仕事場のデザイン

第2回 ハーマンミラー社の椅子

2013.05.06更新

  ちゃぶ台で仕事場デビューしてしまったせいかどうか、今も椅子にうまく座ることができない。絵を描いていても、打ち合わせをしていても、気づくと椅子の上に正座していた り、靴を脱いであぐらを組んでいたりする。我ながら行儀が悪いと思うけれども、そうし ないと落ち着かないのである。

 25歳の時、田町のマンションの一室を借りて、ヨリフジデザインというデザイン事務所を作った。コンピューターもあるし、さすがにちゃぶ台で作業というわけにはいかな い。かといって、どんな机を買っていいのかわからなかった。当時はインターネットも普及していないし、家具をどこで買えばいいのかさえ知らなかった。

 セットの美術設計をやっている友人に相談すると、天板に脚をつけるのが良いという。 木材屋で安い合板を買い、東急ハンズで脚を買ってその上に乗せることにした。椅子は、 先の友人がゴミ捨て場で見つけた物を2脚持ってきてくれた。ひとつはよくある事務椅子で、もうひとつはやけに座面の大きな背もたれ付きの椅子だった。

 僕はあぐらを組める大きな座面の椅子を使い、3年ぐらいは、そのスタイルで仕事をしていた。しかし、さすがに高さを調整するネジがバカになり、座面は擦り切れてワタがは みだして、ウレタンの細かい破片が床を舞うようになった。

 それ以前から、僕はハーマンミラー社のアーロンチェアが欲しかった。人間工学に基づくというその椅子は、心地よく座るためのいろいろな調節機能を備えていて、いつかのマサキ君の学習机のような輝きを持っていた。憧れだったあの輝きを、今度こそ自分のもの として味わいたい。高額だったけれども、スタッフの分も含めて購入した。

 ダメだった。落ち着かないのである。座面がフニャンフニャンで、正座すると足先がメッシュの座面にめり込んで気持ち悪いし、あぐらを組むと、膝やくるぶしが硬い強化プラスチックに当たって痛い。なんだこりゃ。

 人間工学といっても、それはデザイナーが考えた「座る」というフォームを「やわらかく固定」するためのものであり、正座したりあぐらを組むような人間に対しては全然やわらかくないのである。それまで使っていた綿のはみでた固い座面の方が、僕にはよほどやわらかい。 結局、アーロンチェアはスタッフが使い、自分は元のゴミ捨て場の椅子に戻 した。

 アーロンチェアを買っておいて、「あぐらが組めない」と残念がるのは、ナンセンスである。もちろん、それはそうなんだけれども、僕が気になるのは、そういう残念さがナンセンスとして排除されてしまうのはなぜか? ということだ。

 アーロンチェアに座ると、自分がその椅子に腰掛けているというより、そのデザインのパーツにさせられたような気持ちになる。デザイナーが考えたデザインが持つ、独特の気持ち悪さ。「あなたのため」と言いながら、こちらを支配してくる感じ。

 デザインという行為には「相手のため」というよりも、「このような人間であれ」という規範みたいなものを、良くも悪くも押し付けている面があると思う。というか、そういうことをデザインと呼んでいるのかもしれない。

 ところで先日、腰を痛めた。背筋を真っ直ぐに伸ばしていないと、仙骨のあたりが痛い。使っていた椅子だと、どうも具合が悪いので、久々にスタッフのアーロンチェアに座って驚いた。

 楽だ。ものすごく楽だ。

 背骨のラインに沿って背もたれがフィットし、メッシュの座面が痛みごとシュゥと引き取ってくれる。スゲぇ。腰を痛めて、はじめてわかるこの素晴らしさ。デザインのパーツとして、すっぽりハマってしまえるこの快感。

 購入からおよそ10年。
 ようやく僕は、アーロンチェアーが想定する「人間」になれたようだ。

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寄藤文平(よりふじ・ぶんぺい)

アートディレクター/イラストレーター
1973年、長野県生まれ。武蔵野美術大学中退。
広告のアートディレクションとブックデザインを中心に幅広く活動中。ミシマ社ロゴの生みの親。

主な仕事に、JTのマナー広告「大人のたばこ養成講座」「マナーの気づき」、東京メトロの企業広告「We are the Tokyo Navigater」、メトロ文化財団のマナー広告「家でやろう。」シリーズがある。主な著書に『死にカタログ』(大和書房)、『元素生活』(化学同人)、『ラクガキ・マスター』、『絵と言葉の一研究』(以上、美術出版社)、共著に『大人たばこ養成講座』全3巻、『ミルク世紀』(以上、美術出版社)、『ウンココロ』(実業之日本社) 、『地震イツモノート』(木楽舎・ポプラ社)などがある。

Bunpei Ginza

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