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『計画と無計画のあいだ』発刊記念 夏葉社島田潤一郎×ミシマ社三島邦弘

2011.12.21更新

夏葉社×ミシマ社2011年11月20日、オリオン書房ノルテ店で、『計画と無計画のあいだ』刊行記念トークイベントが行われました。対談したのは、著者である弊社代表の三島邦弘と、吉祥寺のひとり出版社、夏葉社代表の島田潤一郎氏。

年齢もひとつしか違わず、30代前半で単身出版社を立ち上げたという共通点もある二人。しかし、実はこの日が初めての顔合わせでした。『本をつくる、出版社をつくる』と題したこのイベントにちなみ、出版社を立ち上げたきっかけや、小さな出版社だからこそできる本のつくり方について思う存分話が展開しました!

文:富田茜


自社製のタイヤを回すには?

夏葉社×ミシマ社

三島本日は日本シリーズ最終戦にも関わらず、お集まりいただきましてありがとうございます。夏葉社とミシマ社、小さな出版社同士仲が良いと思われがちですが、実は島田さんにお会いするのは今日が初めてなんです。

島田今日はよろしくお願いします。僕は夏葉社を立ち上げる時に目標にした出版社がいくつかありまして、そのなかのひとつがミシマ社さんなんです。だから三島さんはずっと会いたかった人で、今とても緊張してます。小西真奈美に会うくらい嬉しいです(笑)。

三島恐縮です(笑)。簡単にこちらの説明をしますと、僕は2006年10月にミシマ社を立ち上げました。はじめはWAVE出版に発売元になっていただいて本を2冊出しましたが、1冊出した段階から営業も自社でやらなくてはと思うようになりました。会社を車に例えると、当時の状態は片方のタイヤを他社に任せているようなもので、いくら性能の良いタイヤでも自分の目指す車には近づかない。これは一日も早く自社製のタイヤで回さなければと思い、営業を募集しました。そこで直販(取次を通さず、書店に直に本を卸す方法)でやっていこうと決めました。実は今日ここでこうしてイベントが開けたことが感慨深いんです。というのは、その際まずはじめに相談したのがそちらにいらっしゃる白川さん(オリオン書房書店員)なんです。「ああ、いいんじゃないですか」と言ってくださったことが大きな後押しになりました。そして直販をする上で、トランスビューという出版社をモデルにしました。そちらの工藤さんという、営業のスペシャリストにお話を聞いて「これだ!」と思いました。

島田夏葉社は直販ではないのですが、僕も直販には憧れがあって。売りたい書店にちゃんと置けるし、取次の思惑も入らない(笑)。でもやるとなると色々と面倒ではありますよね。その辺りに迷いはなかったんですか?

三島色々な方にお話を聞いたのですが、やっぱり工藤さんの「直販をやるには専属の営業を置くべき」という言葉が一番腑に落ちて、その言葉を聞いてから迷いはなかったです。よく編集の方が陥りがちだと思うのですが、一人出版社で直販をやると手が回らなくなると思います。会社の両輪を回すには営業という片方のタイヤが必要です。

夏葉社×ミシマ社

島田そうですね。ひとりでは無理だと思いますよ。その辺りの話を『計画と無計画のあいだ』で読ませていただいたのですが、決断してからがすごく早いですよね。お金もないのに・・・

三島1冊目の『本当は知らなかった日本のこと』を2006年12月に出した直後、年末も暮れの暮れにホームページに営業募集を出しました。

島田それはATMで月末の支払いを振り込んだ後ですか?

三島そうだったと思います。本当に振込って緊張しますよね! 僕は自分の貯金数百万で会社を立ち上げたので、初めて振り込んだとき躊躇しました。押したことのない、何百万円というボタンを押すわけですから。1回『消す』ボタンを押しましたよ。「こんな額じゃないやろ」と(笑)。

島田僕も一緒です(笑)。振り込んだ後は通帳を見て愕然とします。

三島そして、現在までの4年半ほどで、直販だけで30冊ほどの本を出し、今年の10月におかげさまで創業丸5周年を迎えることができました。社員の人数はポツポツと増え、今は7人体制です。そのなかのひとりは今年4月に構えた京都の城陽オフィスに常駐しているので、東京・京都の2拠点体制で運営しています。

精神的火事!

夏葉社×ミシマ社

三島すみません、長くなりましたが今度は島田さんのお話を・・・。僕は島田さんが出版界に登場したときに、とてつもない衝撃を受けました。『昔日の客』はとても素敵な本で、何度も読み返しています。

島田ありがとうございます。僕は2009年の9月に会社を立ち上げて、文芸を中心に現在まで3冊出しました。

三島島田さんがすごいのは編集経験がまったくないところだと思います。

島田経験がないので、この見積もりが正しいのか、スケジュールが合っているかもわからない。そういったところから始めて、やっぱりミシマ社さんやアルテス・パブリッシングさんといった、既存とは違うあり方をしている出版社の存在に勇気をもらいました。5年間続けていても軸がブレないところは本当にすごいなと。

三島出版社を立ち上げようと決断できた最大の要因は何ですか?

島田僕は中学の頃、全然パッとしなかったんですね。

三島中学に遡るんですか!

島田はい(笑)。女の子ともしゃべれないし頭も良くない。毎日三国志のことしか考えてませんでした。中学2年生のときだったかな、教室が4階で僕は窓際の席で、窓の外にある国旗を掲げるポールが真横にあったんです。「火事になったらあのポールに飛び移ろう。そしたら女の子も振り向いてくれるしかっこいい!」と、毎日そんなことばっかり考えてました。そして33歳になり、精神的に火事になってしまったんですね。

一同(笑)

島田ちゃんとした職歴もないしどこも雇ってくれない。でも本は好きで・・・その辺りのことはミシマガジンのインタビュー記事に詳しく書いてありますが、会社を受けて1年間で50社落ちたんです。履歴書には得意げに「アフリカ行きました」「プルーストの『失われた時を求めて』読破しました」と書いている。そんなの落ちるわけですよ。人間って色んなことを考えていて、色んな理想があるはずなのにわかってもらえないことを腹立たしく思うわけですが、精神的にはどんどん追い込まれる。そこで、物を書くことは好きだったので『God is God.com』というサイトをつくったのですが・・・アクセス数が全然なくて更に落ち込みました。良いものを書いたと思うのに誰も見てくれないのって何にもしてないよりきつかったです。そういうことが続いた時も書店にはよく行っていて、ある時ミシマ社さんの存在を知りました。しかも三島さんは僕と年齢がひとつしか違わないですから、「いいなあ、僕もやりたいなあ」と思いましたね。そこで出す本も決まっていないのに出版社を立ち上げました。

三島本当にすごいですね! 誰にも真似できませんよ。

島田それでうまくいってるのが自分でも不思議です。続けられているのは本が好きだからという思いがあるからでしょうね。

一人炎上状態!

夏葉社×ミシマ社

三島僕は初めに入った出版社で初めから単行本の編集の部署に配属されて、大変なときには月に2〜3冊編集していました。でもすごく楽しくて、つくった本が世の中に出てリアクションが返ってくるということがある種の快感でした。しかし、ふとした瞬間に「旅をしたい」と思ったんです。編集の仕事は、色んな著者さんと出会って新しい世界が広がるという面白さもあるんですが、一方で自分の足で世界を知りたいという思いもあった。学生時代はよく旅をしていたのですが、社会人になってからできなくなったという現実にも気づいて。僕は思い立ったら行動しないと身が持たないんです。もう一人炎上状態でした。

島田見たらわかる感じですか?

三島そうかもしれないです。上司は「まあまあ、落ち着いて」と、消火にとりかかるんですが、当時の僕は燃え上がっていたので「すべてを投げ打って旅に出ないとだめなんだ」という気持ちは変わりませんでした。でも実は当時、経済的にはしんどくて。僕は父が病気だったということもあり、両親を養わなければいけないという思いは23、4歳くらいからありました。しかし一方で、20代の若者としては夢を追いかけたいという思いもあり、旅に出ようと決めました。

島田旅はどこへ行ったのですか?

三島東欧に行きました。あの頃僕は革命づいてたんです。もともと、父が自営業だったということもあり、会社というシステムが不思議でしょうがなかった。そこで「俺がこの会社に革命を起こす!」と誰に頼まれたわけでもないのに、会社に改革の提案書を出したり・・・まあ、完全に無視されたんですが。そこでちょっと修行に出なあかんなと。革命だったらやっぱり東欧だろうということで決めました。

島田(笑)

三島でも東欧はもう革命から13年経っていてめちゃくちゃ平和なんです。毎日毎日ワルシャワの旧市街のカフェに行って「カフェラテプリーズ」とか言って・・・

島田おいしいですからね、カフェラテ。

三島「俺は何をしに旅に出たんだ」と悲しくなりましたね。そしてハンガリーで財布を盗まれ、現実的にお金がなくなり、日本に戻ってきました。そして次の会社に声をかけていただき、また働き始めたのですが、そこの会社の雰囲気がどうも合わなくて。悩んでいた時に「そうか、自分で出版社をつくればいいんだ!」とひらめいたんですね。そこから一気に見えだして動き出しました。ですから、僕は精神的に苦しんではいたけど、本づくりに関しては経験があったので、流れは見えていたんです。営業は経験がなかったので、そこは流れのなかでわかるようになったのですが・・・、でも島田さんは、言ってしまえば編集も営業もゼロからのスタートじゃないですか。そこがすごいなと。

島田僕は編集だけは絶対にやりたくなかったんです。というのは、会社に入ったら好きな本が自由につくれるわけないと思っていたし、変な本をつくらされるのだけは絶対に嫌だったからです。だから受けた50社のなかで出版社は2社だけですね。しかも経理と営業志望でした。三島さんは学生の時から編集志望だったんですか?

三島僕もまったく考えていなかったです。大学が京都だったのですが、京都の学生ってのんびりしてるんですよ。「東京で就職活動が始まったらしい」という噂が3年生の12月頃から流れても「いや、そんなわけないやろ」と、のんびりしていたら実は本当に始まっていて(笑)。それまでどうしようかまったく考えてなかったのですが、本は昔から好きだったんですね。会社に入って電子レンジは気持ちを込めて売れないかもしれないけど、本なら大丈夫だろうと、そんな動機から出版社を受けました。でも編集の部署に入ったのは偶然なので、ここまで来れたのは本当に運だと思います。

つくることはその日に決まる!?

夏葉社×ミシマ社

三島ではそろそろ、『本をつくる、出版社をつくる』というテーマに関係する話をしようと思います。ではまず、島田さんから。

島田僕が本をつくる上で一番重要に思っていることは、「自分でちゃんと営業に行きたくなるような本をつくる」ということです。例えばミスをして、たいした本しかつくれなかったとしたら営業に行かなくなると思うんですね。つくった本に自信があるから、遠くまで営業に行って素晴らしさを伝えることができる。そこが出版社をつくって良かったと思うところでもあります。

三島島田さんの中で「この本を夏葉社から出そう」と思う基準は何ですか?

島田僕はいいなと思う本は読んだその日にいいなと思うので、出そうということも、読んだその日に決まります。2冊目の『昔日の客』は1冊目を出したときに営業に行った京都の善行堂という古本屋さんで、店主の山本さんに復刊を勧められたのがきっかけです。3冊目の『星を撒いた街』は、山本さんが好きな上林暁の全集から選書したアンソロジーです。

三島2冊目と3冊目は、前から知っていたというわけではなかったんですか。

島田上林は読んでいましたけど、『昔日の客』は山本さんに教えてもらってですね。

三島思い入れはそこからなんですね。

島田「好き」という気持ちになるには一日もあれば充分です。恋に落ちるのと同じで。だから一から企画を立ち上げて、というものはほとんどないですね。

夏葉社×ミシマ社

三島1冊目の『レンブラントの帽子』は?

島田無職のときに好きで読んでいて絶版だったので、これだけは自分で復刊したいと思って出しました。でも当初は書店に行っても「そんなものは売れない。返本率を上げたくないから仕入れられない」と、ずいぶん冷たい目に合いました。悔しかったですね。

三島でもそういった書店さんとも、最終的には良い関係を築けたんですか?

島田いや、そういうところには二度と行かないです。

一同(笑)

島田僕は人生は一度しかないから嫌いな人には二度と合わないようにしてるんです。いつかわかってくれるなんて思わない・・・いや、ちょっと言い過ぎですね。わかってくれるようになる人もたくさんいます(笑)。

三島最初からわかってもらえることってなかなかないですよね。

島田そうですね。だから最初からわかってくれた書店さんには感謝の気持ちしかないですね。でもやっぱり、ひとりなので動ける範囲は限られている。だからこのままでいいのかなと思ったりしますね。

三島どういったところでそう思われるんですか?

島田僕は、文学は「かつて読まれていたけど、今読まれなくなったもの」ではなく、「昔からマイノリティで、これから読まれるべきもの」だと思っているんです。そのための仕事をしたいというのが根底にあって。そうなると2500、3000という部数で満足してはいけない。でもひとりでやっていると玄人の文学に行きがちになるので、そこのメンタルのバランスはすごく気を遣う。かといって誰にもすぐわかってしまうものは眉唾だし、難しいところですね。

次回は小さな出版社だからこそできる本づくりについて、更に掘り下げたトークをお届けします!

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