セトウチを行く

第19回 吉備の海3――吉備高原という「海」(久米南町、美咲町) 

2017.08.25更新

 岡山をめぐり歩くうちに、吉備高原の標高300m〜700mのなだらかな山々を、もうひとつの「海」だと感じるようになった。県南部の平野部をはさむように、瀬戸内海の島々と吉備高原の山間の世界が、同じイメージでつながったのだ。

 岡山市から国道53号線を旭川沿いに北上する。濃緑の森に覆われた山が谷筋を囲む。岡山市北端の福渡の先で旭川が大きく西へと曲がり、国道は川とわかれて東へと向かう。そのまま国道を進めば、久米郡の久米南町と美咲町へとつづく。

 国道沿いは開けた町で、コンビニや商店などもある。ところが、そこから一歩、山への脇道に入ると、雰囲気が一変する。道はすぐに狭くなり、いくつも分岐しはじめる。地図上にない農道が迷路のように縦横に走る。車のナビも、ほとんど役に立たない。細く曲がりくねった急な坂を慎重に登る。でも、どこまで行っても、ずっと人家が点在している。

 山を登ると、寺や神社がある。棚田が美しい上籾集落の山上には、清水寺(せいすいじ)という真言宗のお寺がある。その境内からの眺めは、まさに海原を一望のもとに見渡すかのようだ。緑のうねった稜線の山並みが眼下に広がる。

 山上には、セトウチの島に足を踏み入れたかのような、自由の空気が漂う。権力に統治された平野の下界とは違う、自律的な空間が広がる。まさに開放的な海のイメージだ。

 清水寺には、古くから伝わる護法祭(ごほうさい)というお盆の祭りがある。かつては久米郡の9ヵ寺ほどで行われていたが、いまや久米南町の清水寺と両仙寺、美咲町の両山寺の3つの山寺だけに残る奇祭だ。両山寺の縁起によると、建治元年(1275年)に定乗という僧が、仏法を守護する神である護法善神(ごほうぜんじん)の神託を伝えたのが起源とされる。じつに700年以上の歴史をもつ。

 山に籠もり、水垢離(みずごり)をして精進潔斎した男性の護法実(ごほうざね)に護法善神が憑依し、境内を駆けまわる。その護法実につかまると、3年以内に死ぬとされる。

 2016年8月15日の夜、清水寺を訪ねた。子どもがクーラーボックスに冷やした飲み物を売っているほかは、報道関係者が2人いるくらいで、観光客の姿はほとんどない。有名な両山寺とは異なり、清水寺の護法祭はあくまで集落の祭りのようだ。

 10時半に法螺貝が吹かれ、提灯をかざした「神燈持ち」を先頭に、住職や護法実、それぞれ配役についた青年や少年たちが列をなして護法善神を祀る祠へと向かう。そこで護法善神を迎えたあと、本堂裏のお堂で祈り憑けをして、護法実に憑依させるのだ。

 お堂に戻り、住職が祭壇に向かって真言を唱える。しばらくすると、後ろに控えた護法実の身体が急に飛びはねるように動き出す。両隣りの男たちが必死に押さえる。それまで冗談を言い合っていた法被姿の青年たちも、にわかに緊張した面持ちになる。目をつぶって顔を背ける男性もいた。

 白装束から黒い衣装に着替え、頭に紙を束ねた紙手(しで)をかぶった護法実が、お堂の外に敷かれた筵の上に移動する。一切の灯りが消され、あたりは漆黒の闇に包まれる。

 2メートルほどある笹竹でつくった榊(さかき)を前かがみに座った護法実が足にはさんで両手で持つ。それを向かい側から男2人が支えて、法螺貝と太鼓の音に合わせて激しく前後に振る。「ケイゴ」と呼ばれる子どもたちが「ギャテェ、ギャテェ」と声を上げながら、ぐるぐると周りを走る。太鼓のリズムが早まり、榊の動きも激しさを増す。

 と、すくっと護法実が立ち上がり、両手を広げて走り出す。見守っていた集落の人たちがさっと道をあけ、ケイゴの少年たちが護法実のあとを追う。闇のなかを「ゴーサマ」(護法善神の憑いた護法実)が走り、飛びまわる「お遊び」のはじまりだ。

 ときどき休み石に座って足を止めることはあるが、20分ほどのあいだ、70代後半の男性が息も切らさず石段を駆け下り、また駆け上がり、真っ暗な境内を走りまわる。急に向きを変えてこちらに走ってこられると、ほんとうに怖い。

 「前はな、20段くらいある石段を三段跳びで飛びよったりしとったからな。子どもたちが怖がって逃げるじゃろ。それを追って、2メートルの石垣をぴょんと跳んであがったりな」

 いろんな昔話が「ゴーサマ」のリアリティを支える。かつて1年だけ護法祭が休止した年があった。しかし、烏の大群が農作物を食い荒らしてしまい、すぐに再開されたという。黒い衣装に身を包んで、ぴょんぴょんと飛び跳ねる「ゴーサマ」は、神の遣いである「烏」なのだ。

 「ゴーサマに両手でがちっと捕まえられるとな、どうやっても、お経を唱えるまで、手が離れんのんよ。ゴーサマには、人の顔は見えとらん。紫の光だけがぼぉっと見えとって、それに吸い寄せられるように走るんじゃと。捕まる人は、事故に遭いそうな人とか、病気する人、悪事をした人とかやな。捕まったあと、きちんと読経してお祓いしてもらうとな、大丈夫なんじゃ。以前、そんなん関係ないとか言って、捕まったあとそのまま帰った人がおったけど、すぐ死んでもうた。どっかの競輪選手やったな」

 その年、ゴーサマに捕まる人はいなかった。ゴーサマがお堂に戻って「お遊び」が終わると、みんなほっとした顔になる。神送りのため、再度、一行は列をつくって護法善神の祠へと向かう。5年ほどこの役を務めているという護法実の男性も、神憑きがとれ、おだやかな表情に戻っている。

 すべてが終わったのは、深夜零時をまわっていた。空高くのぼった朧月が、仁王像のおさまる楼門をしっとりと照らす。高齢化と人口減少が進む山村で、毎年、祭りがつづけられている。吉備高原の「海」には、いまもアナザー・ワールドがある。それを実感した夜だった。

 今年のお盆(2017年8月14日)は、二上山にある両山寺の護法祭を訪ねた。こちらは数百人の観衆がいて、だいぶ雰囲気が違う。橙色の提灯が境内を照らす。この地に伝わる日本最古という竹内流古武道の演武なども披露される。女子高生や若者のグループなどもいて賑やかだ。

 夜から激しい雨になった。祈り憑けがはじまると、前にいた茶髪の兄ちゃんがしきりと仲間につぶやいている。「ゴーサマが走り出したらな、雨がやむんや。700年間、一度も雨降ったことないんやからな!」。

 3年前に40代の青年に代替わりした護法実がゴーサマとなって本堂から飛び出す。観衆からわぁっと声があがる。ふと気づくと、雨がやんでいた。ゴーサマへの信仰はこうして若い世代に受け継がれていく。

 神々が棲まう吉備の「海」には、都会の人間には想像もおよばない世界が広がっている。それもまた、まぎれもなく現代の日本の一部だ。東京から発信される「情報」ではけっして知ることのできない「わたしたち」の姿が、セトウチにはある。
 


久米南町・上籾の清水寺から眺めた吉備高原の山並み。2016年11月に家族で再訪したときに撮影。ひっそりとした天空の寺の境内で、ひとりの高齢の女性が石庭の手入れをしていた。

参考文献
三浦秀宥 1963「護法祭」,和歌森太郎編『美作の民俗』(吉川弘文館), 280-287頁.
セルモ・コリーヌ 2008「護法祭:民俗学の視点からみた現代における昔からの奇祭
----その存続のための変化」,お茶の水大学リポジトリ(http://hdl.handle.net/10083/35169).

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松村圭一郎まつむら・けいいちろう

1975年、熊本生まれ。岡山大学文学部准教授。専門は文化人類学。エチオピアの農村や中東の都市でフィールドワークをしてきた。富の所有や分配、貧困や開発援助、海外出稼ぎの問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。2015年4月から岡山で暮らしはじめる。

2017年9月、「みんなのミシマガジン」での連載「<構築>人類学入門」をもとに大幅に書き下ろした、『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)が刊行。

岡山大学文学部松村研究室

うしろめたさの人類学

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