今月の特集1

 『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫)をはじめ、モード、ファッション、服を着るということを、私たちに伝わる言葉で語ってこられた、哲学者・鷲田清一さん。
 一方、writtenafterwardsを手掛ける山縣良和さんは、1980年生まれのファッションデザイナー。「日常生活で着る服」という概念をドカンと飛び越えたような、生々しい服の数々を生み続けています。

 次々と変わる流行、ファストファッション......服で溢れるいま、服を着るとは、ファッションとは何なのだろう?
 山縣さんが鞭をとる京都精華大学の学生さんたちを聞き役に、時代も世代も飛び越えたおふたりに、語り合っていただきました。全4回でお届けします。

(構成・写真:新居未希)

山縣良和×鷲田清一 いま、ファッションを考える

2014.11.18更新

スタイルが生まれる、そのとどろきがおもしろい

山縣西洋の感覚では、やっぱりファッションってアートに属しているんですよね。けれどアートの概念って、GODに近い行為として、絶対的に揺るぎないコンセプト、インディビジュアリティ、アイデンティティを持って、絶対的な揺るぎないクリエイションをする者が「美」として、それにきわめて近い行為を行っている者が「アーティスト」として賞賛される傾向がある。
 そうやって考えると、ファッションって絶対的なコンセプトもないし、絶対的なアイデンティティも持っていなくて、すべて流動的。だからアートの中のくくりで考えると、「ファッションって本質的じゃないからダメだよね」ってすごく言われるんですよね。それに対して、僕はすごい疑問があって。アートとファッションってまったく違う魅力があると思っていて、それを言っていかないと負けてばっかりになる。

鷲田アートにはどこまでも「スタイルの探求」ということがあると思う。スタイルとして確立する前に壊してしまいたくなるというか、むしろ、スタイルが生まれつつあるっていう轟きだけがおもしろかったりしますよね。

山縣なんかそういうのが、すごいファッションの魅力だと思うんです。生々しくて人間っぽいなって。生き物みたいな。

鷲田このごろのアーティストには、そういう「スタイル」の生成にそんなに魅力を感じないっていう人が少なからずいて、「アートだからって、もの作らなくてもいいんじゃないの」ってところまで来てるような感じがしてね。若い世代のアーティストに多いんだろうけれど、作品を作るとか陳列するとかそういうものじゃなくて、何かを起こすことにすごい魅力を感じているのかな。
 そういう意味では、アートのほうも今の人って、流行に乗りたいみたいな感覚はあまりないのかもしれない。それに、昔みたいにアーティストになってお金儲けして......っていう道がないじゃないですか。一昔前だったら個展出して新人賞とか取ったら画廊の一階で展覧会とかさせてもらって、次は画廊がついてとか市場への階段があったけど、今はそんな見通しがつかない。


畑を耕すところからやり直す

山縣ファッションも結構そうなりつつあるんですよ。企業がどんどん合体していってる。僕は「宇宙船」って例えているんですけど、もう今若い子たちはその「宇宙船」にどうやって乗っていくのか、それとも「筏」なのか、みたいな選択肢になってきていますよね。

鷲田そこにすごく関心があります。山縣さんの仕事のやり方とかを見ていると、30年上の世代とはなにか動き方が違うという感じがする。
 彼らは絶対に「魂」は売らないけど、あのシステムの中で登りつめる、みたいな道しかなかった。社員を食わせるために必死なんだけれども、そんなことは超越しているような、アーティストっぽい言動や振る舞いをしながら、やっぱり食わせる支点を全部動かせるように、そういう経営感覚持ってる人と組んで、なんとかかろうじてギリギリのところで「でも魂は売らないぞ」ってやってきた。

山縣そうですね。

鷲田けれど、山縣さんは店も持たないし服を売りもしない。なんか一発「あっ」と言わせたい、そのためにしっかりした地盤を持って、誰もが見られる場所に自分のショップを持ちたいとか、思いはいろいろあるはずなのに、あえてサイズを大きくしないというか。大きくなって何もできなくなるっていうよりは、小さくても、辞めたくなったら辞めることもできるし、大損するのわかっていてもこんどこれで行くとか、自分で制御可能なサイズにこだわり続けるっていうのが、すごいなと思います。

山縣それはよく言われます。大きな企業と組んで大きなビジネスをやろう、となった世代がちょっと上にはあるんですけど、企業のお金で成り立っている部分が大きいから、そこがダメになるとすぐにポシャるんですよね。そういうのを見てきた世代なので、自分自身をしっかり持ってやっていかないと。企業と組んでやっていると、バランスを保つのが難しくなってしまうんですよね。

鷲田でもそれって結構大変なことでしょ。「自分で畑耕すところからやり直さないと」って本の中でも言っらっしゃるけれど、「畑を耕す」ってきついことですよね。これに乗ったらあそこまでスッと行けるとわかっていても、あえてその道を選ばない。

山縣僕らはよく「畑耕すところから始めているけど、自分の人生、畑耕すだけで終わるんじゃないか」って言ってますけどね(笑)。

鷲田意外と人生そういうものじゃないかな(笑)。



0より、もっと前にまで戻す

鷲田歳いったら自分のことがよく見えてくる、わかってくるっていうの、大ウソですやんね。最後まで結局はわからない。だんだん見えてくると思ってたんだけど、そうは問屋がおろさない。

山縣そうなんですか。僕は、それはちょっとまだわからないなあ。

鷲田何か問いを抱えてて、答えを見つけるために生きてたはずなんだけど、気がつけば問うだけで終わってた......。それって悪くないなあって思いますね。「耕す」ことも「関係をつくる」ことだと考えれば、それだけで終わっても大きな意味があるはずです。ミシマ社の三島さんだって、今がそうなんじゃないかな? 今までの出版ルートとは違う自分の畑で、自分の仕事をしたいって。「これが新しいシステム」みたいなゴールを目指すんじゃなく、ただこの道を行こうという、それ自体が楽しそうに見えるのね、横で見ていると。

山縣僕も、大きな船に乗る列からは降りて、自分の筏でなんとかやってきたんですけれど、そういう「自分で漕いでいろんな島にたどり着く」サバイブの仕方って、けっこう大事なんじゃないかなと思っていて。大きな船だと、どう漕いでいくのかとかがまったくわからない。なので、大きなものやいろんなところとも関わって、自分なりのネットワークを作るっていうのは、必要なことなんじゃないかなって。

鷲田震災のとき、僕もそう思った。ひょっとしたら僕ら、まったく知らない土地にひょろっと、まるで漂流するように出ていったほうがいいって。

山縣僕も思いましたね。なにが本当なのか全然わからなかった。

鷲田もう一回「そもそも生き存えるる技ってなんだろう」というあたりから考え直したほうがいいじゃないかなって、そのとき思った。
 僕、ちょっと追っかけをやっている女の子が2人いるんですよ。震災当時は東京の芸大の4年生で、まだアーティスト未満の学生だったんだけど、震災が起きて何かただならん空気感じて、レンタカーを借りて衣類、食べ物つめて、とにもかくにも八戸まで行ったんです。まだ道も寸断されたままだし、ゲームセンターや車のなか、避難所で寝ながら、海岸沿いにずーと仙台まで下った。
 何度も足を運ぶうち、2人は結局、陸前高田に住みついた。絵を描いていた子が写真屋さんの手伝い、もうひとりの子は、今はお蕎麦屋さんで配膳してる。2人が延々とやっていたことはアートでも何でもなくて、ただ、ひとりが一日何時間もおばあちゃんとかと延々おしゃべりして、その横でもうひとりがずっーとそれを撮ってるだけなの。その膨大な記録も作品にして残すとかそういうのなく、「戻し」で考えるというか、結局、アートの形で結実しなくたって構わないっていう潔さみたいなものがあってね、それで彼女たち、スゴいと眼を奪われた。今度の震災で、いろんな分野でちょっとずつ違う形で、0よりもっと前にまで戻すようなことが起きていますよね。


どうやって、ファッションの魅力や奥深さを伝えていくか

山縣僕も今、すっごいそういうことを意識しています。今「ええ、ファッション? ちょっと苦手やから」みたいな意見ってありますよね。それって、ファストファッションが無闇矢鱈にあって、大量消費大量生産というファッションのイメージにくっついてしまっている。だからそこでファッションを嫌いになったり、ファッションをやること自体に嫌悪感を覚えたりしているんだと思うんです。ただ、それはすごくわかるんですけど、そこだけで対応してると話は進まないと思っていて。
 いま、僕らも「待って待って、ファッションって、いまの消費やシステムだけじゃないよね」ってことを言っていかないといけない。そこで、ファッション外の人たちにどうやってファッションの魅力や奥深さを伝えていけるだろう?、ってことをすごく思い始めて。そんななか、独立研究者の森田くんとか、いろいろ研究をされている方々に会う機会があって、最初は何言ってるかわからないんですよ。彼らの頭が良過ぎて(笑)。

鷲田みんな早口だもんなあ(笑)。

山縣そうなんですよ(笑)。けど彼らにも伝えていく言語を、僕らも持っていないとダメだな、と思っていて。そういう方としゃべったときに、意外なところにファッションの魅力とかが見えるかもしれないし、伝えられるところもあると思う。本当に原点のところから考えるというか、「じゃあファッションって何だろう?」っていうのが最近の僕のメインサブジェクトになっています。今writtenafterwardsでも、「もう一回ファッションの歴史から考えてみる」ということをしています。自分で勝手にストーリー作って、ファッションの歴史を掘り下げてみたり。
 たとえば、「布」ってそれだけにフォーカスすると、めちゃくちゃ深い。大昔、布って今で言う貨幣の代わりのようなものでしたよね。それくらい、すごく高価な物だったという歴史があって、工業化でもいち早く織機が機械として成立した。そういう人間とファッションとの長くて深い関わりをちゃんと伝えていくってことが大事だなあと思います。


     

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山縣良和(やまがた・よしかず)
1980年鳥取県生まれ。ファッションデザイナー。
2005年、セントラル・セント・マーチンズ美術学校卒業。ジョン・ガリアーノの デザインアシスタントを務めた後、帰国。2007年、自身のブランド「wittenafterwards(リトゥンアフターワーズ)」設立。2012年日本ファッションエディターズクラブ新人賞、2014年毎日ファッション大賞特別賞受賞。2014年、初のベーシックラインとなる「written by」を立ち上げた。
また、ファッション表現の実験、学びの場として、「ここのがっこう」を主宰している。
著書に『ファッションは魔法』(坂部三樹郎との共著、朝日出版社)がある。


鷲田清一(わしだ・きよかず)
1949年京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。関西大学教授、大阪大学教授、大阪大学総長などを歴任。現在、大谷大学文学部教授、せんだいメディアテーク館長。
著書に『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫)、『ちぐはぐな身体』『ひとはなぜ服を着るのか』(ちくま文庫)、『おとなの背中』(角川学芸出版)、『パラレルな知性』(晶文社)、『「自由」のすきま』(角川学芸出版)、『哲学の使い方』(岩波新書)など多数。

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