今月の特集1

 2015年1月、フランスの風刺週刊誌「シャルリー・エブド」が襲撃され、編集長、風刺漫画の担当者など計12人もの人が命を落としました。
 そして同じ月に、湯川陽菜さんと後藤健二さんの日本人2名が「イスラム国」を名乗る過激派組織に拘束され、命を奪われるという痛ましい事件が起きました。
 目をそらしたくなるようなひどい現実に心を痛め、なんでこんなことが起こってしまうんだろう、という思いがぐるぐると頭の中を行き交います。

『イスラム戦争』内藤正典(集英社新書)

 これらふたつの事件に関連しているのは、イスラムという宗教です。けれど、じゃあイスラムが悪いんだ! という方向に向かうのは、あまりにも短絡的。
 現在、ムスリムの人口は15〜16億人にのぼると言われています。
 けれどもわたしたちはイスラムという宗教のことを、どれくらい知っているんだろうか。もしかして、ほとんど何も知らないのではないだろうか。そもそも、「イスラム国」「ISIL」って一体、なんなんだろう?

 そんなときに手にしたのは、『イスラム戦争』という一冊の本でした。この本で、イスラムはけっして怖いものでも、暴力的なものでも、カルト的なものでもないということを知りました。世間が掲示する偏屈で狂信的なイメージは、そこにはありませんでした。

 むしろイスラムから学ぶべきことは、実はたくさんあるのでは?
 そう思い、『イスラム戦争』の著者である内藤正典先生のもとを訪ねました。
 全3回でお届けします。

(聞き手:三島邦弘、構成・写真:新居未希)

となりのイスラム 内藤正典先生インタビュー

2015.03.24更新

 第1回目は、イスラムという宗教について。
 これはイスラム的に正しいか......って、どうやって決めているんだろう? なんで飲酒は禁止されているの? お話を伺いました!


「イスラム国」はイスラムか

―― 日本人のなかには、今回の「イスラム国日本人拘束事件」があったことで、はじめて「イスラム」という名を知った人も多いと思います。

内藤あのとき、日本にいるイスラム教徒の人が「イスラム国」という名前を使わないでくれ、と嘆いているのがニュースになっていましたね。嘆くのは無理もないことだし、気持ちもすごくよくわかる。「イスラム国」からイスラムを知るのでは、あまりに本来のイスラムからかけ離れたものになってしまう。でも、「あれはイスラムでも国でもない」って言ってもしょうがないんです。むしろ、イスラム世界、あるいはイスラム教徒の社会から生まれた、今まで見たこともないような深刻な病であると言うしかないと、私は思っています。

―― なるほど。

内藤「あの人たちはイスラム教徒じゃない」というのは、私たちには決められないんです。イスラム教においてそれを決めるのは神であって、ふつうの信徒が「お前は良いイスラム教徒だ」「お前は悪いイスラム教徒だ」とは言えない構造になっている。

 なんでそう言えないのかというと、イスラムはカトリック教会におけるバチカンのような、教会制度を取ってないからなんです。ローマ教皇みたいな人もいない。つまりイスラム教には正教会も総本山もないし、最高位聖職者もいないんですよ。ただし、もし本当にカリフが登場すれば別ですが。カリフは、全イスラム教徒の長として、判断を下すこともできます。

―― なるほど。そうか、モスクは礼拝所であって、教会ではないですもんね。

内藤では何がイスラムにおける偉さの基準になるのかというと、ひとつはイスラムについての学識の有無です。イスラム教は内面の信仰だけでは成り立たない宗教で、外形的というか、イスラムという法の体系でありルールなんですね。

 こんなことを言うとイスラム教徒に怒られるかもしれませんが、イスラムの聖典であるコーラン(神がムハンマドに下した啓示を集成したもの)は、ルールブックである面がかなり大きいです。結婚するときにはこうしなさい、離婚するときにはこうしなさい、あれは食べてもいいけどこれは食べてはいけない、と言っているわけですから、人生で経験しうるあらゆるところに神がルールを示した、と見ることもできる。
 そうなると、そのルール(法)に関する法学が学識ということになります。法学はちゃんと勉強をして、知識がないとわからない。

―― はい。

内藤では「イスラム的に正しいか」ということをどう判断するかというと、まずは絶対的な法源であるコーランが典拠です。それにプラスして、預言者ムハンマドが生前に何を言ったか・何をしたかという言行(これをスンナと呼ぶ)がつぎの典拠になります。そのスンナを集めて、これは正しいだろうと言われているものを書物の形にまとめたものがハディースです。日本ではまだ少ししか翻訳が行われていないんですが、ハディースを見ると「預言者があるときこうした」「それを誰が伝えた」ということが膨大に書いてあります。それがまた別の伝承ではこうなっている、また別の伝承ではこうなっている......というのが延々と書いてあって、最終的に「どうもやっぱりそうらしい」ということになります。
 この二つに関しては、典拠があるので動かせません。預言者が良いと言ったものを、悪いとすることはできないですよね。

―― 預言者は神のお告げを伝えているわけですもんね。

内藤対してコーランにもハディースにも典拠がないとなると、過去に明らかにされている典拠を基にして、そこから論理的に引き出せるかどうかが肝となります。

 たとえば、ムハンマドが生きていた時代に飲まれていたお酒というのはワインだったろうと言われています。イスラムでは飲酒は禁止されていますが、ではワインではなくウイスキーは、日本酒は良いか悪いかと言ったとき、コーランに「日本酒はダメ」とは書いていない。だからそこで、「なぜ飲酒は悪いと言っているのか」と考えるわけなんですね。
 実はムハンマドは生きていたころに、どうもお酒を飲んでいたみたいです。それであるとき酔っ払って、コーランを朗唱しようとしたら読み間違えた。これはいかんという話になり、だんだん厳しくなっていくんですね。

―― へえ〜〜、そうだったんですね、なるほど。



イスラムの「遊び」の部分

内藤となると、お酒を飲むと魂を惑わされて、理性も惑わされる。だからいけない、という話になる。そうすると「なぜいけないのか」というロジックが立ちますよね。では日本酒なるものを飲んだ場合はどういうことがそこに起きるのか、と言うと、同じことが起きると。したがって日本酒も禁じられたものになる、というふうに、論理的に導きだします。けれどそれでも結論が出ないこともあって、そういう場合はあちこちに住んでいるイスラム法学者たちの見解を聞いて、そこで合意が成り立つかどうか、と持っていくようです。

 たとえば、よく例にあがるのはコーヒーですね。コーヒーはみんな中世の頃から飲んでいるし、しかもあの中東のあたりはコーヒーの原産地でもある。けれど、コーヒーも一種の精神作用があるとことがわかったんですね。だから「これはダメだ!」と言った人もいるし、「構わないだろう、酔っ払うわけじゃないし」と言った人もいた。コーヒーについての典拠がないから、完全に意見が分かれるんです。そうなったとき、コーヒーを飲んだからといって読み間違えるわけではないから、まぁいっか、という話になってくるんですね(笑)。そうして概ねコーヒーについては飲んでも構わない、となるのに、何世紀もかかっているらしいんですよ。

―― 何世紀も、ですか。すごいですね。

内藤でも、それとはまた逆のケースもあるわけです。たとえばタバコも、どちらにも典拠がないんですよ。ごく最近のことですが、イスラム圏で禁煙がけっこうブームになっています。そうすると宗教上はどうするのか、という話になり、イスラム学者がタバコは是か非かということを議論しはじめている。恐らくタバコは緩慢な自殺であると解釈して、非となるのではないかな、と思います。イスラムでは自殺は厳禁されているので、喫煙が緩慢な自殺に当たるというような合意形成ができると、ダメだという方向にだんだん傾いて行く可能性がある。

 つまりイスラムには、元の典拠になっているものに関しては極めて厳格な法の体系の部分があり、そこから論理的に演繹して結論が導けるかどうか、さらには学者先生たちで合意できるかどうか、という3段階があるんですね。合意が成り立たないと、全面的に是か非かという話が形成されない。ムスリムに言うと怒られちゃうんですが、そこにイスラムの遊びがあると思うんです。
 たとえば妊娠中絶は、宗派によって「いつまで中絶できるか」という考え方が違います。スンニ派の場合は主要な法学派が4つあるんですが、その中で見解が分かれている場合、自分の家の法学派がどれかわかっている人はそれに従って、そうじゃない人は従わない、となる。イスラム教徒全体を拘束できるかというと、必ずしもできないのです。

―― なるほど。

内藤......と、いま偉そうにお話しましたけれども、私はそういうイスラム法学の専門家ではありません。日本人で言うと、ハサン中田考先生がその専門家です。イスラム法学者というのは、この場合はどれが是で非かを判断する膨大な引き出しを持っていて、そこから判断を示す人のことなんですよ。私は、真面目な人も不真面目な人も含めて実際に存在しているイスラム教徒の社会と、国家あるいは国家間との関係みたいなものがどうなっていくか、ということを研究しています。だから、イスラムの地域研究になるんですね。テレビに出ると肩書きに「イスラム学」と書かれたりしますが、イスラム学はやめてくれと言ってます、だって違うから(笑)。

(つづきます)

    

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内藤正典(ないとう・まさのり)

1956年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。博士(社会学)。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。著書に『イスラムの怒り』『イスラム—癒しの知恵』(集英社新書)、『ヨーロッパとイスラーム』(岩波新書)、編著に『イスラーム世界の挫折と再生』(明石書店)など。

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