仕事場のデザイン

第1回 ちゃぶ台

2013.04.05更新

 小学校に上がる時、多くの子どもは学習机を買ってもらう。入学式から間もなく、隣のマサキ君の家へ遊びにいくと、先日まで「子供部屋」だった部屋が「勉強部屋」に変身していた。壁には世界地図、襖には漢字の一覧表、その中央に、背の高いピカピカの学習机があった。細かく区分けられた引き出しに、照明を内蔵した一体型の棚。透明のシートが張られ、下にいろいろなものを挟めるデスク。はじめて目にした学習机は、まるで秘密基地であり、椅子に座ると飛行機の操縦席にいるような興奮が身体を包んだ。

 「文平、小学校へ上がったらうんと大きな机を買ってやるでな」。小学校に上がる前、父は僕にそう約束した。どんなに大きな机だろう。マサキ君の学習机の何倍も大きいのに違いない。身体を覆うほどの棚や、テレビで見た戦艦の司令室みたいなものを想像して、僕はその時を待った。

 そしてその日、父が僕を呼んだ。注文していた机が店に届いたという。父のクルマに乗せられて到着したのは地元のホームセンターだった。かなり大きなホームセンターだったと思う。店の巨大さに、僕の期待はますます高まった。忘れもしない。歩いていた父が突然こちらを振り返り、「これだ!」と指差したのは、ドカッと横たわる巨大なちゃぶ台だったのである。

 確かに大きかった。一畳はある天板に、反りのついたの太い脚。田舎の応接間を支えてきた伝統的な座卓である。それを父はちゃぶ台と呼び、「すごく頑丈な木でできているからいつまでも使える」と言ってその優位性を説いたものだ。

 父が僕のために買ってくれた机である。できることなら好きになりたい。しかし、引き出しもなければ棚もなかった。マサキ君のマネをして教科書やノートを立てて並べてみたが、まるで体育館の一角に本棚を置いたみたいだった。父は鉄製のライトスタンドを取り付けてくれたが、子どもにも原初的デザインセンスというものはある。座卓にデスクライトがついたその姿は、明らかに変だった。

 小学校時代にそのちゃぶ台で勉強した記憶はほとんどない。そもそも机に向かって勉強するより、外で遊んでいる時間が長かった。中学に入って父が使っていたデスク机が払い下げになると、ちゃぶ台はほとんど物置台と化した。ちゃぶ台がその真価を発揮したのは高校に入ってからである。

 僕は高校2年の頃から美術大学を目指して美術大学予備校に通った。予備校では自宅課題というものがあった。たとえば、アンディ・ウォーホルやマルセル・デュシャンなど、代表的な現代美術作家をテーマに、「自分なりの解釈をポスターとして再構成する」といった課題が出る。それを自宅で仕上げて1週間ごとに提出する。

 ポスターを作るには、絵の具、紙、筆、定規など、たくさんの道具が必要で、普通のデスク机ではとても納まらない。しかし巨大なちゃぶ台は、全部の道具を並べて、作業スペースを確保してもなお余った。表面がしっかり塗工されていたので、絵の具をこぼしてもキレイに拭き取ることができたし、道具を床に置いて、またすぐに手に取ることができた。それまで活躍のなかったちゃぶ台が、絵を描いたり何かを作る作業机としては、極めて優秀だったのである。高校2年から大学に入るまで、このちゃぶ台に向かってポスターを作る日々が続いた。

 ある作業を繰り返していると、だんだん道具のフォーメーションが決まってくる。ポスターカラーは色が見えるように机の上、しかし頻繁には使わないから奥が良い。定規は紙を破くといった事故につながるので床に置き、膝の右が良い。消しゴムのカスを掃くホウキは手元の左。そうやって、自分なりのフォーメーションが決まってくると、そこに座るだけで自然と気分が集中してくるようになる。

 集中力が高まってくると妙な恍惚状態に入る。ポスターの画面と、それを作り出す道具たちに身体が一体化したような状態だ。ちょっと息を抜いただけでそれは消えてしまうから、もったいなくて小便に立つことができない。夜にはじめた作業は明け方まで続き、「できた!」と思った瞬間、ダッシュで小便に駆け込むのが常だった。放尿しながらフーッっと完成の余韻に浸る。戻ると、完成したポスターと、フォーメーションを守って働いた道具らが、やや乱れながらも整然とちゃぶ台の上に並んでいて、その光景に「作った」という充実を感じた。変だと思っていた座卓とデスクライトの組み合わせも、そういう時間を過ごしてしまうと、まったく気にならない。むしろ、そこに愛おしさにようなものを感じはじめる。作業が終わると、自然にちゃぶ台を丁寧に拭いて次の作業に備えるようになって、ふだん掃除などしないから、自分でもその変化に驚いた。

 僕は、そういう時間を過ごした場所に「仕事場」を感じるようだ。
 一般的に「仕事場」といったら特定の場所を指す言葉だが、実際には「磁場」とか「正念場」といった、無形の「場」を指す言葉ではないかと思う。何かに集中している時だけに発生する特殊な場があって、それが生まれた場所が仕事場になる。なんでもない空間や道具たちも、そういう時間がインストールされることで、仕事場になる。僕の最初の仕事場は、ちゃぶ台の上で生まれた。

 ちゃぶ台は僕が大学に入ってからは居間に移されて食卓になったり、母のパッチワークの作業台になったりしながら、父が死んだ時には、棺桶の脇で弔問客を出迎えるのに使われた。

 葬式を終えて、雑誌連載の挿画の〆切があったので、久しぶりにそのちゃぶ台で絵を描いた。しかし、東京から持ってきた道具たちがちゃぶ台になじまない。やはり、もうここは自分の仕事場ではないのだと感じた。あの仕事場は、あの時、あそこだけのものだった。絵を描いていると、同じく〆切を抱えた妹が、ちゃぶ台のもう一方の縁で原稿を書きはじめた。父の遺影と、石油ストーブと、白く結露した窓ガラスと、仕事をする妹が、ちゃぶ台を囲んでいる。あれは、なんという名前の場なのだろう。ヨーグルトにスプーンが沈んでいくみたいな感じで、僕は手元のペンと絵の世界に没入して、絵が仕上がるとその場も消えてしまった。


第1回仕事場のデザイン


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寄藤文平(よりふじ・ぶんぺい)

アートディレクター/イラストレーター
1973年、長野県生まれ。武蔵野美術大学中退。
広告のアートディレクションとブックデザインを中心に幅広く活動中。ミシマ社ロゴの生みの親。

主な仕事に、JTのマナー広告「大人のたばこ養成講座」「マナーの気づき」、東京メトロの企業広告「We are the Tokyo Navigater」、メトロ文化財団のマナー広告「家でやろう。」シリーズがある。主な著書に『死にカタログ』(大和書房)、『元素生活』(化学同人)、『ラクガキ・マスター』、『絵と言葉の一研究』(以上、美術出版社)、共著に『大人たばこ養成講座』全3巻、『ミルク世紀』(以上、美術出版社)、『ウンココロ』(実業之日本社) 、『地震イツモノート』(木楽舎・ポプラ社)などがある。

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