今月の特集1

 競輪選手に絶対音感、生命倫理に星新一・・・ノンフィクションの世界でさまざまテーマに挑みつづける最相葉月さん。6本の連作短編からなる『れるられる』(岩波書店)は、そのひとつの結実といえると思います。その最相さんが、本作でも幾度と触れられている通り、5年の歳月をかけて向き合ったのが「心」の問題です。昨年1月に刊行された『セラピスト』(新潮社)でカウンセリングの実像に迫りました。
 人の「心」が不調に陥ったとき、精神医学や心理療法はそれをどう癒やすのか――。
 世には「カウンセラー」を名乗る人が増えているのに、「心」の病は減るどころか増え続けているのはなぜなのか――。
 最相さんを取材と執筆に駆り立てたのは、こうした問題意識だったといいます。

左から『れるられる』最相葉月(岩波書店)、『セラピスト』最相葉月(新潮社)、『あわいの力』安田登(ミシマ社)

 能楽師の安田登さんも、最相さんとは異なるアプローチで「心」の問題に取り組みます。一昨年の暮れに小社から刊行した『あわいの力』で、古代文字と「心」の関係について、驚きの見解を披露されました。人間は文字によって「心」を獲得したのではないかという見解です。
 古代中国で文字(甲骨文字)が生まれたのは紀元前1300年ごろ。当時の発掘物からは「心」を指し示す文字が見つかっておらず、「心」を意味する字が確認され始めるのは、それから300年ほど経った紀元前1000年ごろのことです。
 安田さんはさらに、「心」の病が増え続ける現状を前にして、「心」の限界を指摘され、「心の次」の時代にも目を向けています。

 そんな「心」に目を向けるお二人が、じっくりと、静かに、「心の時代」の次を探りました。

(構成:萱原正嗣、写真:新居未希)

Born to Walk! 〜「心の時代」の次を探して

2015.04.21更新

 第2回目では、心のお話から時間の認知、そして認知症のお話まで。

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「心の次の時代」の時間観念

最相私も『あわいの力』、興味深く拝読させていただきました。人間は文字によって「心」を獲得し、過去・現在・未来というリニアな流れで「時間」を把握するようになり、それによって「論理」を生み出した・・・。というのが主題のひとつだと思うのですが、本を拝読していて頭に浮かんできたことがあります。2009年ごろに若年性痴呆症について取材していまして、そのことをカミングアウトされた元東大教授の若井晋先生にインタビューさせていただいたときの話です。
 そのときの若井先生の言葉が、安田さんのお考えとつながるように感じます。

 私たちは時系列で何かを記憶しているように思うけれど、認知症になると、平面だった記憶が台形のように歪んでそれがまたねじれるような感覚だと若井先生は言われました。私たちのイメージだと、認知症になると記憶がボコッとある時点からある時点まで抜け落ちるように思いますけど、そうじゃないんだと。だから突然ふっと過去の記憶が浮かんでくるし、順番も脈絡もなく記憶が飛び出てくるんだと。

安田時間の捉え方が変わるということなんですね。

最相ええ、脳の時間はリニアではないようなのです。認知症の当事者として、世界ではじめて国際アルツハイマー病協会の理事となったクリスティーン・ブライデンという女性のことも頭に浮かびました。彼女は『私は私になっていく』(クリエイツかもがわ)という本を出していて、その中で、永遠に今を生きることは新しい生き方だということに気づき、自分の認知症を肯定的に捉えられるようになったと書いています。安田さんが本の中で書かれた「一瞬一瞬の『今』を生きる」という言葉と重なります。

安田人間が文字によって獲得した「心」は、多大な恩恵と同時にさまざまな副作用を人類にもたらしました。精神疾患の増加は、「心」による認知の限界を示していると思います。そうした「心」の限界を乗り越えるには、「心の次」の認知のシステムが必要になるはずだと、『あわいの力』でも書きましたが、それにはおそらく脳のもう一段の発達が必要で、それが起こると時間に対する認知も変わるはずです。

最相そのとき時間の認知はどういうふうに変わるのでしょうか?

安田あくまで僕の想像ですが、これまでのリニアな時間、比ゆ的にいうとヨコの時間が立体的に、あるいはタテになるなんじゃないかと思っています。過去と現在と未来が順番に訪れるのではなく、それらのすべての時間がある瞬間に含まれているような、そういう時間の認知の仕方に変わるのではないかと推測しています。いまお話しくださった認知症の方の時間認知は、僕が想像していた「心の次」の認知のイメージと重なります。

 そういう認知を、社会的には「認知症」という病気として理解していますが、それはひょっとすると、現代の人間がそういう時間認知に慣れていないだけなのかもしれません。実はまったく新しい脳の構造が生まれていて、過去と現在と未来が同時に存在する立体的な時間を、脳が認知できるようになっている可能性もありえます。「能」ってまさにそういう時間を出現させる芸能ですしね。
 認知症を引き起こしているのは、脳が拡張しているからかもしれない。もしそうだとすると、ものすごいことが起きているわけです。

最相なるほど、認知症は脳の進化かもしれないということですね。たしかに、認知症の方はとても平和で穏やかに見えます。その視点は、「心」の不調の癒やしを考える大きなヒントになるかもしれません。



「永遠に今を生きる」人たち

安田認知症の研究をされていた大井玄先生から、僕も興味深いお話を伺ったことがあります。認知症というと徘徊とお漏らしが問題にされますが、「○○してはいけない」という禁止を課さなければ、認知症でも徘徊もお漏らしも起きないという話です。
 つい先日、ご住職の釈徹宗さんが運営される介護施設の「むつみ庵」を訪ねたら、そこは実例として徘徊とお漏らしがないと聞いて驚きました。開設当初は施設の庭でお漏らししてしまう人もいたようですが、だからといって外に出られないようにカギをかけるでもなく様子を見ていたら、しばらくして誰もお漏らしをしなくなったそうです。

最相すごいお話ですね。徘徊のほうはいかがでしょうか。

安田驚いたのは、施設では門にカギをかけないと言うのですね。各人が自分の意志で外出していくわけですが、道に迷うこともなくちゃんと戻ってくる。みなさん自分が戻ってこられそうな距離感を見極めて、それより遠出はしないんだそうです。カギをかけないからそもそも逃げ出す意識が働かないんじゃないかと、釈さんは話されていました。禁止がない社会においては、認知症は脳の新たな可能性を示しているのかもしれませんね。

最相私からももうひとつ例を挙げさせてください。2000年に公開された『メメント』という映画がありました。外傷で記憶を短時間しか保てなくなる「前向性健忘」になった人物が主人公です。殺された妻の復讐のために真犯人を捜すという切迫したストーリーであるためか、主人公の苛立ちや焦りが印象づけられるのですが、私の知り合いで事故で同じ症状になった人を見ていると必ずしもネガティブなことばかりとはいえないように思えるのです。日常生活でイライラすることはあるようですが、性格はとてもチャーミングで、健常者であれば囚われてしまうような物事から自由になっているようにも見えます。時間認知と心のあり様には深い関係があるのかもしれませんね。

安田ガンの余命宣告は、かなりの確率で当たると言われます。これは、宣告された時間に向けて自分で命を終えるようにプログラムしちゃうんじゃないでしょうか。不安や絶望が余命を決めてしまうのかも。
 というのはね、認知症の人にガンの余命宣告をしてもほとんど当たらないそうなんです。しかも、多くの方がそれより長く生きする。認知症の人は、時間の認知が変わることで未来に対する不安もなくなり、結果として余命宣告よりも長生きする。時間認知の違いが、この結果の違いをもたらしているのではないかと思います。

最相認知症の方は「計画」を立てないということですよね。未来を先取りしてあれこれ悩むこともない。

安田お知り合いの方も未来に対する不安がなくなって、「永遠に今を生きる」ことで晴れやかな日々を手に入れられたのかもしれません。
 ただ、この「不安がない」というのは、未来の時間感覚だけでなく大昔の時間感覚の可能性もあると思うのです。古代の叙事詩や神話を読むと、人間による選択や計画がありません。選択をするのは神様で人間はそれに従うだけ。あと古代の物語の特徴としては「色彩が曖昧」であることと、そして「嗅覚が少ない」ことがあります。これって夢に似ていませんか。夢の中で「う~ん」と計画を立てることってあまりないでしょ。選択もできない。色も曖昧だし、匂いもあまりない。ひょっとしたら人間は、古代の時間感覚を「夢」として記憶しているんじゃないかと思うのです。

 少し話が飛びますが、人間は視覚以外にも「見る」力を備えています。夢がその代表例で、光を網膜で感じなくとも、たしかに「見る」ことができます。そう考えると、人間の意識にはもっとさまざまなステージがあってもいいはずで、さらなる意識のステージを獲得すれば、脳の拡張が起こるはずだと思っています。
 脳の拡張は、時間の認識に大きな変化をもたらす可能性があります。今の私たちは、過去・現在・未来のリニアな流れで時間を把握しているつもりになっていますが、実は時間そのものを形容する言葉を持ちあわせていません。「長い時間」とか「遠い過去」とか、距離の概念を援用して時間を把握しているにすぎません。時間を直線的に捉えてしまうのはそれが理由で、時間認識を変えるには、脳の構造や知覚そのものを変える必要があります。

最相脳の拡張とは壮大な話ですね。具体的にはどのような試みを考えておられるのでしょう。

安田そのために、面白そうな実験を企んでいます。いま『イナンナの冥界下り』という作品を作っています。これは現在確認し得る最古の言語であるシュメール語と能の謡で演じるという作品です(初演6月6日、山のシューレ)。また、泉鏡花の『海神別荘』も上演するために準備中です。こちらは内田樹さんのところの凱風館で9月に初演です。

 両方とも能の様式を使い、それにさまざまな芸能や音楽、ダンス、アートを組み合わせて作っているのですが、将来的にはお客さんに「ホロレンズ」を付けて観てもらおうと思っているのです。「ホロレンズ」というのは、今年の1月に、マイクロソフトが発表したメガネ型のホログラムコンピュータなんですが、現実の世界にヴァーチャル・リアリティが重なるんです。これって脳に対する挑戦です。しかも、未来的時間を内包している能楽。そんな演能・観能をしたらどんなことが起こるのか、試してみたいと思っています。その準備に今はオキュラス・リフトを購入して、いろいろ実験中です。
 僕は学者ではありませんから、気になることはまずは身体を使って演じてみることにしていて、そのとき芽生える感覚が、いろいろなことを考えるヒントになっています。

最相これまで私も錯覚という現象を通して脳の潜在的な能力には驚かされてきましたが、古来、時空を超越した世界を表現し続けた能楽であるからこそ生まれる新しい感覚をぜひ体験してみたいですね。


<つづきます>


   

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最相葉月(さいしょう・はづき)
1963年生まれ。ノンフィクションライター。著書に『絶対音感』『星新一 一◯◯一話をつくった人』(共に新潮文庫)、『セラピスト』(新潮社)、『れるられる』(岩波書店)など多数。


安田登(やすだ・のぼる)
1956年千葉県銚子市生まれ。高校時代、麻雀とポーカーをきっかけに甲骨文字と中国古代哲学への関心に目覚める。高校教師をしていた二五歳のときに能に 出会い、鏑木岑男師に弟子入り。能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を、東京(広尾)を中心に全国各地で開催す る。著書に『能に学ぶ「和」の呼吸法』(祥伝社)、『身体感覚で「論語」を読みなおす。』『身体感覚で「芭蕉」を読みなおす。』(以上、春秋社)、『身体能力を高める「和の所作」』『異界を旅する能  ワキという存在』(以上、ちくま文庫)、『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』(ミシマ社)など多数。

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