声に出して読みづらいロシア人

主旨

「ロシア人の名前は何であんなに長ったらしいのか?」と、よく言われます。時にはもっと単刀直入に、「なんであんなに滑稽なのか?」とすら言われたこともある。
確かに、ロシア人といえば、「ドストエフスキー」「ムソルグスキー」「ゴルバチョフ」など、ゴツイというか愛想がないというか、そんな名前ばかり。
ですが、「グジェ」とか「ドヴァ」とか、「ルグスキー」なんて不可思議な文字列は、ロシア人の名前でも呼ばない限り、一生声に出すことはないはず。
だったらせっかくなので、読みづらいけど、大声で唱えてみよう。気分が晴れたり晴れなかったりするかもしれません。
本連載では、そんな怪しげな響きのロシア人名を厳選して紹介するとともに、その人物のプロフィールを解説。ロシア人の名前の仕組みについてもわかる。役には立たないが。

第37回 ヴィクトル・スタルヒン

2012.08.17更新

Виктор Константинович Фëдорович Старухин

子どもの頃、野球好きだった人はみな、「スタルヒン」の名前を知っていることでしょう。
プロ野球名鑑の「記録」のページを見ると、特に太平洋戦争直前あたりの「最多勝」のところにズラーッとこの人の名前があるからです。
しかも1939年の成績ときた日には、「42勝15敗」。
今ではシーズン20勝すればすごい投手だと言われるのですから、なんだか冗談みたいな活躍っぷりです。

この人が日本人でないであろうことは名前を見ればすぐにわかりますが、ロシア系の人物であることは、あまり意識されていない気がします。
実際には白系ロシア人と呼ばれる、ロシア革命から逃れて日本にやってきたロシア人の子どもで、当時の日本や満州には結構多かったそうです。
そして、今残っている写真を見るとどこからどう見ても西洋人。
身長も190センチ以上あったようだし、当時の野球人たちが「なんでガイジンがいるんだ、おい」とか言っている姿が目に浮かびます。

彼自身は日本で育ったため、日本語もペラペラだったのですが、亡命者の息子ゆえに苦しいことも多かったようです。
日本国籍は得られず、特に太平洋戦争中は名前を「須田」に変えさせられ、軟禁状態に置かれていたそうです。

戦後はピークを過ぎていたとはいえ、多くの球団で活躍。
引退後、のんびり余生を過ごせるかと思った矢先に自動車事故で死去。
悲劇的というか、ドラマチックな一生でした。

ちなみにスタルヒンという名前は、スタルーハ(老婆)から来ていると思われます。
そのイメージに引きずられてなのか、大きな背中をかがめながら、なんだか窮屈そうに戦前の日本を渡り歩く彼のイメージが私のなかにあります。
そういう意味では球場は、唯一のびのびと背筋を伸ばせる場所だったのかもしれません。

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松 樟太郎(まつ・くすたろう)

「四面楚歌」をモットーとする編集者。
1975年、ザ・ピーナッツ解散と同じ年に生まれる。某大学ロシア語科を出るも、その後は特にロシアとは縁のない仕事と日常を送る。そのためロシアに関する知識が間違ってたらすいません。そろばん3級。
KYOTO的では、「マックスコーヒー1人旅Y」を連載。全国のファンに惜しまれつつ最終号を迎えた。

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