プロに論語

 『論語』には豊富な引き出しがあり、さまざまな場面に応用することができます。いわく、『論語』とは石油資源のようなもの。それを可能にするのは、『論語』の主人公たる孔子(紀元前552-紀元前479)が、多芸多才なマルチタレントだったからです。
 このたび、「プロに『論語』」と題してさまざまな道のプロの方々と『論語』を語らう連載を始めたのは、多くの引き出しを持つ『論語』を、「資源」として少しでも有効活用するためです。

 連載初回にご登場いただくのは、俳優・お笑いタレント・小説家・作詞家・ラッパーなどとしてマルチな才能を発揮するいとうせいこうさん。孔子の多芸多才ぶりを引き出すのにふさわしい方です。そんないとうさんと、まずは「音楽」をテーマに、『論語』について語らいます。
 孔子が手がけた「音楽」とは、現代のそれとはかなり違う意味合いを持っていたのでした。

(構成:萱原正嗣)

第3回 音楽と論語 いとうせいこうさん(1)

2016.03.14更新

孔子にとって「音楽」とは何か



安田ではさっそく始めましょう。いとうせいこうさんはラッパーでもあるので、『論語』の中の「音楽」というテーマでお話をしたいと思っているのですが、『論語』と「音楽」。まるで結びつかないと感じる人も多いかもしれませんが、実は『論語』において、「音楽」はもっとも重要なもののひとつなのです。

いとうそれ、僕も含めて多くの人にとって意外ですよね。

安田『論語』を通読すると、孔子は音楽家としての側面が大きい、ということがわかります。自分で演奏もするし作曲もする、そして音楽収集家でもあるんです。

いとう音楽の分野だけでも、マルチにいろいろ手掛けていたんですね。

安田はい。『論語』における「音楽」の重要性を示すのが、次の一文です。

 子曰はく、詩に興り、禮(礼)に立ち、樂(楽)に成る

 ここで「樂(楽)」とあるのが「音楽」のことです。正確には、いわゆる音楽とは違うのですが、それはあとでお話することにして、この章句は、孔子の学団に入った人が学ぶべき順番を語っています。まず「詩」を学び、次に「禮(礼)」を学び、最後に「樂(楽)」を学ぶ。それによって人格が完成する、すなわち「成る」のだと、孔子は言います。それぐらい、「樂」は孔子にとってもっとも重要なものなんです。

いとう今の感覚だと、まず「樂」から始めて、次に言葉、つまり「詩」を学び、最後に人としての「禮」を学ぶと考えちゃうと思うんですけど、逆なんですね。

安田そうなんです。で、この「樂」ですが、僕たちがいま考える音楽とはちょっと違っていて、まず「樂」には必ず「詩」が含まれます。

いとうなるほど、歌詞がある。

安田そうそう。そして舞も含まれる。

いとうダンスも入ってるんだ。

安田 さらに、それらには儀礼的要素もある。で、この儀礼というのが、これまた現代の儀礼とはちょっと違っていて、神霊や祖霊と交信したり、人が変容したりするためのものなんです。だからただの音楽というよりも、ワーグナーの舞台神聖祝祭劇のような......。

いとう決まった構造があって、それに従って歌を歌って舞を踊るというわけですね。

安田そう、そう。そして神霊とも交信しちゃう。「樂」とはきわめて楽劇的なものなんです。


「樂」に秘められたおそるべき力

安田その「樂」がどう重要だったかを探る手掛かりになるのが、先ほど紹介した「樂に成る」という表現です。この「成る」という言葉は、完成の「成」であり、生成の「成」なんですが、もうひとつこの「成」には「誠」の意味もあるのです。孔子の時代はまだ「誠」という文字がなかったから「誠」の意味で「成」の字を使っています。
 で、この「誠」というのも、僕たちが考える「まこと」とは全然違っていて、儒教において『論語』と並んで重要な書である『中庸』の後半部分で詳しく解説されていますが、そのことを話していくと何時間もかかってしまうので、新渡戸稲造が『武士道』の中で説明したところがよくまとまっているので、それを紹介しますね。

 孔子は、「中庸」に於いて誠を尊び、これに超自然力を賦与し、ほとんど神と同視した。曰く「誠は、あらゆるものの終始なり。誠ならざれば何もなし」と。彼は更に、誠の濃厚にして悠久たる性質を熟考し、その力が、意識的に動かすことなく変化を生み出し、無為にして目的を達成することにつき滔々と述べている。

 ね、すごいでしょ。「誠」、すなわち「成」には「超自然力」があり、それは「神」と同視されるような存在で、しかも無為の力で変化を生み出し、目的を達成しちゃうんです。「誠(成)」は、その超自然力によって人を死に至らしめたり、元気にさせたり、雨を降らせたり、そういう力を備えています。「樂」も、おそらくその性質を持っていた。だから「樂に成(誠)る」という表現になるなんです。

いとうそれはつまり、「樂」には呪術としての力があった、ということなんでしょうか? 天気を変えたり、人を死に至らしめたりっていうのはとんでもない力ですよね。

安田はい。そして、それは同時に、人を元気にする力も備えていました。似たようなことは実は現代でもあって、たとえば、ある人にとっては非常に心地いい音楽が、別のある人にとっては不快極まりない、ということがあるでしょ。チベットの知人が声明(しょうみょう)公演でニューヨークに行ったときは、観客に気持ち悪くなる人が続出して、「悪魔の和音」と言われたことがあるそうです。

いとう日本人が聞くと、声明は気持ちいいですけどね。


音楽の本質は「振動」にあり

安田 なぜ同じ音楽なのに、聞き手によってまったく違って聞こえるかというと、どうも倍音がキーなのではないかと思うんです。声明は「倍音」(*)を多く含みますよね。そのなかに西洋音楽では絶対に出ない倍音が含まれていて、それを西洋人が、というか西洋音楽に慣れ親しんだ人が聴くと、不快に感じてしまうようです。日本人でも、西洋音楽の教育しか受けていない人には、気持ち悪く聞こえるのかもしれません。

いとうなるほど、「樂」は呪術というのも、すごく具体的なことなんですね。西洋の教会建築は、声の倍音が上で鳴るようにタテに長くなっていますが、日本の場合は、能舞台もそうでしょうけど、床で音をどう鳴らすかみたいなところがありますよね。そういう文化によって慣れ親しんだ音の違いが、快・不快を分けているということなんですね。

*倍音:音の実体は空気を振動させる波で、音の高さは、単位時間あたりの振動数で決まる。この振動数のことを「周波数」といい、周波数の高い(振動数の多い)音ほど高く聞こえ、周波数の低い(振動数の少ない)音ほど低く聞こえる性質がある。「倍音」とは、もとになる音の整数倍の周波数を持つ音のことを指す。西洋音楽(西洋の楽器)と東洋音楽(東洋の楽器)とでは、倍音の出方が異なることが知られている。

いとう話がちょっとそれますけど、僕は音楽の何が気持ちいいかって、倍音なんです。倍音をいい感じで出してくれるミュージシャンが大好きで、だからこそ、音楽は生で聞く必要があると思っています。ヘッドホンでは倍音はほとんど鳴らないし。それを体感しに、クラブやライブ会場に行っているようなものです。空気全体がブーンって振動しているのを感じるのがやっぱり気持ちいいというか。

安田すごくよくわかりますね。

いとうでも、人によってその感じ方はずいぶん違うし、倍音を出すのが得意なミュージシャンって、属性がけっこうはっきり分かれるんです。倍音をぶんぶん鳴らしてるのはジャマイカ人とかが多くて、白人でそういう音を出す人はあんまりいないというか。そもそも、音楽の聞き方自体も違うかもしれないですよね。僕が好きなタイプの音楽は、耳で聞くというよりも、空気の振動を体で感じて、体がブーンって震えるのを気持ちよく感じている気がします。そういう違いを実感しているから、さっきの「樂」の説明、聴く人によって快・不快が分かれるというのはすごくよくわかります。

安田音楽を耳で聞くっていうこと自体、かなり新しいことのような気がします。特に能の謡や声明なんていうのは、体で聞くものだと思います。

いとうそう言えば、ミュージシャンの細野晴臣さんが、小さいころ体の調子が悪くなるとスピーカーの上に乗って、ベースの低音のブーンっていう振動で治ると思ってたっていう話を思い出しました。やっぱりすごい人ですよね(笑)。本人もなんでそう思ったかは覚えてないって言ってましたけど。きっと、音楽の本質は振動なんだってことですよね。詳しいことはわかりませんが、最先端の物理学では、素粒子は常に振動しているとか言いますし。宇宙そのものがバイブレーションで成り立っていると考えれば、音楽も振動を感じるのが本来の姿なのかもしれませんね。って、脱線すいません。話を戻しましょうか。

安田いえいえ、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』もそうですね。


「心」が生まれた時代に

安田「樂」が持っていたのは、そんな音楽の力のもっとすごいやつじゃなかったかと思うのです。

いとう要するに呪術だと。孔子が「樂」を重視したということは、そういう呪術の力を何かに活かそうとした、ということなんですか?

安田ええ。ただ、孔子の時代にはもうすでに「樂」の呪術的な力は失われてしまっていて、孔子はその復興を目指していたんじゃないか、と思うのです。

いとうそうなんだ。じゃあいつの時代まで、「樂」には呪術的な力があったんですか?

安田「樂」の呪術的な力が最大だったのは「殷」王朝の時代だったんじゃないでしょうか。ただ、楽器が多く出土するのは、その後の「周」の時代のものなのですが。

いとうこの辺で、ちょっと時代背景を整理させてもらっていいですか。孔子はそもそも、いつの時代の人なんでしたっけ?

安田孔子が生まれたのは紀元前552年、亡くなったのが紀元前479年(異説あり)、中国の時代区分で言えば「春秋時代(紀元前8世紀~紀元前403)」の終わりごろの人です。「殷」王朝(紀元前17世紀ごろ~紀元前1046)のあとに「周」王朝ができて、「周」が弱体化して国が分裂した時期が「春秋時代」です。ですから、孔子が生きていた時代の500年ぐらい前までは、「樂」に呪術的な力があったと孔子は考えているわけです。

いとうそのときと孔子が生きていた時代との間に、いったい何があったんですか? なんで「樂」から呪術の力が失われてしまったんでしょうか?

安田ね。「殷」王朝を滅ぼしたのは「周」王朝なわけですが、おそらく「周」の時代というのは呪術的なものを排除しようとする時代だったのではないでしょうか。

いとう安田さんお得意の「漢字」の誕生はどの時代になるんでしたっけ?

安田いま見つかっている最古の文字資料は「殷」王朝の後半、三千数百年前のものです。その文字というのは、亀の甲や動物の骨に刻まれた「甲骨文字」や、青銅器に鋳込まれた「金文」のことです。これからの古代文字は形こそ変化しますが、現代に伝わる「漢字」と同じ構造をしていて、「甲骨文字」や「金文」が形を変えて今の「漢字」になりました。その古代文字にも、「殷」から「周」の変わり目に大きな変化がありました。それが、「心」という文字の誕生です。それまでの古代文字には「心」という文字が一切見られませんでしたが、紀元前1000年ごろを境に、「心」という字が古代文字にも見られるようになります。

いとう「心」によって、呪術のような非合理なものを抑えこもうとした、ということなんでしょうか。

安田抑えこもうとしたのか、あるいは自然に抑えこまれてしまったのか、「心」の発明、人間の「心」、つまり意志によって作り出された秩序が呪術を排斥するようになったのかも知れません。「心」ができる前の「殷」の時代には、超越者(神)には「帝」の字が使われていました。「帝」というのは甲骨文字ではこう書きます。

 これは大きな生贄の台です。上帝という言葉も殷の時代にはありますから、殷の時代の超越者は生贄を欲する、まさに上空にいる神のような存在でした。ところが「周」に時代になると、超越者は「天」になります。こんな字です。

「天」の字は、人が両手両足を開いた形を描いた「大」という字の上に、大きな丸(一)を頭部につけた形で、これは人間の頭部を強調した文字です。超越者は上空から人の中に入ってきたのです。「神は死んだ」という実存主義的な考えが、すでに紀元前1,000年には中国で生まれていたのです。ですから、呪術のような非合理なものを排除して、「心」によって秩序だった社会を構築しようとしたのが「周」の時代、と言うことができます。孔子も、むろんそのことはよしとしていたのですが、しかし「詩に興り、禮に立ち、樂に成る」の「禮(礼)」はすなわち秩序のことなんですが、「樂」の呪術もやっぱりすごい、それを使いこなすことができるのが理想的だと考えたわけです。


「樂」の呪術としての力

いとう呪術としての「樂」の力って、具体的にはどんな話が伝わってるんですか?

安田ひとつは、「樂」には国の盛衰を左右するほど強大な力があったことを示唆する話があります。「殷」が「周」に滅ぼされる少し前、2人いた王子の1人が殺され、1人は発狂(佯狂とも)しますが、それだけでは「殷」は滅亡に至りませんでした。「周」が「殷」を滅すことを決めるのは、「殷」から楽師たちが亡命してきたことがきっかけでした。音楽を司る役人のような人たちが、楽器を持って「周」にやってきたときに、今こそ「殷」を滅ぼすときだ、という展開になりました。つまり、「樂」を失うということは、国が滅ぶ前兆になるような、そういう重要な意味を持っていたんです。

いとう「樂」ってすごいですね。

安田もうひとつは「樂」のもつ武器的な力です。「桑林(そうりん)の舞」の話が『春秋左氏伝』に載っています。『春秋左氏伝』というのは、孔子が編纂したと伝えられる歴史書『春秋』の注釈書のひとつですが、その中に載っている「桑林の舞」の話が不思議なんです。

 時は襄公10年(B.C.563)ですから、孔子の生まれる少し前の話です。「宋」の国の王(宋公)が「晋」の国の王(晋侯)を饗応したときのことです。

いとう「宋」とか「晋」というのは?

安田「宋」というのは「周」に滅ぼされた「殷」の末裔の国です。敗北者の国ですから、寓話の中では、いつもちょっと馬鹿にされています。それに対して「晋」は当時の中国でいちばん大きな国で、いわば小国の「宋」が、大国の王を招いて饗応するという構図になっています。そのとき宋公は「桑林の舞をお見せしましょう」と提案をしました。ところで晋侯のいちばんの家臣の荀罃(じゅんおう)という人は、「絶対やめたほうがいい」と言って止めるですが、これは実はすごいことなのです。なかなかこういうことはいえません。
 だって「桑林の舞」というのは、古代の中国人ならば誰でも知っていた、しかし誰も見たことがないという伝説の舞です。これは殷代にあった「樂」のひとつで、それを舞うとどんな干天の日でも必ず雨が降ると言われていた幻の舞です。また、それだけじゃなく、包丁(ほうちょう)の語源で知られる伝説の料理人、「庖丁(ほうてい)」が中国にはいたのですが、、彼が牛をさばく姿はまるで「桑林の舞」のようであったという言い伝えがあるくらいに、その舞の名は、伝説として知られていました。
 そのくらいの舞ですから、絶対見たいと思うでしょ。でも、どんな呪術が秘されているかわからない。だから、荀罃(おう)は止めたのです。

いとうあれ、でも「樂」の呪術としての力は、「殷」の時代で失われてしまったんじゃなかったでしたっけ?

安田そうなのです。たしかに、「殷」が滅んだときに「樂」は公の舞台から失われてしまうのですが、でも桑林の舞を伝承している「宋」という国は殷の末裔の人たちが封ぜられた国ですから、どんな呪術が秘密裏に伝承されているかわからない。それを畏れて荀おうは止めるのですが、そんな有名な舞だし、めったに見られるものじゃないから、ほかの家臣は、「こんな珍しいものを見ることはできないから見た方がいい」と主張します。当たり前ですね。けっきょく見た方がいいだろうということになったんですね。

いとうまあ、せっかくだしね(笑)。

安田するとですね、舞を舞う楽師たちが旗を持ってやってきます。もうそれだけで晋侯は、「やばい!」と言って隣の部屋に逃げ込むんです。部屋にこもって、「旗をどけてくれ、もう桑林の舞は見ない」と言って、まあ桑林の舞なしの宴会にはなったのですが、でも、饗応が終わって帰るときに重い病気にかかってしまいます。で、これを占ってみると、「桑林の舞」のせいだ、ということがわかったという話なのです。

いとう旗だけで効いちゃったんだ。「桑林の舞」おそるべしですね。

安田さっきの声明とか倍音の話をしたでしょ。それのもっと強力なものが、この桑林の舞だったのではないかと思うんです。宋の人たちにはとても心地のいい音楽なんですが、晋の人たちにとっては、死をも招くほどの耐え難い何かがあったのではないかと。

いとうなるほど、そう言われると、呪術としての「樂」というのが何となく想像つきますね。


    

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

安田登(やすだ・のぼる)

1956年千葉県銚子市生まれ。高校時代、麻雀とポーカーをきっかけに甲骨文字と中国古代哲学への関心に目覚める。高校教師をしていた25歳のときに能に出会い、鏑木岑男師に弟子入り。能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を東京(広尾)を中心に全国各地で開催する。また、公認ロルファー(米国のボディワーク、ロルフィングの専門家)として各種ワークショップも開催している。著書に『能に学ぶ「和」の呼吸法』(祥伝社)、『身体感覚で「論語」を読みなおす。』(春秋社)、『異界を旅する能ワキという存在』(ちくま文庫)『本当はこんなに面白い「おくのほそ道」』(実業之日本社)、『あわいの力「心の時代」の次を生きる』『イナンナの冥界下り』(ミシマ社)など多数。

あわいの力

イナンナの冥界下り

バックナンバー