仕事場のデザイン

第7回 トランス

2013.12.03更新

 好きな音楽ってありますか? と聞かれて「ロックです」とか「演歌が好きです」と答えられる人がうらやましい。以前インタビューでそれを聞かれて「う〜ん、いろいろですねぇ、雑食なんです」などという、ダメな感じの答えをして、その日一日暗い気持ちになった。とくに「雑食」っていうレトリックが自分に口から出たことが悔しい。レトリックにはその人の思考の品質が出る。多くの女性が他人の服を着て外を歩けないように、僕は自分の使うレトリックが誰かの借物だと恥ずかしい。「雑食なんです」ってなんだよ。ほとんど「僕はバカなんです」って言ってるようなものだ。いっそバカなんですって正直に言った方がよかった。
 ただ、「雑食」というようなクソみたいなレトリックが出てしまったのは、僕が嘘をつこうとしたからである。実は好きな音楽はあった。テクノだ。トランスと呼ばれるジャンルのテクノで、中でもゴアトランスと呼ばれるかなりマニアックな種類のものが好きだった。しかし、ノホホンとした手描きイラストの取材をされているのに、好きな音楽がゴアトランスでは話に形がつかないのではないか。そのような心境の果てに出た「雑食」だったのである。

 27歳になり、田町の事務所が手狭になって、銀座に事務所を引っ越した。個人事業主から法人にしたので、名前も「文平銀座」に変えた。松屋の裏手の雑居ビルで、不動産屋に紹介してもらった物件の2つめで「ここにします」といって決めた。銀座にしてはかなり賃料が安かったからだ。
 賃料が安いのには理由があった。JRAの場外馬券売り場の建物に囲まれているので、朝の一瞬しか日が入らない。一階に食堂が入っていて、いつも雑多な料理臭がする。入り口から奥へと長く伸びた廊下は夜になると真っ暗で、その奥に消火栓の赤いランプがボゥと光っているから気味が悪い。入居者が少なく、下も上も空き部屋だった。ただ、音楽を聞くには最高の環境である。後ろはJRAの壁、上下は空き部屋。しかも銀座は夜になると道にも建物にも人がほとんどいなくなる。

 仕事の役に立たないモノにはほとんど興味がわかないが、どうしても欲しくて買ったモノがある。スピーカーだ。JBL4312Mk2スタジオモニター。正面の板が青く塗られていて、これがカッコいい。オーディオ好きの父親に言わせると4343の方が良いのだそうだが、僕は4312の形が好きだった。秋葉原の中古オーディオショップでそれを見つけたとき、雑貨屋などで「わぁ欲しいぃ〜」といってはしゃぐ女子の気持ちがわかった気がした。
 スピーカーはアンプがないと鳴らない。父親にアンプを貸してくれといったら、メインアンプ、プリアンプ、チャンネルデバイダー、さらにJBL4312では音域が足らないからといって、巨大なウーハー2台(低音専用のスピーカー)と、自作のツイーター2台(高音専用のスピーカー)を送ってきた。JBL2台、ウーハー2台、ツイーター2台を、それぞれアンプを分けて接続すると、期せずして巨大なサウンドシステムが完成してしまった。父親は僕がこのサウンドシステムで何を聞こうとしているのか知らないのだ。日曜の夕暮れ、銀座の雑居ビルの一室で、僕はソロリソロリとゴアトランスのCDを入れ、プレイボタンを押した。

 まず鳴ったのは窓ガラスだった。ゴアトランス特有の重低音に共振したのか窓がビリビリと震え出した。続いて、ドンゴッ、ドンゴッ、ドンゴッ、という強い重低音が鳴り始めると、床と一緒に、コップの水まで振動する。さすがJBL。しかも別建てのウーハー付きである。普通だったら音が割れるボリュームなのに平然と鳴っている。僕は、アンプのボリュームをさらに上げていった。音量が上がれば上がるほど、音の持っている力とスピーカーの本領が発揮されていくのが感じられた。
 こりゃすげぇ! スピーカーのコーンが生き物みたいに脈を打っている。音が事務所の中を満たして、音以外の何も聞こえない。音圧で家具が張り付いて、事務所の景色が止まっているように感じる。皮膚に当たる音の感触に鳥肌が立った。さらに限界までアンプのボリュームダイアルを回していくと、さすがに怖いような気持ちになって、それでも回していくと全身から汗が吹き出した。スピーカーから風でも吹いているかと思うほどの大音量。気がつくとワハハハと大声で笑っていたが、腹筋がそれらしく動いているだけで、自分がどんな声を出しているのかもわからなかった。
 
 トランスを教えてくれたのは友人である。当時「レイブ」というトランスイベントが流行っていて、そういうカルチャーには何の興味もなかったけれど、友人に誘われてなんとなく行ってみたのだった。そこで、トランスがなぜ「トランス」と呼ばれるのかを理解した。それまで、こんな単調なリズムを延々繰り返して何が面白いのだろうかと思っていたけれど、何事もわかってみると面白い。
 トランスの聞き方にはいくつかあるが、僕が友人から最初に教わったのは、「まず、音を選べ」ということだった。低温でも高音でもいいから、ひとつの音を選んでその音をトレースする。そうすれば音に合わせて身体が動くのだという。やってみるとたしかにそういう感じがあった。
 身体と音がシンクロしてくると、だんだん他の音域に対して視界というか音界が開けていく。一つの音にシンクロしたら、別の音をトレースしてシンクロさせる。そうやっていくつもの音を乗り換えていくうちに、音全体に反応して身体が動くようになるのである。
 十分に身体が音とシンクロすると、おいしい音、苦い音、赤い音、青い音、といった感じで、音が他の感覚と連動して感ぜられ、ドゴンという音で勝手に体が跳ねたり、シャーっという音に水を浴びたような感覚を持ったりする。最初はその感覚にびっくりしたが、この感じは絵を書いているときとほとんど同じなのだと気がついた。頭はいつもどおりに冴えている。ただ、水に浮かんで空を見ているような感じになっていて、身体だけが勝手に動いているのである。なるほど、面白い。これがトランス状態ってやつか。
 トランスミュージックは、音楽というよりもサウンドテクノロジーと言ったほうがよく、マッサージとか瞑想とかヨガに近いものだと思う。意識を保ったまま身体運動の抑制を解除して、身体の主導権を、脳ではなく身体自身へとスイッチさせる方法の一つなのだ。だからだろうか。絵を描くときにトランスをかけるとやたら集中できる。以来、僕は仕事をしながらトランスを聴くようになり、そこから派生していろいろなテクノを聴いた。

 巨大な音には空間を浄化する作用などがあるのだろうか。ひとしきり楽しんでサウンドシステムの音を切ると、我に返ったみたいに事務所がいつもの音を取り戻した。静まり返った事務所は妙に現実的で、しかしなんだか清潔になったように感じられた。神聖な儀式の前に音楽を鳴らすのも、こういうことなのか。あ〜仕事しなくっちゃーと思いながらヨロヨロとソファーに横になって、そのまま気持ちよく寝た。

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寄藤文平(よりふじ・ぶんぺい)

アートディレクター/イラストレーター
1973年、長野県生まれ。武蔵野美術大学中退。
広告のアートディレクションとブックデザインを中心に幅広く活動中。ミシマ社ロゴの生みの親。

主な仕事に、JTのマナー広告「大人のたばこ養成講座」「マナーの気づき」、東京メトロの企業広告「We are the Tokyo Navigater」、メトロ文化財団のマナー広告「家でやろう。」シリーズがある。主な著書に『死にカタログ』(大和書房)、『元素生活』(化学同人)、『ラクガキ・マスター』、『絵と言葉の一研究』(以上、美術出版社)、共著に『大人たばこ養成講座』全3巻、『ミルク世紀』(以上、美術出版社)、『ウンココロ』(実業之日本社) 、『地震イツモノート』(木楽舎・ポプラ社)などがある。

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