セトウチを行く

第6回 セトウチの「中南米」(備前市日生町)

2016.02.25更新

 セトウチを歩いていると、いかにも古い由緒のありそうな地名を目にすることが多い。赤穂市から国道250号線を西に進んで福浦峠を越えると、岡山県に入る。この県境を挟んだ地域には、兵庫県の赤穂市側に「鷆和」、岡山県の備前市側に「寒河」という場所がある。

 「鷆和」は、「てんわ」と読む。最初にこの地名を目にしたとき、きっと古代の渡来系の人たちと関係があるに違いないと思った。だが調べてみると、意外にも新しい地名だった。明治9年に「真木(まき)村」と「鳥撫(となで)村」が合併し、その頭文字の「真」と「鳥」とが合わさった「鷆」の字を選び、仲良く発展しようという意味で「和」をつけたという。地名には、思いもよらない由来があるものだ。

 「寒河」。これで「そうご」と読む。この地名を最初から正しく読める人はいるのだろうか。車で走りながら、「寒河」という標識の下にアルファベットで"SOGO"とあるのを見て、何かの間違いではないかと思った。「寒川(さむかわ)」から「寒河(そうご)」に転じたという説や、「十河(そかわ)」から転じたという説などがある。この地名の歴史は古く、平城京跡から出土した木簡に「備前国邑久郡方上郷寒川里」と記されていたそうだ。

 この寒河は、備前市の日生町にある。「日生(ひなせ)」も、知らない人が見たら、読めないかもしれない。「日を生(な)す」から「昇る太陽を望む」といった意味があるという。たしかに、日生港近くの楯越山(たてごえやま)の頂上の展望台からは、日生諸島の島々から小豆島までを見渡せる絶景が広がっている。最近では、牡蠣入りお好み焼き、「カキオコ」で全国的にも有名になった。牡蠣だけでなく、瀬戸内でとれた新鮮な地魚がおいしい土地だ。

 さて、日生には全国的にもめずらしい美術館がある。BIZEN中南米美術館だ。瀬戸内海に面した小さな漁村だった場所が、なぜ"中南米"と関係しているのか。恥ずかしながら、最初はちょっと風変わりな人がやっている、なんちゃって美術館だと思っていた。ところが、じつは日本随一の貴重なコレクションを所蔵する、知る人ぞ知る有名な美術館だった。

 訪れたのは、2015年の7月末。ぎらぎらと太陽が照りつけ、めまいがしそうな暑さのなか、日生諸島への定期船が出ている日生港から狭い歩道をとぼとぼと歩いた。楯越山の裏側を走る250号線から住宅街の小道に入る。自販機でペットボトルを買って、飲み干す。こんなところに美術館があるのか、と不安になる。しばらく歩くと、閑散とした駐車場の隣りに、ぽつんと茶色の陶板パネルに覆われた建物がある。きんきんに冷房のきいた建物に入ると、そこにはまったく違う世界が広がっていた。

 アマゾンの森に足を踏み入れたかのような、鳥の鳴き声のBGMが流れる。中南米の古代文明の遺跡から出土した美術品が、工夫を凝らしてディスプレイされている。先客は、1組の中年夫婦だけ。展示品には、所蔵されている土偶をモデルにして人気キャラクターとなった「ペッカリー」のチャーミングでわかりやすい解説が付く。展示品のカメラ撮影も可能だ。大英博物館など、海外の美術館や博物館ではよくあるが、日本ではめずらしい。

 展示品ひとつひとつも、とてもユニーク。森の動物たちをモチーフにした土偶たちは、どれも愛くるしく、ユーモラスな表情や姿をしている。その表情の面白さ、独創的な造形に、思わず見惚れてしまう。これはすごい。閑散とした美術館のなかを何度も行ったり来たりしながら、鑑賞する。

 2階に上がると、中央のテーブルに目録が置かれていた。解説を書いたのは、東大の文化人類学教室の教授だった増田義郎。マリノフスキーの名著『西太平洋の遠洋航海者』の訳者としても知られる。序文は、梅棹忠夫。「なんちゃって」なんて言って、ほんとうにごめんなさい。

 この美術館は、日生で魚網の製造をしていた「森下製網」の社長、森下精一(1904-1978)の個人コレクションをもとに、1975年に「森下美術館」として開館した。森下氏は、取引先との仕事で訪れた中南米で土器や土偶などの収集を続け、1千点を超えるコレクションをそろえた。専門家の鑑定を受けると、いずれも中南米10カ国の貴重な文化遺物で、紀元前2500年から1500年までの長期間の作品が網羅されていることがわかった。

 アステカやマヤなど、ペルー、メキシコ、グアテマラといったよく知られた古代文明の遺品だけでなく、ドミニカ、コスタ・リカ、パナマ、エクアドルなど、日本ではこの美術館でしか見られない芸術品が多数収蔵されている。時間を忘れて目録を読みふけり、展示品を眺める。2時間ほどたっただろうか。美術館の外に出たときには、日も傾き、海からの潮風で暑さも少し和らいでいた。

 思えば、岡山には個人所蔵のコレクションをもとにした有名な美術館がいくつもある。倉敷を拠点に紡績業などで大原財閥を築いた大原孫三郎(1880-1943)の設立した「大原美術館」(1930年開館)。洋画家・児島虎次郎が収集した秀逸なコレクションで知られ、日本で最初の西洋近代美術館だった。

 葉タバコ乾燥器製造で知られる大紀産業社長で、岡山学園の理事長だった安原真二郎(1911-1980)から岡山市が寄贈を受けてつくられた「オリエント美術館」(1979年開館)。2005年には、岡山瓦斯や岡山放送社長などを務めた岡崎林平(1902-1980)からもコレクションの寄贈を受けている。この美術館も、とてもすばらしい。

 ほかにも、戦前・戦後にかけて水飴製造業で財をなした林原一郎(1908-1961)の蒐集した刀剣や甲冑など、日本の古美術品を所蔵する「林原美術館」(1964年開館)もある。いずれも事業家たちのコレクションが日本で有数の所蔵品をもつ美術館となった。

 エチオピアと日本を比較して、もっとも違うと感じることのひとつは、日本の地方文化の層の厚みだ。その地方の「文化」が、明治から昭和の事業家たちの手によって支えられてきたことは、とても示唆深い。最近は「地方創生」だとか、「消滅自治体」だとか、中央に上から目線で語られ、位置づけられることが多いが、日本の地方は市井の人たちの手によって経済的にも、文化的にもその「豊かさ」を保ってきた側面がある。

 セトウチからは、中央と地方のいろんなねじれた関係がみえてくる。そのことを意識しながら、もう少し日生周辺の地域を歩いていこう。



1万数千枚の備前焼の陶板パネルに覆われたBIZEN中南米美術館


参考文献
赤穂市総務部市史編纂室(編)1985『赤穂の地名』
現代芸術研究所(編)1976『現代に華開く 古代アメリカの文化と芸術』
前川満 2002『日生を歩く』(岡山文庫218)
吉形士郎(編)1972『日生町誌』

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松村圭一郎まつむら・けいいちろう

1975年、熊本生まれ。岡山大学文学部准教授。専門は文化人類学。エチオピアの農村や中東の都市でフィールドワークをしてきた。富の所有や分配、貧困や開発援助、海外出稼ぎの問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。2015年4月から岡山で暮らしはじめる。

「みんなのミシマガジン」では2015年3月まで「月刊 越尾比屋人」を連載。また『平日開店ミシマガジン』では「<構築>人類学入門」、『KYOTO的』では「エチオピア的」を連載した。岡山大学文学部松村研究室

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