今月の特集1

 2013年12月末、『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』を発刊しました! 著者は、安田登さん。能楽師のワキ方として活躍されている一方、古代文字の研究もされています。とりあえず、この数行ではお伝えしきれない、すさまじい知の世界をお持ちの方なのです。
 いっぽう、ミシマガでも「これからの建築スケッチ」でおなじみの建築家・光嶋裕介さんは、大学院を卒業したあとドイツの建築設計事務所で働き、2008年に建築家として独立。内田樹先生のご自宅兼道場である「凱風館」をはじめ、多岐にわたり活躍されています。

 そんな安田先生と光嶋さんが、『あわいの力』の刊行を記念して、恵文社一乗寺店で対談をすることになりました。年末にもかかわらず、たくさんの人でいっぱいの会場。まだ読まれていない方のために、できるだけ本の内容には直接触れないように、おふたりは話し始めました。
 どーんと全部をご紹介! ・・・したいのですが、あまりにも広大な対談だったため、ぎゅぎゅっと凝縮してお送りします。まずは、安田先生にご登場いただきましょう!

(文:熊谷充紘、新居未希)

『あわいの力』刊行記念対談 安田登×光嶋裕介

2014.02.24更新

能は「こころ」を扱わない。


 こんにちは、安田登です。私は能楽師のワキ方をやっているのですが、この本のなかでは能の話だけではなく、人間のこころの話など、多岐にわたって触れています。

 ではここで少し、「こころ」、「おもひ」、「心(しん)」という、心の三層構造の話をしたいと思います。
 「こころ」の語源はよくわかっていないのですが、「こ、こ、こ」という心臓音が「こころ」だというひとつの説があります。
「こころ」の特徴は一言で言うと、変化することなんです。「心変わり」と言うように、心は変化するんですね。ふつう芸能というものは「こころ」を扱うことによって人の感情に働きかけて、観客のこころを登場人物のだれかに共感させながら物語を進めることによって、物語の説得力を増します。ところが、能は登場人物のだれにも感情移入できない。それは「こころ」を扱っていないからなんです。


「恋」は本来「乞い」だった。


 能のなかに、『隅田川』という演目があります。子どもが人買いにさらわれたお母さんが、子どもを追いかけて京の都からずっと旅をして武蔵の国、今の東京にある隅田川にやってくる。そしてその河畔で彼女は平安時代の伊勢物語の話を思い出すんです。在原業平は、この隅田川で都にいる自分の妻を思っていた。しかし、いま自分は子どもを思っている。妻と子と、その対象はちがうけれど、でも「おもひは同じ」。恋路なれば、と謡います。
 「こひ」という言葉を漢字で表すとき、今は「恋」を使っていますが、「こひ」の意味を考えると「乞い」を使うのがいいと思います。本来は自分の中にあるはずのものが一時的になくなって、それが戻ってくるまで不安で不安で仕方がない状態、そのことを指して「こひ」といます。

 たとえば子どもと一緒に出かけて、子どもが迷子になるとします。出てくるまで不安で仕方がないでしょ。そんな状態が、「乞い」。子どもが戻ってくるまでは不安が解消しないように、欠けてしまったナニかが埋まらない限りはなんとも落ち着かない、そんな「欠落」の状態が「こひ」なのです。
 その「欠落」は我が子のこともあれば恋人のこともあるし、食べ物のことであれば乞食だし、雨の場合は雨乞いになる。夜、ひとりでいるときに、ふっと浮かぶ寂しさ。それもこの欠落が生み出す「こひ」です。
 対象は年齢や状況によって変わりますが、こういう「欠落」状態はいくつになっても出てきますよね。どこかで欠落が生まれ、欠落があることに気づいてしまう。それが埋まるまで不安で仕方がない。この「こひ」、「おもひ」を能は扱い、表現しようとしているんです。


アイスクリームの食べ方まで師匠にそっくり


 さらにその下には、「心(しん)」というものがあります。この「心(しん)」は、「芯」に近いかもしれませんね。
 物事が一瞬で相手に伝わったとき、以心伝心と言いますよね。説明の必要がまるでない。「こころ」でも「おもひ」でもない、さらに奥の「心(しん)」と「心(しん)」がスパークでばーんと繋がる状態。

 たとえば、稽古をするというのはそういうことだと僕は思っています。
 練習と稽古はまったくちがうものです。練習は時間を決めてやる。稽古は師匠と一対一の関係をずっと続けています。師匠のあとをずっとついて行って、芸だけでなく何でもかんでもマネをしようとする。僕なんか、アイスクリームの食べ方まで師匠にそっくりじゃないかって笑われたこともあります(笑)。
 けれどそこまで同じになる状態が、稽古だと思うんです。
 ずっとずっと奥にいって、ある日、ぱーんとスパークする。それが「心(しん)」と「心(しん)」の関係なんですね。能というのは「心(しん)」によって裏打ちされたもので、「おもひ」を表現しようとする。そういう芸能が、能だと僕は思っているんです。

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