今月の特集1

 『街場の戦争論』発刊を記念して、さる11月22日、紀伊國屋書店梅田本店・グランフロント店共同開催による内田樹先生のトークイベントがおこなわれました。

 トークイベントのお題は、「日本が二度と戦争をしないために」。でしたが、先生のお口からは、その話題にとどまらない、「これからの国家」を考えるにあたりとても示唆に富んだお話でした。
 その内容は今回の特集の第1回第2回でお届けしていますので、ぜひご覧ください。

 最終回の第3回は、総選挙前にどうしても読んでほしい一冊『街場の戦争論』のまえがきを特別に公開。
 内田先生がどうして『街場の戦争論』を書こうと思ったのか。ぜひご一読ください。

教えて! 内田先生「日本のいま、そして行く末を」

2014.12.10更新

 みなさん、こんにちは。内田樹です。
 今回ミシマ社から刊行いたしますのは『街場の戦争論』です。
 この本、最初は『街場の二十二世紀論』という仮題で進められておりました。三島君はじめとするミシマ社の人たちがやってきて、「日本は次の世紀にどのようになっているか」についてSF的な想像をしてみるという、風通しのよい、スケール感のある企画です。
 そこで僕が思いつき的に話したことを逐一録音し、それをテープ起こしして、ゲラに「ちょいちょい」と手を入れて活字化して、「一丁あがり」......そうい う見通しでした。でも、実際に出てきたゲラを読んでみると、どうもいけません。

 それは他の本と同じ話の繰り返しが多いということです。僕は2013年の暮れから2014年の夏にかけて、半年ほどの間に10冊以上の本を出しました。これは明らかに異常なペースです。僕だってこんなペースで本を出したいわけじゃありません。単行本なんて、2年に1冊、せめて1年に1冊くらいのペースでていねいに書き上げるものであって、月刊ペースで出すものじゃない。それくらいの常識は僕にだってあります。
 でも、とにかく編集者たちが殺気立っている。「以前送ったあのゲラ、どうなったでしょう?」という問い合わせが、苛立ちから怒り、さらには絶望というグラデーションを伴って定期的に訪れる。営業会議で上司から「あの本はどうなったんだ!」と毎度叱責されていると聞かされると申し訳なさで身が縮む。

 僕だってそれほど非情な人間ではありません。なんとかみなさんに機嫌を直していただきたい。しかたがないので、本も読まず、映画も見ず、旅行も行かず、あれこれの楽しみを断念して、ひたすらゲラを直しては戻すという日々を送っていたら、こんな冊数になってしまったのです。気の毒な話だと思いませんか。
 なにしろそんなペースで本を書いていたわけですから、どの本も中身が似てくるのはしかたがありません。この本だって、原稿を書いている最中に三島君が来て、そこ で仕事の手を止めてインタビューが始まるわけですから、「今書いてたこと」をつい しゃべってしまうことは避けがたい。

 ですから、ゲラを読み返してみたら「どこかで読んだ話」がたいへん多かった。たいへん多かったどころか、6割くらいが「どこかで読んだ話」でした。それではとても「書き下ろしです」と言って出版社に託すわけにはゆきません。それでもかまわないという方もおられるかもしれませんけれど、僕の職業的良心(というものがあるのです)がそれを許さない。
 しかたがないので、「どこかで読んだ話」は、話のつながりで残しておかないと筋 道がわからなくなる部分(「国民国家の株式会社化」とか「憲法が空語でいいじゃないか」とかいう トピック)だけを残して、あとはばっさり切りました。

 すると残ったのは意外なことに「戦争の話」と「危機的状況を生き延びる話」だけになりました。読んでみて僕自身驚きました。
 これはいずれも2011年の東日本大震災と福島第一原発事故後になってから次第に僕にとって緊急性の高まったトピックでした。でも、それはカタストロフを経験したから、その反省を通じて緊急性を持つようになった主題というのではなく、むしろ次に訪れる、もっと大きなカタストロフの前兆を感じたからこそ前景化した主題のように僕には思われます。

 僕たちが今いるのは、二つの戦争つまり「負けた先の戦争」と「これから起こる次の戦争」にはさまれた戦争間期ではないか。これが僕の偽らざる実感です。
 今の時代の空気は「戦争間期」に固有のものではないのか。その軽薄さも、その無力感の深さも、その無責任さも、その暴力性も、いずれも二つの戦争の間に宙づりになった日本という枠組みの中に置いてみると、なんとなく納得できるような気がする。

 この本を書いている間にも、僕よりはるかに若い書き手たち、中島岳志、片山杜秀、赤坂真理、白井聡といったそれぞれ専門を異にする知性がまるで申し合わせたように「先の戦争の負け方」について深い独特の省察を始めました。おそらく彼らもまた何か「禍々しいもの」の切迫を直感したのではないかと僕は思います。
 そして、それを回避するためには、せめてそれが「何であるか」を予測するためには、どうして先の戦争に日本はあんな負け方をしたのか、敗戦を日本人は戦後七十年間かけてどう総括したのか、それについての自分なりの回答をださなければならないということをひしひしと感じ始めたのだと僕は思います。

 僕自身もそういう焦燥感を実際に感じています。そんなこと、僕は生まれてから今日まで一度も感じたことがありませんでした。でも、今は感じている。気がつくと毎日戦争のことばかり考えている。戦争に関する本ばかり読んでいる。戦争映画ばかり見ている。
 この「まえがき」を書いている日の前日は山本薩夫監督の『真空地帯』を見ていました。見ながら、「召集された場合に、陸軍内務班のような場所で僕は生き 延びられるだろうか」ということをずっと考えていました。首尾よく三年兵くらいまでたどりつけた場合に、今度は初年兵をことあるごとに殴り飛ばしたり、「員数」のためにと他人の軍装を盗んだりする「要領」のよい古参兵になったりするのだろうか。年齢的に僕が召集されることはありえないわけだし、旧軍の内務班のような制度 はもう存在しないだろうとは思いますが、それでもそんな想像をしていることに気づいて驚いています。
 戦争についてもっと知っておきたいと急に思うようになったのは、それを忘れないためではなく、「次の戦争」が接近していることを肌に感じるからでしょう。

 そういう生々しい不安と焦りがこの本にははっきりと伏流しています。そのせいで、あまり読み易い本にはなっていないと思います。読者の中には読んでいて「何か異物が喉につかえたような気がする」という方もいるかもしれません。それが素材を十分に消化しないまま本にしてしまったからだとすればお詫びしなければなりません。あらかじめ謝っておきます。ごめんなさい。

 それに三島君はもっと希望に満ちた書物を期待していたのでしょうけれども、期待に応えられず申し訳ないと思います。でも、これこそ2011年の夏に僕がずっと考えていたことです。できれば最後までお読みください。

『街場の戦争論』は、全国の書店さんで発売中!
書店の店頭にない場合も、店員さんにおっしゃっていただければ、ご注文いただけます。

選挙後、これからの日本がどうなっていくのか、
『街場の戦争論』を読んで、ともに考えましょう。


   

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

バックナンバー