今月の特集1

『街場の戦争論』内田樹(ミシマ社)

 『街場の戦争論』発刊を記念して、さる11月22日、紀伊國屋書店梅田本店・グランフロント店共同開催による内田樹先生のトークイベントがおこなわれました。

 トークイベントのお題は、「日本が二度と戦争をしないために」。でしたが、先生のお口からは、その話題にとどまらない、「これからの国家」を考えるにあたりとても示唆に富んだお話でした。

 今月の特集では、総選挙前に、国民として知っておきたい、そのお話の核となったところを中心にお伝えします。
 会場に来られた方も来れなかった方もどうぞ!

(構成:三島邦弘、写真:中谷利明)

教えて! 内田先生「日本のいま、そして行く末を」

2014.12.08更新

もっとも弱い人間が集団のパフォーマンスを高める

 僕は神戸女学院大学で、2011年まで教鞭をとっていました。教師をしていて思うのですが、集団のパフォーマンスを高めるためには、成員ひとりひとりに多様性が必要であるということを痛感しました。教員というのは個人技でつとまるものではありません。他の多くの教員たちの共同作業ではじめて教育事業は成立する。
 教育の主体は「教師団」という集団です。だから、教育のアウトカムを高めようと思ったら、どうすれば集団のパフォーマンスが向上するのか、どういう個性を組み合わせる最高の力を発揮するようになるのかについての技術的知見が必要になります。

 黒澤明の『七人の侍』という映画を僕はすぐれた組織論として観てきました。集団を効率的に機能させる最小数がだいたい6人か7人です。これは「グループで仕事をする」映画に共通しています。『荒野の七人』も『黄金の七人』も『ナバロンの要塞』も、だいたいそれくらいです。『七人の侍』の中で、僕が最も注目する登場人物は、ひとりは千秋実演じる平八という侍、ひとりは木村功演じる勝四郎という若侍です。

 平八をリクルートした五郎兵衛は彼をこう紹介します。
「腕はまず、中の下。しかし、正直な面白い男でな。その男と話していると気が開ける。苦しい時には重宝な男と思うが」
 これは卓見だと思います。五郎兵衛は「苦しいとき」を想定して人事を起こしています。長期戦や後退戦を想定して、そのときに生き延びるために何が必要かを考えている。
 勢いに乗じて勝つことは難しいことではありません。勝機に恵まれれば、小才のある人間なら誰でも勝てる。でも、敗退局面で適切な判断を下して、破局的崩壊を食い止め、生き延びることのできるものを生き延びさせ、救うべきものを救い出す仕事はむずかしい。平八採用はそのような経験的な知見を踏まえたものでした。そして、実際に彼はその負託によく応えます。

 勝四郎がなぜ組織に必要なのか、これは説明が要ります。この青侍は戦闘力としてはほとんど頼りにならない。けれども、彼が加わることによって組織力は高まります。なぜなら、残りの6人が「この若者だけは死なせてはならない」とひそかに黙契を交わしているからです。自分たちはここで野武士と戦って死ぬかもしれない。たぶん死ぬだろう。けれども、自分たちがどんなふうに戦い、どんなふうに死んだかを誰かに語り伝えてもらいたい。六人はそう考えています。
 「自分たちの戦いの物語を語り継いでくれる人」というのは組織のパフォーマンスの鍵です。未来の世界のどこかで自分の名前が冒険譚の中で言及されると想像しただけで、個人のパフォーマンスは爆発的に向上する。そういうものです。

 尾田栄一郎さんのマンガ『ワンピース』にもウソップ君という「語り部」が登場します。彼は戦闘要員ではありません。彼の使命は海賊の仲間たちがすべて死んだあとにも生き延びて、その武勲を語り伝えることです。自分たちの冒険の物語がウソップ君の語りを通じて、いまから半世紀、一世紀語り継がれるだろうという空想が海賊たちの戦闘力を一気に高める。
 集団は「彼らの経験を次世代に語り継ぐメンバー」を含んでいるか、いないかで戦闘力に大きな差が出ます。それは集団というものが本質的に「時間の中の存在」だからです。今ここでの具体的な業績や成果ではなく、それが歴史的時間の中で持つ意義によって、組織のパフォーマンスは賦活される。無時間的な集団と、歴史的な物語の中に位置づけられる集団では今ここにおける力強さが違う。

 ですから、組織において幼いもの、弱いものを支援しなければならないというのは、組織論としてきわめて合理的な判断なのです。それは守るべき弱い者を含む集団の方がしばしば強者だけで組織された集団よりも強いことを人間は知っているからです。


立つべき場所、やるべき場所がわかる人間

 沢庵禅師の『太阿記』の冒頭に、「けだし兵法者は勝負を争わず、強弱にこだわらず...」という有名な言葉がありますが、武道の修業の場では、集団構成メンバー個人の相対的な強弱や優劣を論じることは禁じられています。
 もちろん、競技武道は別です。本来の武道は競技ではありません。どうやって集団が生き延びられるか、どうすれば集団のパフォーマンスが最も高くなるのか、その経験知に基づいて体系化された「戦技」です。集団が生き残るためには、集団内で成員間の個人的能力の優劣を論じてはならない。これは自明のことです。

 もし、集団の中で、人々が競争的なマインドを持って、自他の優劣強弱を比べるようになると何が起きるか。自分を強める努力と同じだけの努力を他人を弱めるために注ぐようになる。相対的な優劣競争においては、自分が強いと他人が弱いは同義だからです。そして、明らかに周囲の同胞たちの生きる力を「弱める」方が自分の生きる力を「強める」よりも圧倒的に費用対効果がよい。

 ですから、競争にかまける人たちは自分と同じ集団を形成している仲間たちが、自分より弱く、自分より愚鈍で、自分より無能であることを願うようになる。集団構成員たちがお互いに同胞が「弱い」ことを願い合うようなれば、そのような集団全体の生きる力が衰えるのは自明のことです。

 だから兵法者は、勝敗を争い、強弱にこだわってはならないとされるのです。兵法者とは自己利益の増大よりも集団が生き延びることを優先的に配慮する人間のことだからです。競技武道者はアスリートではあっても兵法者ではありません。
 そして、武道修業がめざしているのは高い身体能力を持ったアスリートの養成ではなく、兵法者の養成です。

 兵法者とは、「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなす」ことのできる人のことです。自分が属している集団の中で、自分が立つべき場所がわかる。なすべきことがわかる。状況が変化しても、臨機応変に、誰の指示がなくても、集団のためにしなければならないことが瞬時にわかる。それが兵法者です。
 そういう個体を多く含んだ集団は、個人的能力は高いが、ひとりひとりが自分のことだけ考えている集団よりも強いということは誰でもわかります。


平和な時代が終わって

 今の日本は集団として弱いと僕は思います。人々は集団全体のパフォーマンスを高めるためには自分は何をなすべきかではなく、自己利益を最大化するために自分は何をなすべきかを優先的に考えている。
 なぜそんなことができるかと言えば、それは戦後日本が例外的に平和で豊かな社会だったからです。兵法者がいなくても存続できるほどに安全だった。誰も集団全体のことを配慮しなくても、社会システムがきちんと機能するほどに制度設計がしっかりしていた。これはある意味ではすばらしい達成です。それは歴史的成功として誇ってよい。

 でも、全員が自己利益の増大だけを追求している集団は、危機的状況を生き延びることはできません。あまりに長く続いた平和と繁栄のせいで、日本人はどうすれば日本という集団の力は高まるのか、日本人ひとりひとりがその個性と能力を最大化できるのかという問いを考えなくなった。それより、自分以外の日本人ができるだけ無能で非力であることを願うようになってきた。そうすれば自分の「パイの取り分」が増えると思っているからです。

 そうやって日本人全員がお互いの個性と才能の開花を妨害し合うというゲームをここ30年ほど夢中になってやってきた。同胞の市民的成熟をどうやって支援するかということを誰も考えなかった。
 でも、そんなことにかまけられるほど平和で豊かな時代はもう終わりつつあります。


   

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内田樹うちだ・たつる

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。 現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。 神戸女学院大学名誉教授、多田塾甲南合気会師範、合気道七段。

著書に、『街場の現代思想』『街場のアメリカ論』(以上、文春文庫)、 『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書・第6回小林秀雄賞受賞)、 『日本辺境論』(新潮新書・2010年新書大賞受賞)、 『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』(以上、ミシマ社)など多数。

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