おせっかい宣言

第37回 唯物論者

2017.06.28更新

 夫は唯物論者だった。「唯物論者だった」、と過去形にしているのは、昔は唯物論者だったのが、最近、神様の存在を信じるようになりました、とかいうわけじゃなくて、夫は、2年前に亡くなってしまったから、過去形なのだ。「神様」や「仏様」を一切信じていない人だった。日本人の多くは「信仰を持っていません」という人が多いと思うし、年代を経るにつれ、ますます、寺社仏閣と縁なく暮らしている方も多いのかもしれないが、元旦には神社に初詣に行き、子どもが生まれたらお宮参りをして、葬式にはお坊さんに来てもらい、法事をやる、という人は、今もそんなに珍しいわけでもないのだ。

 亡くなった夫は、初詣も行きたがらない人だった。だいたい人が多くて、行列するところには行きたくない、というのもあったようだが、神社で手をあわせることをよしとしていなかったのだろう。常々、「葬式には絶対に坊主を呼ばない」、と言っていたから、彼の存命中に義理の母が亡くなって、実際に、お葬式をすることになった時も、お寺と一切の関わりを持たずに葬儀を終えた。線香をあげる代わりに、献花をして、読経の代わりに、本人の若い頃からの写真をスライドショーにして、集まった親戚の一人一人がちょっとした言葉を寄せて、それなりに心のこもった式となった。今時そういうことをする人は少なくないようだから、葬儀屋さんもごく普通に対応してくださった。もちろん本人も、自分が死んだ時は、「坊主を呼んでの葬式はいらない。あとで偲ぶ会、とかしてほしい」とか、勝手なことをいろいろ言っていたが、夫を亡くした段階で、さほどのクリエイティヴィティがあるわけでもない私は、個性的な葬儀をアレンジする気力はなく、夫の葬儀は、お坊さんに任せた。周りの人の多くがやっていることが、だいたい楽でいい、と思う私の態度は、おそらく本人の気に入らないところがあったと思うが、死んだら、家族に任せるしかないので、どうか許してもらいたい。

 団塊の世代の矜持、というのは数々あると思うのだが、この徹底した唯物論者であろうとする姿勢もその一つではあるまいか。多感な学生時代にヘルメットをかぶり、必死で考え、マルクスとかグラムシとかアドルノとか色々読んで勉強してきて、社会科学を学び、人文科学を学び、自然科学や医学のあり方を考え、神などいない、と思った、ということなのである。周りの友人たちは、いわゆるエリートコースを歩んでいった方も少なくなかったが、本人としては、学生時代に考えたことを不十分ながら、なんとか生涯考えたい、と努力していた。別に学者や研究者になった人ではなかったが、それなりに、若い頃に立てた志を大切にして、本を読み続けて、人と会い続けて、不器用に生き続けて、学生時代に考えたことを自分で納得したいと考えていた。他の人がどうか知らないが、本人にとっては、唯物論者であることは、その世代に、そのようなことを若い頃にやってきたものの責任・・・のように、それこそ、不器用に、感じていたのではあるまいか。

 「死んだら、それで、はい、おしまいよ、だよ」と、常々言っていた。宗教のみならず、いわゆるスピリチュアル系の話も、一切遠ざけた。祈祷も占いも健康食品も、彼にとっては宗教の一種であり、宗教は麻薬であり、人間を考えることから遠ざける、冷静な判断をすることを邪魔するもの、と思っていたと思う。だから、病んでも、一切そういうことに救いを求めなかった。「死んだら終わりだよ」といつも言い続けていたのだ。最後までその姿勢が変わらず、突然、宗教的な救いを求めたり、妙な健康療法を試したい、などと言うこともなかった。死んだらおしまい、を繰り返していた。死ぬ数週間前、「これで終わりならあっけないもんだな」、と言っていたことは、今も忘れられない。人間、人智を超える大きな存在、というものを信じない、ということは、実はとても厳しいことなのだと思う。しかし、今になればそう言いながらも、彼は、人間の力を超える、何か大きなものについては、おそらく感じていなかったわけではなくて、むしろ感じてはいて、感じてはいてもなお、人間の理性に頼りたい、と思っていたのではないか。彼に先んじて亡くなった義理の母が買っていた墓地に建てた墓石に、彼は、「宇宙」と刻んだのだから。

 しかし、実際に死なれてみて、思う。死んだら終わり、ではない。はい、それまでよ、でも、ない。ちっとも終わってない。終わりじゃない。いかなる意味でもこの人の存在はビビッドに私に影響を与え続けている。別の出版社の本の話で恐縮だが、夫を自宅で看取った経験を書いてはどうか、ということで『死にゆく人のかたわらで』(幻冬舎)という本を書いた。がんで亡くなる人を自宅で看取る、という経験は、まだ、どういうことかわからない人も多いから、書いてみてはどうか、ということになったのである。

 本を書いたら、あちこちの新聞や、雑誌から取材の依頼を頂いた。福祉関係の公的機関や、学会から、講演の依頼も頂いた。私は今まで、講演と言うと、もっぱら自分の研究における専門分野である、女性や子どものことなどを話すことが多かったのだが、「看取りの経験」について話せ、と言ってくださるのである。私はそんなことができるのだろうか、と思ったが、依頼してくださるのだから、なんとかできるのかもしれない、と思って、そういうお仕事も受けるようになった。自分ができないんじゃないか、と思っても、周囲がそうおっしゃるなら、できるのだろう、となんとなく思ってしまうのである。こういう仕事は、もう、直接、亡くなった夫のご縁で回ってきている仕事なのであるから、「死んだら、はい、おしまい」、では、全くないのだ。私は新しい仕事を、彼の采配で受けるようになっているのである。

 亡き夫は、ガン治療について多くの著作をあらわしておられる近藤誠ドクターの編集者でもあった。だから、これまた別の出版社で恐縮であるが、「『ガン患者自立学』(晶文社)という本を近藤先生と一緒に作ることにもなった。亡き夫が、憧れ、大好きだった近藤先生との仕事は、またもや、彼の手引きによるもの、としか言いようのない仕事である。

 かように、亡き夫は死んでから、私に新しい仕事の分野を開拓している。死んでからも、彼の存在が、私と私の周囲を動かしているのである。そんな大層な話ではなくても、日々のとても小さなあれこれを考える時、決めなければならないことがある時、なんとなく生きていた頃のように彼に問いかけている自分がいる。こういう時、彼ならどう言うだろうか、どうするだろうか、と考えながら、動いてもいる。この人にまもられている、とも感じる。この人との関係は、ちっとも終わっていないのである。

 「死んだら、おしまい」じゃないではないか。死んでも続くものが多いではないか。その存在はあまりに身近ではないか。唯物論者だった彼に、「ねえ、ちょっとどう思ってるの」と、その辺、可能ならば、お茶でも飲みながらゆっくり話を聞きたいものだが、もういない。そうだ、もういないのだ、と、死んでも終わりではないけれど、やっぱり死んだら会えないのだ、と、当たり前のことを呆然と反芻する三回忌の日々である。

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三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。
1981年、京都薬科大学卒業。
1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。
著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女を生きる覚悟』など多数。最新刊は『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)。

女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言

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