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それでも、島はやめられない(第2回)

2010.10.12更新

「なんか最近、島がアツいよね」

と、ミシマガ企画会議のときに突如盛り上がった三島邦弘とライター・モリ。この夏は三島は水中メガネだけを持って伊豆大島へ単独素潜りへ、モリも八丈島で三度の食事よりも潮の満ち干きが気になる生活を送ったりと、偶然にもお互い伊豆諸島で何かアツいものをそれぞれ感じ取ったのだった。一気に意気投合した2人はまたたく間に、島に魅せられた人々=シマ二ストたち3人を訪ねるインタビュー企画を構想! 島を知り、行き、住み、さらに働く。島解力が一気に上がる満読感でお届けします!!

今号は、まさに今、島へ「住もうとする人」藤澤さんを紹介します。藤澤さんは8年半営業として働いた角川書店という大手出版社を退社し、そのままなんと(!)ライター・モリが年に数回遊びに行っている島根県は隠岐諸島の海士(あま)町へこの秋から移り住むとのこと!! 取材陣もインタビュー時にびっくりのこの偶然。海士の何が彼にそうさせたのか。シマニスト「住む」編、始まります。

(聞き手:三島邦弘・モリオウジ)

プロフィール
藤澤裕介
1979年神奈川生まれ。角川書店で8年半、書店営業を主に勤務。2010年10月より島根県・隠岐諸島の海士町にて島暮らしをスタート。

【第2回】気分だけじゃダメなんだよ。「大人の島移住計画」

藤澤裕介さん

沖縄、そして佐渡島へ。出会いを通して「行く」から「住む」島探しへ

――こんにちは、これからちょうど隠岐へ移住されるということをお聞きして、シマニスト特集として、これはお話を伺うしかないなと思った次第です。

藤澤そうですね。ちょうど3日後に移住ですね。

――3日後! 超・直前じゃないですか!

藤澤いやあ、もう大忙しですよ! 転居先の準備もですし、今の家を売ったり、島で乗る車を買ったり、会社も辞めたりで、毎日手続きに追われてます。

――さらばサラリーマン生活! てなわけにはいかないと?

藤澤ええ全く(笑)。毎日役所に「お世話になります」って電話してますし、友だちとも毎日飲み歩いたりで全然多忙です(笑)。

――おつかれさまです(笑)。とはいえ、念願の島への移住、今はどんなお気持ちですか?

藤澤やっと実感が湧いてきたという感じですね。そういえば、移住先の隠岐諸島・海士町の漁協で働くことが決まって、予習に川崎市中央卸売市場北部市場に見学に行ったんです。

――感心ですねぇ。

藤澤朝5時に市場に着くためにタクシーを予約して乗ったんですが、偶然そのタクシーの運転手がその市場で働いていた人だったんです。それでいろいろ話していたら、「夢に向かってがんばれ」と応援されて、握手までしてもらいましたね。もちろん市場も楽しかったです。

――すごい偶然・・・。人生の節目には面白い出会いがあるものですね・・・。藤澤さんの島との出会いというのはどういうものだったのでしょうか?

藤澤出会いとしては、大学のころに行った沖縄でしょうか。その後、新卒で角川書店で働き始めて、入社2年目ぐらいのときにもう一度沖縄に行って、ますます好きになって、年に3回ぐらいのペースで行き始めました。

――島の何が藤澤さんをそこまで惹きつけたのでしょう?

藤澤いろいろありますが、自然に近いところにいたいのと、海が大好きだということですね。何より、都会の暮らしでの、過剰なモノの多さにウンザリしていたんです。街中にあるコンビニでも何でも、とにかくモノが多い。島では過剰なものなんて何ひとつありませんからね。それが気持ちいいと感じたこともきっかけでした。

――海好きということで、ダイビングをされるということでしょうか?

藤澤ええ、シュノーケルですが。自然の中に行くのにいろんな機械を背負うダイビングはあまり性に合わなくて。できるだけ素潜りに近いほうが、海との一体感もあって、好きですね。何より、自然への畏れというものをちゃんと感じることができる。どこへでも行ける機械で自然に触れるのではなくて、畏れや尊さの実感が沸く範囲で踏み入ったり踏みとどまったりするのが大切だと思っています。

――あー、わかる気がします。そうして美しい沖縄の海に行かれていたとき、その時にはもう住むことも意識して行かれていたとのでしょうか?

藤澤いつかは、とは思っていましたが、まだ漠然としていました。住むのと遊びに行くのとは違うという世間の常識にも、いい意味でも悪い意味でも捕らわれていました。それに、沖縄はかなり長い年月住んでいても"よそ者"扱いされる風土が、ちょっと寂しいなという感覚があって、踏み切れませんでしたね。

――踏み切るきっかけとなった出来事など、あったのでしょうか?

藤澤2年前、佐渡島に行ったんです。その時はすでに島暮らしには現実的な興味を持っていました。そして島で出会った方に感銘を受けたんです。
GWを使って妻と初めてのキャンプをしに行ったのですが、キャンプ場が一杯だったんです。それで、困ったな、と思っているときに、一組限定の貸切キャンプ場という怪しい場所を見つけて行ったんです。

――キャンプする場所で一組限定なんですか(笑)。

藤澤それで管理のオッチャンに連絡して行ってみると、そこがただの田んぼの休耕地で(笑)。スコップを渡されて、「トイレはこれで」レベルなんですよ。それで、そのオッチャンによると「今日は天気が崩れそうだから早めに買い物とか済ませとけ」ということだったので、言うとおりにしてると、本当に嵐になって。初キャンプで、灯りもロウソクぐらいしかなくて大変だったんです。するとオッチャンがしばらくするとテントに来てくれて、「もうすぐ止むからがんばれ」と、時間ごとの天気の推移が書いてあるメモをテントに放り込んで帰っていったんです。それで、妻といっしょに「オッチャンかっこいいー」とか思って(笑)。

――かっこいいですねー。

藤澤裕介さん

藤澤それで惚れ込んでいろいろ話を聞いたんです。そのオッチャンは普段、島で半農半漁で暮らしているんです。彼はものを売ることについて様々な知恵があって、魚類や山菜を自分だけの付加価値をつけて、東京の料亭と直接やりとりするなどしていました。佐渡にいながらビジネスモデルをつくってお金を稼げているのです。田舎の人なんてイメージは全然なくて、何事もやり方次第だなと感じました。彼が大好きになって、翌年のGW(つまり昨年)にも行ったんです。そして妻といっしょに、彼に弟子入りしようかと話し始めました。

――師匠を見つけるのは、島暮らしにはもっとも必要なことですもんね。

藤澤彼が、島で自然の恵みを売って生きる、というのをリアルに感じることができた最初の人でしたね。彼との出会いが、島への意識を「行く」ところから「住む」ところに変えてくれました。

海士との出会い、「住む」島探しのための島の行き方

――しかしそれでも、佐渡島に住む、ということには至らなかったのはなぜなんですか?

藤澤島のサイズですね。佐渡島は、わりと大きな島なんです。だから行ってみるとちょっとした地方都市、といった感覚なんです。それがどうも、最後まで僕を踏みとどまらせていた。もう少し小さい方がいいなと思ってたんですね。

――では、今回移住先の海士との出会いは何だったのでしょうか?

藤澤最初は新聞でした。昨年の秋に日経新聞で、離島の地域振興などを取り上げる特集があって、10回ぐらい連続で海士町の地域活性化について特集があった。この海士町の島おこしは、財政破綻しそうな経済状態からスタートしました。町長が中心になって役員達が自主的に給与カットをして、その余剰で産業を起こそうとしたんです。そして、岩牡蠣の養殖などがうまくいって、地域が再生した。そうしたことが話題になって、日本中から人がやってきました。2400人の島民の中で200人ほどが移住者なんですよね。何より、よそ者を受け入れる気質というのが功を奏した島です。それを読んですっかり感動して、まずは行ってみようと思ったのがきっかけでした。

――まずは行ってみて、どうでしたでしょうか?

藤澤ドンピシャでしたね。まず、気持ちが「住む」島探しになってるし、暮らしぶりの深くまで切りこもうと思ったんです。それで、観光だとあくまで来訪者ということになるので、出発前に日本橋にある島根県のアンテナショップの定住相談コーナーでコネクションをつくったんです。

――そういうアプローチ、大切ですよね。

藤澤すると、東京から島に移住したひとが、たまたま帰っていて、東京でバーをやっているということだったので、そこにまず行ってみました。いろいろ話を聞いて「行けばいいじゃない、ダメだったら帰ってきたらいいじゃないの」ということになったんです。「私たちは行って本当に楽しかったけど、それがあなたにとって本当に楽しいかは、行って自分で確かめてみるしかない」この言葉は響きました。そこで海士の人も何人か紹介されて、段取りが整いました。

――何事もそうですね。研究は必要ですが、最後の最後は自分の目と感覚が大切。

「住む」のと「働く」のは同じレベルで考えよう

――仕事探しはうまくいったんでしょうか。

藤澤基本的に仕事がなかったら住めませんからね。全ては仕事です。島は小さなコミュニティですから、必要とされていない人はいません。だから、必要とされないと島へは行けないな、と思っていました。

――なるほど、なるほど。島は豊かで、のんびりしている、なんて誤解がありますが、真逆ですもんね。自然が豊かな分、島で働いて生きてゆくのは都会のそれよりも、ずっと大変なことが多い。とにかく、まったくスローなライフではない(笑)。

藤澤その通りですね。それで実際海士に行って、仕事を紹介してもらったんです。それは定置網の仕事でした。どういう仕事かというと、オッチャンが海を指さして「ほら、あのへんにブイが浮いてるだろ? あそこに行って魚を採るんだよ」というものでした。この方も大阪から来た人だということでしたが、今はすっかり田舎の人、という感じで(笑)。昼の2時ごろにジャージにヒゲ面で、タバコをプカっとやりながら出てくるわけです。でも、やっぱり例の佐渡の師匠なんかを見てますから、ちょっとこれは違うなと。それに、これまでの経験を多少使えるものがいいなとも考えていて、定置網なら、漁業をずっとやってきた人に比べてものすごいビハインドがあるでしょ? 大手出版社で、多角的な戦略を考えてものを売ることをしてきた自分のフィールドに近いことをしたほうがお互いに良い、そう思ったんです。

藤澤裕介さん

――住むということは、住んでいる人との共同作業ですもんね。

藤澤結局その時は仕事が見つからなくて。でも、5年以内には海士に移ろうと帰りのフェリーで妻と決意していました。何事も期限がないとスタートがなくなりますから。それで、東京の日常に戻ってきました。そこから、いろんなことを経験したほうが人間としては面白みが出るなと思い、まず働き方を変えようと思ったんです。

――働き方がひとをつくってゆきます。

藤澤それで、5年の期限がありますから、まずは2、3年を使って出版のことをなんでもできる人になりたいと思ったんです。自分の勤めている大手では、分業も進んでいて、本を制作して売るという全工程に関わることはできないので、転職しようと思って何社か回ってみました。しかし、どうもうまく行きませんでした。この時期はすごく停滞感を感じていました。それで、自分が海が好きだから、とにかく原点回帰してみようと思って、就職サイトに「海」って入れたんです。

――そのキーワードで検索するひと、かなりレアですよね(笑)

藤澤すると海士町が出てきたんですよ!

――なんと!!

藤澤しかも漁協だったんです。もう、連絡くれよ! 連絡くれることになってたじゃねえかよ!! って思いましたよ(笑)。午前2時ぐらいに熱くなってしまいました。海士にぐいぐい引き寄せられてるのを感じましたね。そしてさっそく申し込んで、今年の7月20日に面接でした。それで無事合格して、行くことになったんです。受かった翌日には会社に辞表を出して、8月末に退社し、移住は9月末に決めました。5年ごしの計画が、わりと数カ月で達成できてしまった。

――すごいスピードですね。漁協ってどういう仕事なんですか?

藤澤海士町はいろんな分野が活気がありますが、それに一番立ち遅れているのが漁協なんです。島で成功した岩牡蠣の養殖とかは実は移住者が中心になってやっているんです。島に昔からいた漁師さんの水揚げで売上げを立てている漁協そのものは経営も赤字。素材ふくめ、せっかくいいものがあるのに、それを上手く動かせていない。その立ち遅れている漁協の売上を上げる、というのがミッションです。そのための新規事業をやる人の募集でした。新しい販路をつくってもいいし、新製品を考えてもいい。2年間を目処にがんばってくれとのこと。これなら自分の今までのことも生かせるな、と感じました。成功したら、離島の漁業で「こういうやり方があるよ」というのを他のいろんなところにノウハウとして提供したい、そんなことも今は考えています。

仕事帰りに釣りをするのが、夢!

――運命が人を引き寄せる力には、いつも驚かされます。移住に際して、藤澤さんの身近にいた人々の反応はどうでしたか?

藤澤中学や高校からの友人は、ほとんど島の話はきかずで「どこにあんの? まあがんばれや」みたいな感じでしたね(笑)。まるでいつもどおりの飲み会でした。大学の友だちとかは、なぜこういう選択をしたのかが興味があるみたいで、自分の人生を考え直すきっかけになったと話してました。会社の人はびっくりと羨ましいというのが多かったかな。

――なんだか人生の縮図みたいですね。ご両親はどうでしたか?

藤澤自分の父は、「自分のやりたいようにやれば」と言ってくれたんですが、母は、結構逆上して(笑)、「なぜ今の生活を捨てて、そんな島流しみたいなとこに行くんだ」って理解してもらうのに時間がかかりました。それで、島の特集をしているビデオを見せたり本見せたりしてましたね。すると、だんだん母が僕も知らないような新しい情報とか仕入れくれるようになって(笑)、ようやく理解が進みました。

――おお、それはよかったです。いい旅立ちにしたいですもんね。奥さんの両親にはどのように説明されたんですか?

藤澤実は妻の両親のほうが理解があって、「いいんじゃない」という感じでした。

――意外ですね(笑)。

藤澤「いろんなことをやって、いろんなふうに感じればいいじゃない」ということで。叩き上げのサラリーマンだったお父さんなのですが、「時代が時代だからサラリーマンに収まらない人もいるからな」と話されてました。少し時代を感じるとともに、なんだかほっとしました。みんな応援してくれたり楽しみにしてくれているので、その期待に添えるようにがんばりたいと思いますね。

藤澤裕介さん

――なにが一番楽しみですか?

藤澤実は僕は夢があるんです。それは、仕事の帰りに魚を釣って、それを晩飯で食うという生活です。

――うわあ、いいですね!!

藤澤あと、『放っておいても明日はくる』という高野秀行さんの本を読んで、好きなことをして暮らすのはありなんだなと背中を押されました。よく常識が邪魔をしますが、本当に好きこそ物の上手なれで、好きなことしかがんばれないものです。単純ですが、好きなことを真面目にがんばるというのは、大切なことです。もっと「なんだ、好きなことして生きれるじゃん」って思ってくれるひとが、自分の周囲でも増えたらいいなと思います。

――素敵ですね。また島の暮らしでのレポートもお待ちしていますね。夕食のために釣った魚なんかも教えてください! 今回はありがとうございました。

海士にきて数週間たったころ、藤澤さんからこんなメッセージがきました!

金光寺山から撮った景色

金光寺山から撮った景色

こちらに来てから、とにかく朝起きた瞬間から楽しくてしょうがありません。寝室で目が覚めて、そのままの体勢で最初にすることはカーテンをまくって空をみることなんです。とにかく眺めが良いのです。天気だと、パチッと目が覚めます。なんだかうきうきしちゃうんです。

朝食を食べれば、海士町の米がとても美味しいんです。(贔屓目にみても)

7:30から漁港で出荷の仕事から始まるんですが、いつも30分くらい早めに行って漁師さんの手伝いをしながら、いろいろ海の話や自然の話、家族の話を聞きます。仕事がひと段落すると、大漁の日はその日の水揚げのおすそ分けをいただけます。これがまた、最高! 食べきれず、我が家の冷凍庫はイカで満杯です。


地元の海の幸

地元の海の幸

お昼はお弁当を漁協の職員が揃って食べます。NHKを見ながらゆっくりお話をしてお弁当ですよ。もう、別世界! 以前は昼が食べられない日もよくありました。

もちろん、仕事の段取りなどで効率が良くないと思うことはあるのですが、それはこれから相談していけばよいことですし、またそれが楽しみです。

こないだインタビューでお会いしたときは最高に太っていた私でしたが、体重が徐々に落ち着いてきました。体を動かして仕事をすると、夜更かしができないんです。ご飯食べてビール飲むと、もう眠いです。でも、だからこそ翌朝パッチリ目が覚めるんでしょうね。


海士で痩せた藤澤氏

海士で痩せた藤澤氏

望んでいたとおりの自然に囲まれた生活。まずは、自分たちが決断して手に入れたものが贋物ではなかったという喜びがあります。

そして、その決断によって広がる縁があります。

この生活を楽しみつつ、次の夢に向かって考えながら生きていきたいと思います。まだまだ、夢の途中であります。


次回は、「島」特集のラスト。「実際に島に住んでみて」をお届けいたします。

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