や随分普通のことになってしまって、これを読んでおられる方も一人で寝ている方が結構多いんじゃないかと思う。一人暮らしの人はもちろん、家族と住んでいる人も、「一人の部屋で一人でベッド」で寝ている人は、いまどきのこの国の暮らしを考えると、多そうである。ちょっと前までは「一人の部屋にベッド」ではなくて、「畳の部屋に何人か」で寝ることの方が多かった。4、50代くらいまでははっきりと記憶にあると思う。各自に部屋、というコンセプトの、ドアがあって、しっかり別の部屋になる、というような部屋の形態が現れたのがそんなに昔のことじゃない。日本の家はもともとは大きな畳の部屋があってふすまを取ってしまうと全部同じ部屋になってしまうようなものだったから「個室」という発想がほとんどなかったのだ。それぞれが別の部屋に寝る、というのは明らかに「西洋的」な暮らしの影響である。

 赤ちゃんも、生まれたらだいたいお母さんの隣に寝ていた。「布団」の暮らしでは、自分の布団を敷いた横に、誰かの布団を敷けば、それで良いことで、ベッドを増やす必要もない。赤ん坊は母親の隣で母親と同じ布団か、赤ん坊の小さな布団で寝ていた。夜中に目を覚ませば、母親がおっぱいを含ませてくれて、そのまま眠りについていたものである。

 「西洋」ではそうではなかったことはよく知られている。多くの赤ちゃんは生まれて間もない頃から「赤ちゃんの部屋」に入れられ「赤ちゃんのベッド」つまりベビーベッドで寝かされる。夜中に泣いても、親が頻繁に赤ちゃんの部屋で赤ちゃんを抱き上げることはなくて、基本的に放っておくらしく、そのようにすることで自立した人間が育つ、と思われていたらしい。そのように育てると、どのような大人に育つか、ということについては、今は深入りしないけれど、人間、理由もないのに泣かないのであって、放って置かれる赤ちゃんの気持ちになると、そんなことされたくないなあ、と思わないだろうか。赤ちゃんを赤ちゃんのベッドに入れて赤ちゃんの部屋に入れて、夜中に泣いても放っておく、というのは、さすがにこの国では普及しなかったものの、母親のそばに赤ちゃんを寝かせておく、「添い寝」や、泣いたら寝たままおっぱいをはい、と吸わせる「添い乳」はやめましょう、という「母子保健関係者」のアドバイスは、第二次世界大戦後の日本で普及し、つい最近になるまで、「悪しき慣習」として、母親たちは注意を受けていたのだ。そのあと、母と子のボンディングとか、子どものニーズとか、母乳哺育の推進とかが相まって、今では「添い寝」も「添い乳」もやめたほうがいいですよ、とは言われなくなってはいるのだが。とにかく、赤ちゃんの頃は、一人では寝ていない。

 日本の家屋から畳の部屋がだんだんなくなり、畳の部屋は、あっても、「個室の畳の部屋」になってから、家族は適当に畳に布団を敷いて寝るのではなく、それぞれの部屋で一人で寝るスタイルに変わっていった。赤ちゃんも程なく「子どもの部屋」に一人で寝るようになる。「一人で寝る」はあまりに当たり前になってきたのである。

 冒頭の話を聞いたブータンのすぐ後、ラオスに行った。名目はラオスにおける伝統的な女性の出産の知恵を探る、というような仕事の立ち上げだったから、日本から来た助産師さんと、ラオスに在住している日本の助産師さんと、その友人で、通訳をしてくださるラオス人の女性と4人で動いていた。一応、スポンサーの付いている仕事なので、ホテルに泊まる時は、それぞれ別の部屋をとってもらえる。ところが、ラオス在住の日本人助産師さんと、ラオスの通訳の方は、いつも同じ部屋のツインに泊まっておられる。あの、別々の部屋で、お金、出るんじゃないかと思いますよ、と言ったら、「ラオスの方は一人で寝ると怖い、っていうから一緒のほうがいいんです」と言われた。

 一人で寝るのが怖い? その通訳さんは、30代くらいの聡明で英語が上手な女性で、近代的な教育も受けていて、娘さんもおられる。普通の「大人」に見えた。一人で寝るのが怖いってどういうことですか。なんでも、ラオスにはたくさんの精霊がいて、一人で寝ていると悪いことをしにきたりするので、一人で寝るのは危険である、ということになっているのだという。ラオス在住の日本人助産師さんは、若い女性で独身だし、一人で住んでいて、一人で寝ているのだが、いつも大丈夫か、寂しくないか、と言われているらしい。

 彼女から、ラオス人医師である男性が日本に留学した時のことを聞いた。ある時、彼は、真っ青な顔をして、担当教官である日本人男性教授の部屋を訪れた。「お願いがあるのですが」と彼は言う。「申し訳ありませんが、今晩一緒に寝てもらえませんでしょうか。一人だとどうしても寝られなくて」。別に彼は同性愛者でもなんでもない。いい年をした男性のしかもプロフェッショナルな医師なのだが、一人で寝られなくて、しかも、異国で一人など余計寝られなくて、知り合いも少ないから、担当教官に頼み込んだ、ということらしい。実際にどのように対応されたのかは聞いていないが、担当教官はラオス暮らしも長い方だったそうだから、むげにお断りはなさらなかったに違いない。

 というような話を聞いていた、元フィリピン大学に留学していた女性が言った。「そういえば、フィリピン大学にいた時、みんなでワークキャンプに行ったことがあるんです。あちこちから留学生が来ていました。その時、ラオスからの留学生の男性から、"何もしないから、今晩一緒に寝てもらえないか"って頼まれたんです。私も若かったし、"何もしないって、その言い方はよけい失礼ね"と思ったし、変な人だな、と思って、"嫌よ"って断ったんですが、今思えば、悪いことをしてたんだと思います。きっと知らないところで一人で寝るのが怖かっただけなんですね。彼とはFacebookで繋がってるから、今更だけど、謝ろうかな」。

 3名の話が、すべてのラオスの方に通じるとも思わない。でも、私はこの「一人で寝るのが怖い」という人が少なくない、というメンタリティーを、人類としてとてもまっとうなことじゃないか、と思ったのだ。いかなる意味でも、一人で寝るのは安全ではない。誰かと一緒にいる方がいい。感覚がずれてしまったのは、一人で寝るのが平気になった、私たちの方なのだ。

 30年以上家ではずっと誰かと寝ていたというのに、2年前に配偶者をなくしてから、家のベッドで、私は一人である。広々としたベッドに一人で寝ているのだ。寝返りを打とうが、ベッドの上で体操しようが、寝る前に音楽聴こうが、文句言う人はいない。よく寝られるんだなあ、これが。一人で寝ることに慣れる、というのは生存戦略上正しいことではないのに、この気楽さには、やっぱり慣れてしまって、人間、易きに流れるなあ、と今夜も良く眠ってしまうので、ラオスの方のまっとうさに、ただ頭をたれるだけなのである。

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三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。
1981年、京都薬科大学卒業。
1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。
著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女を生きる覚悟』など多数。最新刊は『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)。

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