今月の特集1

(左)『断片的なものの社会学』岸政彦(朝日出版社)、(右)『東京を生きる』雨宮まみ(大和書房)

 『女子をこじらせて』(幻冬舎文庫)、『東京を生きる』(大和書房)などの著書を持ち、こんがらがった自意識や女子のあれこれを、やさしい文体でほぐしてくれる、ライター・雨宮まみさん。以前、このミシマガでの連載「石井ゆかりの闇鍋インタビュー」にもご登場いただき、たくさんの反響をいただきました。

 そんな雨宮さんが「ぜひお話ししてみたい」とおっしゃるのが、社会学者・岸政彦さん。5月30日に発刊となる新著『断片的なものの社会学』(朝日出版社)や、前作『街の人生』(勁草書房)でたくさんの注目を集めている、ミシマ社一同もとってもお会いしてみたかった方なのです。

 晩婚化が進み、成人男女の未婚率もどんどん上がっていく昨今。「便所飯」「ぼっち」などの言葉が出てきたりと、恋愛・友人関係問わず、誰かとつながる、ということが難しくなってきているのではないか......。そんな疑問を、雨宮さんと岸さんのお二人に、じっくり話し合っていただきました。

(構成:雨宮まみ、写真:中谷利明)

人とつながるということ 雨宮まみ×岸政彦

2015.05.30更新


言わなくてもわかってくれる、という変なイデオロギー

雨宮私は岸先生の「断片的なものの社会学」という連載がすごく好きで(注)、お会いしてお話ししてみたくて対談をお願いしました。私は社会学の、ある一定の傾向のものをまとめる語り口にすごく抵抗があるのですが、岸先生の文章は、むしろそうした「まとめ」から抜け落ちてしまうニュアンスを掬い取っておられるるように感じます。 

僕は雨宮さんの「穴の底でお待ちしています」という愚痴を聞く連載が好きで。ずけずけ言ってるのに不愉快じゃないみたいな感じで、なんというか、すごい大人なんやなと。
 最近のやつだと「誕生日を祝ってくれない」という相談に対して「いや、それは自分で言いなよ」とおっしゃっていたのに「おおー!」と思いました。
 言葉で言わないと通じないというのはすごく大事なことなんだけど、特に親密な領域間ではお互いに言わなくなるでしょう。たとえば夫婦、家族関係や恋愛関係だと、言わんでもわかってくれる、という変なイデオロギーがある。

雨宮家族同士って特に言わないですよね。母の日や父の日のプレゼントはしても、そこにメッセージカードはつけない。死ぬ間際にでもならないと、家族への愛情って言葉にしないんじゃないかと思うことがあります。

男性だととくに「俺のことわかってくれんだよ、あいつは」みたいになっちゃうんですよ。で、知らないうちに関係が壊れていく。
僕は、言葉で伝えるってすごい大事だと思ってて、「言わなくてもわかるよね」ってのは嫌いなんですよね。けれど、満たしてほしい気持ちがあって、それを言葉で伝えて満たしてもらうと嬉しさが減るみたいな考え方もある。

雨宮言葉にした時点で、察してもらうよりも価値が低いっていう考え方ですよね。ネットだとそういうのは「察してちゃん」って呼ばれて嫌われますけど(笑)。希望を言わないのに、察してくれなかった不満だけを言うことになりますから。

そうそう! で、ものすごく大きな視点で見ると、出会いそのものにそういうところがあると思います。たとえば出会いの中で一番価値が低いのって、結婚相談所なんですよ。

雨宮あぁ、確かに! みんな偶然の出会いっていうか自然な出会いを、自然な出会いをね! 求めますよね! あはははは!!

ちょっと落ち着いてください(笑)。例えば、結婚式でふたりのなれそめを話すときに、結婚相談所で出会ったことだけは絶対に言わないというのがありますよね。お膳立てされることに対する嫌悪感というか、恐怖みたいなものがある。それが何かを突き詰めると「言語化すると価値が減る」ってことなんだろうと。

雨宮結婚をしたい、という目的を言って、それで知り合った関係というのは、結婚したいと言わずに知り合った関係よりも価値が低いと。

うん。ものすごく必然性のある相手と「偶然」出会いたいわけですよね。でも、ありえないわけでしょう、それは。

雨宮......はい、まぁ、わかります。

ほう(笑)。


人が欲しがっているのものを、私も欲しい

『女子をこじらせて』雨宮まみ(幻冬舎文庫)

まぁ、それは置いといて、『女子をこじらせて』を読んでいると、男には女のことは完璧にはわからない、というのもあると思うですが、1ミリも共感できないんですよね、個人的には。僕はあれとはまったく真逆です。人の目は気にしない。でも、ものすごく好きな本だし、ほんとに面白かったです。

雨宮そういう人には、最高にイライラする本だと言われています(笑)。

僕は社会学で、アイデンティティとか自己のあり方のことを研究しているんですが、その自己のあり方としてすごい面白いと思ったんですよね。
 「雨宮まみ」が、雨宮さんご自身の中に3人くらいいるじゃないですか。1号が欲望で突っ走っていって、2号は後から見てすごいダメ出しして、3号がそれを言語化して書いてる。あれは自己嫌悪の文学やなと思いました。自己嫌悪って必ずタイムラグがあって、何かをやってる最中ではなく、後から振り返って否定することで起こるんですよね。でも基本的にチーム雨宮を引っ張っていくのは雨宮1号の欲望ですね。
 ルネ・ジラールという昔の社会学者が、「欲望の三角形」ということを言ってるんです。何かの対象があって、それを欲しいから欲望しているのではなく、対象をすでに欲望している誰か(これを「媒介者」という)を「模倣している」んだと。誰かが欲望しているのを見て、あれはいいものだと学習して欲望するということなんですね。

雨宮わかります。モテる男の人がモテる構造ってそれですよね。2人にモテた時点で10人くらい寄ってくる。ちょっとモテていることによってその人の付加価値が跳ね上がるんです。カッコよさとか、持っているスペックよりも、誰かに欲望されているということのほうが圧倒的に有効ですね。

みんなが欲しがってるのを私も欲しいっていうことですよね。ただ、面白いのは欲望を経験しているときはそうじゃないでしょう。本当に自分は好きやと思っているわけなんだけど、いろいろ引いて考えてみると人が欲しがってるものを自分も欲しがっているだけだった......みたいな。

雨宮ボロボロにされて捨てられた3年後ぐらいじゃないと「あっ、別にあんな人、全然欲しくなかった!」ってわからないですね。

(笑)。欲望自体が他者の欲望の内面化なので、自分自身の内発的な欲望っていうのはそもそもありえない。

雨宮模倣からしか生まれないんですね。流行なんかは、まさにそう。


「アナーキーな欲望のほうが、より本当の欲望」とう妄想

でも、そうするとどれだけ満たしても満たされないですよね。内発的な欲望ではないので、模倣の対象は限りなく存在するわけです。無限にいるし、ある程度満たしたらOKってことはないわけです。
 それに、みんなが欲しいと思ってるものを自分も欲望するので、結局はずれる。だからそれは常に自分の自己嫌悪の対象になるんです。

雨宮つまり幸せな欲望というか、自分が真に単独で求めて、その欲望が満たされてよかったよかった、みたいなことはないと。

ない。ないんやけど、突き詰めていくと我々の欲望って、すごくありきたりなんですよね。そんなにすごいフェチを持っている人ばっかりじゃないし、意外と穏健です。普通なんですよ。別にそんな美人でなくていいし、そんなに金持ちじゃなくていい。普通でささやかなところで割とそこそこ暮らしてるのと同じことの延長で、他者の欲望を大勢が内面化してるわけですから、欲望も平均値に近い穏健なものになっていくわけですよ。
 だから普通の幸せを得るとしたら、そこに可能性があると思う。他者の欲望の模倣だから、完全に満足することは永遠にできないけど、でも逆に他者の模倣であるからこそ、それほど「個性的」な欲望でなくても、そこそこ満足できるかもしれない。

雨宮それって簡単に言うと、年をとって丸くなるということに近いですか? 自分の平凡さを知って、自分だけの特別な欲望なんていうものは存在しないんだって認めて、無茶な背伸びをしなくなる、みたいな。

そういうことなんですかね。個人的なことなんですけど、僕は「かけがえのない本当の欲望っていうのは社会規範と絶対違反するはずだ」みたいな考え方がすごい嫌いで、「俺は普通でいいぞ」と思うんですね。政治的に正しい欲望って、本当の欲望じゃない、みたいな考え方があるでしょう。

雨宮ありますね。アナーキーな欲望のほうが、より本当の欲望だ、という。

社会規範から抑圧されていてみんな欲望を我慢してるけど、剥ぎ取って裸になってもっといろんなことをするんだと言っても、たかがSMとかくらいでしょう。そんなもん別に普通のことですよね。

雨宮90年代頃は、そういう社会的規範から外れたものがかっこいいという考え方が強かったように思います。その頃、新宿の青山ブックセンターに「欲望文化」という棚があったんですよ。今でいうサブカルチャーの棚がそんな名前だったんですね。「Quick Japan」とか、青山正明さんや秋田昌美さんの本が置いてあった。その頃は性的なことにしろドラッグカルチャーにしろ、そういうものを突き詰めてる人がすごいし偉い、という雰囲気があったんですよ。援交してるほうが偉い、女といっぱいヤッてるほうが偉いみたいな。

そうそうそう!(笑)

雨宮本当にあのときは、文化系って脆弱だなって思いました。みんな身体性にすごく弱いから、体験主義に弱すぎるんですよ。まぁ、私もその脆弱さを克服したくてAVライターになったようなもんですから、何も言えないですけど(笑)。
 でも最近は、そういう過激さがださい、っていう風潮を強く感じています。ドラッグなんてださいし、なんならお酒ももうださい。セックスに溺れてるとか、もちろんださい。



「普通の幸せ」が実現している現代

でも、雨宮さんの本を読んでいると、陶酔することに憧れてるようなところありますよね。今のそういう風潮は、さみしくないですか?

雨宮スマートで好きですけど、やっぱり「自分とは違う」と思いますね。私、日常と違う世界に連れて行ってくれるものが好きなんですよね。

今の学生って本当に酒飲まないですからね。みんないい子やし、堅実やし。1974年から6年ごとに行われている、「青少年性行動全国調査」というかなり大規模な調査があります。70年代から一貫して、若者の性交の経験率は上昇してきたんですけど、この10年で急にグッと下がってるんですよ。その他いろいろ考えると、1995年から2005年くらいに、何か大きな構造変動があったんだろう、となんとなく思ってます。

雨宮お金がなくてホテルに行けなくなった、とか? ブルセラブームの真っ只中でもあるかな。

お金がないのはその通りですね。いま都心の下宿生の1日の生活費が900円を割りましたから。僕が学生の頃は、バブルの頃やったんで、1日の生活費が2500円もあったんですよ(『朝日新聞』2015年4月4日)。
 今の学生に「デートでどこ行くん?」とか聞いたら、屋内のレジャー施設(スポッチャ)にすごく行くらしいです。卓球があってバスケがあって、一日中そこにいる。けど、スポーツしてるんじゃなくて、ただ座って建物のなかにある漫画読むコーナーで、漫画読んでるって(笑)。

雨宮えーー! 絶対行きたくない。ここで私が絶対行きたくないっていうのも、旧世代代表の模範解答みたいで嫌ですけど(笑)。でも、極めて日常ですね、それ。

帰りは餃子の王将とかに行くらしい。社会全体が近代化していって、合理化していって、どんどん合理的な暮らしというか、無理しない、陶酔しない、という冷静な感じになっていますね。ついでにいうと、社会全体でマナーもよくなってますし、犯罪も激減しています。

雨宮恋愛も非日常的じゃないんだ。堅実だし、ぐうの音も出ないほど正しいですね。今の20代の人、私より貯金あるんだろうなぁ......。その世代では、私のような欲望を持ってる人は少なくて、日常的な欲望がメインで、それをみんなが模倣しているのかもしれないですね。「普通の幸せ」が実現しているということなのかも。


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(注)『断片的なものの社会学』は朝日出版社より2015年5月30日より刊行されました。


    


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雨宮まみ(あまみや・まみ)
ライター。アダルト雑誌の編集を経て、フリーライターに。女性の自意識との葛藤や生きづらさなどについて幅広く執筆。
著書に『女子をこじらせて』(幻冬舎文庫)、『ずっと独身でいるつもり?』(KKベストセラーズ)、『女の子よ銃を取れ』(平凡社)、最新刊は私小説風エッセイ『東京を生きる』(大和書房)。



岸政彦(きし・まさひこ)
1967 年生まれ。社会学者。大阪市立大学大学院文学研究科単位取得退学。博士(文学)。龍谷大学社会学部教員。研究テーマは沖縄、被差別部落、生活史。著書に『同化と他者化──戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版)、『街の人生』(勁草書房)など。最新刊は『断片的なものの社会学』(朝日出版社)。

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