今月の特集1

座談会 「みんなの時代」がやってきた!? Yeah! Yeah! Yeah!!

2013.04.01更新

座談会 「みんなの時代」がやってきた!? YEAH! YEAH! YEAH!!

 「みんなのミシマガジン」の記念すべき特集第一弾は、「「みんなの時代」がやってきた!?」。
 このタイトルを見ていかが思われましたか?
 そうなのか! と思われた方。
 「!?」に真実あり。あんなこと言って、企画者もほんとは確信ないんじゃないの?
 と推論した方。
 そもそも、「みんなの時代」の「みんな」ってなにさ? と疑問を感じた方。
 というより、「これからって、逆に、みんなの時代じゃなくなるんじゃないの」と反論される方。
 いろいろいらっしゃると思いますが、どれも「たしかに、そうですね・・・」とお答えするほかありません。
 
 というのも、現時点では、本雑誌の編集長である私自身わかっていないのです。
 ただ、そうなると面白いのにな、と思った。それだけです。
 では、どこの何を「面白い」と私は感じたのか?
 ひねくれ者の私のこと。世間で言われる「みんな」という言葉とは違う意味をそこに感じたはず。勘だけを頼りに生きがちな私にも、それくらいはわかります。それに、この言葉に魅力を感じてないと、雑誌のタイトル名に使ったりしないですよね。さすがに・・・。
 というわけで、特集第1弾では、この雑誌名でもある「みんな」の意味を探っていくことにしました。
 そこで、「みんな」専門家に・・・ということはさすがになく、「個」をはるかに超えた広い視野で、時代の先端をいくような仕事を普段からしておられる2人とお話させていただくことにしました。
 『みんなの家。~建築家一年生の初仕事』著者である建築家の光嶋裕介さんと、株式会社はてなの代表・近藤淳也さんです。
 光嶋さんが1979年生まれで、近藤さんが1975年生まれなので、私と同世代。
 そういうお二人が、「みんな」という言葉をどうとらえ、そして仕事にどう生かしているのか。
 それは、「みんなのミシマガジン」を運営するにあたっても、放っておくことのできない切実な問いです。
 そういう問題意識とともに、2人とお話したのでした。

 で、結論を先に言いますと・・・。
 「めちゃめちゃ、面白かった!」
 そうか~、なるほど、の連続で、この鼎談を経て、本雑誌のコンセプトにも自信をもつことができました(それでいいのか、編集長が。というツッコミはご容赦を)。
 4日連続で、お届けします!

(文:三島邦弘)


2人は「みんなのミシマガジン」の生みの親?

三島今日はお集まりいただき、ありがとうございます。

2人こちらこそ。よろしくお願いします。

三島実は、お二人は「みんなのミシマガジン」の生みの親的存在なんです。

近藤そうなんですか?

座談会 「みんなの時代」がやってきた!? YEAH! YEAH!YEAH!!

『「へんな会社」のつくり方」(近藤淳也、翔泳社)

三島はい。たとえば、近藤さんは2006年発刊の『「へんな会社」のつくり方』のなかで、「開発者が継続的にものづくりを続けられる環境を構築しなければいけない」とおっしゃってますよね。

近藤ええ。

三島ぼく、この本を2006年の6月に読んでるんです。それから4カ月後の2006年10月にミシマ社をつくるわけなんですね。あの頃、近藤さんの考えをベースに、「編集者や営業や、現場が元気でありつづける会社にしよう」と思ったのをよく覚えています。

光嶋ほ~、そうなんや。

座談会 「みんなの時代」がやってきた!? YEAH! YEAH!YEAH!!

『みんなの家。』(光嶋裕介、アルテスパブリッシング)

三島ええ。そして、光嶋さんは、『みんなの家。』という本を書かれていて、光嶋さんが建築された凱風館(内田樹氏道場件自宅)に私も合気道のお稽古で通っているのですが、なんともいえない気持ちよさを行くたびに感じます。

まさに「みんなの家」と呼ぶにふさわしい空間ですよね。そういう意味で、お二人は「みんなの~」をすでに実践されている方で、「みんなのミシマガジン」の生みの親的存在なんです。

近藤なるほど、そういう経緯があったんですね。

三島はい。というわけで、「みんなの時代」です。
今回の座談会タイトルを見て、どう思われましたか。近藤さん、来てすぐですけど、どうですか?

近藤(笑) いきなりのむちゃぶりですね。あの~、光嶋さんからどうぞ。

光嶋はい(笑) 

建築家よ、閉じるなかれ。

光嶋僕は建築家として、仕事をし、社会とどう接続していくかというとき、その回路は当然、建築になります。そのとき、実は建築家は自分たちが思う以上に社会に対して「閉じ」てるんじゃないか、と思ったのです。もっと開いていくべきなんじゃないか、と思ったんです。今の建築家の視点では、井の中の蛙といいましょうか。
そこから僕にとっての「みんな」が出てきました。

三島そうなんですね。ところで、どうして「閉じてる」と感じたんですか?

光嶋建築というのは、たくさんの情報を発信します。それは、他者との接点になるという意味において、もっとも社会的な存在であるにもかかわらず、建築家の放つ言語がどこか小難しかったりすることに違和感を覚えます。どこか理解不能な人を排除するというか、置いてきぼりにしている印象を受けるのです。そのような仲間内の独りよがりではなく、より多くの人に感動を与え、共感を得るような情報発信をすべきだと感じているのです。
 
三島そっか~。そういう流れを経て凱風館をいざ建築することになったんですね。

光嶋はい。ある意味、もっともプライベートであるはずの住宅に、パブリックな要素を取りこむことによって違った開かれ方があるのではないか。回路としての建築を、チャンネルの多いものにしたいと思っています。

三島なるほど~。その思いを形にした「みんなの家」なのですね。

特集1

凱風館

光嶋はい。内田樹先生による凱風館は、特殊解ではありますが、そこには物語として様々なチャンネルがあり、なかでも「みんなの家」という根底に共有されている部分は、普遍的で、転用可能じゃないかと。

三島「みんなの家」と名づけたのは光嶋さんですか?

光嶋はい。設計のけっこう早い段階でしたね。内田先生に依頼してもらったとき、おおげさにいえば、公共性をどう取りこむかを考えました。
そう考えたとき、内田先生の場合、すでにパブリックな人だったんですね。

通常、家族のための家、が依頼内容のほとんどになりますが、凱風館の場合、施主の住居としてのスペースは全体の3分の1、いやむしろ4分の1ほど。それ以外は、合気道をする道場であったり、誰々とこういうことがしたいという空間がほしい、というようにたくさんの人が絡んでくる場。
とすると、これは単に内田先生の家じゃないぞ。みんなの家やなぁ。とコンセプトとして思ったんですね。

三島なるほど~。

ネット・サービスは、市役所仕事?

三島近藤さんの場合、少人数から始められて、社員100人くらいの規模になってから、光嶋さんのように「パブリックを取りこもう」というふうに変化したりしましたか?

近藤もともとネットサービスなんで、パブリックなんです。

三島うん、たしかに。

近藤誰でも来る者拒まずですし、ユーザー登録をすれば誰でも使えますし、オープンな場所で書いたらみんなに見られます。ですから、最初から公共空間をつくっているようなところはあります。
ですから、光嶋さんが家を建てるというのとは・・・

光嶋そうですね、逆サイドですよね。

近藤ええ、建築でいえばカフェとか駅とかつくっている感じです。

三島ほ~、そっかぁ。そのときに気をつけていることはありますか?

近藤ええ。いっぱいあります(笑)。

三島ですよね(笑)

近藤そうですね、市役所の職員みたいな気持ちになることがあります。

三島し、市役所ですか?

光嶋それは会社が大きくなったからですか?

座談会 「みんなの時代」がやってきた!? YEAH! YEAH!YEAH!!

近藤いえいえ、サービスをつくると、何万人、何十万人という人が入ってきて活動を始めるわけです。すると、僕たちの日々の仕事が、「多くの人がなるべく楽しく、幸せになっていただく」という発想になります。

そうなると、僕たちの作品を使ってくれ、というより、いる人たちが何をしたいか、を訊いたりとか想像したりして、もっと楽しく過ごしていただけるような仕組みやコンテンツをつくるのが仕事になります。

三島いまの発言、市役所の方かと思いましたよ(笑)

近藤ええ、そうでしょ(笑)。


*このつづきは明日! お題は、「これからの「みんな」は、規模ではない!?」。お楽しみに~。

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光嶋裕介(こうしま・ゆうすけ)
1979年米ニュージャージー州生まれ。早稲田大学理工学部建築家卒。大学院修了後、独ベルリンの建築事務所ザウアブルッフ、ハットン、アーキテクツに4年間勤務。2008年に帰国し、光嶋裕介建築設計事務所を主宰。2012年より首都大学東京助教。ドローイング集『幻想都市風景』(羽鳥書店)、著書に『みんなの家。』(アルテスパブリッシング)。
http://www.ykas.jp/index.htm

近藤淳也(こんどう・じゅんや)
1975年三重県生まれ。京都大学理学部卒。2000年同大学院中退後、2001年7月に「人力検索はてな」を開始し、有限会社はてなを京都で設立。2003年「はてなダイアリー」サービス開始、2004年2月に株式会社はてなに改組。現在、京都に本社、東京に本店がある。著書に『「へんな会社」のつくり方』(翔泳社)。
http://www.hatena.ne.jp/

三島邦弘(みしま・くにひろ)
1975年京都生まれ。2006年10月に株式会社ミシマ社を設立。原点回帰の出版社を標榜し、現在、東京・自由が丘と京都で活動中。「みんなのミシマガジン」編集長。

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