今月の特集1

 『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫)をはじめ、モード、ファッション、服を着るということを、私たちに伝わる言葉で語ってこられた、哲学者・鷲田清一さん。
 一方、writtenafterwardsを手掛ける山縣良和さんは、1980年生まれのファッションデザイナー。「日常生活で着る服」という概念をドカンと飛び越えたような、生々しい服の数々を生み続けています。

 次々と変わる流行、ファストファッション......服で溢れるいま、服を着るとは、ファッションとは何なのだろう?
 山縣さんが鞭をとる京都精華大学の学生さんたちを聞き役に、時代も世代も飛び越えたおふたりに、語り合っていただきました。全4回でお届けします。

(構成・写真:新居未希)

山縣良和×鷲田清一 いま、ファッションを考える

2014.11.19更新

なぜ、ファッションに物語をつくるのか

山縣今進めているプロジェクトとして「織り姫と彦星」の現代版を作ろうと思っていて、まだ完成していないんですけど、布を織る仕事をしている「織り姫」が、資源がなくなったから布を織れなくなった、っていうストーリーを考えていて。「資源をゲットしにこの星から出なきゃ」ってこの織り姫がシャトル(杼)の形をしたスペースシャトルでどっか行く、みたいなやつなんですけど。

鷲田そこでどうして「物語」なんですか? そこが気になる。これまでのアバンギャルドっていうのは、「意味を削ぎ落す」っていうかね、「男/女」をはじめさまざまの意味づけにひたすら抵抗しつづけていないと社会に呑み込まれてしまう、そんな危機感覚があって、あらゆる意味づけを削ぎ落とした、非意味という意味で抽象的な服を作りつづけてきた。ギャルソンにしたって、ヨウジにしたって。
 このように徹底的に意味を削ぎ落す対極にいたのがゴルチエで、オリエントもユダヤもモダンもごたまぜに入れ込む 。でもこの両極は合わせ鏡のようなもので、やりたいことは同じ、意味の制度から降りるということです。一方は意味を過剰にすること、一方は徹底的に過小にすることで、意味の制度を失効させてしまう。そういうのがアバンギャルドなファッションにおける2つの正反対の手法で、「世間の物語に俺は巻き込まれないぞ」という地声がある。そういうのを僕はずっと見てきたので、「物語」への移行は僕の場合、すっとは行かなくて。

山縣世間一般と僕の個人的な解釈は乖離があると思うんですけど、まあ僕はたぶん、ただの現実逃避だったんです。メタファーとして世界を作っちゃう。現実に対しての非現実の世界が走っているけど、現実から一度脱線することによってなにか切り開くみたいな感覚があるのかもしれないですね。



壮大な模索段階

鷲田今話聞いてそういうことかと思ったのは、「畑を耕す」って、物を作る地盤を自分でつくるっていうことじゃないですか。それって、コンテクストを自分で作るってことですよね。自分の「生」のコンテクスト、「生き延びる」っていうコンテクスト。さっき「制御可能なサイズ」って言ったのと同じで、たとえば自分たちの世代が抱えている問題を解決するのも、システムに乗るのも、自分たちで問題解決のコンテクストを作っていくことと考えると、さきほどの話と繋がりそうですね。

山縣もうひとつそういう、物語を作ったなかで解決策を探してるのかもしれないですね。何かを探す方法として、「もしもこうだったらどうなるんだろう」って考えるんです。いまの世の中はこういうシステムでずっと進んでいたけど、もしこのシステムが違う形で進んでいたらどうなるんだろうっていうふうに妄想することによって、いまの社会システムにはないなにかを発見できないかっていう模索段階ですね。

鷲田やっぱり壮大ですね。

山縣だから、めちゃくちゃ自転車操業ですけどね。でもそれくらいファッションは壮大だと思っていて。だからそれを表現したくなる。

鷲田それ自体が壮大。ファッションって、いつも社会ではマイナーだとされる。ほんとはみんな服を買って着ているんだから、こんなメジャーなものないはずなのに。ファッションは、アートの中でもでもマイナーアートにされる。山本耀司さんが、大学の法学部出て服を作り出したときは「男がそんなマイナーな仕事するのか」って言われたらしいし。

山縣それこそ鷲田さんも、「ファッションは哲学だ」って言ったら「世も末だ」って言われてたんですよね(笑)。だからそういう意味では、鷲田さんはその壮大な世界のきっかけをくださった方なんです。本当にあの頃、鷲田さんの本を読んでいるかいないでは、今大きく違っていた気がしますね。



ファッションも臨床哲学も、全部一緒

山縣ひとつ質問があるんですが、鷲田さんはファッション学をされて、それからオノマトペや臨床哲学にいかれましたよね。それは、どういう経緯でそうなったんでしょうか?

鷲田僕のなかでは、ファッションもオノマトペも臨床哲学も、全部一緒なんです。
 1990年代中頃から、ヨウジもギャルソンも日本でコレクションをしなくなったの。そのころから、日本で見たいものがもうあまりなくなってしまった。神戸の震災も一つの機縁となって、臨床哲学やケア論のほうに傾いていった。
 そしたら、これまでファッションみたいなきらびやかなカッコいいのをやっていて、それがなんで地味なあんな仕事に......って質問をようされたんですよ。逆に僕はびっくりして。だってファッションも介護も、身体として立ち現れ他者と交わるところに生じる出来事じゃないですか。オノマトペもそう。オノマトペは他者に働きかける場面で、分節された言葉以上に雄弁です。

 哲学の学問を、みんなこれまで研究としてやってきた。哲学って、理論を「発明」することであるかのように思っているけれど、哲学は「発見」するもの、人びとの生き方から「汲みとる」ものなんです。つまり、一人ひとりの人間って見えることが限られているじゃないですか。その中で街を歩いたり職人さんを訪ねていったり、農村に行ったりして、「こういうときにこういうふうにするのか」「これだけは絶対譲れないんだ」「ここはこういうふうに手抜きしたらだめなんだ」というふうに、人びとが一番大事にしていることを「発見」していく。それはファッションデザイナーにインタビューするときも看護師さんにするときも、変わりませんでした。

山縣なるほど。

鷲田はじめてヨウジの服に袖を通したとき、「服を着るってこういうことか」って思わず唸ったことがありました。ヨウジの服って大体袖がね、手が隠れるくらい長いんです。それで僕、店員さんに、「不便だし、ちょっと短くして」って言ったら「ダメです!」言われ、ムカッとしました。仕方なくそのまま着てたら、電車乗るとき時計見るのに、袖をめくらないと時計が見られない。そのうちだんだん面倒くさなってきて、「もういいや次のに乗ればいいし」って、ちょっと電車の乗り方が変わってしまった(笑)。
 そしてそのときに「ヨウジの服を着るってこういうことなのか」と思ったのね。「別に電車のひとつ遅れようが、関係ない」って。それと一緒で、料理食べたときでも「食べるってこういうことだったのか」って気づかせてくれる料理は哲学があるって思うんです。それを言葉に置き換えるのが僕らの仕事だと思っています。臨床哲学として僕らがずっとやってきたのはそういうことです。

     

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山縣良和(やまがた・よしかず)
1980年鳥取県生まれ。ファッションデザイナー。
2005年、セントラル・セント・マーチンズ美術学校卒業。ジョン・ガリアーノの デザインアシスタントを務めた後、帰国。2007年、自身のブランド「wittenafterwards(リトゥンアフターワーズ)」設立。2012年日本ファッションエディターズクラブ新人賞、2014年毎日ファッション大賞特別賞受賞。2014年、初のベーシックラインとなる「written by」を立ち上げた。
また、ファッション表現の実験、学びの場として、「ここのがっこう」を主宰している。
著書に『ファッションは魔法』(坂部三樹郎との共著、朝日出版社)がある。


鷲田清一(わしだ・きよかず)
1949年京都市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。関西大学教授、大阪大学教授、大阪大学総長などを歴任。現在、大谷大学文学部教授、せんだいメディアテーク館長。
著書に『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫)、『ちぐはぐな身体』『ひとはなぜ服を着るのか』(ちくま文庫)、『おとなの背中』(角川学芸出版)、『パラレルな知性』(晶文社)、『「自由」のすきま』(角川学芸出版)、『哲学の使い方』(岩波新書)など多数。

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