プロに論語

 孔子というと、多くの人が儒教を連想し、孔子は思想家だと思っている人が多いと思うのですが、実はマルチな才能があるという話を、前回のいとうせいこうさんの回でもしました。前回は音楽家としての孔子に注目しましたが、今回は政治家である細野豪志さんをお相手に、政治家・孔子について語ってみたいと思います。孔子は思想家だというのは後世の人たちがつくったイメージで、孔子本人は紛れもない政治家だったのです。

(構成:萱原正嗣)

第7回 政治と論語 細野豪志さん(1)

2016.04.23更新

論語の読み方は自由だ(社会的資源としての論語)

安田細野さんは「論語」はお読みになりますか?

細野子どものときに、父親から「読め!」といわれて読まされました。父親にあんまり反抗する実力もなかった小学生から中学ですね。

安田(笑)素読をされたんですか?

細野はい、素読をしました。あとは大学のときに、社会人で「論語」の勉強会をやっていたグループがあったので、そこで一通り読みました。

安田では、「論語」の中の政治の章については、もうずいぶん読まれていますね。

細野はい。何章でしたか、ありますね。

安田今回の対談に際して「論語」のなかの政治に関する章をピックアップしてみたのですが、政治に直接関係のある章だけでも約60章ありました。

細野そんなにあるんですね。

安田ですね。「論語」は約500章ですから、十分の一以上が政治に関する章なんです。孔子というと思想家というイメージが強いのですが、孔子の第一の性格はなんといっても政治家です。

細野「論語」というと朱子学のイメージもあり、道徳的で、「あるべき論」を説いたもので、「修身斉家治国平天下」のようなことも含めて、非常にカチッとしたものというイメージが強かったのですが、安田先生の本やお話を聞いてみると、非常に柔軟なもので...。

安田はい。

細野以前書かれた、「不惑」の「惑」の「心」がないというお話。私が先生のことを知ったのはあの話なのですが、あのお話がインパクトがあって...。

安田おお、そうですか。

細野で、もう少し「論語」というのは自由に読んでいいものなんだろうなあ、と思っいてたものですから、今回はいい機会をいただいたと思っています。ぜひよろしくお願いします。

安田こちらこそ。ここで、この企画での『論語』の読み方について最初にお話しておきますね。ふたつあって、ひとつは孔子の時代の文字に直しながら「論語」を読んでみたいと思っていることです。

細野孔子が生きていたのは紀元前500年ぐらい前でしたっけ?

安田はい。いまおっしゃった「惑」もそうですが、孔子の時代にはなかった文字も、いまの「論語」にはたくさん使われています。そういうのをチェックしながら読んでいきます。

 もうひとつは、孔子が生きていた時代の文脈をきちんと考えながら読みたいとも思っています。ついつい僕たちは、今の時代の常識で『論語』を読んでしまいがちで、それはそれでありなのですが、せっかくなので、この企画ではどんと古い時代の読み方をしちゃおうと思っています。

 しかも、「この文はこういう意味で、こういう教えがあります」なんていうことは、僕はあまりいわずに、なるべく素のままを示しますので、細野さんもご自由にお考えをおっしゃってください。
 では、最初にこの文を読みましょう。意味を考えずに、まずは一緒に素読をしてみましょう(読者の方も意味は気にせず音読をどうぞ!)。

<原文> 子(し)曰(のたまわ)く、 これを道(みちびく)くに政(せい)を以(もっ)てし、 これを斉(ととの)ふるに刑を以てすれば、 民免れて恥無し これを道くに徳を以てし、 これを斉(ととの)ふるに禮(=礼・れい)を以てすれば、 恥ありて且(か)つ格(いた)る

 先生がいわれた、「[法制禁令などの小手先の]政治で導びき、刑罰で統制していくなら、人民は法網をすりぬけて恥ずかしいとも思わないが、道徳で導びき、礼で統制していくなら、道徳的な羞恥心を持ってそのうえに正しくなる」(『論語(金谷治)』岩波文庫)

安田細野さんは「論語」に親しまれているので、本当は書き下し文ではなく白文(漢字だけの文)をご覧になるのもいいと思います。白文のほうが文字が浮き上がってきます。この章句を白文で見てみると、いくつかのキーワードが対比されていることが見えてきます。

子曰、 道之以政、齊之以刑、民免而無恥、 道之以徳、齊之以禮、有恥且格、

細野「政-刑」のグループと「徳-礼」のグループですね。

安田はい。「政-刑」のグループで治めていこうとすると、民はなんとかそれを免れようとして恥を知らなくなる。

細野「徳-礼」のグループですと恥を知って...ですね。


「刑」とは何か(漢字の読み解き)

安田そうですね。この章句では、いわゆる「法治」主義と「徳治」主義が対比されていますが、この「法治」主義と「徳治」主義は、現代、僕たちがイメージするそれとはちょっと違いますし、また、この章句の中の4つキーワード、「政・刑・徳・礼」は、すべて僕たち現代人も親しんでいる語句ですが、これらもそのままでわかった気にならないほうがいい言葉です。

 「法治」主義と「徳治」主義という統治システムが生まれたのは、紀元前1,000年くらいで、「法治」主義も「徳治」主義も出自は一緒のようです。周の康王(前1002年? - 前993年?)の時代の青銅器である『大盂鼎(だいうてい)』の銘文に、4つのキーワードの中の「法」以外のものが出てきます。

大盂鼎

 一緒に生まれた「法治」と「徳治」が、理論の先鋭化とともに離れていって、孔子の時代には、ずい分違うものになってきてはいますが、それでも底辺には共通点したものが流れていますので、そこら辺も見ていきましょう。

細野はい。


「政-刑」のグループと「徳-礼」

安田というわけで、まずはこの2つのグループの漢字を昔の字体で見てみますね。

 最初は「政」と「刑」のグループです。「政」は「政治」、「刑」は「刑罰」とふつう考えますね。この二つの文字を古い字体で書いたのがこれです。

 最初に「刑」の字を見てください。「刑」の左側は、古い字形ですと「井」になっています。

 「井」というのは木で作られた井枠の象形です。お豆腐などを作るときに、こういう四角い枠に入れて作るでしょう。これに「刂(刀)」を付けると「刑」になりますし、「刑」の字の下に「土」を入れると「型」になります。

 鋳型に押し込めて、型を作ることが「刑」です。現代でいえば「刑」というよりも「法」に近いですね。

細野なるほど...。

安田もうひとつの「政」の字ですが、これは「正」と「攵」でできています。まず、右側の「攵」は、手に鞭を持つ形です。教育の「教」にもこれが付いています。教育の罰で鞭を使うのは、不思議と世界共通です。『雀の学校』でも「雀の学校の先生は、むちを振り振りチイパッパ」ですし(笑)。

細野はい。

安田右の「正」は、足の形で、どこかに「行く」という意味です。ですから、「政」というのは、鞭、すなわち武力や力で征伐する、もともと政治というよりは征伐の「征」、軍事に近い意味でした。

細野ああ、なるほど...。

安田ですからこの対句の前半部分は、「力で民を導き、法で民を鋳型にはめ込もうとすると、民はそこから逃れようとし、しかもそれを恥ずかしいとも思わなくなる」という意味にでもなるでしょうか。「鋳型」のところは「マニュアル」と言ってもいいかもしれません。


「徳」とは何か(漢字の読み解き)

安田では続いて、「徳」と「禮」のグループを見ていきましょう。また、昔の文字で書いてみます。

 まず「徳」という字。右側のつくりですが、「目」を横にした字の上に「十」がついていますね。目をタテにすると「直」という字になります。これは「まっすぐに見る」というのが原義です。「徳」の旧字では心の上に一本線が入ったこういう字「德」ですね。

細野ああ本当だ、たしかにそうですね。

安田左側の偏は「彳(ぎょうにんべん)」。これは「道」の象形です。「道」と「まっすぐに見る」ですから、「徳(德)」というのは、もともとは「こっちの方向に行くといいよ」という行き方を教える意味でした。

細野うん、なるほど。

安田これを「政」との対比で考えると、「政」で導くとは、鞭で打ちながら、「右に行け、左に行け」と教えることを指します。対する「徳」は、そういう武力を使わずに、ただ道だけを教えるということなんです。うまくいく方法だけを教えて、あとは自由に行ってもらう。


「禮」とは何か(漢字の読み解き)

細野では残りの「禮」の字はどうでしょうか?

安田実は「禮(礼)」がカバーする分野は非常に広くて、「禮」とはこういうものだということはなかなかできないのですが、まずは漢字の成り立ちから見てみましょう。
 昔の字体では「示(しめすへん)」がありませんね。でも、「示」は大切なのでお話しておきます。これは「生け贄台の上に生け贄を置き、血が垂れている」様子を象っています。

細野おお...。なかなか、おどろおどろしい...。

安田そうなんです。この「生け贄台」の上に肉を置き、手で持とうとする人の絵を加えると、「祭」という字になります。

細野 カーニバルになるわけですね。

安田そうですね(笑)。「禮」の字の右側ですが、下の部分の「豆」という字は「まめ」ではなく、仏壇に置く台のようなものです。その上の「曲」は、古代文字を見ると、その上に容器を置いて植物(禾=稲)を入れてあるのが見えます。神に捧げる捧げものです。これは、稲の形ですが、それがそのまま稲なのか、あるいはその稲から作った酒なのかはわかりません。宗教儀礼に酒は必需品です。というわけで「禮」の字全体では、供物を神に捧げるということをあらわしています。


では「禮」とは何か

細野その「禮」という文字、意味としてはどういう...?

安田もともとは神や先祖の霊などをここに呼び出して、その託宣を聞くための儀礼を意味しました。

細野それが、どうしていまの「礼」になったのですか。

安田神霊や祖霊って、ふつうはコミュニケーションを取れないでしょ。そういう、ふつうの方法では話の通じない超越的存在とコミュニケーションをする方法が「禮」でしたが、そんなめちゃくちゃわけのわからない存在とコミュニケーションが取れるほどの「禮」ならば、人間どうしの関係にも活用できるんじゃないかと気づいた。それが現代の「礼儀」や「作法」になっています。で、それに気づいたのが、孔子よりも500年ほど前の「周」の初めの頃の人たちです。

細野「殷」王朝(紀元前17世紀ごろ~紀元前1046)を滅ぼした「周」王朝の人たちということですね。孔子が活躍したのは、「周」が弱体化して諸侯が乱立した「春秋時代(紀元前8世紀~紀元前403)」のことですよね。

安田そうですね。そして、これは先ほどもお話した周初の青銅器『大盂鼎(だいうてい)』の銘文などからも伺われるのですが、そのような「礼」を確立したのが、孔子が夢にまで見たという周公旦ではなかったかと思うのです。

 「禮」をうまく使えば、個人を動かすどころか、多くの人をも同時に動かすことができる。さらには国家すらも動かすことができる。周公旦も孔子も、国家を動かす手段として「禮」の力に着目したのです。


「禮」は主君が臣下に対して使うものだった。

 ところで現代では「お前は礼儀がなっていない」なんていって、「礼」は、どちらからというと下の人が上の人に対して使うようなイメージがありますね。でも、もともとは逆です。

 『論語』にはこんな一節があります。

孔子対(こた)えて曰わく、 君、臣を使うに禮を以てし、臣、君に事うるに忠を以てす。3-19 「主君が臣下を使うには禮によるべきですし、臣下が主君に仕えるには忠(誠実)によるべきです。」(『論語(金谷治)』岩波文庫)


細野「禮」を主君が臣下に対して使うのですか。なんだか意外な印象を受けます。

安田そうなんです。現代の感覚からすると、目下の人が目上の人に「礼」をするイメージがありますが、「禮」というのは、それによって国家を統治しようとするものですから、当然、目上の人が目下の人に使うものです。力に頼らず相手を動かす。それが「禮」のすごさです。それは言葉遣いだったり、所作だったり、あるいは文字だったり、組織やシステムだったり、そのようなものによって自然に動かしてしまう、それが「禮」の力です。ですから「礼儀知らず」というのは、本当は目上の人に対していう言葉ですね(笑)。「禮」は、「ああしろ、こうしろ」と型に嵌め込もうとする「刑」とは対照をなしています。


孔子の「徳治」とマキャベリズム

安田孔子が目指したのは、「徳」と「禮」による「徳治」です。具体的には、民に対して「行くべき方向と道筋(徳)」を示し、そして「その人が無理をせずにその道を行くことができるように導く(禮)」ということが、孔子のいう「徳治」です。

 この「徳治」によって政治を行うと、先ほどの対句の最後の部分にあるように、民は「恥有て、且つ格(いた)る」状態になります。この「格」は「ただ(正)し」と読む人もいますが、僕は「いたる」がいいと思います。

細野この「格」という字はどのように理解できるものなのでしょうか。

安田はい。では、この字も古代の文字を見てみましょう。

安田右側の「各」の「夊」は足の形を表しています。ただしこれは人間の足ではありません。親指の部分が外に出ていますでしょ。これは「虁(キ)」に代表される神霊の足です。それがどこか(口)に降りてくるのが「各」。階段(阝)を使って降りてくると「降」という漢字になります。

細野ああ、なるほど。

安田で、この「各」に、廟堂を意味する「宀(うかんむり)」をつけると「客」という字になります。「客」の本来の意味は、廟堂に降りて来た「先祖の霊」です。「格」も同じで、先祖の霊がここにやってくるという意味になります。ですから「いたる」と読まれます。

 で、「民が格る」というは、民が、先祖の霊がやってくるような境地になるということ、そんなすごい境地に至ってしまうということです。言葉を換えると、その人が本来持っている、神にも匹敵するような可能性を引き出すことができるということになるでしょう。

 基本的に民はダメなものなのでマニュアルと力でコントロールしようとする「政」と「刑」の統治に対して、こちらは民の潜在力のすごさに注目して、その本来の力を「徳」と「禮」によって引き出せば、世の中は自然に治まるという考え方・方法です。

細野『論語』は非常に道徳的で、実践や実用とは距離があるものだと思っていましたが、お話を伺っていて、統治のための術を実利的に説いているように感じました。権謀術数を駆使するマキャベリズムと対極にあるものだと思っていましたが、「徳治」もある意味では非常に戦略的で、通底する部分があるように感じました。


失われた日本の「徳治」

細野「法治」と「徳治」の対比の観点からは、現実の政治の世界にいて痛感することがあります。もし「法」で物事が治まるのだとすると、「法」の中身の良し悪しがすべてになりそうですが、実際には、なかなかそうなりません。同じことを誰が言うかで治まるものが治まらなかったり、それまで治まらなかったものが治まるようになったりすることがよくあります。むしろ、何を言うかで治まるケースのほうが希だと思います。

安田なるほど、そういうものですか。

細野最近でこそ変わってきているようにも思いますが、少し前までは、存在感のある政治家ほどあまりしゃべらなかった、というのも今の話と関係しているのかもしれません。たまにしかしゃべらない大物が、いざというときに出てきて二言三言しゃべって場を治める。そういう時代が日本の政治にもたしかにありました。

安田おお、それで思い出すのが、いまの章句のちょっと前にある、これですね。

子曰はく、政を爲すに徳を以てすれば、 譬へば北辰の其の所に居て、衆星の之を共するが如し、02-01 「政治をするのに道徳によっていけば、ちょうど北極星が自分の場所にいて、多くの星がその方に向かってあいさつしているようになるものだ。(人心がすっかり為政者に帰服する。)」(『論語(金谷治)』岩波文庫)

安田「共」というのは、「共にする」という読み方と、両手を胸の前で合わせる「拱手の礼」をするという読み方があります。どちらを取ってもいいと思いますが、僕は身体的な読み方が好きなので、この文を読むときは北極星に向かって、夜空の星々が「拱手の礼」をしているのをイメージします。

細野「徳」、すなわち道を示すということだけをして、あとは何もしない。そうすると、人々は自然にその摂理に従うというような意味ですね。

安田はい。日本に限らず、近代国家は「法」が中心になっていますが、日本には、上に立つものは何もしないという「徳治」の伝統があったはずです。

細野本当におっしゃるとおりだと思います。良し悪しはいろいろありますが、ある時期までは、自民党政治においても「徳」や「禮」に似た要素が多分にありました。私が国会議員に初当選したのは2000年6月ですが、そのころは、中曽根康弘先生や宮沢喜一先生、橋本龍太郎先生といった面々がまだまだご健在で、政界に睨みをきかせている印象がありました。ほかにも、総理大臣は経験されませんでしたが、野中広務先生も、水面下でさまざま取り仕切られていました。ここ5年ぐらいは、そういう存在感のある政治家がいなくなったと実感しています。

安田まさしくいまおっしゃった水面下の調整も「禮」です。対する「刑」は目に見えるマニュアルです。いまは、コンビニやファミレスのようなマニュアルを多くのところで求めていますね。大学の先生にすらそういうものを与えようとするからひどい。

細野なるほど。マニュアルがあるから最低限のことは守られるけれど、それ以上のことは期待もできないし、こっちも期待しなくなっているところがありますね。


内政と外交の大きな違い

細野もうひとつ、お話を伺っていて感じたのは、国内政治と外交の大きな違いです。国内政治では、「徳」や「禮」を土台にして動いたほうが政治もうまくいくし、政治と国民の関係もよくなるところがたしかにあると思います。難しいのは外交のほうで、どうしても剥き出しの力と力がぶつかりがちというか、それを回避するための外交は「徳」や「禮」ではうまくいかない気がしています。

安田実は外交にこそ「徳」や「禮」が大切だと思うのです。ただ、それはもう少し大きい意味での「徳」や「禮」になります。

 まず前提として、当時の人にとって「政治(内政)」と「外交」とは全く違うものだったということを踏まえておきますね。『論語』の中の「政」に関する章句からは外交に関することは見えてきません。外交については、違う語句を見る必要があります。

細野ああ、そういうことなのですね。

安田細野さんにこんなお話をするのは釈迦に説法ですが、外交は国内政治と違って、共通する「法」もなければ、中央政府のようなものも存在しません。僕は政治のことはよく知りませんが、たぶん国内政治にも根回しのようなものはありますよね。外交の場はもっと複雑に入り組んでいるので、その縦横に張り巡らされた網目を縫うような根回しをして、複雑なパワーゲームに武力を使わずに参戦するというのが外交です。

 『論語』に書かれている政治の話は、もっとすっきりした状態、中央政府があるという前提で説かれています。孔子の時代で言うならば、君主の主権が及ぶ範囲ということになります。

細野国際政治には全体を統べる政治主体がないから、また別の話ということですね。それは感覚としてわかりますが、政治の現場でそれを切り替えて使い分けるのはなかなか簡単ではないと感じています。国内政治は、ある種の人間関係でうまくいくところもありますが、相手が力を前面に出してきたときの対処の仕方はなかなか難しいものがあります。私自身も中国と、尖閣諸島の件で対峙したことがありますが、内政とは別種目になると痛感しています。

安田おお、そうなのですか。

細野中国との関係で言うと、歴史を振り返るとごく希に、大平正芳と周恩来のような政治家個人の関係を築けたこともありますが、そういう関係がない場合のほうがほとんどです。

安田なるほど!おそらく中国は、内政と外交とをはっきりと分けていると思います。

 国内政治といっても、それは政府がしっかりと機能しているという前提での話で、何かがあった場合、国家であってもそうなる可能性は常にはらんでいますね。実際、無政府状態になっている国はありますし。ただ、日本は、天皇という祭祀王をずっと持ち続けてきた国で、常に北極星的な存在を有していたので、無政府状態というのがなかなか想像できません。

 太平洋戦争の後などはそうなる可能性もありましたが、でも、進駐軍が来て、法となり中央政府となってくれた。日本人は無政府状態になりそうになっても、誰かが現れて何とかしてくれると思っちゃう。どうもそういう傾向があります。進駐軍とか、アメリカとかね。

 学校でも、何かがあると先生に言いつけるし、それでもダメなら教育委員会とか。お上が何とかしてくれると思っちゃう伝統があるので、外交問題も国際なんとかが何とかしてくれると思ってしまいがちです。少なくとも国民はね。

 複雑な網目を縫うような根回しや、長い時間をかけて何とかしていくという外交が、どうも日本は不得手なイメージがありますね。

 ちょっと余談になるのですが、まだ風水が流行る前、20年ほど前になりますが、ペンネームで風水の本を書いたことがありまして(笑)、そのために台湾に風水を勉強をしに行ったんです。そのときに日本をよく知る台湾の風水師から「風水は日本では流行らないんじゃないか」と言われました。本当の風水はすごく複雑で、彼がいうには「中国人は複雑であればあるほど好むが、日本人は単純であればあるほど好む」と。確かにそれ以後、日本で流行った風水は、もう風水とはいえないような風水でした。

 でも、能もそうですが、日本の古典文化を見ると、非常に複雑に絡み合ったものを、複雑なままに理解し、そしてその中途半端な不安定な状態に耐えながらも何かを行っていくという能力を日本人は本来、持っていたような気がします


中国における外交の意味

細野孔子は外交についてどのように捉えていたのでしょうか?

安田はい。孔子は実は政治よりも外交が得意な人でした。これは孔子だけでなく、殷(商)の建国の功労者であった伊尹(いいん)や、周の建国の功労者である太公望などの中国古代のナンバー2たちはみな外交の人でした。

 『論語』の中の外交は、「使」という字によく表れています。「使」の右側の部分は、あるものを棒に差したそれを手に持っている様子を象っています。

細野その「棒に差したあるもの」のなかには、何が入っているのでしょうか?

安田本来は神さまの言葉ですが、この時代は外交文書でしょうね。どちらにしろ、とても大切なものです。そういう大事なものを持って、相手の国へ行くのが古代中国の外交です。

 中国は、川をひとつ隔てると言葉が通じないといわれていました。僕が中国を放浪していた1980年代ですら、ちょっと地方に行くと北京語がまったく通じなかった。ましてや当時です。外交の舞台においては、話し言葉はほとんど通じない可能性がある。ところが文字は通じるんです。で、そんな文字を使うことができるのは外交の「使」として行く人だけで、君主でさえも文字を使うことができません。そういう神さまの言葉としての「文字」を通じて2つの国を結びつける。それが古代中国における外交です。

細野ずいぶん今とは様相が異なるのですね。

安田はい。でも、実はいまもあまり変わりません。むろん、言葉は通訳がいますから通じます。しかし、言葉が違うということは、立脚する論理も違う。倫理も違う。利害も違う。その違いをすべて理解して行うのが「使」であり、「外交」で、孔子一門は、各国の心情の傾向を『詩経』に載る各国の歌、国風で学びました。
 しかも、外交の場においては、お互いが相手より優位に立とうとして何がしかの仕掛けをするものですが、それにいかに即妙に応えられるかも「使」に求められる能力で、孔子はそういう意味でもまさに外交の名人でした。

 生前は不遇をかこったと言われる孔子ですが、一度だけ大きく世に出たことがあり、それが「夾谷の会」と呼ばれる外交の場でした。孔子がいた「魯」は内政がうまくいかず、当時ははなはだ無勢力でした。そんな魯に対し、超大国「斉」がしかけてきたことを孔子がうまく取りなして、「魯」は結果的に優位に立つことができました。

 詳述は避けますが、「斉」の非礼を、孔子は逆手に取って戦わずして領地を得たのです。

 そういう外交の感覚は今の中国も変わらず持っていると思います。日中国交正常化(1972年)のとき、当時の田中角栄首相が中国を訪問して、中国から『楚辞』を贈られた話がありますよね。

細野それに対して日本は何も対応せず、田中総理は教養がないと思われたという一件ですよね。

安田はい。もちろんあれは田中総理の問題ではありません。むしろ一緒にいた外交官が何か提言すべきでした。いや、ひょっとしたら提言したけれども総理に無視をされたのかもしれませんし、あるいは総理との関係が悪くて、わざと黙っていたのかはよくはわかりませんが、これから国交を正常化しようとする国に『楚辞』を送るというのは、ただごとではありません。さまざまな意味を考えることができます。というか、そんな本を贈ったらどういう反応をしてくるか、それを見たかったのかもしれません。

 『楚辞』は日本でも高校の漢文の教科書には載っていましたし、横山大観の絵もある。まず「『楚辞』くらい知らないわけはないだろう」というジャブが繰り出されます。日本側としては、まずは一応、『楚辞』について軽く触れてお礼をいう。楚という国が毛沢東主席や周恩来首相の故郷を含むことにもちょっと触れてもいいでしょう。
 でも、ニコニコして受け取ってはいけないんです。『楚辞』の背景を知っていれば、ニコニコ受け取れるわけがありません。

 当時の北京放送は、番組の最初にアナウンサーは必ず「アメリカ帝国主義は張子の虎である」と言っていました。となると、中国から見れば、日本は、張子の虎アメリカ帝国主義の威を借るキツネです。

 『楚辞』の屈原の時代、アメリカ的な強大な存在は「秦」でした。屈原のいた楚では、その強大国である秦と同盟を結び、虎の威を借るキツネとしてその傘下に入るか、あるいは斉と同盟を結んで秦に対抗するかで意見が二分されていました。屈原は秦を信用ならない国として、秦との同盟に反対をしていました。
 しかし、彼の意見は採られることはなく、結局、楚は秦と同盟を結びます。しかしその結果、楚は秦の謀略にかかって王は監禁され、首都も秦によって落とされてしまいます。

 絶望した屈原は石を抱いて汨羅(べきら)に入水自殺するのですが、そのことは二・二六事件の歌である「昭和維新の歌」にも歌われています。日本の軍国主義への道とも関連のある歌であり、日本の帝国主義化に『楚辞』が使われたことに対する複雑な思いを毛沢東も周恩来も持っていたはずです。

 そのほかにもいろいろあるのですが、まあ、そんな『楚辞』を日中国交正常化の席で渡す。これは完全に非礼であり、かつ鋭いカードです。このカードに対して相手はどんなカードを出してくるか、それも当意即妙に。それを見ていたのではないかと思うのです。
 これはまさに孔子が外交の場で名をあげた「夾谷の会」とまったく同じですね。わざと非礼をしかけて相手の出方を見る。
 あれを仕掛けたのは、おそらく周恩来でしょう。これに対して日本が何もしなかったのは、外交上の失態というか、戦後日本の何か非常に大きな欠落部分を見せてしまったのではないかと思うのです。

 歴史的に深い関係があり、日中戦争を戦った国同士が、国交を正常化させようという一大イベントですから、中国が何か仕掛けてくることを日本は十分に想定しておくべきだったのに、日本政府はそれを怠ったか、あるいはしくじったか。どちらにしろ中国は意図的に非礼をしたのに、それに日本が何もしなかったことで、あのとき以来、中国は日本を舐めきっているのかもしれません。

細野たしかに、安岡正篤先生はじめ、儒教の研究者たちが嘆いていたという話を聞いたことがあります。

安田そういう意味で、中国の古典から外交を読みなおすということも面白いかもしれませんが、今回は残念ながらそんな時間はないので、またにしましょう。でも、中国は、あの一件で日本の外交力の底を、ひとつ見切ったのかもしれません。

   

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安田登(やすだ・のぼる)

1956年千葉県銚子市生まれ。高校時代、麻雀とポーカーをきっかけに甲骨文字と中国古代哲学への関心に目覚める。高校教師をしていた25歳のときに能に出会い、鏑木岑男師に弟子入り。能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を東京(広尾)を中心に全国各地で開催する。また、公認ロルファー(米国のボディワーク、ロルフィングの専門家)として各種ワークショップも開催している。著書に『能に学ぶ「和」の呼吸法』(祥伝社)、『身体感覚で「論語」を読みなおす。』(春秋社)、『異界を旅する能ワキという存在』(ちくま文庫)『本当はこんなに面白い「おくのほそ道」』(実業之日本社)、『あわいの力「心の時代」の次を生きる』『イナンナの冥界下り』(ミシマ社)など多数。

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