今月の特集1

「THE FUTURE TIMES」0号(創刊準備号)

 どうしても話をうかがいたい人がいた。アジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文氏。自費で発行するフリーペーパーの編集長も務めている。
そこに掲載されている言葉の数々に、ほってはおけない熱を感じた。たとえば0号(創刊準備号)の冒頭――。

「僕が知らない間に
いや、知らないふりをしている間に なんだか不味いことになっていた
ひどくこんがらがって 自分で自分を縛っているような
そんな社会になってしまった」

 まさに同時代に生きる人。そう思った。たとえ同じ時代に生きていても、同時代感覚をすべての人と共有できるわけではない。同じ時代を生きることと、同時代感覚をもつということは別の話だ。その意味で、後藤さんは自分にとって、まさに同時代感覚の持ち主だった。

 今回、「僕たちの世代」という特集のなかで、音楽、建築の世界で活躍中の同世代のお二人と話しあいました。
「この時代における音楽、建築、出版そして表現とは?」
 その役割、意味、展望・希望・・・さまざまな角度から「僕たちの世代」が浮かびあがってきたように思います。

 場所は、光嶋裕介さんが設計された内田樹先生のご自宅兼道場「凱風館」(兵庫県住吉)。
 当日蓋をあけると、内田先生、釈撤宗先生が「聴衆」というなんとも驚きの環境で開催されたことをひとこと付け加えておきます。大先輩方の前で、私たちはいったい何を話したのでしょう?
 全3回でお伝えいたします。

(構成・写真:新居未希、構成補助:赤穴千恵)

僕たちの世代 光嶋裕介×後藤正文×三島邦弘 「未来について話そう」

2014.05.21更新

「世代と時代」編「身体と言葉」編


「設定を下に合わせると、まずいんじゃないかなあと思う」(光嶋)

三島僕は、一冊の本が単に暇つぶし的に面白かったらどうかってだけじゃなくて、紙の本の表紙に触れただけでなんか変わったとか、自分の身体性が一秒前と違うところにいったとか、そういったことも含めて編集をしたいなと思ってるんです。

光嶋僕も、身体性や社会、地域、場所といった中で、その場所にしか可能でない建築の可能性を信じて作りたいと思っています。幻想に近いかもしれないけれどね。

後藤みんなそれぞれ、自分の現場を大切にしていけばいいんですよね。

光嶋それぞれが、状況に応じてどうしていけばいいかってことも、考えなければならないような気もしますけどね。

後藤内田樹先生も仰られてますけど、今は考え方の射程が短いんだと思います。ものすごく短い。だから1000年も2000年も残っている建物にわけわからないサインをつけたり、クレームきたからとりあえず看板つけたり、明らかに趣きなんてない。ここから入らないようにコーンをたてたりとか・・・消費と向き合いすぎなんじゃないかなと思うんですよね。

光嶋どこかで上から目線だけど、消費者側にまで降りてきているというかね。

三島うんうん。

光嶋アメリカで暮らしていたとき、家族でグランドキャニオンに行って兄貴が落ちそうになったことがあって。日本だったらグランドキャニオンみたいな危険なところにフェンスをつけるだろうなーとふと思いました。だけど、フェンスをつけた瞬間にそれはまったく違うものになる。日本は責任を負いたくないから、フェンスをつけて、「登ったらあなたの責任ですよ」というふうにしますよね。けど、そうして設定を下に合わせるとまずいんじゃないかなぁ。

三島出版も、「わかりやすくしすぎない」ほうがいいと思います。今はわからなくともこの本を手にとってくれている方はきっといつかわかるはず。そんなふうに信じて編集したい。

後藤ほんとそう思います。







「みんなが消費の対価を求めすぎている」(後藤)

後藤「The Future Times」を無料で配布しているのも、そういうところの意味があるんです。お金を払うと、みんな文句を言い出しますから。10円でも100円でもお金払って買ったら、「誤字がある」「100円払ったのに」とか、すぐにクレームがくると思います。

光嶋その消費マインドの価値観を外してるってことなんですね。

後藤「俺は言いたいことを書くだけだから、対価はいりません」と。そのかわり、売ってほしいとか送ってほしいと言われても、対応しない。「自分で探しに行ってください」って言ってます。もちろん配ってくださる人には「来てくださった方にお願いします」とつながって、そこからやり取りしていますけどね。でもそれって抗わないと、大変なことになる気がするんですよね。

三島ほんとそうだと思います。

光嶋今の社会のそういう部分というか・・・

後藤ちょっとしたクレーマーに対応しすぎなんじゃないかと思います。『裸足のゲン』が図書館で閉架になっていくのも、ほんとに数人の人が何回も電話したんだと思うんです。それで閉架になるっておかしいですよ。事なかれ主義というか。

三島あらかじめ芽をつんでおく。

光嶋そういう構造が働いちゃうんですね。

後藤みんな、責任をとりたくないんでしょうね。逆に、責任をとれる人がいる現場はおもしろいものができている気もします。でもやっぱり、みんなが消費の対価を求めすぎているような気がするんです。

三島うんうん。

後藤内田先生と釈先生のおっしゃる「贈与」と「お布施」って、ここ何年か思っていた違和感を表してくれた言葉なんですよね。「あ、渡していけばいいんだな」と。自分が場をつくろうとするのも、そういったことに関連していて。おもしろくないんだったら自分がおもしろくしよう、と。自分が動くことで仕事になるということは、すごいことだと思うんです。







「自分に渡すバトンがあるかと問われると、
                  ちょっとドキっとしちゃう」(後藤)

後藤僕はOasisの「Live forever」に感動して、永遠に自分の作品が残ることに憧れてバンドを始めたんです。けど、最近はどうでもよくなっている感じがします。それは売れたからだって若いミュージシャンに言われたら、そうかもしれないねとしか答えられないけれど・・・でもそんな野心はなくなった気がしますね。「どうせ死ぬじゃん、死んでからほめられてもなぁ」って(笑)。まぁ、死んでから褒められるのをわかってほしいって願望もありますけどね。

光嶋自分の葬式で、弔辞とか聞きたいですよね(笑)。

後藤そうそう(笑)。どうしてもやっぱり、いつかは自分の身体も朽ち果ててなくなると考えると、自分の名前を残すことよりも、どうやって次の世代に渡していくかってことに目がいくというか。

光嶋どうやって、そして何を渡すか、ですよね。

後藤最近は、受け取ることにも敏感にならなきゃいけないと思っているんです。自分に渡すバトンがあるかと問われると、ちょっとドキっとしちゃうっていうか・・・。

三島うんうん。

後藤僕は渡す気満々だけど、何も持っていない可能性もある。「贈与」や「お布施」の考え方は素晴らしいけれど、そこだけを近視眼的に見ると、「あなた何も渡すもの持ってないですよ」って言われちゃうとショックだな。だからそこは意識的にしていないといけないですね。

光嶋この前映画監督の西川美和さんとトークイベントでお話ししたんですが、西川監督は広島の原爆を体験した叔父の手記をもとに『その日東京駅五時二十五分発』という小説を書かれたそうなんです。叔父とはまた違った形で、光を当てることができた。それって素晴らしいですよね。受け取るということは特別なシグナルに自分のセンサーが反応しなければいけないし、受け取ったものを違った形で渡せる能力も必要だなと感じました。

三島音楽も建築もそうですが、出版・編集はとくにそうかなと最近思いますね。

後藤編集って行為はすごく大事だと思います。

光嶋ものづくりに携わるかぎりは、なにか受け継いでいく方法に意識的でありたいですよね。







「わからないながらも、手探りで進む」(三島)

後藤僕らがやっていることは、結局全部編集なんじゃないかなという気もしているんです。いろいろなことを自分で咀嚼して、編集して、アウトプットしている。

光嶋それができるのは、時間の横軸に対する意識があるかどうかだとも思うんですよね。僕の場合、衣食住に寄り添いながら、何か作り続けることによってたどり着ける境地があると信じてやっていきたいとは思ってます。建築のことを文学やアート、映画を通してたくさんのチャンネルから考えたいんです。

後藤たしかにそうですね、自分探しというよりは、己を磨かないといけないなというのはある。自分とは何かを、考えている暇はあまりないんですよね。勉強してアウトプットするときに、初めて技術がでてくる。

光嶋そうそう、その場所に行ったときにどれだけ反応できるか、単体ではありえないと思うんです。

後藤勉強と技術は相関関係にあるので、どちらもおろそかにできない。それと同じで、受け取ることと渡すことは、どちらも意識しないと成り立たない気がします。

三島うんうん。単純明快ではないものがそこにはありますよね。

光嶋単純明快じゃないってことは、常に受け手と渡し手の間のコミュニケーションのなかのディスコミュニケーションがあるってことですよね。10渡して10受けとるってことはなくて、どこかで通じてない部分がある。

後藤わからないことはいいことだと思います。みんなわかりあえたら、こういう話の場がなくなりますからね。わからないから話したり考えたり、いい誤解とか膨らんでいくものもあるから。

三島そうですね。わからないながらも手探りで進んでいかなければいけないですよね。







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光嶋裕介(こうしま・ゆうすけ)
1979年アメリカ・ニュージャージー州生まれ。建築家。東京・目黒と、兵庫・神戸在住。
2002年早稲田大学理工学部建築学科卒業。2004年、大学院卒業とともにドイツの建築設計事務所で働く。4年後に帰国し、事務所を開設。一級建築士免許取得。首都大学東京・都市環境学部助教。
著書に『みんなの家。~建築家1年生の初仕事~』(アルテスパブリッシング)、『幻想都市風景』(羽鳥書店)、『建築武者修行~放課後のベルリン』(イースト・プレス社)がある。
光嶋裕介建築設計事務所


後藤正文(ごとう・まさふみ)
1976年静岡生まれ。ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル&ギターを担当。すべての楽曲の作詞と、ほとんどの作曲を手がける。また、新しい時代やこれからの社会など私たちの未来を考える新聞「THE FUTURE TIMES」を編集長として発行。2014年4月30日、自身初となるソロアルバム『Can't Be Foever Young』をリリースした。


三島邦弘(みしま・くにひろ)
1975年京都生まれ。京都大学文学部卒業。出版社2社で単行本の編集を経験したのち、2006年10月、単身、株式会社ミシマ社を設立。現在は8名のメンバーとともに、「原点回帰」を標榜した出版活動を行っている。
著書に『計画と無計画のあいだ』(河出書房新社)がある。

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