今月の特集1

 2015年1月、フランスの風刺週刊誌「シャルリー・エブド」が襲撃され、編集長、風刺漫画の担当者など計12人もの人が命を落としました。
 そして同じ月に、湯川陽菜さんと後藤健二さんの日本人2名が「イスラム国」を名乗る過激派組織に拘束され、命を奪われるという痛ましい事件が起きました。
 目をそらしたくなるようなひどい現実に心を痛め、なんでこんなことが起こってしまうんだろう、という思いがぐるぐると頭の中を行き交います。

『イスラム戦争』内藤正典(集英社新書)

 これらふたつの事件に関連しているのは、イスラムという宗教です。けれど、じゃあイスラムが悪いんだ! という方向に向かうのは、あまりにも短絡的。
 現在、ムスリムの人口は15〜16億人にのぼると言われています。
 けれどもわたしたちはイスラムという宗教のことを、どれくらい知っているんだろうか。もしかして、ほとんど何も知らないのではないだろうか。そもそも、「イスラム国」「ISIL」って一体、なんなんだろう?

 そんなときに手にしたのは、『イスラム戦争』という一冊の本でした。この本で、イスラムはけっして怖いものでも、暴力的なものでも、カルト的なものでもないということを知りました。世間が掲示する偏屈で狂信的なイメージは、そこにはありませんでした。

 むしろイスラムから学ぶべきことは、実はたくさんあるのでは?
 そう思い、『イスラム戦争』の著者である内藤正典先生のもとを訪ねました。
 全3回でお届けします。

(聞き手:三島邦弘、構成・写真:新居未希)

となりのイスラム 内藤正典先生インタビュー

2015.03.26更新

 最終回は、現在15〜16億人ものイスラム人口が、なぜこれからもっと増えていくと言われているのだろう? という疑問から始まりました。
 そして、子どもができる・できないの話や因果関係の話へ・・・。
 イスラムから学ぶべきことは、たくさんあるんです。


イスラム教徒はなぜ増えるのか

―― これから世界の総人口の3分の1がイスラム教徒になっていくだろうと『イスラム戦争』のなかにも書いておられますが、どうしてイスラム教徒は増えていくのでしょうか?

内藤昔は貧乏人の子だくさんと言っていましたが、その状況もたしかにあります。ただそれで増えるという説明では説得力がないので、ほかの面をお話します。まず一つは、イスラムの人々は、子どもを持つということは絶対的に良いことだと思っているからなんですよ。

―― なるほど......。それは、ヨーロッパとはだいぶ違いますね。

内藤ええ、まったく違います。絆がどうとかではなくて、家族というのがどういうものか、家族になるということに対して、彼らはかなりの重みをもっています。子どもができるということに相当な重みがあるんです。
 日本だと、結婚をしても子どもができないご夫婦に対して、ひどくつらい思いをさせるという嫌な文化がありますよね。ところが不思議なことに、イスラム教徒にはそれが無い。まともなイスラム教徒の場合、子どもができるかどうかは神が決めることであって、できるできないでもって「お前のせいだ」と言うことは、神が決めることに人間が介入することになります。だからそれは許されない、と思っているんでしょうね。子づくりという言い方もしないです。

―― なるほど。

内藤さらにここが面白いんですけれども、性行為そのものは快楽のためである、とちゃんとハディースにも書いてあります。結果としてお子さんが生まれるのは望ましいのですが、夫婦間の性行為(イスラムの場合婚姻外は姦通になり厳罰)に関しては快楽の追求であってかまわない。善行なのだそうです。
 だからその結果として、子どもが生まれる、生まれないは、神の手にあるんです。それができなかったからどう、と言ったり非難したりすることは、ひどく不道徳なことだと感覚的に捉えているんでしょうね。そういう考えのもとだと、子どもも生まれてくるでしょう。

―― そうですね。そういう考えのもとだったら、放っておいても子どもを生むひとが増えると思います。

内藤根本的なものの考え方や原理が、私たちとは違っているんです。子どもはたくさんいるほうが可愛いから、ということではないんですね。しかもある程度保守的な人になると、結婚する前に男女で付き合うことも避けます。我々の社会だと、以前は禁止されていたものを認めるようになるということが一種の進歩である、ととらえがちです。けれど、その感覚が彼らにはないんですね。つまり、世の中が変わるにつれて何らかのルールや規範が変わる、という考え方自体がない。規範は1400年前のところで止まっているんですよ。
 家族はお子さんが誕生すればすごく喜ぶし、お子さんを溺愛します。それが必ずしも良いとは思いませんけれどね。私も20年ほど前に、まだ一歳くらいだった私の子どもを連れてトルコに行ったのですが、みんなものすごく優しいんです。

―― ほお〜。

内藤独身だと半人前扱い。結婚してようやく0.75人前くらい。子どもがいると一人前の扱いになるということが、実際に子連れで行ってみてよくわかりました。そして、とにかく周りの人がみんな子どもを見ていてくれるんです。
 たとえばベビーカーを押してレストランに行くとします。日本の場合、高級レストランになると「12歳以下お断り」とか書いてあるところもありますが、そんなことをしたらトルコでは「人間じゃない」と言われます。むしろそういうときは、奥の席にいる人が立って退いてくれるんですね。「奥の席にいらっしゃい」と言って。なぜかと聞いたら、「入口の席だと、風が吹いて赤ちゃんが風邪をひいたらいけないじゃないか」と。そういう社会だと、やっぱり出生率は減らないですよ。

―― なるほど。すばらしいですね。

内藤その価値観というのは、日本のように規律で決めてどうこうというのではなく、おそらく信仰の中から出てくるものだと思うんですね。
 けれどイスラムの場合、子どもが小さい間、お母さんは家にいるべきだ、という考え方は強いです。母親じゃなければできないことがあると確信している。そこだけを見ると、女性を家の中に閉じ込めておくのか、という批判は可能です。しかし、家の中で一番偉いのは間違いなくそのお母さんなんです。父親のほうは、哀れにも外へ行って飯の種を稼いで来なくてはならない存在、ということになっている。

 一家の中心は子どもを育てる母親であって、父親はその命令によって外で食い扶持を稼いで来なくちゃならないんです。だから父親が外に出て好き勝手なことをしているととるか、父親は可哀そうにも外へ行って現金を稼いでくるととるか......それは宗教的な価値観からくるものなので、これを否定しても実はあまり意味がないですね。もっとも、それでいて一家の長は男性だとする家父長的な価値観も根強いです。母親のほうが強いから、家族についての決定権は父親に与えるのかもしれません。

―― 面白いですね。日本人が学ばなければいけないところがたくさんある気がします。

内藤そう、その網の目のようになっている事柄の中に、学ぶべきことがたくさんあるんです。だからある断片だけを取り出して、イスラムは女性に対して抑圧的だと決めつけてしまったりしてはいけない。実際にそんなに抑圧的なんだったら、子どもは増えないと思いますよ。半分は女性なんだから、「イスラムなんていやだ」となるでしょう。



「あれをしたからこんなことに!」はイスラムにはない

内藤先ほど子どもができる・できないの話をしましたが、イスラムでは一般的に病気の場合も「病気になる」ではなく「病気にとらわれる」という言い方をします。つまり、悪いことしたからこうなった、という因果関係を言わないんです。原因と結果というのは、神の手にあることだから。因果関係というのは、とくに西洋が近代科学を発展させていくプロセスで重要でした。とにかく因果律で縛るわけです。トルコ人の医者でさえ「あれをしたからこうなった」とは言わないそうなんです。

 トルコには生活習慣病の人がごまんといるのですが、それでも言わないんですよ。最後の寿命、命というのは、神の手にあるんだということなんです。日本だと「貴方があれをしたからこうなったんですよ」と全部言われますよね。内科の医者へ行ってみると、「あれをしたらこうなります、最後は失明します、足の切断です」とか言われます。鬱陶しいじゃないですか、そんなことばかり言われたら。

―― (笑)。たしかに、自分は何にもできなくなるのでは、と変に不安になってしまったりもします。

内藤糖尿病外来なんかに行くと、全部因果関係で説明されますね。もう因果応報の世界ですよ。けれど面白いのが、トルコの医療はすべて西洋医学なので、何が原因で患者さんがそうなったかは医者もわかっている。わかっているけど、患者さんを前にして「貴方の過去がああだったからこうなったんですよ」と言うのは、ひどく不道徳な感じがして言えないらしい。ましてや患者さんが弱っているんだったら、そういうことを言って聞かせるというようなことはできないと。

―― おお、なるほど。

内藤もちろんちゃんとアドバイスはすると言っていたけれど、そこなんですよね。日本のほうが、おそらく医者の警告をきちんと聞く人は多いでしょう。どうも、トルコ人の場合ですが、生活習慣病については、あまり注意を守らない。お酒は飲まなくても、甘いものや脂っこいもの、大好きですからね。お菓子をたべながらおしゃべりするのは、イスラム圏の女性たちの最大の楽しみ。おいしい食事を家族と一緒に食べるのは、ほんとうにもう、あらゆるイスラム教徒の楽しみと言っていいでしょう。その楽しみを奪うというのは、なかなかできません。日本だと、節制しなければいけないという価値観が強くて、中高年の人たちはすごく真面目に健康管理をしますが、トルコあたりでは、それがなかなかできないんです。

 そのおかげか、トルコの心臓血管外科医は腕がいいそうです。なんせあまりに多くの患者さんが心筋梗塞になって運ばれてくるものだから、バイパス手術を田舎の病院でもすぐにやってくれるらしい。それでトルコは今や、医療ツーリズムの目的地になっています。ヨーロッパは医療費が高いからね。患者さんが多いから腕が発達した、という話なんですよね、今度は(笑)。

―― みんなバイパスの手術をしなければいけないから、いやでも技術が上がるわけですね(笑)。

内藤そうなると考えてしまいますよね。日本が、高度先進医療がどうでそのために備えなきゃいけないものが......と言って思い悩んでいるという、あの感覚はイスラム教徒にないんですよ。原因に対する結果という考え方を重んじていないから。それが良いんだとは私も思わないけれど、トルコ人が何を嫌がっているのかというのもわかるんです。とくに人の命に関することというのは、神が決めることであってね。



イスラムに学ぶべき知恵

内藤私はトルコに家を持っているんですが、はじめのトルコの家で隣だったご家族のお嬢さんは障害をお持ちでした。そしてそのお嬢さんが、よく我が家にふらっと来るんですね。一生懸命うちの子どもと遊ぼうとするんです。そのうち隣のお母さんが来て「この子こういう子だからすいませんね」と言って連れて帰っていく。そんな障害を持った子が来ると、日本の普通の感覚でいうと嫌がるでしょう。

 だけど逆に言うと、その子がいるために、周りがみんな手伝うんです。周りの人にしてみると、その子を助けることで善行を積むんですね。彼女も、隣家の我が家の子どもと遊んであげることで良い行いをしようとする。イスラムで善行を積むということは、来世で天国に近づくということです。だからそういう障害をお持ちの方がいることによって、自分が天国に近づくと考えているんですよね。
 その障害を持っている子どもがいる家族は、どうしてうちに障害を持った子が生まれてしまったんだろうなんてことは絶対に言わないし、考えもしない。こういう感覚には学ぶべき点があるように思いませんか?

―― はい、素敵です。

内藤 日本の場合、そこから延々と悩み続けてしまいます。テレビはテレビで家族の苦悩みたいな描き方をするしね。イスラムの場合、まったく発想が反転してしまうんです。
 それに気がついたのも、物乞いにお金をあげても何でありがとうと言わないか、を考えたからです(笑)。つまり、私のほうが物乞いよりお金持ちなわけですから、私が彼にお金をあげることによって善行を積み一歩天国に近づいたのであって、物乞いにしてみればありがとうと言う筋合いはないわけです。「俺がいてよかっただろ?」という。

 これからどんどん、多くの高齢者を抱えるようになっていく日本にとって、そういうのは必要な知恵じゃないかなと思うんですよね。高齢化が社会問題だと言う前に、まったく別の受け入れ方がありうるんだということを知らなければいけない。

―― 本当にそうだと思います。

内藤たとえば認知症になることも、そう神が定めたということになります。これは神の定めだということになったほうが、家族もあんまり悩んだりせずにすむし、気が楽ですよね。それはムスリムでなくても、なんとなくわかる感覚だと思います。

 私も去年の11月に母が亡くなり、その後父は急に認知症が悪化したんです。母は父の認知症に気がついていたらしいんですが、私は全然気づかなかったくらいでした。父は母が亡くなった後の、直近の記憶が今に至るまでほとんどないんですね。それで医者に連れて行くと、「かなり認知症が進んでいる」と。うんうんと聞いていると、医者が深刻な顔をして私に「こういうことを言うとご家族の方は、そんなはずはないっておっしゃるんだけど......」と言ったんです。それで、大丈夫、わかってるから、見ればわかるから、と(笑)。
 父は86歳まで健康に生きてきて、最後に母親を看取るところまで自分でやったわけで、そのショックもあっただろうし、それで嫌な記憶ごと消しちゃったのかもしれない。どうして認知症になったのかと考え、悩んでもあまり意味はないと思うんです。それより、これからの生活の質をどう維持するかを考えるほうが重要だと思います。

―― 本当ですね。

内藤たぶん医者のほうが、かえってホッとしていたと思います(笑)。でも考えてみると、嫌なことを忘れてしまうって、悪くないじゃないですか。昔の良かった記憶だけは覚えているわけですから。ものは考えようだ、ということになるかもしれませんが、これだけ高齢化が進んでくれば、身体の能力にしても認知にしても、何かしら問題は出てきますよね。もちろん、身体の病気が出てくることもあるわけです。その受け止め方について、それは神の決めること、と考えるイスラム教徒から学ぶべき知恵というのは大いにあるじゃないか、と私は思います。


   

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内藤正典(ないとう・まさのり)

1956年東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科卒業。博士(社会学)。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。一橋大学教授を経て、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。著書に『イスラムの怒り』『イスラム—癒しの知恵』(集英社新書)、『ヨーロッパとイスラーム』(岩波新書)、編著に『イスラーム世界の挫折と再生』(明石書店)など。

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