作家めし!

こんにちは。河野良武です。
大手広告代理店で、CMとコンテンツをつくる仕事をしていることもあって、
昔から演劇や映画が大好きで、沢山の作品を見てきました。

この連載では、『河野良武の作家めし!』と題して、色んな作家の方々とご飯を食べながら、お話を聞いていきます。活躍する作家の人々はどこからテーマを得て、作品として結実させるまでにどんな努力をしているのか。物語の生まれる源泉に、迫っていきたいと思います。
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第2回 村上大樹さん(脚本家・演出家・俳優)

2010.01.08更新

今回は、ナンセンスなギャグで圧倒的な人気を誇る、

劇団拙者ムニエル 主宰 
村上 大樹さん
にお話をうかがいました。

むらかみひろき
73年東京都生まれ。拙者ムニエル主宰。脚本家・演出家・俳優。
早稲田大学在学中の94年に拙者ムニエルを結成。ナンセンスでポップな笑いを追求する。
また、劇団の活動以外にも、俳優としてさまざまな舞台や映像作品に出演。他にも、ドラマ脚本、バラエティ番組の構成、コラム執筆など、その活動範囲は多岐にわたる。


書くしんどさを知らなかったので「やるやる」という感じで

河野日曜日の夕方5時から 東京FMでやってる「あ、安部礼司 BEYOND THE AVERAGE」、ラジオ番組ではめずらしいぐらい、すごい話題になってますよね。

村上2006年にはじまって、いま4年目です。安部礼司くんっていう平均的なサラリーマンが主人公で、最初は彼が34歳だったのが、もう38歳になりました。安部礼司くんの結婚式のときは、実際に全国のリスナーが渋谷のCCレモンホールに2000人以上も集まってくれたりして。

河野すごいですね。村上さんはどういう役割を担ってるんですか?

村上ドラマの脚本を書いています。コンセプトは「30代の男性に刺さるラジオ」ということで。それまでは演劇だけ書いていて、あんまり社会性があるほうではなかったんですけど、これははじめから「自分と同世代の人はどういうことを考えてるんだろう?」とか「いま社会の状況はどうなんだ」みたいなことを意識するようにしてました。

河野いろんなことをされてますよね。テレビに出たり、役者さんをやられたり、構成作家だったり。肩書きがどんどん変わりますよね。自分のなかでは、自分をどういうふうに捉えているんですか?

村上けっこう分裂気味ですね(笑)。来た仕事を断らずにやってるうちにそうなっていったというか。「ぜひともいっぱいやりたい」というよりも、結果的に「何でも屋」になっちゃった感じですかね。
劇団を主宰して、自分も役者で出てる人って、わりといろいろなことに巻き込まれがちというか。でも、書くのが一番やりたいんだろうなという気はします。

河野いつ頃から作家をやりたいと思ってたんですか?

村上一番最初は「オレたちひょうきん族」とか「夢で逢えたら」とかのテレビのバラエティー番組を見て、「自分もこういうのをやりたい」と思ったのがきっかけでしたね。高校のときは、放送部で自主映画も撮ってたんですけど、やっぱり映画を撮りたいというより、バラエティーをつくりたいという感じのほうが強かったです。「これはウケるか?」「どこでどうウケよう」とか、そんなことばかり考えていました。

それで、大学に入ったら放送研究会に入ろうと思ってたんですね。そういうサークルに行ったらテレビ局にもすぐ入れるだろうと思っていたので。
でも、最初に放送研究会の飲み会に行ったとき、「先輩はテレビ局とか行くんですか?」って聞いてみたら、「行かないよ」って言われてしまった。
「じゃぁ、何で入ったんですか?」って聞いたら「子どもが生まれたら、子どもの運動会でうまくビデオまわしたいから」って。

河野ええ! それ、すごく萎えさせる先輩ですよ。

村上僕はもうそれで「あぁ、もうこんなとこ来るんじゃなかった」と思って、もうその飲み会以降行かなくなったんですね。さらに、「あぁ、 東京来て失敗した」と思って、学校にも行かなくなっていって。毎日バイトばっかりしてました。

河野たいへんでしたね。

村上でも、いまムニエルで一緒にやっている加藤は高校のときの後輩なんですけど、演劇部だったんですよ。それで、彼は同じ大学の演劇サークルに入って、芝居をやってたんですけど、ひょんなとこから「演劇やらない?」と誘われまして。

本当に暇だったし、人の愛情に飢えてたので、「やろうやろう」って。その時は、劇団をやりたいというより、みんなで集まって何かしたいっていう気持ちが強かったですけどね。そこで「脚本誰が書く?」みたいなときに、「じゃぁ、おれが書く!」みたいな流れで作家への道が開けて行ったと。

第2回作家飯 ムニエルさん

拙者ムニエル「リッチマン」 2009年 吉祥寺シアター 撮影:引地信彦

河野なるほど。それは、何年生のときですか。

村上大学1年のときです。みんなは、高校の頃から演劇やってたので、脚本を書く大変さを知ってたんだと思います。でも、僕だけ書くしんどさを知らなかったので「やるやる」みたいな。

河野逆に無責任に言えたわけですね。

村上そうです。だから、書くと言っても、最初は「フリートークのコーナー」とかつくってたんですよ。「夢で逢えたら」のフリートークを真似して。でも「いや、お芝居にはフリートークはないから!」って、みんなに反対されたのは覚えてます。しかも、自分はお芝居のことまったく知らなかったので「そうなんだ~」ってのんきなもんでした。

河野でも、構成作家をやってるから言うわけじゃないけど、村上さんのつくるものは、構成主義ですね。箱が先ですね。「このセリフ言いたい」とかじゃないんだ。

村上最初は完全に違いましたね。「この役」とか「このストーリーで」っていうのすらなかったです。みんなで稽古しながら、あーでもないこーでもないってやって、おもしろいことが2、3できたらそれをつなげる話を最終的に考えるというつくりかたですね。

河野やっぱりテレビ向きですね。箱があって、そのなかにキャラクターがいて、「よろしく」みたいな一番いい加減なテレビ台本的(笑)。

第2回作家飯 ムニエルさん

拙者ムニエル「リッチマン」 2009年 吉祥寺シアター 撮影:引地信彦

おいしいのかおいしくないのかわからない、ぎりぎりのところをみたい

河野村上さんは、役者さんをいじるのがうまいというか、役者さんを、普通の人が思う2倍、3倍、思いっきりキャラづけをして出すのがすごいですよね。

村上最近は、演劇、ラジオ、テレビと、仕事のジャンルがけっこう変わっているので、そのつどメディアの特徴を考えるようになったんです。5、6年前は、そういうことがわかってなかったんですね。舞台もラジオもテレビも全部一緒で、お話より、とにかく「おれたちこんなにくだらないんだ」みたいな主張が強かった。

特に劇団やってる人って、「オレたちは芸能人に比べたら有名じゃない! でも、人前に出たい!」っていう、図々しい屈折があるんで(笑)
その「あれ? でもオレ人前で何してんだろ? よく考えたら恥ずかしいな」みたいな照れくささも含めて、舞台だと特に、ただ格好いいことをやるよりも、本人にとっておいしいんだかおいしくないのかわからない、ギリギリのことをやる方がおもしろいと思っているんですね。

河野本人も嬉しいのかどうかわからない、本当にギリギリのことをやりますよね。

村上そこで滲み出るものを見たいというか。だから、稽古場は意外に険悪ですよ(笑)。お客さんの前でウケると、もう全部オッケーなんですけど、やってみるまでわかんないじゃないですか。

河野確かに。役者さんが「本当にこれは得してんのか?」みたいなそういう感じが滲み出てるんですよね。損してるっていう割り切りでは絶対ないし、もちろん得してると思ってやってるわけでもない。そのギリギリのところがあって、でもそのなかで頑張ってるのが最高に笑えるんですよね。でも、それをつくるのは大変ですよね。

村上そうですね。だから追いつめられるというか、普通に、役者としてというより人間として(笑)。でも、そこのフラストレーションみたいなものが舞台に出たときに、一か八か滲み出るドキュメンタリー性みたいなものが生まれると、おもしろくなるんですよね。

それと最近は、ラジオで「あ、安部礼司」をやって、同世代で本当に働いてる人の苦しみとか、成長を毎週書いていることもあって「演劇とはなんぞや?」ということも、一緒に考えるようになってきました。
「あ、安部礼司」で30代のサラリーマンのことを書いてると、「あれ、みんなマンションとか買うんだ」とか、そういうことを考えるようになってくるんですよ。役者をやっていても。

河野「あ、安部礼司」やっててよかったですね。

村上20代の最後のほうは、自分の心模様がそんな風に変わってくることに対して、あらがわなきゃと思ってたんですけど。でも、「あ、これは、そんなことをしてても仕方がないな」と思うようになってきました。で、安部礼司くんが結婚したときに、やっぱり「自分が結婚しなかったら結婚生活のこととかわかんないしな」と思って、結婚することにしたんです(笑)。

河野えー。

村上芝居とかやってると、いつまでも結婚しなくても成立するんですよ。普通の会社だといい年して結婚しなかったら、なんなんだろう? っていう目線もあるんでしょうけど。

河野村上さんは仕事第一すぎるね。

第2回作家飯 ムニエルさん

拙者ムニエル「リッチマン」 2009年 吉祥寺シアター 撮影:引地信彦

どっちにしても食えないなら、おもしろいと思うことをやる

村上いま演劇界も少し変わりはじめていて、僕のなんとなくの実感でいうと、継続的にやってる劇団の数は減ってるような気がします。
僕らがやりはじめたころは「劇団拙者ムニエルです」と名のって、劇団員として演劇界のなかで居場所をつくるのが普通だったんですけど、後輩とか自分より若い人たちを見ていると、まだ売れてなくても結構みんなフリーなんですよ。「フリーで役者やってます」みたいな。

で、そういう人たちが春はこの面子で一回やって、秋は違う人たちとやる、という感じに変わってきてるんですね。それで、そんな流れにプラス、最近は芸能人もどんどん入ってきて、という感があります。

河野なるほど。

村上昔は、小劇場を観に来た人というのは、劇団のカラーを期待して観に行ってたけど、今は役者目当ての人も増えている気がします。
単純にプロデュース公演も増えて来てますしね。プロデューサーからしたら、「この役者は2000人客を持ってる、この役者は1500人客を持ってる」と計算ができる。「誰と誰を組ませて、合計1万人の客が来るようにすれば、公演が成立する」って考えるようになったんですね。集団のカラーで勝負するんじゃなくて、演者一人ひとりのカラーを足し算でつくるものが、以前より多い気がします。

河野タレントとしても、舞台に出ることで箔がつきますもんね。

村上双方にメリットはあるんですよね。劇団のほうもお客さんを持ってる人がきてくれたらプラスだし、芸能人の人にしてもそこで揉まれることで箔もつく。
ただ、そのパターン自体も、組み合わせ自体にはやっぱり限界はあるだろうし。「誰それと誰それが同じ舞台に出てる。すごい」っていうのが、どんどんインフレを起こしていくと、もうそこの組合せで目新しいのは大概なくなっていきますし。

河野なるほどね。

村上それと、役者さんの人気に頼るっていっても、結局はテレビの人気者が出ないとお客さんが集まらない、ってことだけになっちゃうと、演劇界的にはマイナスになっちゃうだろうし。

河野確かにそうですよね。そしたら、次は何をやるといいと思いますか。続けて行くにはやっぱりお金が必要になりますからね。

村上うーん。でも、劇団の公演だけではどうやっても食えないんですよ。劇団の公演だけで役者が食えるようになるためには、劇団四季みたいにならないと無理なんだろうし。

だから、ビッグなゲストを呼んだら客が来る。呼ばなかったらそれなりにしか来ない。けど、どっちにしても食えない、っていうんだったら、劇団はあくまで自分たちがやっておもしろいと思うことをやる場だなと思うようになりました。そっちのほうが精神衛生上いいかなと。でも、難しいですね。どこにビジネス的な成功をもっていくかは。

河野役者やっていくって大変ですよね。やっぱり。

村上役者は大変ですよ。それに、前提として、例えばみんながテレビに出たいと思ってるかというと、同じ劇団のなかでも絶対そうじゃないですしね。出たいっていう人もいれば、自分のやりたいことをやっていこうと最初から決めて、そこをちゃんと追究していきたいという人もいます。
やっぱりいろんな個性があるから、劇団としておもしろい味がでる。みんなが軍隊みたいに、同じように売れたい人の集まりだったら、そんなに長くは続かないと思いますね。

河野続かないでしょうね。

村上だから、どうやってM2世代の49歳までやっていくかっていうのが、共通の課題ですね。

第2回作家飯 ムニエルさん

拙者ムニエル「リッチマン」 2009年 吉祥寺シアター 撮影:引地信彦

小劇場と芸能人、そこにさらにアングラを巻き込んでやる

河野昔は地方の高校生で、大学入ったら演劇をやるっていう人がものすごくいたんですよね。でもいまそれがないでしょ。

村上最近はパソコンとか、別のメディアに流れてると思うんですよね。ニコニコ動画とかYoutubeとかおもしろいですからね。

河野そこが変わってきてますよね。
(と、ここで、itoh tube コンテンツ「女優T」のプロデューサーが登場。以下P)

P あ、どうもどうも、すみません。遅れてしまいまして・・・。いまさっき北京から帰ってきたところなんです。

河野そんな遠いところから、ありがとうございます。

村上Pさん。おつかれさまです。Itoh tubeまでの流れはつくっておきました。

(※itoh tubeとは、イトーカンパニーが提供するショートムービーコンテンツ。有名芸能人のプライベート映像が見られる?と話題に)

河野そうそう、Itoh tubeについての話も少しうかがいたかったんですよ。
いろいろ作品観させてもらっておもしろいですね。それで、今回、ともさかりえさんと村上さんが組まれたと。すんなり話は進んだんですか?

P そんなに苦労はしませんでしたね。自分たちからオファーをしたので、まぁ任せた方がいいんじゃないかという感じでした。伊藤さん(イトーカンパニー社長)もどっちかというと、「本人さえよければいいんじゃないの」っていう感じで、ともさかさんも、台本を読んで、あまりこれをやることによって自分がどう見られるかを考えずに演じてくれたような感じはあります。
やっぱり、内容はややシュールでしたが、村上さんに対する安心感はたぶんあったでしょうね。「あぁ 村上さんなら」っていうのはすごく大きかったです。

河野よくできてますよね。でもあれ、ともさかさん、得するか得しないかぎりぎりな脚本ですよね。村上さんは、このはなしを聞いたときはどう思ったんですか?

村上最近は「テレビでやってることなんて、ぬるくてつまんない」といって、Youtubeに向かう流れもあるじゃないですか。
まぁ、Youtubeも確かにそのおもしろさはあるけど、そういうのはこっちとしては悔しいわけです。でも、「じゃぁ、テレビでおもしろいことやってやる」ということじゃなくて、そこに乗り込んだときに「自分たちには何ができるか」ということを考えたりして。

河野なるほど。

村上なので、「『Itoh tube』は小劇場と芸能人という組合せだけじゃなくて、そこにさらにアングラというものを巻き込んでやりたいんだ」ってPさんに聞いたときに、「あ、この人ムチャクチャだな」って(笑)。
Youtubeとかニコニコ動画を見た人が思わずツッコミを入れてしまうような部分を、じゃぁ、僕だったらどうつくろうかと考える、というのに惹かれたんですね。

そんな感じで、「これはありがちなショートムービーじゃないゴールを求められている!」と最初に感じたので、これは一か八かでとことん遊ぼうと。劇団でやってる感じをむしろ優先させていいんだと思えたので、楽しかったです。
その感覚に、ともさかさんとツブゾロッタフィルムっていうおもしろい映像をつくっている人たちが乗っかってくれたという感じです。

河野こういうメディアで、プロでしかつくれないもので、それに見合った対価を得られるようなシステム。その仕組みをつくりたいですよね。その辺のことも含めて、また今度お話うかがえたらと思います。今日は本当に長い時間ありがとうございました。

村上こちらこそ、ありがとうございました。

第2回作家飯 ムニエルさん

拙者ムニエル「リッチマン」 2009年 吉祥寺シアター 撮影:引地信彦

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河野良武(かわの・よしたけ)

大手広告代理店で、5年間の大阪転勤を経て、この春帰京。

東京コピーライターズクラブ会員。
特に出版・映像・音楽コンテンツ関連での広告賞国内外受賞多数。
新しいコンテンツの作り方・磨き方・マーケティングを研究している。

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