仕事で少し傷ついた夜に

第3回 飽きることと慣れること

2013.05.24更新

 嫌なことは、できれば、したくない。
 でも嫌な仕事ほど、やらなければいけない。会社から求められているし。
 なので、嫌な仕事が少しだけでも好きなれるように、なんとか努力してみる。
 「自分の成長につながるはず」「コツさえつかめば大丈夫なはず」「1年は我慢して続けてみよう」―――そのうち、体と脳が慣れてきて、最初あれほど苦痛だった仕事が、最近はそれなりにこなせている自分がいる。
 好き、とまでは言えないが、少なくとも苦手意識が減っている。

 好きなことを、できれば、仕事にしたい。
 それが叶った仕事に就くことができた。会社からの期待も大きい。
 なので、どんなことでも好きだから頑張れるし、楽しく仕事ができている。
 「本当にこの仕事ができて幸せ」「得意分野を活かせているから成果も出てる」「1年後には、もっとすごい自分がいるはず」―――そのうち、体と脳が慣れてきて、最初あれほど楽しかった仕事が、最近はそこまで心がときめいてない自分がいる。
 別に嫌いになったわけではないけど、少なくとも刺激や快感は減っている。

 上記2つのような経験、あなたにはありませんか?
 前者がいわゆる「慣れ」で、後者が「飽き」に該当します。
 当然ながらというか、残念ながらというか、僕にはどちらの経験もあります。
 しかも、僕はかなりの飽きやすいタイプ、"飽き症"です(苦笑)。最初の勢いが半年と持続しません。また苦手というか、性分的に向いてない仕事を担当した経験も、それなりにあります。
 そういった中で思うのは、「飽きる」と「慣れる」は、人間が根源的に持っている能力なのだ、ということです。

 飽きは快感が薄まっていく、慣れは苦痛がなくなっていく―――つまり、どちらも心の平準化・中庸化に向かっているわけで、外部の刺激から心と体を守って安定した状態を作ろうとしている。逆に言えば、「好きはそんなに続かない」し「嫌いもそんなに続かない」のです。ただし、「飽きる」と「慣れる」では、傷つく夜の迎え方がそれぞれ異なりますし、むしろ「飽きる」ほうが飽きるたびに傷つく夜が訪れる不安がある分、やっかいな状態になりやすい。少し僕の経験を交えて解説していきたいと思います。


① 「飽きる=快感が薄まっていく」と、どうなりやすい?

 僕は、人の思いつかないことを考えたり、人が面白がるアイデア出すのが好きな性分なので、「編集者」という職種から社会人をスタートできたことはとても幸運でした。

 1995年、リクルートに入社して配属されたのが、創刊してまだ3年目だった結婚情報誌の『ゼクシィ』。当時の媒体コンセプトは「出会い・つきあい・結婚」で、雑誌の中には"お見合い情報ページ"があったり、デートのためのブティックホテル情報があったりと、現在のような"結婚式のバイブル"という体裁が整う以前でした。ちょうど事業としても成長ステージに差し掛かるタイミングということもあり、編集部が仕掛けたアイデアで新たな結婚式のスタイルを作られていく流れが出来てきたところ。なので、編集会議はいつも新たな仕掛けについて盛り上がっており、読者が本当にしたい結婚式を実現するためにカスタマー視点で立案した記事は、必ずヒット企画につながっていきました(現在のゼクシィの編集記事企画は、このころに原型が出来上がったのだと思います)。

 「編集会議で企画を出すだけでドキドキ」「企画が通るとめちゃくちゃうれしい」「記事を作る過程で失敗して挫けそうになるも、実際に雑誌になって書店に並んで大感激」「クレジットに名前が載っていることを実家の両親に自慢するために本を送付」など、1年目は新鮮な喜びに満ち、仕事がこんなに楽しくていいの?、と思っていました。

 2年目も、「誰もやったことのない、結婚式BGMの企画をやりたい」「その特集が読者支持率1位になった!」「さらにレコード会社横断でゼクシィオリジナルの結婚式CDを作ってみたい」「実際に発売したら、そのCDがとても売れた!」などなど、1年目よりも自ら企画したアイデアを実現できる喜びを感じ、さらに意欲に満ちた状態でした。

 しかし3年目のある時期から、「毎月、毎月、同じような記事を作っているだけのような」「誌面デザインの見せ方を変えているだけに思える」といった、いわゆるルーティン作業である部分が気になってきました。どんな仕事でも、成功事例があればそれを横展開し、さらに業務効率化を図っていくことは当然なのですが、僕は"自分にしかできないこと""自分が面白いと思うこと"を中心に仕事を捉えていたので、急速に編集業務内容がつまらなく思えてしまったのです。加えて、「ゼクシィのどんな記事も、自分にかかれば簡単に作れる」「自分は優秀な編集者だ」「どんな外部スタッフでもうまく仕事ができる」などと、思い上がるのもいい加減にしろと当時の自分に言いたいほどの状態(今から振り返ると、本当に顔から火が出る思いです・・・)。

 そもそもモチベーションの源泉が、"自分の好きが仕事になっている"なので、一度"飽きちゃったな""嫌な仕事だな"と思うと、やる気がぜんぜん湧いてこない。周囲も取組姿勢の違いが如実にわかるので、当然指導が入るわけですが「いや、言われた業務はこなしてますから」「もっと面白い仕事ないんですか」と返す始末。徐々に成果もあがらなくなっていき、歯車が狂い出している感覚はわかりつつ、解決する手段も自分では見つからないまま、翌年別部署に異動することになりました。

 こうやって振り返ると、単なる未熟者で器の小さい男が、調子に乗って思い上がった末にダメになっただけの話なのですが、このときの自分は「よかったときの自分は、心から好き、楽しいと思って仕事をしていた。だから、そのときと同じ気持ちにならないといけないんだ」と信じていたのです。3年目のときには、やる気がゼロになり会社に行きたくなくて、全身じんましんが出ることもありました。

 もし今の自分がアドバイスするなら、「好きは長続きしないのは自然の摂理だよ」「最初に得られた快感と同じものは、そうそう得られない」「うまくいった理由は、自分が好きでとりくんでいたから、ではない」「本当のうまくいった理由はもっと論理的で構造的にとらえることができるはず。その構造がわかれば、他の業務にも汎用できるので、好き嫌いの感覚を超えて仕事ができるようになる」という感じでしょうか。

 僕の経験的に、好き・得意な仕事がうまくいったときは、意外と考察が浅くなりがち。嫌い・苦手な仕事の方が、どうしてうまくいったかをある程度分解し理解した上で次に進もうとする。なので、逆にうまくいかなくなったときに、解決策がわからず深みに嵌ってしまうのは、好きを仕事にしているとき。僕の場合は、若くて経験のないバカだったので、自分をそこまで追い込みませんでしたが、良識のある人ほど、「自分の仕事への情熱がなくなったせいだ」「もっと自分が顧客を愛してないから」「好きな仕事で実力が発揮できなかったら、他では絶対やっていけない」などと、自分を責めてしまう傾向にあります。快感が薄まっていく「飽きる」という状態ほど、要注意なのです。

② 「慣れる=苦痛がなくなっていく」と、どうなるか

 僕は、コツコツ積み上げるとかミスのない仕事をするとかは苦手で、請求書の処理とかコストの管理などはものすごく面倒に感じる性分です。そんな僕が、関連子会社の経営企画室の室長になったのが38歳のときでした。

 さすがに、38歳にもなると、苦手なこともそれなりにこなせるように経験を積んでいるのですが、人事・総務・経理業務などの経営管理部門の責任者としては振る舞うほどの経験はなく(基本的にそれまでの16年は編集者や事業企画担当)、着任当初は「従業員の方々に、こいつ未経験者じゃん、とバカにされたらどうしよう。。。」とさすがに緊張しました。

 苦手意識が高く取り組んだ仕事だったので、最初の1カ月は周囲の状況を観察することでほぼ終了したのですが、たとえば会議に参加する中で、起案者の発言、決裁者の判断の裏に流れている法則みたいなものを読み取ろうとしましたし、わからないことがあれば担当責任者にヒアリングして、なぜそうなっているのかの因果関係をできるだけ明らかにすべく努めました。そして、論理的に理解できたことをベースに会話をしていくことで、相手からの信頼を得られたり、まったく経験のない事象の判断もそれなりに正しくジャッジできたのではないかと思っています。そうやって、いったん法則化・構造化できたことは、自分自身の判断の軸となったので、会社の方針からもそんなにブレることなく、かつ自分自身の発言も相手からはブレがないよう感じられたのではないでしょうか。

 これは、苦手意識がなければとらないアプローチだったと思います。もし自分が得意な編集企画業務で関連子会社に異動していたら、これまでの自分の経験を軸に、相手を自分の得意領域にとりこんでいくようなアプローチになっていた可能性が高い。

 またもうひとつの効用として、苦手分野で"ある程度通用するんだ"と思えると、自分自身が成長した実感が得られやすいですし、ちょっとした何気ないことでも、自然と自分を褒めることができる。意外と苦手意識が強い分野の方が自分自身を客観視できて、心と体の安定にはよいのかもしれません。

***

 30代までは「好きを仕事にする」「自分がワクワク・ドキドキする仕事でないと、みんなもワクワク・ドキドキさせられない」と思っていたし、今でもそれはユニークな自分だけの仕事をなすためのひとつの真理だと思っていますが、一方、違う考え方も芽生えてきたのも事実です。苦手な分野や職種で、自分の得意を活かしながら、一歩ずつ改善していくような仕事が、実は自分にとっては燃え尽きずに長続きする仕事なのではないかと、最近は考え始めています。その方が、日々自分の成長を実感しやすく、「自分を褒める夜」の数が増えるのではないかと。かつ褒めるにしても、「オレはすごい」と自画自賛してうぬぼれるのではなく、「あのときこうしたことが功を奏した。次の機会でも活かしてみよう」と自己研鑚に心と体が向かっていきやすいのではないかと。

 「飽きるは、自分を責めやすい。慣れるは、自分を褒めやすい」―――好きな仕事を選んでも飽きはくるし、嫌いな仕事でも慣れてくる。そして傷ついた夜は、どちらでもやってくる。そのときに、「飽き」は傷をこじらせやすいし、「慣れ」はむしろ良薬となる。そんな風に僕は感じています。

次回は「成長意欲、達成意欲」について書いてみたいと思います。

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藤井大輔(ふじい・だいすけ)

1973年 富山県生まれ。1995年 株式会社リクルート入社。

以来、編集・メディア設計職に従事し、主に『ゼクシィ』『ABROAD』『ダ・ヴィンチ』『住宅情報』『都心に住む』等に携わる。

2003年9月『R25』を立ち上げ、編集コンセプト・ネーミング・コンテンツラインナップを立案する。2005年4月『R25』編集長に就任。2012年3月まで『R25』フリーマガジン・デジタルメディア戦略担当。

現在はシニア向け温泉予約サービス『ゆこゆこ』の経営企画室長。著書に『R25のつくりかた』(日本経済新聞出版社)。

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