おせっかい宣言

第34回 妾という解決

2017.03.23更新

 今が旬、尾上菊之助さんの役者としての一瞬、一瞬の変化を見逃したくないと思っているので、舞台に出かけてゆく。2月の歌舞伎座では「梅ごよみ」という演目がかかっていた。歌舞伎は結構重くて暗い演目も少なくないけれど、これは軽めで、美しくて、とても楽しくて、笑うところも多くて、春の喜びが感じられるような演目。菊之助さんは仇吉、という美しい深川芸者を演じている。筋の基本ラインは割と単純で、染五郎さん演じる丹次郎という、お嬢さんの許嫁もいる「美しくていい男」を、芸者仇吉と、もう一人の深川芸者、米八が張り合うというお話。それに、家宝の「茶入れ」が盗まれた、とか、取り返す、とかいう話が絡んでいくのだが、基本的には、女三人で一人のいい男を取り合う、という他愛のない設定です。

 今回は勘九郎さんがいい持ち味で米八を演じておられる。米八はご器量はともかく面倒見と気っぷの良い、情の深い芸者で、許婚がいることは知っているが、丹次郎を自分の家に住まわせて面倒を見ている。仇吉の方は、絶世の美女。舞台の最初に、屋形船に乗った仇吉は、別の船に乗っている丹次郎を見かけ、「いい男だねえ」としみじみとつぶやき、その後、丹次郎に近づいていくのである。菊之助さん演じるこの場面の美しさは、もう、この世のものとも思えない。こんな素晴らしい場面を見せられて、それだけでもう、歌舞伎座を出て帰ってもいい、と思うくらいだったが、帰らずに最後まで観た。

 絶世の美女に迫られた丹次郎は当然仇吉とも良い仲になる。そのあとはもう、米八と仇吉で、下駄を投げるやら、打ち据えるやら、羽織を踏みつけるやら、三味線のバチで殴るやら、男をめぐって二人で大乱闘が展開され、巷の話題になったりするのであるが、最後は、丹次郎はさっさと許婚のお嬢さんと祝言を挙げてしまう。男をめぐって大乱闘していたというのに、当の男は別のお嬢ちゃんと結婚してしまうなんて、「しらけるねえ」と米八にぼやく仇吉のセリフで幕となる。同じ男を愛して取り合ったのに、その辺のお嬢ちゃんと結婚されちゃったことによる、敗者同士の連帯感は、おかしいだけじゃなくて清々しい。。

 菊之助さんの説明によると、「しらけるねえ」で、幕にはなるのであるが、お話としては、その後、この仇吉と米八は「丹次郎の妾になる」ということで、丸く収まるのだそうである。丹次郎と結婚したお嬢様だったお蝶さんと、この芸者二人は、丹次郎をめぐって、三人で結構仲良くシスターフッドの絆の元に暮らしたのだ、とか。それを聞いてなんだかとってもいい話だなあ、と思ってしまって、私の頭は、その後、「妾という解決」でいっぱいになった。悪くないんじゃないか、妾。人間だから、いろんなことがある。いくら、親同士が決めた、あるいは、家の体面のために、あるいは子孫を残すために、あるいは生活の安定のために、あるいは、誰かを思い切るために、「この人でいいかな」程度で結婚するとしても、いい大人であれば、それまでに思いを通わせた人は何人かいるものだろう。

 米八は丹次郎を住まわせて、食べさせていたのであり、仇吉も、それこそ燃え上がるような恋を丹次郎と経験していたのだ。結婚したからといって、そんなにさっぱりその二人のことを「切れる」ものだろうか。「切って」しまうとしたら、それはあまりにも薄情な話に聞こえるし、「切れない」としたら、それはそれで、結婚しているのに「不義な仲」、要するに、今ふうに言えば、不倫を続ける、ということになってしまう。切っても切れなくても、人間の情、や、心のあり方、ということからすれば、あまりよろしくない解決となる。丹次郎は結婚しましたが、情を通わせていた二人の女も切ったりしないで、妾にしました、は、時代は違うとはいえ、いい話だなあ、と思ってしまったのである。

 いい男というのは、要するにいつの時代もモテるのであり、黙っていても女が放っておかない。丹次郎という男は、勘当されている、とかで、実際に仕事はしているんだかしていないんだかよくわからなくて、人間関係に翻弄されたり画策したりということはやっているものの、「バリバリ仕事してます」というタイプじゃないんだけど、要するに色男なのである。そして、お嬢様と結婚したのだから、経済的にも余裕が出たことであろう。結婚して経済的に余裕が出たから、妾も持てる、というのはまことに良い話に思えたのだ。丹次郎は、妾二人にどの程度の経済的援助をしたのか、は、実は怪しい。仇吉も米八も、売れっ子の芸者だったのだから、家くらいは自分で持っていたのかもしれない。妾はもちろん男が家を買い、金を出して囲うのが前提だから、丹次郎は金は出していただろうが、どれほどの甲斐性があったのかはわからない。

 女にとって、バリバリ仕事をしている甲斐性のある男ばかりがいいわけじゃない、というのは、いつの時代も変わらない。ちょっとくらい金がなくても、いい男には、惚れていたいし可愛がってもらいたいのである。自分が甲斐性があれば、そんなに甲斐性があるわけじゃないいい男の妾になることも不可能じゃない。昔は芸者に髪結いが甲斐性のある女性だったのだろうが、今は男女共同参画の時代で、女性が金を稼ぐことで輝ける存在になるように首相以下頑張っておられるようなので、甲斐性のある女性はたくさんいる。甲斐性のある女だから、男に養ってもらおうなどと思っていなかったりするし、そういう女はどんどん増えている。恋愛こそが人生で一番素晴らしいものだから、恋愛はするけれど、甲斐性のある女なので、つい、金のない男に食事からお茶からホテル代まで出してしまったり、男を家に連れて帰ってきちゃって半分、住まわせたりしてしまうのである。「いい男」はおおよそ早めにほかの女のものになってしまっているので、だいたい結婚していることが多いのだが、甲斐性ある女は結婚している男と恋愛すると、一夫一婦制の幻想に縛られているため、自分がせっせと貢ぐことで、いつかこの男は妻を捨てて自分のものになってくれる、と思ったりする。しかしながら、結婚している男は、おいそれと離婚したりしない。そこで、甲斐性のある女たちは、甲斐性があるものだから、そのまま働き続けて、不倫を続け、生殖期をあっという間に過ぎてしまい、結婚もできず子どもも産めず、独身で生涯を過ごすことになってしまったりするのだ。私はこれを痛ましいこと、と思う。

 明治の法律では妾が公認されて二等親とみなされていた時代もあるのだが、今は当然、公的には認められていない。公的には認められていない、と言っても、存在しないわけではない。妾になれば、妻も認めているわけであり、不倫ではない。隠れて不倫をするわけではないのだ。認められているから、子どもも持てる。「妾という解決」は、今、の非婚、少子化時代の一つの出口にならないのかなあ。

 ならないだろうなあ。私たちはあまりに恋愛幻想と一夫一婦制を同じものと考え過ぎているから、だいたい、妾、ということを今は「妻」が認めることができまい。私だけの人だと思っていたのに、どうして他の女がいるの、そんなことするくらいなら、離婚してちょうだい、ということになるのだろう。そうして、妻から申し出て離婚、となれば不倫している夫はこれ幸いかもしれないが、離婚を申し出た妻は、生活力があるとは限らず、シングルマザーになって貧困に陥ったりする。妻から夫を奪った甲斐性のある女は、妾じゃなくて、妻になるが、そういうことをする「いい男」は、また引き続き、他で不倫をするだろうから、同じストーリーが繰り返される。「妾という解決」の道は遠い。しばらくは男も女も一夫一婦制の幻想の元で、愛し合ったり、不倫したり、傷ついたり、悩んだりするしかないのでありましょう。

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三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。
1981年、京都薬科大学卒業。
1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。
著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女を生きる覚悟』など多数。最新刊は『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)。

女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言

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