セトウチを行く

第3回 ふたつの秋祭り1 加茂大祭(吉備中央町)

2015.11.16更新

 岡山で暮らしはじめて、海や山に出かける機会が増えた。6月には、はじめて家族でキャンプにも行った。吉備中央町の「湯の瀬温泉郷キャンプ場」だ。

 夕飯を食べるとすぐ眠くなる娘に、自然のなかで蛍を見せたかった。テントの外で娘を膝の上に抱き、暗くなるのを待つ。と、豊岡川に面した森の奥から、ゆっくりと小さな光の点滅が近づいてくる。娘から虫採り網を奪って、数匹の蛍をつかまえた。テントのなかで舞う蛍の光の下で、娘たちは眠りについた。

 キャンプの帰り、行きとは違う道を選んだ。川沿いの細い道を走ると、趣きのある美しい農村集落に入る。思わず路肩に車を停めて、目を奪われる。と、道先案内の標識に「加茂市場」の文字。こんな山奥に「市場」があるのか。気になって、そこを目指す。

 「加茂市場」と表示のある交差点に着く。が、何もそれらしいものは見あたらない。商店すらない。向かいの細い道に、ずらりと観光案内の標識が並んでいる。「加茂大祭→0.3km」「総社宮の石灯籠→0.3km」「総社宮の石造地蔵菩薩→0.3km」「総社宮の本殿→0.3km」「総社宮の社叢→0.3km」「お祭り会館→0.3km」。とにかく300メートル進むと、何か見るべきものがあるらしい。

 田んぼの畦道を越えて小さな橋を渡ると、道の両側に屋敷が並ぶ。古めかしい神社の鳥居が見えてくる。そこが「総社宮」だった。境内には、幹周りが5−6メートルもある巨大なスギやヒノキ、イチョウの大木がそびえ立つ。最初は遊具がないと不満顔だった長女も、巨木の威容に魅了されたのか、ぐるぐると木の周りを回って遊びはじめた。鳥居の脇の古ぼけた看板には、「毎年10月に開かれる加茂大祭は県下三大奇祭のひとつ」とある。それは見てみたい。

 10月第三週の日曜日、朝から家族で再び「加茂市場」を目指す。岡山市の中心部から北に10分も車で走ると、吉備高原の山道に入る。信号も交通量も少なく、ドライブにはもってこいの道だ。岡山空港のそばを通り、2つほどゴルフ場の横を通り抜けると、吉備中央町に至る。もとは加茂川町だったが、隣接する賀陽町と2004年に合併して、吉備中央町となった。岡山県の真ん中に位置するためつけられた名前だ。

 「加茂大祭」は、この旧加茂川町内の八つの神社の御輿が総社宮に集まる祭りである。古くは「加茂郷」と呼ばれたこの地域は、平安後期から「長田荘」という荘園の一部だった。京都の貴族や寺院との縁が深いせいか、八つの神社にも、京都の上賀茂神社から勧請した「鴨神社」や松尾大社から勧請した「松尾神社」、八坂神社から勧請した「素戔嗚神社」など、古都との関係を偲ばせるものが多い。加茂八郷の総社がおかれた「加茂市場」という地名は、総社宮の門前に開かれた市にちなんでいるそうだ。

 いまはのどかな山間の加茂郷も、備前・備中・美作の国境にあたり、戦国時代には備前の松田氏や宇喜多氏、備中の三村氏、山陰の尼子氏、安芸の毛利氏など、諸勢力のせめぎ合う土地となった。多くの山城跡も残されている。

 加茂市場に近づくと、車の数が急に増える。総社宮近くの駐車場はどこも満車で、少し離れた加賀中学校のグランドの臨時駐車場へと誘導される。そこから3台のマイクロバスがピストンで観光客を運んでいた。

 総社宮の入り口に降り立つと、以前はひっそりとしていた場所が大勢の人で賑わっている。宇甘川(うかいがわ)沿いの刈り終えたばかりの稲田には、各社の氏子が集う宴席が設けられ、人びとが茣蓙のうえで重箱を広げている。参道には露店が並び、小中学生くらいの子どもたちが楽しそうに群がっている。ちらほらと外国人観光客の姿もある。

 橋の欄干に、色鮮やかな祭りの衣装に身を包んだ茶髪の若者が佇む。足には草鞋を履き、腰に横笛が刺さっている。境内に入ると、すでに八社の御輿が本殿の左右に分かれて入御を済ませていた。かつては、各神社を深夜に出発して、決められた道を大行列をつくって集まってきたという。神社どうしの行列道中での出会い、使者のやりとり、行列の順序など、厳しい規則が定められている。

 各社の御輿の前には、宮司・禰宜が着座している。足もとには賽銭がおかれ、深々と頭を下げて参拝する人の姿もある。境内の広場では、軽快な横笛と太鼓の音に合わせて、獅子頭が舞う。笛を吹くのは、制服姿の女子高生だ。横髪をドレッドのように結っている。天狗や般若の古いお面をつけた少年たちもいる。真剣な顔で太鼓を叩く小学生くらいの男の子。二本の青竹を手にした紋付き袴姿の男性が怖い顔をして仁王立ちになり、観光客が近づき過ぎないように守る。「警固」という役のようだ。

 ドンという大きな号砲が鳴り、「お遊び行事」が始まる。各社から男たちが出て、薙刀を振り回し、その勇壮さを競い合う。人垣から少し離れたところで見ていると、前にいた高校生くらいの男女の会話が聞こえてくる。

 「あれ、もっと早く回さんと、いかんじゃろ・・・」と女の子がつぶやく。「まぁ、うちの神社がハイスペック過ぎるんやけどね・・・。でも、あれじゃだめだわー」
 「おれも前に練習したけど、勢いつき過ぎると、足にぐさっといくけんねぇー」と男の子。

 今どきの若い高校生の会話だ。その言葉を耳にして、土地の人びとにとって、この祭りがどういう意味をもち続けてきたのか、すっと理解できた。

 総社宮に集まる道中の行列は車での移動に代わり、神馬行事も行われなくなった。1000年の歴史を誇る古式ゆかしい加茂大祭も、そのやり方や規模は変わってきた。でも、祭りの心は生きている。そう感じた。

 薙刀振りが終わると、今度は八社の獅子舞いがそろって高さを競うように持ち上げられる。男たちが肩車をして、獅子頭を神社の屋根に届きそうほどに掲げると、おぉーと歓声があがる。

 さっきから長女を露店に連れて行った妻の姿が見あたらない。次女がぐずり出して、獅子舞の様子を撮影しようにも、うまく撮れない。娘をあやしつつ、妻の姿を探して人垣の周りをうろうろする。獅子舞の奉納が終わり、ようやく妻が戻ってくる。人の少ない本殿側の最前列で観覧していたようだ。

 「いやぁ、棒回しみたいなの見た? おもしろかったねぇー。獅子舞いも、高くてすごかった...」
 露店で買ってもらったキャラクター風船を手にした長女よりも、なんだか楽しそうにしている。

 そうだ。この人もセトウチの祭りで育ったのだ。翌週末は、妻の故郷である赤穂の秋祭りだった。

(つづく)

お遊び行事・薙刀振り


参考文献
植木克己 1986『加茂川町史』

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松村圭一郎まつむら・けいいちろう

1975年、熊本生まれ。岡山大学文学部准教授。専門は文化人類学。エチオピアの農村や中東の都市でフィールドワークをしてきた。富の所有や分配、貧困や開発援助、海外出稼ぎの問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。2015年4月から岡山で暮らしはじめる。

「みんなのミシマガジン」では2015年3月まで「月刊 越尾比屋人」を連載。また『平日開店ミシマガジン』では「<構築>人類学入門」、『KYOTO的』では「エチオピア的」を連載した。岡山大学文学部松村研究室

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