今月の特集1

 ここまで3回にわたり、『「消費」をやめる』(6月20日発売)の内容をご紹介してきました。

 今日と明日は平川克美先生と、『いま、地方を生きるということ』(ミシマ社)の著者、西村佳哲さんの対談をお送りします。

 西村さんの『自分をいかして生きる』(ちくま文庫)の解説を平川先生が書かれたというご関係はありながら、お二人がじっくりとお話されるのは今回が初めて。
「消費すること」「働くこと」をめぐるお二人の対話を、どうぞお楽しみください。

(構成:星野友里、構成補助:赤穴千恵、写真:池畑索季)

「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ 対談編

2014.06.19更新


何を失っていたのかに気づいていなかった

平川『消費をやめる』のゲラができた頃に、この「隣町珈琲」ができて。そもそも会社は秋葉原にあったんだけど、こっちに持ってきちゃったの。そうするとすべてが変わるのね。職住近接で、社員も徒歩だったり自転車で通ってくる。

西村秋葉原は戦場ですよね。

平川そうですね。たまたま一週間くらい前に秋葉原に行く用事があって、なにが違うのかなと思ったら、とにかく音が違うんですよ。ここは昼間ほとんど音がしないんです。ちょうど私たちのオフィスに接して公園があって、昼間は子どもたちの遊び声が聞こえてくるのね。ところが秋葉原で竹橋のほうから歩いていくと、自動車のガーッという音が聞こえるわけ。いた当時は気づかなかったんですよ。こんなに音が違うのかと。ここは人間の住むところじゃないぞと。

西村そこまで言う(笑)。

平川こんなところにいちゃいけないと(笑)。ま、引っ越してきただけなんですけど、環境が劇的に変わって。とにかくいろんなものを取り戻せるんですよね。

西村失ってたものを、ですよね。

平川気がつかないんですよ、何を失ってたか。ほとんど都会で生活していると気がつかないんだけど、実はいろんなものを・・・。みなさんがくる前、喫茶店はお客さんでいっぱいだったんだけど、半分は商店街の人なんですよ。優しいんだよね、商店街の連中も。すごく優しくて、いろんなこと教えてくれるし、似たような飲食店をやってるところは共同仕入れしようかって持ちかけてくれたりね。喫茶店がこのあたりになかったから、ありがたいわぁって言ってくれたり。

西村いいですね。

平川あとは、じいさんやばあさんが決まった時間にくるんですけどね。彼らの看取りもやっているわけですよ、「今日○○さん来てないね、どうしたかな」とか。つまり、そういうふうなものって秋葉原にも、その前にいた渋谷にもないんですよ。商店街的なゲマインシャフトがここにはすごくあるなってわかったわけです。喫茶店を始めてわかったんです。





義理と人情は社会のシステムだった

平川本に出てくるのですが、私が「暗黒の十年」と書いた期間というのは、義理と人情みたいなもので仕事をしていたんですよ。一宿一飯の恩義があってね、それを果たすために自分の本意じゃないこともやるみたいな感じだったわけ。僕を慕ってきてくれた仲間もいるから、頑張って仕事にしようと。

西村責任を果たすという意識だったのですね。

平川日本の社会っていうのは、そもそも「しょうがねぇな」とか言って、助け合う社会だったんです。たとえば昭和の時代に、息子が都会にでて落ちぶれて実家に戻るわけです。すると親父や親戚のおっさんがでてきて、「しょうがねぇ奴だな、しばらくここにいろ」って休ませてくれる。あるいは資金を貸してくれる。その人間がある程度成長して独り立ちすると、今度は同じことをしてあげる。日本の社会には、贈与経済が色濃く仕込まれていた。

西村なるほど。

平川義理・人情をみんなメンタルなものにとらえちゃっているけど、たぶんそうじゃないんですよね。権威主義的家族がもっていた装置なんですよ。

西村それはシステムなんだ。

平川同質性のなかでやっている人々の間では、義理や人情といった秩序が大切なんです。「お上がなんと言おうと、俺たちの流儀でやるんだ」って。そのかわり掟は厳しい。我々はもともとそういう遺伝子をもっていて、ここにきて少しそういうものも取り入れてみたらどう? という提案なんです。

西村そこに戻ろうというわけではなくて、それを試してみようとか、その味わいを味わってみようということですか?

平川我々は、権威主義的家族を否定してきたわけでしょう。否定しちゃだめだよと。核家族になってきた自由とか平等といった理念と一緒に、両方ないとだめなんですよね。AがいいかBがいいかという考え方は欧米の考え方なんです。我々はあれもいいし、これもいいなんですよ。その間をとってこのへんにしようかってことをやっている。


当たり前のものを、ひとつひとつ、これってなんだったけとひっくり返す

西村「そもそも、これってなんだろう」ってことを、ひとつずつひっくり返していくのが面白い時代だと思っていて。銀行ってなんだったっけとか、学校ってなんだったっけとか、当たり前に僕らが使っているお金って、そもそもなんだったけとか。家族というものも、ちゃんとひっくり返して考えると面白いですね。

平川家族というか共同体ですよね。人間にとっての共同体の最小単位はなんだったのか。個人を重視する考え方は、ヨーロッパから生まれてきて、日本には個なんて考え方ないんですよ。どこまでいってもイエなんです。イエがあって、たとえば丁稚からあがっていって、手代になって、番頭になって。そしたら今度は分家するわけですね。またイエをつくるんですよ。風土的に、イエを基本単位として動いていくということじゃないかなと思います。


単純化は子どもじみている

西村お金を使うってことは、自分の有能感みたいなものを確かめやすいし、右肩あがりみたいな成長感覚を容易に感じやすい。そうではないところで充実だとか、手応えを得ていかないといけないということですよね。

平川それを上手く説得する言葉がなかったんですよね。これまでだと、「人生にはもっと大事なことがある」とか「愛が大事」とかさ、ポエムになっていっちゃう方向ですよね。あるいはロハスみたいな、金は汚いと。でも両方大事なんですよ。ただ、今は貨幣万能のほうにふれすぎてるんで、ちょっと貨幣じゃないほうの価値っていうのをもう一回再評価したらいいんじゃないかっていうことですよね。

西村どっちか片方にいっちゃうというか、あっちだこっちだというのはけっこうエキセントリックでわかりやすくて、なんだか子どもじみていますよね。

平川「僕はあなたを愛しています」っていうのだって、実は「お前が大嫌いだ」っていうことを含んでいるわけですよ。「あんたのことなんて大嫌い」っていうのも「好きで好きでしょうがない」ってことを含んでるわけですよ。全く正反対のことを同時に含んでいるのが言葉であり、人間だって修行僧のようなものに憧れると同時に、ドンファンに憧れるわけです。同時にある。かたっぽしかなかったら、修行僧にも憧れないんですよ。両方あるから生きているってことなのに、話を簡単にするためにどっちかだけにしちゃうんですよ。

西村教育もそんな感じで、片方に注入型の教科教育があり、片方に自発性を重視した自由教育があり、学力テストだゆとり教育だ、ロックだルソーだと社会状況に応じて大きく揺れる。その歴史はアメリカでも同じなのだけど、とくに日本の社会はエキセントリックに片方に偏りがちで、中道の生き方が見いだされにくい気がします。


*続きは明日更新します!

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平川克美(ひらかわ・かつみ)

1950年東京生まれ。1975年、早稲田大学理工学部機械工学科卒業。渋谷道玄坂に翻訳を主業務とするアーバン・トランスレーションを内田樹らと共に設立、代表取締役となる。現在、株式会社リナックスカフェ代表取締役。立教大学特任教授。著書に『小商いのすすめ 「経済成長」から「縮小均衡」の時代へ』(ミシマ社)、『ビジネスに「戦略」なんていらない』(洋泉社新書y)、『株式会社という病』(文春文庫)、『経済成長という病』(講談社現代新書)、『移行期的 混乱―経済成長神話の終わり』(筑摩書房)、『俺に似たひと』(医学書院)などがある。


西村佳哲(にしむら・よしあき)

1964年、東京生まれ。武蔵野美術大学卒。建築設計の分野を経て、つくること・書くこと・教えることなど、大きく3種類の仕事に携わる。
働き方研究家としての著書に『自分の仕事をつくる』『自分をいかして生きる』(以上、ちくま文庫)、『ひとの居場所をつくる』(筑摩書房)など多数。

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