特集

それでも、島はやめられない(第3回)

2010.11.01更新

「なんか最近、島がアツいよね」

と、ミシマガ企画会議のときに突如盛り上がった三島邦弘とライター・モリ。この夏、三島は水中メガネだけを持って伊豆大島へ単独素潜りへ、モリも八丈島で三度の食事よりも潮の満ち干きが気になる生活を送ったりと、偶然にもお互い伊豆諸島で何かアツいものをそれぞれ感じ取ったのだった。一気に意気投合した2人はまたたく間に、島に魅せられた人々=シマ二ストたち3人を訪ねるインタビュー企画を構想! 島を知り、行き、住み、さらに働く。島解力が一気に上がる満読感でお届けします!!

最終回は、島根県の離島・海士町で起業した28歳の若者を紹介。彼は東京のウェブ制作会社の退職とともに、日本で数少ない離島ベンチャーを海士で起業した。その背景にはどんな動機があったのだろう?

(聞き手:モリオウジ)

プロフィール
信岡良亮
巡の環取締役。ITと情熱で、海士町の魅力を発信し続けている28歳。

【第3回】島のムーブメント、つくってます。

信岡良亮

離島で起業する、という選択をした若者

――今回はありがとうございます。というか、ひさしぶりですね。

信岡そうだね、去年の夏のツアー以来か。

――あのときは、「巡の環」の阿部さん(立ち上げメンバーのひとり)といっしょに海に潜って、漁師さんにサザエをもらって、それをその場で刺身で食べたりしました。自然が本当に豊かな島だなと実感しました。

信岡この特集の最初の回に出てきた「シマダス」の取材、この島にも来ましたよ。海士の呑み屋で一緒になりました。熱いですよね、あの本(笑)。僕の同僚の阿部はシマダスファンで、無人島とか探すのに使ってましたよ。

――本当に!? いやーすごい偶然ですね。改めてシマダスのすごさを実感です。最後は島で働く信岡さんにシメてもらおうと思います! 海士で起業した「巡の環」について、立ち上げの経緯を教えてもらえますか?

信岡設立は2008年の1月です。その前は、僕は東京にあるウェブのベンチャー企業でバリバリ働いてたんですよ。大手企業の採用専用サイトとかを手がけている企画制作会社でした。

――そうだったんですね。

信岡その会社自体も、大学の先輩たちと立ち上げました。僕だけが新卒で働きはじめて、大変な毎日でした。まず圧倒的に仕事ができない。社会人経験ゼロだったから、もう超・お荷物でした(笑)。最初は営業をやっていたのですが、4月頃から入って、9月まで売上ゼロ、貢献ゼロといった感じで。

――それは大変ですね・・・。

信岡そして、最初に始めた会社が仲の良いベンチャー企業と一緒になってさらに規模が大きくなりました。そこで一緒に働いていた仲間はすごく素敵で魅力的だったんです。でも、ベンチャーの世界って、ビジネスモデルをガリガリ変えていかなければならないし、顧客がそれによって幸せを感じているのかもわからなくなってしまって。それで僕自身も幸せを感じなくなった。このままじゃいかんなと思って、いろいろ考えだしたんです。

――幸せを考えているヒマもないほど、移り変わりが激しいですもんね。

信岡うん。島の暮らしとは大違いの、資本主義の真っただなかみたいな世界じゃないですか。結果的に心も体もついてこなくなったんです。それで2007年の6月に会社を辞めたんです。その少し前から、神奈川で環境系の雑誌をつくっている編集者たちとシェアハウスをする機会があったんです。

――なるほど。

信岡それで彼女たちから話を聞いていたら、「環境」や「持続可能」というようなキーワードが出てくる。最初は他人事だったそういう世界から、いろいろ話を聞いていくうちに、僕がウェブ制作のベンチャーという資本主義どっぷりの世界で働くことに幸せを感じないことも、あながち間違ってないなと思ったわけなんです。それで、次はちょっと資本主義じゃない方向へ行こうと考えたんですね。それで、最初は東京で少しでも環境のためになる仕事をしていこうかなと考えたんです。でも、どれも5年以上続けられるイメージができなかったんですよ。

――どうしてだったのでしょう?

信岡有機野菜とか環境系の勉強会などに参加していると、みんな土日は持続可能とかエコとか、農業にいい事しようみたいなことを言ってるんだけども、結局月から金までは資本主義の大量生産に加わってるんですね。本当にやりたいなら、田舎でそういうことができるところで働けばいいじゃないか、と思ったけど、田舎には雇用がないからそれは無理だという現実があるんです。都心の会社をやめられないわけです。田舎に雇用がないということは、持続可能や有機野菜などの持つ社会観を推し進めるための機会がないということだと痛感したんです。

――関わりたくても関われない現実。それが、「巡の環」の起業に結びついたと?

信岡起業へのモチベーションは確かにその延長上にありましたね。この問題を根本的に改善するには、田舎で雇用が促進される状況をつくることが必要だと感じて、それを仕事にできないかと考えたんです。それで、シェアのメンバーと話していたら、海士町の町長の本「離島発 生き残るための10の戦略 (生活人新書)」と出会って、感動したんです。海士町は当時から、地域活性や地域経済の再生といったトピックで、メディアに取り上げられていました。町長が自分もふくめ、役場の職員の給料をカットして、それを島おこしに使っていること、若者が次々に島へIターンして、いろんな事業を生み出していること、いろんな話に感銘を受けました。そして、知り合いが行っていることも知り、3泊4日遊びに行って、即座に移住することを決意しました。

――なるほど。では、そもそも島、というわけではなく、海士町だったと。

信岡島の暮らしには憧れがありましたけどね。ほかの選択肢に僕はわくわくしなかったんです。都内に身を置く環境ジャーナリストとか、有機野菜の流通とかそういう役割も非常に重要ですが、僕は「伝達の実践者」という立場ではなく、「生活の実践者」という立場にいきたかった。僕が尊敬している、インドのガンジーさんが「見たい変化にあなた自身がなりなさい」と仰っていて、僕にとっての見たい変化は生活の実践者の増加だったからだと思います。

――確かにそうですよね。

信岡応援する人が増えることは素晴らしいことです。ただ、田舎に実際に行く人が増えないと僕が問題と思っていることは解決しないですからね。実体がなくて、語り部だけが増えている状況が現在のエコバブルだとも思います。伝える能力や知る力の欠如が現在の問題ではなくて、未来への恐れを手離す勇気の欠如が問題だと僕は捉えています。都内の高層マンションの上でプランターに野菜を植えて、「農業っていいよね」と言っているようなものにしか映らなかった。それと、田舎で土耕しながら、いっぱい虫が出るなかで、「農業って本当に大変だけどやったほうがいいよね」っていう感覚って、全然違うじゃないですか(笑)。そういうことだったんです。もちろん、いいんですよ。マンションの上でも。何もしないよりは絶対いいです。でもそれを20年やっていって、このライフスタイルいいよって自分が言えるかどうか。自ら実践者になって得るものとの差を歴然と感じたんです。

――こっちのイメージだと田舎で、農家で、となるとロハスだとかスローだとか言われるけど、現状は全然違いますよね。

信岡良亮

信岡そうそう! 全然違う。東京でいちばん感じたのはそこで、いろいろ勉強会やイベントで「田舎でスローな暮らしを」とか「自然栽培でロハスな生活」というキーワードはたくさん見かけるけど、実際、いっしょに苦しんでみないと、違うんじゃない? という感覚だった。


島を発信するという試みを通して、ファンを生み、雇用をつくる

――「巡の環」の事業はどういう活動なのでしょう?

信岡業務としては、イベントの企画・開発や、「海士webデパート」とかの、島の生産物を本土で流通させるためのウェブ上のインフラ整備、そのほか企業を対象に、食や暮らし方・働き方などに関する社員研修などの教育事業もやっています。

――島で起業したばかりの頃、苦労したことはありましたか?

信岡やっぱり、「どこの誰って聞かれたときに、役場とか農協とかではなくて、「巡の環という会社をつくりまして...」っていうのはちょっとハードル高いよね(笑)。だから最初は、頼まれたものを何でも引き受けるというようなことをしてました。親交も含めて、金銭よりも先に、島に住まわせてもらって、まず島のことを学ばせてもらえる環境づくりをしていました。

――島に来て、住むならまだしも、そこで起業してしまうケースですもんね。

信岡ほとんどないと思うね。今年で3年目だけど、生きながらえているだけで希少動物みたいなもんですよ(笑)。まず生き残れることはほぼ想定していなかったからね。ノリだった。大事だと思うからやりたいという気持ちだけで動いていた。社員それぞれのスキルを使い、一年目は島で好きなことをやって食えるかというチャレンジ。2、3年目は島で自分たちが本当に幸せになれる雇用形態やチームをつくることをやり始めた。

――イベントは本当にいろんなやり方をされていますよね。

信岡そうですね、僕らのことを理解してくれる人を島の内と外に同時に増やすということが大切だと思っています。大きなイベントとしては、去年、「海士音(あまね)」という島の音楽祭がありました。島の外からミュージシャンを連れてきて、ライブを開催し、同時に来場者に島のことを知ってもらうため、食や自然をキーワードにツアーを組みました。島の祭りを、島の外から来た僕たちが、お客さんたちとつくるというのが挑戦でした。

――海士のイベントにはいつも大きな感動がありますよね。去年の「海士音(あまね)」にも参加しましたが、本当に島の外の人もなかの人も、みんなで楽器を持って祭りをつくっていった。

信岡最近では、そうしたイベントで海士に来てくれた本土の人を集めて、「AMAカフェ」というのを都内などで開催しています。昨年の「AMAカフェオールスターズ」というイベントでは、海士の食材とともに島から15人くらいスタッフを連れて行って、100人ぐらいを集めるパーティーを行ないました。島に来てくれた人を同窓会のように集めて今後につなげていく。島のなかでも外でも、どこにいても意思を共有しているチームをつくるのが大切です。そうした動きは他のどの島でもやっていないことです。

――本当ですよね。

信岡でも、ひとつひとつのイベントは非日常ですから、日常のなかで僕らのことを理解してくれる人を、島のなかと外、同時に増やすというのが最終ゴールなんです。もっと欲を言えば、島の日常のなかで僕らが学ぶこと自体が事業になっていくと最高です。教えたい、知ってほしいではなく、学びあうチームになっていくプロセスが仕事。そこへ行き着くために、海士で親友と出会ってそれから親交を深めたり、さらには「海士webデパート」で定期的に海士の食材を買ってもらったりしてほしい。そうすれば僕らがもっと島のことに詳しくなれて、応援してくれる人に得た知恵をお裾分けできる。海士への気持ちを僕らが吸収して、島のことをみんなで一緒にもっと好きになることも大切。イベントは毎日のアクセントとして、あるほうがいい。

田舎で楽しく暮らすことを伝える、学校をつくる

――どうやって雇用を創出しようと考えてるのですか? 

信岡島にもともとある雇用には限度があります。だから僕らが事業をつくって、新しい雇用を生み出していくことが大切だと思っています。そのひとつに、教育事業があります。大手量販店のクライアントさんに、社員研修として、海士の食や取組みについての考え方を合宿スタイルで学んでもらったりしています。ゆくゆくはこの教育事業を会社化して、「田舎で楽しく暮らすための学校」づくりをしていけたらと思っています。田舎暮らしのイメージと実際のギャップを埋めるための教育事業ですね。田舎でゆったりと暮らすライフスタイルに人は憧れますが、実際に田舎で家庭を持ったり、継続した収入を得て楽しく暮らすには、相当なスキルが要る。農業や漁業で暮らしを立てるのは本当にたいへんです。それを実際に住んで起業した僕らと一緒に挑戦する学校です。完成系を教えるということはできないと思っています。簡単に解決できる問題ではありません。なので挑戦する姿勢を一緒に磨き上げることが重要だと思います。

――とても面白そうですね!

信岡国の補助金を使って、その教育のコンテンツづくりのために、実践者として島に住んでもらっている人もいます。どれほどの学びが得られるか、テストをしているんです。それがちゃんと成立したら、僕らもお金をもらって、「島に学びに来ませんか?」ということが言えるようになる。そうなってくると、新しく運用する会社を設立しなければならなくなるし、そこでの雇用も生まれていきます。

――なるほど。自分たちが会社をやっていくこと、そのすべてが新しい雇用を生んでいく。

信岡雇用もですが、いまの社会システムに対する問題提起もあるんです。都会の暮らしが成り立つのは、本当は今の社会システムがゆがんでいるからで、それを本来のかたちに戻す必要があると感じています。どういうことかと言いますと、島には食料は豊かにありますし、人口あたりの資源も十分で、エネルギーもそれほど使わずに暮らしていくことができます。でも、商品を大規模生産することができないから、産業化できるものが少ない。結果的に現金が得られず、住みにくいという状況が生まれています。でも、本来は都会のほうが人間にとって住みにくいはずなんです。人が集中しているところというのは治安や清潔の維持も、食料の供給も、本来ならコストがかかるはずです。それがなぜ成立してしまって、田舎よりも豊かなのか。なぜ何も生産していないのに、あんなに安く飯が食えるのか、不思議ですよね。

――本当ですね・・・。

信岡島にいると、都会の暮らしのいろんなことがおかしい、というのがよくわかります。例えば漁師さんはがんばって魚をとってるのに、年間200万円ぐらいの収入しかない。でも本土でその魚の流通をやっているだけの人が、なぜか漁師さんより儲けている。さらにその人から税金をとっているだけの人が、一番人生が安定している。これって、不思議だよね?

――確かにそうです。

信岡他にも、例えば自動車産業。車が走っている道路は、国の税金でつくられている。ということは、本来なら、自動車産業の人が道路をつくる費用や維持する費用も負担し、その利益を上乗せした金額で車を売らないといけない。もしそうすれば、車は高くて売れないものになるはず。
一方漁師さんは、(国から補助が出ていた時代もあったみたいですが)船を全部自分のお金で買って、自分で仕事をしている。国が農業や漁業補償をすれば税金のばらまきと言われるのに、自動車産業の人が高級を取っていても、自分の労働対価として受け取れる。銀行とかもそうかな。これって、ちょっとおかしいよね。
さらに日本は、世界中の食糧を大量に輸入してるけど、そのために全体の価格が下がって、農産物をつくっている農家の人が食えなくなる。これもおかしい。競合になっている海外の農産物などは補助金がたくさん使われているのだからこちらだけハンデなしで戦えと言われているようなもの。
補助金をもらわないとやっていけない農家さんたちに対して、「もっとちゃんと考えろ」と言う人が多いけれど、実際問題、誰のせいでこうなっているのか、わからない構造になってしまっている。このへんの不思議さがどうやれば伝わるのかいまは考えていて、将来の学校づくりに生かしたいと思っています。

――東京にいたら、まったく気づかないです。というか、気づかないということはその仕組みのなかに完全に取り込まれているってことか。僕らは普通に暮らしているだけで、自分の国の一次産業を圧迫している・・・。学校づくり、また経過を聞かせてくださいね! 最後に、最新のイベントの告知をしていただきたいと思います。

海士

信岡はい。いまは12月に「海士と大地の守人ツアー」というのを開催します「大地を守る会」を主催されている藤田和芳さんを島へご招待して、海士町長の山内道夫さんと対談していただきます! 藤田氏は日本の有機野菜を推進する活動のトップランナーで、「100万人のキャンドルナイト」にも加わっている、世界の環境起業家トップ200に選ばれる人です。「一次産業×地域活性、残したいものを自分たちで守る」ということについて、意見を交わしていただきたいと思っています。
対談の模様はUstreamで配信します。都内のあちこちでサッカー観戦みたいに、海士の食材を食べながら見てもらいたいと考えています。海士を知っている人も、これから知っていく人もいっしょに、島時間を共有したいと思っています!!

――気づきにあふれたお話をありがとうございました。

今回、巡の環が開催した「海士の食を巡るツアー」に参加してきたレポートをお送りしたいと思います!

美味しいとは何かを考える力がつく「海士の食を巡るツアー」

10月1日、「海士の食を巡るツアー」の初日。羽田空港で朝一の便で米子へ、さらに七類港からフェリーで揺られること数時間、海士町の菱浦港へ。

都内から6時間弱で、海に囲まれ、豊かな緑をたたえる島・海士町へと辿り着きます。

宮地さん

宮地さん。農家のこせがれを実家に返して農業に従事させる「農家のこせがれネットワーク」を主催。

今回は食を巡るツアーということで、都内で飲食業に関わっている人たちが集まっていました。テレビにも多数出演されているラーメン屋「麺屋武蔵」の矢都木二郎さん、「一次産業をかっこよくて、感動があって、稼げる3K産業に。」を合言葉に、自身も実家の養豚場を経営する「みやじ豚」の宮地勇輔さんほか、僕を入れて計7名でのツアーでした。みな、食の実践者ばかり。それも東京で第一線で活躍されている方たちばかりで、海士の求心力には本当に驚かされました。

海士には実にたくさんの食材があります。島のいたるところで放牧され、島の自然で育った「隠岐牛」。透明度の高い、自然のままの海で育ったいわ牡蠣「春香」。水平線の彼方に漁火をともすイカ漁。農薬を使わないでつくる、おいしい島の米「あいがも米」。木から煮出す、真紅で美しい島のお茶「ふくぎ茶」。海の恵みを結晶させた「海士塩」・・・。その豊かな種類は、自然の豊かさそのものを現していました。


高松さん(右)宅にて

高松さん(右)宅にて。みな笑顔で食が進みます。中央の男性はAll Aboutでフレンチのガイドを務める嶋啓祐さん

ツアーのなかで、海士で生まれ育たれた高松さんのお宅に行き、郷土料理をいただきました。その島で昔から採れるものを、昔からの料理でいただく。長い時間のなかで、四季と素材の味を一番引き出せる知恵が生まれ、人々に愛され続けてきた食事は、優しく、過剰や不足なものが一切なく、幸せな滋味に満ちていました。

また、島には伝統的な「こじょうゆ味噌」というものがあります。小麦や米、大豆を発酵させてつくるこの味噌は、島では醤油のように使われています。一口食べてみると、醤油のような香りと、味噌のような複雑な味わいを感じます。スルメやキュウリ、島で採れたものは「こじょうゆ味噌」にとてもよく合う。「うちの息子も、島に帰ってきたときは"何年経っても、これは旨いな"なんて言いながら、酒を飲んでますよ」飾らないから変わらない味。だからこそ、いつまでも愛される味なんですね。


高松さん宅の食卓、こじょうゆ味噌

【左】高松さん宅の食卓。どれも本当に美味しい。
【右】こちらが「こじょうゆ味噌」。スルメにも、キュウリにも。

向山剛之さん

農家の向山剛之さんを囲んで島の外の人・内の人合わせて意見を出し合います。

その反面、海士でも今や外から入ってくる安い食材が出回り、農業は痛手を受けていました。「昔は味噌も醤油も家でつくっていた。梅干、たくあんもすべて家でつくっていたがその文化がなくなっていった。それらがすべて、購入するものになっていき、島内の農産物が求められなくなった。」海士町の有機米研究会代表を務める向山剛之さんはそう話します。島でつくったものが、島の外からきたものに取って代わられる。この現状をなんとか打開すべく、島の大豆とにがりを100%使った豆腐など、付加価値のある加工品をより様々につくる試みをしているといいます。


磯野公夫さん

漁師の磯野公夫さん。海上サラリーマンを名乗っている。

続いて、イカ漁にも参加させていただきました。漁師の磯野公夫(いそのきみお)さんは、イカ釣協議会会長を務める漁師さん。ツアーメンバーとともに船に乗り、波に揺られながら夜の海へと出ます。

水平線の彼方に、漁火がにじんでいました。それは、水平線の向こうまで出て、夜通しイカ釣り漁をおこなう漁師さんの姿そのものでした。
針のついた釣り糸をたらし、漁火(船上の光)でイカをおびき寄せて釣り上げます。今では機械で釣り上げることもできますが、手だとなかなかうまくいきません。漁師さんは夜の海でひとり、群れを探しては一晩中イカを釣り続けます。

漁火、イカ釣り

【左】船から見える水平線の向こうの漁火。
【右】漁火のなか、イカを釣り上げる。墨が勢い良く吹き出す。

スーパーの陳列棚で、発泡スチロールのトレイに乗って並らぶ、たたき売りの魚を疲れた表情でカゴに放り込んでいた買い物が、なんだか虚しく思えてきました。
「僕ら漁師というのは、とった魚がそのまま、食べる人の所に届いたら一番嬉しい。そりゃ面倒かもしれないけど、切り身じゃなくて、とったままが届けれたらいちばん嬉しいよ。自分の親戚にも送るが、"磯野さんのお魚は本当に美味しいんだよ"って近所の人から言ってもらえたとき、自分がとったものが届いてるって気がして、とても嬉しいんです。」こんな言葉も、いっしょに船に乗って、少しの時間だけれどイカ釣りを実際にやってみると、本当に心に沁み込んでくるようでした。

美味しさとは何なのだろう。東京には日本中の食材が、世界中の料理があります。でも、調理されたものをただ舌の上に乗せて、それが旨いだの不味いだのというだけで味わった気になるのは、その味を、さらには食の文化的な豊かさを、実に半分も味わっていないことのように感じました。もちろん綺麗事かもしれないし、僕をふくめ、そんなことを考えている時間も、ないのかもしれません。

民宿の朝食

民宿の朝食。朝からサザエのつぼ焼きが出るのが島ならでは。

でも、誰にでも故郷があります。そして故郷には、その土地に根付いた食材と、料理があります。海士の料理や食がこんなにも美味しいのは、ここに住む人達がそれを大切にし、残してゆこうという気持ちがあるからだと感じました。
そこに住む人が、ちゃんと育ててつくったものに目を向けること、自分の故郷に、その家庭にちゃんとそれが残せているか考えること。帰るべき味があるのかどうか思いをめぐらせること。多くの人がそうした振り返りをすることで、きっと文化としての食はもっと豊かになる。心から美味しいと言えるものに出会えるのは、そういう時、そういう食の文化の風味に触れたときなのだろう。そんなことを、このツアーから感じました。

さて、3回に分けてお届けしてきました「島特集」、いかがでしたか?
島に「通う人」津田さん、島に「住もうとする人」藤澤さん、そして島に「住んでる人」信岡さん、魅力あふれる三人の方々にご登場いただきました。
それぞれ島とのかかわり方は違いますが、強烈な「島愛」という点ではまったく 同じようにも感じました。
島には、人の人生を変える力がある。
そう思わずにいられない特集となりました。
これからも、ときどきこの特集を思い出しては考えたいと思います。
どうして島は、こんなにもぼくたちを惹きつけてやまないのだろう?
それを知るためにも、とにかくまずは島に行こう。
いざ、島へ!

次の特集は、なんと最相葉月さんの「特別寄稿」をお届けします。どうぞお楽しみに!

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