プロに論語

第2回 イントロ・その2

2016.02.18更新

孔子は「惑わず(不惑)」とは言わなかった

 もうひとつ気づいたのは、現代流布している『論語』の本文の中には、孔子の時代にはまだ存在していなかった文字が多く使われているということです。

 書物としての『論語』が成立したのは孔子が亡くなってから400年もの年月が経ってからです。その間は口承によって代々語り継がれてきたのですが、口承が時代の流れの中で無意識のうちに変化してしまうことは、能の伝承でも明らかです。

 この、孔子の時代にはなかった『論語』の文字を、孔子時代の文字に戻して読んでみると、『論語』の内容が全然違うものになるのです。

 たとえば『論語』の中でもっとも有名な言葉である「四十にして惑わず」の「不惑」。この語でいえば「惑」という字が孔子の時代にはありませんでした。「惑」という漢字がないということは、少なくとも孔子は「惑わず(不惑)」とは言わなかったということになります。

 これってびっくりでしょ。「不惑」の中の「惑」がなかったら、全然違う意味になってしまいます。じゃあ、孔子は何といったのか。それを考えるときには、簡単にいうと・・・

(1)字形が似ていて(偏などを取ってみる)、
(2)しかも古代音が類似しているもの

...を探します。

と、見つかるのが「惑」の下の心を取った「或」の字です。当時の文字ではこんな形になります。


 現代では「或いは」という意味で使われている「或」ですが、この「或」に「土」をつけると、地域の「域」になります。また、「口」で囲むと「國(国)」になる。ともに「区切られた区域」をあらわします。

 地域を表すのが左側の「口」、城郭で囲まれた土地です。右側の「戈」は棒に武器をつけた形で「ほこ」です。子どものころ地面に棒で線を引いて「ここからこっちは俺の陣地、入るな」とかやったでしょ。あれです。棒の代わりに武器である戈を使いました。

 すなわち「或」とは、境界線を引くことによって、ある場所を区切ることをいいます。分けること、限定することです。となると「不惑=不或」とは、「自分を限定してはいけない」という意味になります。

 人は四十才くらいになると「自分はこんな人間だ」と限定しがちになる。「自分ができるのはこのくらいだ」とか「自分はこんな性格だから仕方ない」とか「自分の人生はこんなもんだ」とか、限定しがちになります。

 「不惑」とは、四十才くらいは「そういう心の状態になるので気をつけなさい」、「四十才こそ自分の可能性を広げる年齢だ」という意味になるのです。

 ね。現代、私たちがイメージする「四十にして惑わず」の「不惑」とはずいぶん違う意味になるでしょ。

 で、これは能を大成した世阿弥も同じようなことをいっています。

 「初心忘るべからず」です。

 初心の「初」は「衣」偏に「刀」。着物を作るためには布地に刀を入れなければならない。それを表すのがこの漢字です。きれいな布地にわざわざハサミを入れるのは、ちょっと怖い。でも、それをしなければ着物はできない。だから勇気をもってバッサリいく。そのような心で、古い自分をバッサリ裁ち切り、新たな自分を見つけていく、それが「初心」なのです。

 若い頃はそれでもまだいい。年を取れば取るほど、いまの自分を捨てることや、過去の栄光を切り捨てることが怖くなります。それが本当に怖くなり始めるのは当時でいえば四十才、今ならば五十才~六十才くらいでしょう。だから四十が「不惑(或)」なのです。

 このように孔子の時代の漢字で読むと、全然違う意味になる章が『論語』の中にはいくつもあります。この連載でも『論語』の本文は、必要なときには孔子時代の文字に直したものも紹介しようと思います。


『論語』の「社会的資源」としての可能性

 さて、『論語』や能のように長く人々に受け継がれているものは、ある種の「社会的資源」ではないかと思っています。

 「資源」というのは「さまざまなものに利用しうる有用物」のこと、その代表としては、現代の文明を支える石油資源を挙げることができるでしょう。石油はガソリンや軽油として加工されればクルマの動力源になり、灯油として加工されれば冬場の寒さを凌ぐ熱源にもなります。火力発電の燃料としても使われていますし、プラスチックや化学繊維の原料にもなります。

 『論語』も石油と同じように、さまざまな分野に応用することができます。ある人がある問いを持って『論語』と向き合うと、『論語』はふさわしい答えを返してくれます。音楽家が問いを投げ込めば音楽の答えが、スポーツ選手が問いを投げ込めばスポーツの答えが、政治家が問いを投げ込めば政治の答えが、『論語』のほうから返ってきます。
なぜ『論語』が、それほど多彩な引き出しを備えているかというと、『論語』の主人公たる孔子が、類まれな多芸多才な人だったからです。本人は、「自分は若い頃、賎しかったから多芸なんだ」と言ってますが、一般的には本職と見なされている政治や思想のほかにも、詩をたしなみ舞を舞い、音楽を奏で、料理についても深い造詣がありました。

 このたび、「プロに『論語』」と題して、さまざまな道のプロの方々と『論語』を語らう連載を始めたのは、多彩な引き出しを持つ『論語』を、「社会的資源」として少しでも有効活用したいと思ったからです。
 「資源」は、それを掘り出して精製・加工し、流通する人がいなければ、社会に住む私たちはその恩恵にあずかることができません。「社会的資源」たる『論語』も、その例に漏れません。
 『論語』のなかに潜む資源を掘り起こす役割を私が担い、掘り出した資源を(石油のメタファーになぞらえるなら原油を)さまざまな道のプロの方々に投げかけると、『論語』はどのように精製・加工され、新たな光を放つのか――。『論語』の「社会的資源」としての可能性を、私自身含めて、ひとりでも多くの人に感じていただきたいと思っています。

 初回の対談相手としてお願いしたのは、俳優・お笑いタレント・小説家・作詞家・ラッパーなどとしてマルチな才能を発揮するいとうせいこうさん。孔子の多芸多才ぶりを引き出すのにふさわしい方です。
 そんないとうさんとは、「音楽」をテーマに『論語』の世界に足を踏み入れましたが、私のちょっとした投げかけから、いとうさんがさまざまなことを着想され、それに私が刺激され...、話は思わぬ方向へと広がっていきました。「笑い」や「芸能」の起源に迫る興奮の対談を、次回お届けします。

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安田登(やすだ・のぼる)

1956年千葉県銚子市生まれ。高校時代、麻雀とポーカーをきっかけに甲骨文字と中国古代哲学への関心に目覚める。高校教師をしていた25歳のときに能に出会い、鏑木岑男師に弟子入り。能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を東京(広尾)を中心に全国各地で開催する。また、公認ロルファー(米国のボディワーク、ロルフィングの専門家)として各種ワークショップも開催している。著書に『能に学ぶ「和」の呼吸法』(祥伝社)、『身体感覚で「論語」を読みなおす。』(春秋社)、『異界を旅する能ワキという存在』(ちくま文庫)『本当はこんなに面白い「おくのほそ道」』(実業之日本社)、『あわいの力「心の時代」の次を生きる』『イナンナの冥界下り』(ミシマ社)など多数。

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