今月の特集1

 『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫)をはじめ、モード、ファッション、服を着るということを、私たちに伝わる言葉で語ってこられた、哲学者・鷲田清一さん。
 一方、writtenafterwardsを手掛ける山縣良和さんは、1980年生まれのファッションデザイナー。「日常生活で着る服」という概念をドカンと飛び越えたような、生々しい服の数々を生み続けています。

 次々と変わる流行、ファストファッション......服で溢れるいま、服を着るとは、ファッションとは何なのだろう?
 山縣さんが鞭をとる京都精華大学の学生さんたちを聞き役に、時代も世代も飛び越えたおふたりに、語り合っていただきました。全4回でお届けします。

(構成・写真:新居未希)

山縣良和×鷲田清一 いま、ファッションを考える

2014.11.17更新

ズレはファッションそのもの

『ファッション学のすべて』鷲田清一/編(新書館)

山縣鷲田さんに直接お会いするのは今日が初めてなんですが、個人的には、実はかなり影響を受けています。高校3年生くらいのころに、その前までは全然本なんか読まなかったんですけど、ファッションを好きになって、その関係の本なら読めるかな、違う視点でファッションを捉えてみようかな、と思って最初に手を出したのが、鷲田さんの『ファッション学のすべて』なんです。なんとなく「ファッションってこうなのじゃないかなあ?」と思っていたことがすごく腑に落ちて、それで、これなら一生ファッションを仕事にやって行けるかもしれないと思い、ファッションを勉強をする事を決断しました。ファッションデザイナーになると決めた、きっかけの本なんです。

鷲田えええっ。そんなん読んでくださっているなんて、想像もしてなかった!
 僕は山縣さんのこと、写真でしか知らなかったの。顔というより、作品のね。この人とんでもない人、対話にならないようなエキセントリックな人なんじゃないかな、ってずっと心配してたんですよ。けれどミシマ社の人が「普通の人です」と言うので、それで今日リラックスして来れました。でも、大抵の犯罪者とかも、後で「あの人がそんなことを!」ってなるし......松田優作でも、銀行員みたいな格好していて、それでスナイパーでしょ。だから、まだ触診中(笑)。

山縣僕もよく、作品から人格を見られて、逆に普通すぎてびっくりされますね。「もっとエキセントリックな人かなと思ってたのに普通なんだね」って言われるほうが多いです。実は大学の講師とかもやってますし。よく「どうやって儲けてるの」って質問が来るんですけど、結構仕事してるんですよ、たくさん。

鷲田あ、小商いをいっぱいしてるわけ。ファッションでは、黒字ですか?

山縣いや、難しいですね。表に出てるwrittenafterwardsは完璧に赤字です。ほとんど売っていないので、取り返しようもなくて。たまに、美術館に展示したものを買ってくださる方はいらっしゃるんですけどね。

鷲田詩人みたいなものだね。詩だけで生きていける人って、日本でひとりかふたりくらい。だから山縣さんは、ファッション詩人だね。でも、詩人のわりにはいろんな人を巻き込んで、お祭り騒ぎみたいなこともしてらっしゃる。

山縣そうですね。自分が信じてるファッションっていうのがあるんですけど、それをやると「これもファッションだし、あれもだし」と......気づいたらこうなっていたというか。

『ちぐはぐな身体』鷲田清一(ちくま文庫)

 あと不器用なので、まっとうな道が歩めなかったタイプなんです。いわゆる「コレをやりなさい」というのをやると、すごく点が低いんですよ。だからいつのころからか、真っ向勝負しなくなったんです。自分は外れて、どう勝負するか、みたいなところが培われてますね。
 けれど正当じゃないので、すごい外道、みたいな。批判は多いです。「何やってんの?」って、めちゃくちゃ言われますね。

鷲田『ちぐはぐな身体』でも最後に書いたんだけど、ファッションって人生の「はずれ」を「はずし」に裏返すもの。人生って大抵は「はずれ」です。だから山縣さんのやっておられること、ファッションとしてすごく正当に見える。


生々しいファッションを創り出したかった

鷲田三宅一生さん(イッセイミヤケ)、川久保玲さん(コム デ ギャルソン)、山本耀司さん(ヨウジヤマモト)らは山縣さんより30歳以上年が上だけど、彼らは一貫して、マグマのように強烈な主張をこれでもか、これでもかと出し続けましたよね。それでのファッションにつかみかかるというか。
 たとえば、「可愛い=かっこよくない」「セクシー=カッコ良くない」「キレイ=どうでもいい」「ゴージャス=それがどうした」っていう感じで、それまでのファッションの、誰もが「かっこいい」ってあたりまえのように言ってきた価値をどれもこれも覆した。モデルが「しな」を作って歩いたら怒ったし、ベタな靴とかスニーカーとか履かせてペタペタ歩かせた。

 山縣さんが国立美術館でやっていた「絶命展」は、YouTubeで見せていただきました。そして、ファッションというものが制度、システムとして成り立っているということを無視するんじゃなしに、別にファッションのシステムやフィールドみたいなものすらどうでもいい、と言っているように思ったんです。宗教とも言えないし、お遊びとも祭りとも、なんとも限定しがたい、そんな元のマグマのようなところまでファッションを置き戻していくとでもいうか。

山縣「絶命展」は、いわゆるファッションショーのお決まりではなくて、四方八方からモデルさんが来たり、わけわかんない感じなんですよ。全部は見れないんです。「あの子見なきゃ」とかそういうの全部を忘れさせようと思った。制作側も、どうなるかわからないんです。タイミングも全然計算できない。

鷲田あれ、構成とかしてないんだ。

山縣もう、めちゃくちゃですね。実際にぶつけてみたら、ある種のバグみたいなものが起こって、それが何か新しい感覚を生み出したりするんじゃないか、っていう実験でした。なので、来場者が1000人近く居たんですけど、見れたものがそれぞれ全部違うんです。だから、人によって意見も違う。
 たとえばファッションショーなんかも、今までずっとあの定番のランウィー形式でできているのは、道を歩く感覚に近いのかな、と思ったんです。道ばたでパッと気になる人がいて、すれ違ったときに振り向いて......っていうあの瞬間的な感じと似ているんじゃないか。そのちょっとしたトキメキみたいのを、もうちょっとリアルに、街のような混沌とした、偶然性も含めた状態を作れないかなって思って。

鷲田見ている人はどんな感じだったんですか。

山縣結構盛り上がりましたし、「あれは雑だ」って意見ももちろんありました。雑にやってるところもあったし、学生の子たちと一緒にやっていたので、完成度としてはまだまだなんです。これからの新しい感覚の子たちと場を作ってやってみる、という企画でした。僕は教師として大学で教えてもいるので、そういう発表の場で今を感じられる、生々しいファッションのっていうのを創り出したかった。


「何も学ばない」ところに本質がある

山縣僕が学んでいたセントラル・セント・マーチンズ って、学校そのものがかっこよかったんです。そこの空気に入っていること自体が。

鷲田イギリスの古めかしい、重厚な雰囲気というのとは、また違うんですか?

山縣そこに来たら何かが起こるっていう空気感が、すごくあるんですよ。たとえば僕の学んだ校舎は、セックスピストルズがファーストライブをやったところなんです。それだけでかっこいいじゃないですか。パンク精神があるんですよ、学校そのものに。それだけど、そのなかに学びの空間がある。何が起こるかわからないし、これから何かが起こるかもしれない、大きな権威っていうよりかは、ぶち破っていこうっていう空気感が当時はあったんです。教育環境とか学ぶ環境がかっこいいっていうか、時代を感じる事が出来る新鮮な空気を体験するというのは、すごく大事だなって思って。

鷲田ジョン・スチュワート・ミルは、大学がほんとうに学生に影響を与えられるとしたら、それは特定の教育によってではなく、「大学全体にみなぎる気風」によると言っていますが、それが生きているんですね。知識を学ぶのは独学でもできるわけで、それより同じものを見ても、こんな問いを立てる人がいるんだとか、そんなとこから見るのとか、失敗もふくめて、そういう世界の見方を学ぶ場所、眼鏡をはめ変える場所が、大学だと思います。

山縣僕はセント・マーチンズで、ほとんど教わってないんですよ。あんまり記憶にないし、そもそも授業がない(笑)。テクニックも何も教わんないけど、しかしながら「何かは得た」みたいな実感はあって。けど、そこにすごくファッションの本質があるんじゃないかと思います。


    

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山縣良和(やまがた・よしかず)
1980年鳥取県生まれ。ファッションデザイナー。
2005年、セントラル・セント・マーチンズ美術学校卒業。ジョン・ガリアーノの デザインアシスタントを務めた後、帰国。2007年、自身のブランド「wittenafterwards(リトゥンアフターワーズ)」設立。2012年日本ファッションエディターズクラブ新人賞、2014年毎日ファッション大賞特別賞受賞。2014年、初のベーシックラインとなる「written by」を立ち上げた。
また、ファッション表現の実験、学びの場として、「ここのがっこう」を主宰している。
著書に『ファッションは魔法』(坂部三樹郎との共著、朝日出版社)がある。


鷲田清一(わしだ・きよかず)
1949年京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。関西大学教授、大阪大学教授、大阪大学総長などを歴任。現在、大谷大学文学部教授、せんだいメディアテーク館長。
著書に『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫)、『ちぐはぐな身体』『ひとはなぜ服を着るのか』(ちくま文庫)、『おとなの背中』(角川学芸出版)、『パラレルな知性』(晶文社)、『「自由」のすきま』(角川学芸出版)、『哲学の使い方』(岩波新書)など多数。

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