今月の特集1

 2007年に公開された『選挙』。続く『精神』(08年)、『Peace』(10年)、『演劇1・2』(12年)と、事前のリサーチを行わず、構成台本もつくらない「観察映画」という手法で映画をつくり続ける想田和弘監督の最新作『選挙2』が公開となりました。

 第一作目『選挙』の舞台は、2005年秋、小泉劇場まっただなかの川崎市議会補欠選挙。主人公は、東京で気ままに切手コイン商を営む「山さん」こと山内和彦さん(40歳)。ひょんなことから自民党公認として出馬することになった新人候補の「ドブ板選挙」をひとりの観察者の視点から映し出しています。

 本作『選挙2』では、その「山さん」が2011年4月の川崎市議会選挙に再出馬。かつて、小泉自民党の組織力と徹底的なドブ板戦で初当選した山さんが、完全無所属で選挙に挑む姿を映し撮っています。出馬の理由は「怒り」。スローガンは「脱原発」。山さんというひとりの候補者をとおして浮かび上がる日本の民主主義の姿は、何を語ろうとしていたのか。
 観ると色々なことを考えずにはいられない、参議院選挙前に必見の作品です。

 今回は想田和弘監督に、『選挙』『選挙2』について、実際の選挙や民主主義について、「観察映画」という手法について、お話をうかがいました。監督のお話が面白すぎて、予定時間を大幅に超えて3時間のロングインタビューに!全4回でお送りいたします!!

(聞き手:星野友里)

「観察映画」で見つめる「選挙」 想田和弘監督インタビュー 

2013.07.10更新

第3回 観客はキャッチャーではなくてバッター

「観察映画」で見つめる「選挙」 想田和弘監督インタビュー 

「観察眼」が起動する

―― 私は普段ハリウッドの映画などを観ると「おもしろかった」ということとは別に何かダメージを受ける感じがします。今回、想田監督の映画を見て、いままで私が見てきた映画はジェットコースターのような映画だったのかなと。つまり、乗ってしまったら最後まで一気に連れていかれる。監督の映画は、レールの上を歩いているのだけれど、よそ見をしてもいい。そんな印象を受けました。その体験はある種、本に近い。本は途中で読むことをやめられるし、止まれるし、戻れる。そう考えると映画ってやはりある種の強制的な部分がありますよね。

想田監督インタビュー

想田そうですね。すごく強制的です。作り手が時間をコントロールするわけですからね。監督が勝手にカットの長さを決めて「よし、このカットは20秒見ろ」ということを毎回やっているわけです。なかには3秒で通り過ぎたい人もいるでしょうし、1時間観ていたい人もいると思います。そこを一律にコントロールしている。しかも、目と耳を使いますよね。本は目だけです。要するに、感覚器官的にもハードワークです。途中でやめることもできない。

 僕の映画もある意味暴力的です。といいますか、あらゆる映画が暴力的なのですが、僕の映画は観ることを強いています。能動的に観ることを強いるといいますか。
ジェットコースターの映画はそれとは逆で、受動的にいろいろな刺激を消費する感じです。刺激のオンパレードです。いかに刺激を絶えさせないか。でもこれを続けていくと、見観る側はどんどん受け身になっていくのです。

 観察映画の場合は、こちらからあまり「これを見ろ」とか、「これはこうだ」という説明的なことを提示しません。ナレーションやテロップ、音楽は使いませんので、映像に対する解釈は観客に委ねられています。ですから、観客が自分から情報を取りにいかないといけない。

 普通のドキュメンタリーだと、例えば山さんが登場してきたら、「山内和彦 ◯歳 立候補者」という肩書きが出ると思うんですね。でも、それも出さないので、観客はどのように観るかというと、「あれ、この人誰だろう?」「何やっている人なのかな?」というところから始まりますよね。そうすると、その山さんの発言や立ち振る舞いや、人との関係をよく見て「あぁ、たぶん、この人は市議選に立候補しているんだな。どうも自民党から出ているらしい」というふうになっていくのです。

 僕はそれを「観察眼が起動する」と呼んでいるのですが、観察眼が起動することによって、その人は受け身の消費者ではなく、能動的な鑑賞者になるのです。そういうことがたぶん僕の観察映画のなかでは起きている。そして、そういう関係をつくりたいと思っています。

 さきほどの話と通じるのですが、消費者としての観客というものを僕は想定していません。映像を消費してほしいとは思ってないのです。むしろすごくそこから遠いところにいます。鑑賞と消費はまったく違うのです。

 その人の血とか肉になるようなものをつくりたい。ただの気晴らしといいますか、一瞬で忘れてしまうようなものではなく、願わくば30年、40年後に「あ、あのシーンはああいう意味だったのかな?」と、ふと思い出したりする。「『選挙』でのあのシーンは実はこういうことだったんじゃないかな」と思ってくれるくらいのものを目指しています。

 そのためには、観客に相当仕事をしてもらう必要があるのです。だから、観察映画を見たら、別の意味でヘタヘタになると思うのですが(笑)、でもヘタヘタになるようにつくられているのです。お客さんとしては扱っていないので。


空振りでもいいので振ってほしい

―― 見終わった後、他の人と話したくなりました。他の人は「どこをどう見たんだろう?」と。

想田そうですよね。僕もいろいろな人がツイートしてくれるのを見ながら「へー」と思うことが多いんですよ。自分が気づいていないようなことに気づかれていたりする。それが楽しいですよね。僕は何かを主張するためにつくっているわけではないので。

 よく誤解されるのですが『選挙』は、政治がテーマですから、政治的な主張のために映画をつくっているのではないか? と思われます。ですが僕は映画作家としては、そこには興味がありません。ある種、自分が見た体験談を映像でやっている。そして、その体験談に接した人がどんな感想を持ち、どんなところに目を止めたのかは本当に人それぞれでよくて、人それぞれの反応を見るのが楽しいのです。

 よく例えるのが、僕がピッチャーであるのならば、観客はキャッチャーではなくバッターだと思っています。バッターとして打ち返してほしい。で、僕はけっこう全力投球をしているので、よく見ないと打てない(笑)。

―― そうですね(笑)。

想田でも、空振りでもいいので振ってほしいんですね。そして、当ててほしいんです。当たると、けっこう変なところに飛ぶ球とかがあって、それがおもしろいといいますか。「うわぁ、あんなところに飛ばすか」みたいな(笑)。

―― 球は受け取るものではなく、打ち返すものなのですね。でも、そうやって意識するには、まず経験が必要になるのかなと思います。経験によって、自分も意識していなかった部分に気づくといいますか。

想田そうですね。経験。僕がいつも言っていることは、観察映画、あるいはドキュメンタリーや映画というものは何かというと、作り手の体験を映画的に再構築し、観客に追体験してもらうということなんですね。つまり、共有するということです。

 ある意味それは、僕の中に入り、僕の内側から外を見ているようなものなのです。そうすると、僕が気づいたところや違和感をもったところを気付きやすいといいますか。しかも僕は「気づいてくださいよ〜」と説明的にやるのではなく、観客自ら自分で気づいてしまうといいますか。そういう効果があるのですね。


自分がおもしろいかどうか。

―― 監督の映画は海外でも高く評価されていますが、つくる時点で海外の人を意識するところはありますか? 

想田ないですね。つくっているときの基準はひとつで、自分がおもしろいかどうかです。それしか考えてないです。僕は海外に住んでいるので、そこに、海外に住んでいるものの視点が混じり込むということはあると思います。ただそれは、他人の視点を意識しているというよりは、自分自身の視点ですよね。

 編集しているときにもつい考えそうになるんですよ。例えば「BBCのあのプロデューサーはこれを見たらなんて思うかな?」とか。つい考えそうになる。だけど、考えたときはそれをシャットダウンします。なぜかというと、僕が想像していることは、たぶん間違っているから。

 というのは、かみさんに見せても、思ってもみない感想を言ってくる。ということは、BBCのプロデューサーの想像することを考えてもたぶん間違えているんですね。ましてや、自分の知らない人たちが映画を観るわけです。知らない人たちがどう反応するかなんて、予想がつくわけありません。予想をつけてしまうと、むしろそれが雑音になって、自分の判断を狂わせる要因になる。とにかく基準はひとつにしておく。自分がおもしろいかどうか。

 それだけでやっていくと、僕も人間なので、似たような人はいるだろうと思うわけです。僕が面白いと思う映画なら、誰かしら面白がってくれるはず。全員じゃないと思いますけどね。それはしょうがない。最初から無理ですから。全員が共感するなんて絶対にあり得ないわけです。もう映画館に来てくれるだけで、それは相当、ある意味特殊な人たちです(笑)。だから、その人たちの例えば、7割くらいが面白がって帰ってくれればいいと思っています。7割。いや、もう少し面白がって欲しいかな(笑)。

―― 海外の人たちに受ける要素がもし何かあるとしたら、想田監督自身が海外の目を持っているから。

想田そうですね。そうじゃないと、たぶん満員電車とか撮らないですよね。選挙という風景もたぶん当り前すぎてカメラを向けようとしないと思います。カメラって、当り前のものには向かない習性があるんです。カメラを向ける対象というのは、必ずちょっと変わっているとか、ニュースバリューがあるとか、貴重なものです。僕等がカメラを使うときのことを考えてもそうですよね。

―― そうですね。

想田誕生日や、旅行に行ったとき、誰か有名人に会ったとか、何か貴重な瞬間です。日常ではないときにカメラって使うものですよね。だから、日常にカメラを向けること自体、実はかなり不自然なことをやっているんですよ。だけど、不自然なことをやることで、無意識が暴かれていくといいますか。

 僕等の日常のほとんどは無意識のうちに行われています。僕自身もそうです。例えば、駅に行くときは、駅に向かうことしか考えてないですよね。じっくりじっくり毎日、駅に向かう道の途中であらゆるものに向き合うなんてことはないですよね。「おぉ・・・、ここに敷かれているのはアスファルトじゃないか・・・!」なんてですね(笑)、「おぉ・・・、ガードレールがず〜っと続いているじゃないか・・・!」、車が通りかかったら「うわっ、車だ・・・。どうやって動いてるんだろう・・・??」なんて、いちいち向き合わないですよね。ですが、そうやって撮っていくのが観察映画なんです。

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想田和弘(そうだ・かずひろ)

1970年栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒。スクール・オブ・ビジュアルアーツ卒。93年からニューヨーク在住。NHKなどのドキュメンタリー番組を40本以上手がけた後、台本やナレーション、BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。その第1弾『選挙』(07年)は世界200カ国近くでTV放映され、米国でピーボディ賞を受賞。ベルリン国際映画祭へ正式招待されたほか、ベオグラード国際ドキュメンタリー映画祭でグランプリを受賞した。第2弾『精神』(08年)も受賞多数。2010年9月には、『Peace』(観察映画番外編)を発表、2012年、劇作家・平田オリザ氏と青年団を映した最新作『演劇1』『演劇2』を劇場公開。著書に『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇vs.映画ードキュメンタリーは「虚構」を映せるか』(岩波書店)等。

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