仕掛け屋だより

第4回 季節の自由が丘だより(なんた浜)

2009.10.13更新

第2回 「なんた浜」 前浜 敏さん

こんにちは! 仕掛け屋チームの林です。
早いものでもう、ミシマ社に来て1年経ち、自由が丘にお気に入りのお店が増えてきました。

さてさて。今回ご紹介するお店は、沖縄料理「なんた浜」の前浜敏(まえはま・とし)さんです。

第4回ミシマ社通信
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ここは、ミシマ社メンバーの誕生日会や気合いを入れる飲み会など、何かイベントがあったときによく行く、とても家庭的なお店。
いつも「おじい」が三線(さんしん)を弾いていて、店内は和やかで明るく、大らかな人が集っています。
毎回、敏さんはお店の外までお見送りしてくれて、わたしはそのときにもらえる黒砂糖のかけらが大好きです。
行くとホッとさせてもらえる「なんた浜」。
今回はそこの名物「おばあ」、敏さんにお話を伺ってきました。

自由が丘始まりのお店です

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―― いつもありがとうございます。「なんた浜」、暖かくて素敵なお店ですよね。

敏さんありがとうございます。

―― お店ができたのはどのくらい前ですか?

敏さん昭和46年11月29日、開店しました。当時、この辺は何にも無かったんです。低い家ばかりだったけど、このビルだけ高くて。ここが自由が丘の始まりなんですよ。

―― きっと今と全然違うんでしょうね。

敏さんわたしはもともと大分に居たんですけど、娘がデビューしてこっちに来たんです。長女は「前浜みどり」という名前で歌手デビューしておりましてね。今は山梨のほうに住んでいて、月曜と火曜は娘のところに行くのよ。

―― おっ。では敏さんに会いたいと思ったら、その曜日は避けなければですね。

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敏さんそうですね。

―― 沖縄料理のお店だから沖縄にいらっしゃったと思ったのですが、大分だったんですね。

敏さん大分には38歳から。最初は沖縄の石垣島に住んでいましたよ。

―― その経緯を最初から伺っても良いですか?

敏さん私、16歳の頃からおばと二人で旅館をやっていたの。おばは元々、簡易宿をしていたの。土日によく行っていたんだけど、そこで働く女中を見て「おばちゃん、あの人働き悪いよ。もう少し言って働かせた方がいい」とかね、よく指摘していたんです。その言葉を聞いて、おばは私と旅館をやりたいと思ったようです。

―― それが16歳のときですか? とてもその年齢とは思えない発言ですね。

敏さんそれでおばと二人で働き始めました。2階から滑り落ちるくらい、一生懸命働きましたよ。自分のお店を持ちたいと思ったので、24歳で独立するまで準備をしながら旅館の仕事もこなしていました。

―― なぜ料亭を開きたいと思ったのですか?

敏さん旅館で働いていたから、最初は私も旅館を開こうと思ったんです。だけどおばが「あんたが旅館開いたら、お客さんがみなそっちに行ってしまう。ほかの違うことして」って。だから料亭にしました。

―― 敏さん個人にどんなにお客さんがついていたかがわかるおばさんのお言葉ですね。それをすんなり受け入れて、敢えて未経験の料亭に挑戦するのも、普通できない決断だと思います。ちなみにその料亭って、カウンターだけの小さなお店みたいな規模ですか?

敏さん従業員7,8名で席数50席くらいのお店です。最初は小さな店でしたが、そこが手狭になって、次、また次・・・・・・と段階を踏んで、どんどん大きくなりました。3軒目のお店は、200人の宴会ができる大きなお店でしたよ。

―― そんなに大きな規模のお店って、当時の石垣島で珍しかったのではないですか?

敏さんうちのお店は「蓬莱閣」というんですけど、ほかにも3ヶ所くらいありましたよ。それで料亭をやりながら、26歳で長女を産みました。出産ギリギリまで働いていました。

―― 旦那さまとはどこで出会ったのか、伺っても良いですか?

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敏さんうふふふ(笑)。好きな人です(照)。

―― 敏さん、さぞかしモテたと思います!

敏さんふふふ。

子どもとの約束は、守らなければだめ。

―― そしてその後大分へ。

敏さんそう。大分にいたとき娘がね、1年生になって「お母さん、教育は東京じゃなきゃいけません」って言ったんです。料亭も忙しい毎日だったので、5年もすれば忘れるだろうと「わかった。5年経ったら東京に行こうね」と言っておいたんです。そしたらその5年間、娘は何にも言わなかったのに、4月から5年生になる、というときに「お母さん、4月から5年生よ」って言うんです。

―― 相当賢いですね。まだ10歳とかですよね。ということは、東京に来るきっかけは娘さんの一言だったのですか?

敏さんええ。子どもとの約束は、絶対守らなければだめですからね。私はそんなことすっかり忘れていたので「5年生だからどうしたの?」って聞いたら「『5年経ったら東京行く』て言ったでしょう」って。子どもに嘘は言えないから、3月ごろに兄がいた横浜に行き、アパートを借りる算段をつけました。そのあとは料亭を売る準備に奔走しました。ありがたいことに、お店は有名で繁盛していたから、買い手は多かったです。政府の宴会などもさせていただいてましたしね。アメリカの偉い人とか、石垣島に招待する人は全部うちでやりました。忙しかったですよ。

―― すごいお店だったのですね。でもそこを売ってまで娘さんとの約束を守り、東京に来て「なんた浜」を始めたと。・・・・・・ところで「なんた浜」という名前の由来は何ですか?

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敏さん「蓬莱閣」のお客さまだった、当時衆議院議員の西銘順治さんに相談したときに「『なんた浜』ってつけなさい」っておっしゃっていただいて付けました。与那国にある、浜の名前なの。東京に沖縄料理屋自体が少なかったから、沖縄の方がよくいらしてくれましたよ。そういった方や長女のファンが、今でも支えてくれています。

―― 素敵な繋がりですね。

敏さん最初はね、作るお料理も大変だったのよ。(メニューを見ながら)ミミガーとか、今のようにきれいにできてないから。毛の生えたミミを焼いて作ってたの。今は調理用に綺麗になっているから、すごい簡単よね。ジーマミー豆腐も、豆から皮を剥いて、一から手作り。なんた炒めは、蓬莱閣で出していた料理です。

―― ひとつひとつのメニューに物語があって、段々増えていったんですね。

敏さんそうよ。すっぽんは、東京からいらっしゃるお客さんがいてね、食べさせてあげたいっていうから用意して、食べさせてあげたの。そしたら、御礼のお手紙が届いて。だからわたしも手紙を書いたり、そうして生まれたやりとりもありますね。

―― あっ。ミシマ社も読者ハガキにお返事を返しているんです。そうすると、一人ひとりと直接繋がれるから嬉しいですよね。・・・・・・もうすぐ40年目ですが、ゆくゆくは沖縄に戻りたい、と思うときはありますか?

敏さんお店がここにあるから、ここにいます。お店が私の恋人です。だから、1日でも恋人に会えないと、寂しい。そういう場所です。

―― !!

私はこのとき、敏さんが約40年間このお店に懸けてきた情熱と思いにものすごい覚悟を感じ、何も言えなくなりました。

敏さんそういう気持ちでね、頑張っています。

―― ・・・・・・・素敵です。今日お話を伺って、敏さんのただ優しいだけでない、愛情のこもった厳しさというか、その温かい人柄だからこそ、どこにいてもお店が繁盛するんだなぁと、わかった気がします。

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敏さん大分にいたときも、繁盛しましたね。当時5年生だった長男も手伝わせてたからお店で「僕の分担は何ですか」って言ってたよ。お客さんも喜んでくれましたよ。休みの日に、休まない。子どもみんな連れてお店に出て、商売繁盛させたの。

―― お客さんと接するときに、特に心がけていることはありますか?

敏さんお客さんに対する親切だろうね、たぶん。大切にしてあげること。お料理も、油少なめの健康的なものを心掛けているし、お料理を作るときもお客さんが健康であることを祈りながら、作ってる。

お客さまは、神様です。

―― 言うは易しですが、「人に親切であり続けること」って、実は簡単にできないと思います。

敏さんそう、できないですよ。私はお客さんとケンカしたことないし、来てくれた人みんなに感謝しています。お客さんは神様だと思って迎えてるし、一人ひとり、とっっても大事。何かの歌の文句じゃないけど(笑)。うっふっふ。

―― ここに来ると、どんなに意地が悪い人でも、みんないい人にさせられるというか、そのくらい強い"正のパワー"がありますよね。

敏さんこの前来たお客さんでね、男性と一緒にきた女性なんだけど、突然三線弾いてるおじぃに「席離れてください!」って言ってね。怒ってて、すごい顔していたの。向かいに座ってた男の人をすごい顔で睨んでて。

―― おお! どうしたんでしょうかね。

敏さんそうなの。わたしも驚いてねぇ。そこでその女の人に「さっきね、男の人に怒った顔してたけど、ずっと見てたらあなた、神様の顔に見えてきたよ。神様の顔だったよ」って言ったら、スッと顔が変わってね、涙をボロボロ流し始めたの。「あなたはね、その人を愛しすぎて、あんまり愛しすぎたから神様になったんだよ」って言ったの。

―― ・・・・・・とても深い、です。ただの慰めじゃない言葉ですね。そんな風に自分の気持ちに寄り添ってもらえて、彼女も深いところで救われたと思います。敏さんには、オーバーでも何でもなく、お客さまが皆本当に神様に見えているんですね。そんなときにそんな言葉が自然と出るなんて。

敏さんそういう人もね、いましたよ。やっぱりね、人間は怖いよ。こんな顔もできるんだ、っていうくらいすごい怒っていたけどね。恐ろしいよね。

―― ほかにも、印象深いお客さんはいますか? 悪い意味だけではなくて。

敏さん開店当時にね、招待客だけしか呼んでいない日にお客さんが一人、ぽっと入って来ちゃったの。でね、「今日は招待客だけだけど、あんただけこっちに入って座っときなさい」って入れた人が、今でも来てくれてるの。よかったよかったと思って。アメリカの友だち連れてきてくれたり、何かの節目には来てくれて、ずっと繋がってるの。そいでいつもみんなに言うの。
「ぼくは最初に大事にしてもらったから、この繋がりを大事にしてる」って。

―― そういう小さなことで、人って繋がるんですよね。

敏さんそうよ。あなたも頑張って、成功してください。

―― はい!!

「いい人」かどうか、わかります。

敏さん女はね、旦那が成功のカギよ。

―― ・・・・・んー? え、どういうことですか?

敏さん女はどんなにいい学校出ても、いい旦那が見つからなかったら、不幸に落ちます。

―― そんなきっぱりと!

敏さんわたしは、みんなにそう言うの。女に苦労させる男はダメよって。人間て、あれよ。結婚するまで猫かぶってるから、結婚したら大抵変わるの。たまに変わらない人もいるけど、すごい変わる人もいるから気をつけてよく見なさい。

―― えぇ・・・・そんな・・・・・。わたし、見る目ないかもしれないです。

敏さんお客さんでね、何人も女の人連れてきた人いたよ。「ママさん、わたし嫁さん探したいんですけど、いい人か見てくださいね」って。「いいよ」って言ったよ。そいで玄関入ったときに「この人ダメ」って。また違う人連れてきて、「ダメ」。そんなのが5、6回続いたの。

―― ・・・・・・・何でわかるんですか。

敏さんふふふ(笑)。そしたらね、またある日連れてきた人を見て「この人はあなたにピッタリよ」って言ったら、決めちゃった。今、子ども三人いて、子どもも、もうすぐ成人するの。「成人したら飲みに連れてくるよ」って。みんな幸せに暮らしています。

―― いい話だ。・・・・・・あぁ、なんだか落ち込んだときは、ここに来てしまいそうです。

敏さんいいよいいよ。いつでもおいで。

―― うー、あったかくて泣きそう! 敏さんの懐は、本当に深いですね。まだまだ聞きたいことがありますが、今日はこのへんで失礼します。ありがとうございました!

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「にへでーびる またんめんそりようさい」
(ありがとうございました。またお越しください。)

仕掛け屋は引き続き、自由が丘の素敵人物に迫ります。乞うご期待!!


<プロフィール>
前浜敏(まえはま・とし)
1926年生まれ。1949年、石垣島で料亭「蓬莱閣」開店。
その後、いくつかの料亭をたて1971年、自由が丘で沖縄料理店「なんた浜」オープン。

<お店情報>
なんた浜
住所 目黒区自由が丘1丁目8-20
電話 03-3723-2933
営業 17:00~23:30
http://www.unibirth.org/nantahama/

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