今月の特集1

第2回 アスパラガスキー

 ミシマ社(勝手に)インド映画特集・後編。
 『きっと、うまくいく(原題:3 idiots)』に感動し、インドやインド映画をもっと知りたい! と思っていろいろ調べていると、必ずたどり着くのが「インドは映画大国である」ということです。

 そう、インドは今やハリウッドもしのぐと言われるほどの映画大国なのです。制作本数もずば抜けていて、1200本以上もの映画を1年間で撮っているんだとか。多くのインド映画はムンバイ(ボンベイ)で撮影されていることから、ハリウッドを文字って「ボリウッド」なんて呼ばれています。

 そんな映画大国・インドで歴代興行収入1位を記録したのが、いま日本でも絶賛公開中のインド映画、『きっと、うまくいく』なのです。
 この作品がインドで公開されたこと、そしてほとんどインド映画が配給・上映されていない日本で、一般公開されたこと。
 これにはなにかすっごく大きな意味があるはず・・・!
 
 我らがインド師匠・矢萩多聞さんも一目置くインド博士・高倉嘉男さんに、そんなインドの本当の実力をどどんと語っていただきました!

インド映画を観に行こう!

ⓒVinod Chopra Films Pvt Ltd 2009. All rights reserved

インド映画を観に行こう! 第4回 映画大国インド――その本当の実力

2013.06.25更新


「なんていい映画でしょう、もう一度見に来なきゃ。」

 僕も唸らされていた。これはすごい作品になる・・・そう直感していた。

 2009年12月24日。ヒンディー語映画が不作だった年の最後に公開された映画「3 Idiots」(邦題:『きっと、うまくいく』)の有料プレビューだった。つまり僕は、インドでの一般公開前日にこの映画を鑑賞していた。普段は空席が目立つマルチプレックスの劇場がいっぱいになっており、冒頭の台詞は、その中からどこからともなく漏れ出たものであった。それも、インターミッション(なか休み)時に。


マルチプレックス時代の到来

 マルチプレックスとは、日本で言うシネマコンプレックス、略してシネコンのことである。インドでは1997年に首都デリーで開館して以来、都市部を中心に急速に普及し、映画産業を根底から変えてしまった。日本では映画愛好家からネガティブな視線で見られることの多いシネコンだが、インドでは映画の質と幅の向上に多大な貢献をしている。

 かつてインドの映画館は収容人数1,000人規模の大劇場ばかりで、上映時間も正午、3時、6時、9時のように3時間ごとに固定されていた。そうして、1回につき1,000人の観客を呼び込め、3時間の枠に当てはまるような映画作りを余儀なくされていた。その結果、長尺の大衆娯楽映画以外の映画、例えばニッチな観客層しか望めない芸術映画などは映画館ではほとんど上映されなかった。
 マルチプレックスは、インド映画をその束縛から解放したのだ。

 マルチプレックスの劇場は1スクリーンにつき200〜300人くらいのことが多く、それが埋まるぐらいの観客が来れば十分回していける。上映時間にも自由度が生まれ、2時間の映画も上映可能だ。むしろ短い方が1日の上映回数が増えるので、映画館としては実は好都合である。
 スクリーン数の増加に伴い、今まで上映しづらかったジャンルの映画を上映する余裕も生まれ、その中からヒットが出るようになった。何より、マルチプレックスは清潔であり、最新の映像・音響設備も導入され、シートもフカフカだ。今まで映画館を敬遠していた層の人々が、映画館に戻って来た。
 マルチプレックスのチケット代は通常の映画館に比べて2・3倍はするため、ある程度経済的余裕のある落ち着いた人々が観客層の大半を構成しており、安全性も高い。彼らがいわゆる「マルチプレックス層」だが、その正体は経済学で言うところの上位中産階級だ。

 マルチプレックス層が醸成されるに従って、今まで国からの助成金を元手に映画祭のための芸術映画しか作ってこなかった監督が、マルチプレックス向けに商業目的の映画を作るようになった。新世代の監督たちも、マルチプレックスに来る、新しい感覚を持った観客層をターゲットにした映画作りを始めた。特にインド映画界で最大・最先端のヒンディー語映画界では、もはや90年代までに確立した映画作りはそのままでは通用しなくなった。ハリウッドに倣って多様なジャンルの映画が作られるようになり、グローバルなフォーマットかつオシャレな外観・内容の映画が増えた。当然、国内のみならず海外市場にも視線が向くようになった。
 マルチプレックスの普及により、21世紀のヒンディー語映画界は新たな時代を迎えたのである。


マルチプレックスの弊害

 しかし、物事には必ず裏の面がある。マルチプレックスがインド映画にもたらした弊害も多い。従来型シングルスクリーン映画館の衰退と減少は当然の帰結として起こったが、それに加えて観客が「ろ過」されることにより、お上品な観客のみがマルチプレックスに集うようになり、劇場の活気がなくなったことも大きなマイナスであった。
 インドの映画館と言うと、満員の観客がスター俳優の登場シーンで拍手喝采したり、ダンスシーンに合わせて踊り出したりするイメージが強いが、マルチプレックスではインド人のそんな姿を観察することは稀であるし、マルチプレックスの乱立とスクリーン数の急増によって、満員御礼すら稀な現象となってしまった。

 マルチプレックスのスクリーン数は全体の1割ほどしかないにも関わらず、興行収入の3・4割がマルチプレックスから得られるようになったことで、マルチプレックスでのヒットが全体のヒット扱いになった。
 やがて、割り切ってマルチプレックス層に特化した映画作りが横行するようになった。インド映画の最大の特徴である歌と踊りがない映画も増えた。
 結果、上位中産階級や海外のインド系移民には受けるが、国内の一般大衆からはそっぽを向かれるような映画が量産された。特に、一般大衆の大好きなアクション映画がほとんど作られない時代が続いた。
 そのせいで、彼らはヒンディー語映画から離れてしまった。


ユニバーサル・ヒットを求めて

 この流れを変えたのが、2008年の年末に公開されたアーミル・カーン主演『Ghajini』(日本未公開)だった。南インド映画のリメイクで、アクション映画の性格が強く、かつての大衆向け映画の再来を思わせる内容と味付けで空前の大ヒット。当然、一般大衆層の大きな支持を得られた結果の業績である。それを「ユニバーサル・ヒット」と呼ぶ。マルチプレックス層向け映画が支配的だった時代にはほとんど聞かなかった専門用語だ。
 もはやマルチプレックスの限られた観客のみをターゲットに映画を作っていては大ヒットは望めないことがわかり、そこからヒンディー語映画界では大衆向け映画への回帰が始まった。

 同年に公開された『スラムドッグ$ミリオネア』の大成功がインド映画界に与えた影響も少なくなかった。監督は英国人だが、その作りは伝統的なインド映画のものだった。それまでのヒンディー語映画は海外市場にアピールするためにハリウッドなどのフォーマットに倣った映画作りをしていたが、昔ながらのインド式映画作りこそが世界への近道だったことがわかったのだ。

 『3 Idiots』は、こんな流れのなかで登場した作品であった。監督のラージクマール・ヒーラーニーは、『Munnabhai』シリーズ(日本では未公開)などを成功させ、ヒンディー語映画界随一のヒットメーカーとして知られていた。
 全ての階層、全ての年齢層にアピールする娯楽性とメッセージ性を備えた作品作りが上手く、最新作『3 Idiots』はそれが特に高いレベルで達成された作品であった。しかも、インド映画の伝統的な文法から逸脱していなかった。歌と踊りも健在だ。


インド式映画作りで世界を狙え

 インド映画にはいくつかの特徴がある。途中でインターミッションがあるのも特徴のひとつであろう。かつては3時間ほど上映時間があったので、途中休憩がないと辛かったという理由もあるのだが、最近主流となった2〜2.5時間の映画でも必ずインターミッションが入る。
 映画館にとっては、この時間がポップコーンなどの大切な副収入の稼ぎ時であるし、観客にとっても、一緒に来た友人や家族などと映画のこれまでの出来やその後の展開についてああだこうだ話をする楽しい時間だ。
 監督もそれを熟知していて、インターミッション直前に大きな転機を故意に持ってくる。インターミッションは、映画をより魅力的にするギミックなのだ。『3 Idiots』でも、主人公・ランチョーの謎が深まる重要なシーンでインターミッションとなる。

 そしてそのときまでに、プレビューを見た観客の大半が、この映画の大ヒットを予感していたのである。優れた映画とはそういうものだ。
 その予感の通り、『3 Idiots』はインド映画史上最大のヒット作となった。
 だが、この映画が日本でも公開されヒットを記録することを誰が予想していただろうか?

 インド映画は独自の文法を持っており、それに親しんでいない観客には取っつきにくいところがあるのは確かだ。上で述べたインターミッションの文化も、本場インドでインド人観客と共にそれを体験しなければなかなか理解できないだろう。日本と違い、インドでは「お一人様」で映画館に映画を見に行くことはあまり考えられない。「映画に行く」行為は、「ピクニックに行く」と同様に必ず複数で行くことを意味していて、だからインターミッションは意味がある。
 それに、映画はインドの社会を上から下まで包み込む巨大な産業であり、インドに住む以上、好こうと好くまいと、映画には何らかの形で常に接していなければならない。意図的に抵抗しなければ、インドに住む人は必ず映画の世界に洗脳される。
 そんなインド映画を、日本に住む日本人が何の努力もなしに理解するのは困難だ。
 だが、『3 Idiots』の世界でのヒットは、本当に優れたものは文化の垣根を越えて理解されるということを改めて気づかせてくれた。
 インド映画はインド映画のままでいい、その中で最高の作品を目指せば、自然に世界にも受け入れられる。僕が長年個人的に抱いていた信念が数字を伴って証明された瞬間であった。そして今は自信をもって、その「世界」の中に日本を含めることができる。
 ようやく日本が世界に追いついたのだ。


真の映画大国

 マルチプレックス時代のヒンディー語映画が試行錯誤してきたのは、娯楽性とメッセージ性の絶妙なバランスだ。
 まずは市場原理を尊重し、娯楽映画のフォーマットに従って映画作りをする。だが、そこに巧妙に様々なメッセージを混ぜ込む。家族の大切さ、正義を貫くことの重要性、不正や汚職への怒り、経済発展から取り残された人々についての問題提起などなど・・・。
 どこを「市場」とするかという点において多少目測を見誤った時代もあったが、『3 Idiots』などの成功により、ヒンディー語映画界は本当にバランスを取るのが上手くなった。映画が大衆娯楽としての性格を残しながら、ここまで強力な発信力・影響力を持っている国は、インドの他にないのではないかと思う。
 特に『Ghajini』以降のヒンディー語映画界は、全インド人に楽しんでもらえ、しかも有意義な映画を目指した映画作りが行われている。映画が「芸術」という狭い枠の中に押し込められてしまっている国では到底実現できない芸当である。

 インドは、年間制作本数の多さだけが取り沙汰されるが、実は映画作りの中でも最も難しい挑戦を行い成功させており、内容の面でも映画大国だと言える。
 日本の映画界は、そんなインドから学ぶことが多いと思っている。きっと、インド映画界が誇る最高傑作『3 Idiots』の一般公開は、日本の多くの映画関係者に新しい風を吹き込んでくれることだろう。

高倉嘉男


インド映画を観に行こう!

『きっと、うまくいく』

 舞台は日の出の勢いで躍進するインドの未来を担うエリート軍団を輩出する、超難関理系大学ICE。未来のエンジニアを目指す若き天才が競い合うキャンパスで、型破りな自由人のランチョー、機械よりも動物が大好きなファラン、なんでも神頼みの苦学生ラージューの"三バカトリオ"が、鬼学長を激怒させるハチャメチャ珍騒動を巻き起こす。彼らの合言葉は「きっと、うまくいく!!」
 抱腹絶倒の学園コメディに見せかけつつ、行方不明になったランチョーを探すミステリー仕立ての"10年後"が同時進行。その根底に流れているのは、学歴競争が加熱するインドの教育問題に一石を投じて、真に"今を生きる"ことの素晴らしさを問いかける万国普遍のテーマなのだ。

公式サイトはこちら

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

高倉嘉男(たかくら・よしお)

1978年生まれ。2001年から2013年までインドの首都デリーに留学。ヒンディー語博士号取得。この間、ヒンディー語映画をもっとも多く鑑賞し、さらに各作品についてもっとも詳しく評論・解説して来た日本人で、ヒンディー語映画出演の経験もあり。留学中はウェブサイト「これでインディア」を主宰、アルカカットの異名で有名。

バックナンバー