おせっかい宣言

第33回 家で生まれて、家で死ぬ

2017.02.24更新

 これだけ医療が発達した国にあって、なぜ、家で生まれて家で死ななければならないのか。当然、生まれることも、死ぬことも、どちらも病院で起こって、しかるべきもの、と今は大体の方が思っておられるのであろう。「何があるかわからないから」というのが、生まれることも死ぬことも、病院で取り扱う、というおおよその理由であると思うが、「何かあったら」大変なのは、実は病院にいても、同じなのだ。「計画された自宅分娩」(要するに、もともと家で産もうとおもって助産師や医師に頼んだり、準備を整えたりして、家で産むこと。うっかり家で産んじゃった、というのではない)は、病院での分娩と比べてもより安全なくらいだ、というデータはもう、ずいぶん前にアメリカから報告されていたものだ。

 それでも、「産むこと」と「死ぬこと」を身近でつぶさに観察する機会もないままに人間が育つようになって、すでに3世代目くらいにかかっているから、お父さんもお母さんもおじいちゃんもおばあちゃんも「知らないねえ」ということを、若い人が選ぼうとするはずもない。具体的に言うと、若い女性が「私、助産婦さんに助けてもらって、自宅で子どもを産みたいんだけど」などと言おうものなら、父も母も舅も姑も、はたまた祖父母たちまでが「そんな、あんた、何かあったらどうするの。いざという時のために大きな病院で産みなさい」とおそらく全員一致で言うと思う、ということである。家族の誰もが知らないことを、しかも、病院にかかることがほぼ全国民に保証されるようになっている今、なぜそんな、ひいじいちゃんやひいばあちゃんの時代に戻るようなことをしなければならないのか、と家族全員が思うのである。かくして、家族には相談しないで自分でさっさと助産院などを決めてしまうような、トーンとしては親不孝に属するくらいの娘でないと、開業助産師に介助してもらう自宅出産はできなかったりするのだ。

 死ぬことについても、誰かが家でだんだん弱っていって、亡くなっていった、などという死に方をみていないものだから、年寄りになって死期が迫ったり、病を得て弱ったりしていくと、とても自分自身が家で死ぬことを上手く想像できない。よほどの迷惑を家族にかけてしまう、と思い、とても家で死ねない、やっぱり病院で世話になりたい、と思う人が大半ではないか。家族の方も、死にゆく人をみたことなど一度もないのに自分が親しい人が死んでいくことを自分自身が支えられるのか、という心もとなさがあると思う。当たり前である。経験がないのだから。私たちは、お勉強とか、お仕事、とかパソコンの扱いとか、スマホの使い方とか、3世代前と比べるとずっといろいろなことができるようになったが、多くの人間が人類としてやってきたことについては、「圧倒的経験不足」のまま、成人し、老齢に至ろうとしているのだ。
 
 東京多摩地区、というのは、東京の真ん中、23区の外側にあり、三鷹市、国分寺市、立川市など「区」じゃなくて、「市」があるので、「市部」と呼ばれるところでもある。都心まで早くて30分、一時間とか一時間半とかそれ以上かかってしまうところがほとんどで、まあ、はっきり言って東京都内の「割と、いなか」に位置する。しかし、都心には抵抗のある人や、こだわりを持って生きている人などが結構多い地区で、概して環境も良いところなので、というか、意識して良くしよう、という人たちが多いところなので、いろいろと興味深いことがあれこれ起こっているところでもある。

 多摩地区は、珍しく、「開業助産師」を選べる地区である。少なからぬ助産師が助産院を開業していたり、自宅出産を介助したりしている。国分寺市の矢島助産院は、その「ハブ」のような助産院である。ここがあるから、多摩地区の開業助産師の数が多いのである。みんなここで研修し、開業する。院長の矢島床子さんは何度もテレビ番組で取り上げられている方だから、ご存知の方も少なくないであろう。同じく多摩地区の国立市には、訪問診療の草分け的存在で、終末期医療とケアに関して良く知られた著書もあり、数多くの提言をしておられる新田國夫先生が開業しておられ、国立市の在宅医療を支えておられる。つまり「家で生まれて家で死ぬ」取り組みは、多摩地区ではすでに結構長い実践が積み重ねられてきているとも言えるのだ。他の地区と違って。

 我が職場である津田塾大学も、東京多摩地区、小平市にある。大学の中及び周囲は森が広がり、タヌキが生息し、こぶしほどの大きさのガマが女子学生を驚かし、数多の珍しい植物などが学内に生えているそうで、「東京の大学」というと、詐欺みたいに思われるほど(この春からオリンピックセンターのある千駄ヶ谷駅前にも新学部ができるので東京の大学らしいところも出来ますから、許してください)豊かな自然の中に位置している。瀟洒なブリティッシュスタイルの美しい学舎があり、「気」の良い大学である。さすがに100年以上も、「女性によりよく生きて欲しいものだ」という祈りが積み重なると、このように、清々しい場になるのだ。毎朝、我が職場に着くたびに、なんと私は美しいところで働いているのだろう、と思い、津田梅子先生、ありがとう、と思わざるを得ない。ここは私の母校ではないが、こういう場で二十歳前後の若い時間を過ごせる人の幸運をいつも思ってしまう。人が育つ場、である。しかしその「田舎ぶり」は如何ともし難く、地方からの学生さんも、育った街の方がよほど都会であり、ここは東京とは思えぬ、とおっしゃる。しかし、一挙に23区内の都心に放り込まれるより、この多摩地区にあるサンクチュアリーで訓練し、東京というところに慣れながら卒業後、一気に都心に向かう、というのは、悪くないオプションに見える。

 この多摩地区の津田塾大学で、多摩地区の「家で生まれる」側代表、矢島助産院矢島床子先生と、「家で死ぬ」側代表、新田クリニックの新田國夫先生をお呼びして、2016年の末、「家で生まれて家で死ぬ」というシンポジウムを開催した。このお二人はほぼご近所と言える距離で仕事をなさっているにもかかわらず、今まで会うこともなかったという。しかし、双方の話は、打ち合わせもなしでぴったりと軸が定まり、いささかの齟齬もない。もともと人類が延々と続けてきたことを継承していくことには、根源的な喜びがともない、あるいは、想像を超えるような励ましがビルドインされていることを、参加者に強く印象付けた。ほとんど宣伝らしい宣伝もしなかったのに、かなりの聴衆が集まり、活発な議論となったことを見ると、やっぱりみんな、このことに興味があるのだ。人はどのようにして生まれ、生き、死に、そしてその周りにいる人はどのようにその生死に関わるのか。そのことに関わることは、周囲の人間をどれほどに励まし、支え、紐帯を強くするのか。私たちが3世代を超えて忘れてきたことを、お二人の具体的な話によって、参加者たちの世代を超えた記憶が呼び覚まされていくようだった。

 「家で死ぬ」ことは、おそらく「家で生まれる」よりも、早く私たちの手に取り戻されるであろう。それは、今、生きて現役で働いて、意思決定をしている世代が、この「記憶」に気付けば気付くほど、「自分もそのように死にたい」と思うようになり、そのような制度設計に加担していくであろうから。それが広がっていけば、その先には、「家で産む」ことへの取り組みがさらに広がっていく可能性があることを疑わない、と言っておこう。生と死は連動しているのである。


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三砂ちづる(みさご・ちづる)

1958年、山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。
1981年、京都薬科大学卒業。
1999年、ロンドン大学PhD(疫学)。津田塾大学国際関係科教授。
著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女を生きる覚悟』など多数。最新刊は『女たちが、なにか、おかしい おせっかい宣言』(ミシマ社)。

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