特集

『逆行』特別企画 夢の師弟対談(前編)

2011.03.01更新

SOUP DESIGN代表として『R25』や『TRANSIT』など、個性あふれるエディトリアルデザインを手がけてきたデザイナー・尾原史和さん。ミシマ社では『アマチュア論。』『謎の会社、世界を変える。』などの装丁を手がけていただきました。

2008年に新たに立ち上げ、今年のDESIGNTIDEでも作品を出品したPLANCTONでは、歩く土の感触を感じながら、一生を共にする靴「Plain」、全国各地の通学路を撮り上げた写真集「通学路」など、みずみずしい感性のものづくりを提示します。独学で学び、独学で発明するその感性は、どこへ向かうのか。その歩みのすべてをつめこんだ自伝的エッセイ『逆行』が発売中です。それに伴って、同書にも師として登場するASYLの佐藤直樹さんとの、師弟対談が実現しました。(文:森オウジ)

プロフィール:

尾原史和(おはら・ふみかず)
1975年、高知県出身。印刷所からデザイナーのキャリアを始めるという異色な経歴の持ち主。SOUP DESIGN代表として、『R25』や『TRANSIT』『広告』など質の高いエディトリアルデザインを手がける。2008年よりPLANCTON代表。

佐藤直樹(さとう・なおき)
1961年、東京都出身。1997年に『WIRED(ワイアード)』日本版のアートディレクションおよびクリエイティブディレクションを手がける。同誌はサンフランシスコ現代美術館のパーマネントコレクションに選出。より広範なフィールドにおけるデザイン活動を目指し、1998年に代表を務めるASYLをスタート。

佐藤:まだ山から出てきたばっかりみたいな感じだよね

尾原さん

末広町にある3331 Arts ChiyodaのASILのオフィス。旧練成中学校を改修した3331は、師弟の再会にはもってこいの場所。予定の時間に少し遅れて、ガラっ、と入り口のドアが開くと、そこにはいつもの尾原さんの姿があった。

尾原すいません、どーもどーも。

三島よろしくお願いします!

佐藤あいかわらず挙動不審な(笑)。なんにも変わらないね。対談の話がきて、今どうしてんのかな、もうちょっとちゃんとしてるんだろうなと思ってたんだけど、もう10年以上東京にいるのに、まだ山から出てきたばっかりみたいな感じだよね。あと、ごはんちゃんと食べれてる? 好き嫌いもだけど、狼に育てられたみたいな食べ方するでしょ? 出てきていきなりガーッと猛スピードで食べる。

尾原それはだいぶマシになっているかもしれませんね。でも、出てきてすぐに手をつける。

渋谷から左下!ぐらいの感覚で来たんだよな、東京。ほぼ、調べてなかったね。地図はさすがに高知のド田舎にもあるので、それだけ持って東京に来たって感じだな。なんとなく渋谷の左下あたりが良さそうだな、山手線の内側はなんか窮屈そうだからやめとくか、ぐらいの気持ちで赤ペンでぐるっと丸つけて、とりあえず行ってみた。(『逆行』P12)


佐藤そもそも最初の地図の話で、"渋谷の左下"っていうのもおかしいからね。東京はそれ自体が立ってるわけじゃないから。左下っていう概念はないから。だいたいどこから見たら代々木上原が左下になるんだよ。

一同爆笑

三島尾原さんから見たときに左下だったんですよね!

Googlemap

GoogleMapではたしかに「左上」に見えます。

尾原なんとなく左下だと思ったんです(笑)。東京の地理はいまだに苦手で。アジールデザイン(現ASYL)での初めての仕事はたしか印刷所に名刺を取りに行くというお使いでした。そのとき、印刷所の場所を佐藤さんに地図に書いてもらったんです。すごく時間がかかったのを覚えていますよ。

佐藤:「もう大丈夫です。とにかくやめます」の一点張りだったよね。

アジールデザインの10カ月ほど、人間には"吸収欲"と呼べるものがあるんだな、と実感したことは人生においてなかったな。仕事は、かけた時間じゃなくて、集中する欲をどれだけ持てるかにかかっていると感じたよ。それまでに吸収できる基礎となる印刷ということに関する知識が入っていたのも功を奏した。(『逆行』P48)


尾原さん

佐藤10カ月しかいなかったのは嘘みたいだよね? 記憶では2年ぐらいの感覚だった。というか、そもそも3年は居ようよって感じだけど(笑)。石の上にも3年って言うじゃない。

尾原(笑)

佐藤でも、いざ辞めるって言い出したときに「それでいいの?」って聞くと、「もう大丈夫です。とにかくやめます」の一点張りだったよね。当時は不思議だったよ。でも僕も「あ、そう」って感じだった。今だったら引き止めるけどね、無計画すぎるし。

尾原いつ言っていいかわからなかったんですよね。わりと急に思ったんです。このままだと、いい意味でも悪い意味でも、ずっと居てしまいそうな気がしたんです。

佐藤でもなんか納得したよ。当時も辞めてどうすんの? って聞いたら「警備員でもなんでも仕事はありますから」って言ってたね。そりゃそうだ、って思ったよ。でも実際、やめて何してたの?

尾原ぼーっとしてましたね(笑)ツタヤで映画借りて。でも、一回何もないところに行って、考えることにひたすら向かいたかったんです。デザインをするには何をしていいけばいいのか、自分は何ができるのか、25歳までには何かやらなきゃ、というのもありましたし。それに、デザインじゃなくても別によかったんです。でも、わりとすぐにアジールで仕事をしていた編集のひととかから電話かかってきて、よくわかんないまま仕事をくれました。

佐藤仕事が来ない状態ではなかったよね。中途半端なところでやめたわけではないから。中途半端に投げ出したら人生失敗しますよ。基本的にデザインはオシャレでかっこいいとか、自由度高いとかで憧れを集めるものだけど、何の成果も出せずに続いているところは一件もないのだから。でも、普通はそうやって自分で仕事を回してゆけるのに、2、3年はかかるものなのに。

尾原やっぱ、田舎の印刷所でいろいろやってたからじゃないすかね?

佐藤なるほど。

佐藤:「わ! 速っ!」と思ったね。

触れた物全てが興味の対象になってゆくような、そんな時間だった。とにかく家とアジールデザインだけの往復。当時は仕事を効率よくできなかったこともあって、毎日徹夜続きで、仕事しかしてなかった。この集中力は、たとえば一週間でクオークというデザインソフトをマスターして、佐藤さんにびっくりされたりして、いつの間にかアジールでの多くの仕事を俺が作業するようになったりといった結果として現れていたつもり。(『逆行』P48)


佐藤さん尾原さん

佐藤尾原くんは、なんせむちゃくちゃ仕事が速い。僕も速さには自信があったんですよ。もちろん今は体力的にも下がってきてしまっているので、その自覚は薄れてきているけど、尾原くんと出会ったのは30代前半の頃だったかな。

尾原そうですね、ちょうどそれくらいだったと思います。

佐藤つまり当時は僕も仕事バリバリやってた時期です。それでも「わ!速っ!」と思ったね。とにかくダーーーーーッってやって「ハイッ」って返してくる。もっとゆっくりやったほうがいいんじゃないのかな? って思うほどだったよ。そんなに指動かしたら考えが追いついていかないでしょう? って。その速さもあって、10カ月が信じられないですね。密度としては数年いたような感じだった。サーッと10カ月やって「もう大丈夫です」って出て行ったと。

尾原いや、大丈夫とは言ってないです(笑)。

三島佐藤さんは尾原さんに入ってきてもらって、やっぱり嬉しかったですか?

佐藤嬉しかったですね。当時はまだまだ自転車操業だし、若いひと育てる余裕なんてなかったですよ。とにかく「来週までにこれやらなきゃ! うわー」って状況がずっと続いている感じです。そんな時尾原くんは仕事速いから「わー速い! これもーこれもー」とか言って回してましたね(笑)。それが10カ月続いた感じだった。

尾原密度が濃かったですよ。ずっとオフィスにいましたよね? 佐藤さんも、僕も。

佐藤密接だった。飲み会に行ってもそのまま帰らずに、オフィス戻って仕事してたよね。何かパーティに行っても、戻ってた。

尾原それ全然デフォルトでしたよね。何も疑問に思わなかった。友人に「えーっ」って言われても、やんなきゃいけないし、ってだけだった。むしろそっちのほうが気になるというか。

三島やっぱり特別な時間だったと。

尾原いや、僕だけのことじゃない。

佐藤時期としてはそのあとの1、2年間は同じような自転車操業だった。ずっと漕いでないと倒れちゃう。尾原くんには辞めてからもいろいろ手伝ってもらったね。そうそう、保母大三郎さんとかも尾原くんに仕事振ってたし、そこにもライバル心がでてきてた(笑)。「俺にも振ってよ」って。本当に仕事パンパンのとき、いろいろ手伝ってもらう関係だった。

尾原やりとりがあることが嬉しかったですね。

尾原:土方でも何でも仕事ありますから

とはいえ、俺はアジールを辞めた。
辞める動機は「このままここにいたら、五年くらいあっという間に経ってしまうな」という警戒心からだった。楽しいし、ここでキャリアを積めば、さらにたくさんのことを任せてもらえるだろう。しかし、この時点で23歳、何者かになると決めていた25歳まで、もう時間がなかった。(『逆行』P50)


佐藤でも、もし尾原くんが辞めてからのステップを言ってたら止めてただろうね。何も言わないから行かせたというのはあった。でも、やっぱりデザインは続けて欲しいというのはすごく思ってたよ。尾原くんは「土方でも何でも仕事ありますから」って出て行ったけど、その結果デザインやってなかったらもったいないなと。僕自身、デザインの世界に来る前は実際に土方をやっていたけど、その結果デザインをやっている。尾原くんは久しぶりに会ったら完全に土方の親方になって「この職場最高っすわー」とか言っているのがそれほど意外ではないし・・・もちろんそれでもいいんですけど。

三島当時の尾原さんはそういう展開になり得ました?

佐藤有り得ましたね。もちろんそれもいいんですけど、デザインうまいし、速いからもったいないなーと。それにこっちがデザインにとりのこされた感があるじゃないですか。ステップにすぎないものに「いつまでデザインやっとんじゃ」とか言われたら嫌じゃない? ズルズルやってんだよーとかなると困るよね。対等でいさせたいからデザインさせといたほうがいいなと。

尾原そんなこと言いませんよ(笑)。

佐藤:はじめはうなずいておく、あれ癖なんだよね

佐藤そういえば、『ヴォーグニッポン』の創刊準備のときも一緒にやったねえ。

尾原懐かしいです。

佐藤ロンドンのヴィンス・フロストというADが来日して。でも日本語が読めない。それで、日本語の見せ方はどうすればいいのか、書体を含め相談にのってくれないかということで僕のところに仕事がきたんです。当時コンポジットとかをやっていたので、その評価も良かったようで。それで引き受けて、仕事内容を聞くとそれなりのボリュームがあったので、フォーマット作りなどを尾原くんにも振りながらやっていました。でも、なかなか折り合いがつかなくて、さらに打ち合わせなども英語がわからなくて困っていたんです。

三島そうですよね。

佐藤さん尾原さん

佐藤いちおう僕はロサンゼルスとかに行っていたので、印刷用語はわかるんです。天気とか、普通の言葉は逆にわからない(笑)。それで打ち合わせで相手がダーッとしゃべっているとき、ふと尾原くん見たら、なんか「I see」みたいな感じでうなずいている。なんでうなずいてんだよ! と思ったよ(笑)。わかるわけないのに。

一同爆笑

佐藤尾原くん、とにかくはじめはうなずいておく、あれ癖なんだよね?

尾原そうですね。

佐藤あとで思ったんだよ。尾原くんは全然違うアイデアを出すにしても、最初は必ずうなずいている。あのフレンドリーな仕草によって、相手がほぐれるよね。首かしげたら誰でも不安になるもの。でもロンドンのイングリッシュネイティブにはそれはいかんよ(笑)

三島伝わったと思いますもんね。それで上がってきたら全然指示と違う! と。あのうなずきは何だったんだ! ということになりますもんね。

尾原完全にわかったつもりでいましたね(笑)。

佐藤なんでだよ。でも大変だったよねえ。アルファベットと日本語をできるだけ均質に見せることを求めてくるんだけど、それって日本人が70年代とかにチャレンジしてたことに近いから僕らには古く見えちゃうんです。だから言われたままのことをやるわけにはいかない。でもいくら言葉で説明してもそのニュアンスはなかなか伝わらないんですよね。なので、もう尾原くんに近くにいてもらって、すぐにダミー組んで見せて、っていうので進めていきましたね。ここも仕事が速いから。

尾原言っていることはわからないから無視しながら(笑)。こうしたいんだろうなあとか思ってやってましたね。

佐藤速さも含めて安心感がありました。その場その場で判断できる人じゃないと、真面目に受け止めるとヴィンスと僕の言ってることが違うんだから分裂します。あまり抱え込まなくて、とにかくやる人が必要だった。

尾原あの後ヴィンスに「ヴォーグに入らないか?」みたいなこと言われましたよ。もちろん断りましたけど(笑)。

後編につづきます!)

3月6日(日)『逆行』発刊記念トーク&サイン会のお知らせ

尾原史和&藤井大輔(&三島邦弘)

「逆行する」生き方

発刊からぞくぞくと共感の声をいただいている本書。
著者の尾原史和さんの「あの規格外のパワー」に触れていただける機会ができました! 対談相手は、プロローグにも出てくる『R25』元編集長の藤井大輔氏。

本書『逆行』を企画・編集した三島も参加し、その制作秘話や「逆行・外伝」まで飛び出す予定!? 面白いのはもちろん、「そう、これ!」と叫びたくなる「感覚」に触れていただけること間違いありません。

多数のご来場、お待ちしております!

日時2011年3月6日(日)13時~14時半
場所青山ブックセンター本店内カルチャーサロン青山
定員先着120名様
入場料700円

申し込み方法
1.ABCオンラインストアにて予約受付

2.本店店頭にてチケット引換券を販売
※電話予約は行っておりません。

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